薄紅色の、花咲くは冬。
「・・・・・・お暇を、戴きたいのです」
そう言って、森羅家に40年仕えてきた論義勇は、深々と森羅家当主、森羅根に頭を下げた。
「・・・ほう。今まで不平不満を何一つ言ってこなかったお前が、まさかここにきてそんなことを言うとは」
我々一族に嫌気が差したかな?
含み笑いと共に、白皙の老人が義勇に問うた。
森羅家は合法新技術開発グループの最大手。
その仕事には多少後ろ暗いところもある。
「いえ、とんでもない。嫌気が差すなどそんなことは無いのですが、こんな枯れ木、森羅様のお役には立たないのではないかと思いまして・・・」
仕事及び森羅家に不満はないと真っ先に言い張った義勇。
その身の不要感に苛まれてのことであるようだ。
「・・・ふむ。お前が枯れ木であるなら私は縄文杉か?・・・・・・まあ、冗談はこれくらいにして」
根の言葉に血相を変えた義勇ではあったが、義勇の顔色を見て、「此奴に冗談は通じんのだった」と瞬時に思い出した根が咳払いをすることによって落ち着いた。
「良いだろう。論義勇、お前に無期限の休暇をやろう」
「・・・有り難き幸せに御座います」
主人の寛容な心に論は深々と頭を下げた。
「・・・ただし、条件がある」
「・・・ええ、森羅家のことは勿論のこと、仕事についても口外いたしません」
根が条件を言うのを先回りして義勇が森羅家と仕事についての機密を漏洩しないことを誓う。
「・・・まあ、それもそうだが、というかそれがばらされたところで我々は全く困らないが、無期限の休暇を認める前に少し働いて貰いたい所があってな」
「・・・何処でしょう?欧羅巴ですか?亜細亜ですか?阿弗利加ですか?北米ですか?南米ですか?それとも南極か北極ですか?」
休暇が欲しいという割には、「働く」という言葉に少し嬉しさを隠しきれない様子の義勇。
「アジアはアジアでも、日本だ。・・・・・・日本の、とある学校だ」
「・・・・・・はい?」
* * * * * *
〈日本の紺青高等学校で、古典の教師を三年ほどしてほしい。その後は自由だ。退職金も5億ほどやろう〉
根の言葉を受け、義勇は某県山中のとある高校に降り立った。
最近森羅根によって設立されたらしく、真新しい校舎にグラウンドと、義勇が若かりし頃には考えられないような情景が広がっていた。
『・・・なぜ旦那様はそんなことを仰ったのかは分からないが・・・まあ、何か理由があるのだろう』
慣れないスーツに身を包み、義勇は校門を通って職員室を目指した。
* * * * * *
「・・・論義勇さん?・・・ええ、お話は伺っております。今年から三年間、古典の教師をしてくださるのですね?」
「・・・はい」
校長――――――――――とはいえ義勇とあまり歳は変わらない――――――――――が、義勇に確認を取る。
「この学校は一応公立高校ですが、一風変わった授業を売りにする予定でして」
「・・・はあ・・・」
「一風変わった教師を募集しているんですよ」
嬉しそうな校長の顔に、疑問詞を脳内で撒き散らす義勇。
この掴み所のなさは、森羅家と同等かそれ以上だ。
「今日は他の科目の教師の方と一緒に試験を受けてもらいます」
それに合格してからのことにしましょう
校長の言葉に義勇は暗澹たる気持ちになった。
* * * * * *
『・・・・・・此処で雇われなければ、森羅様の頼みも聞けないうえに、休暇も無し!?』
脳内で絶叫しながらもグラウンドに出た義勇を待ち受けていたのは、
白衣を纏い何やら怪しげな液体の入ったフラスコを持って何かを呟いている青年、
真冬にも拘らず半ズボンにランニングという格好のボディビルダーと見紛うばかりの中年男性、
今時漫画の中でも見かけないような分厚い眼鏡(表面にはご丁寧にも渦巻きが描かれている)をかけた女性、
白髪交じりの90代くらいには見える老女、
金髪に碧眼という如何にも外国人、という風貌に燕尾服を着た長身の男性、
肩にイグアナを乗せた若い女性、
そして最後に最も教師らしく見える若い男性が立っていた。
これが不審者の集まりだと言われても即座に頷けそうな集団だった。
義勇はその中に入らねばならないことに激しく躊躇したが、そうも言ってられない。
「・・・皆、集まってくれたみたいだね♪」
そう言う校長は後ろに優男を従えていた。・・・が。
『・・・どこぞの特殊部隊出身か・・・・・・?』
ある程度の特殊工作はこなせる自信のある義勇がそう心中で呟かねばならぬほど優男は異様で後ろ暗い雰囲気を纏っていた。
「えーと、いまから紺青高校教員採用試験をします!!」
校長の声が聞こえる。・・・どことなく楽しそうだ。
「この紺青高校のある敷地内で、「鬼ごっこ」をしてもらいます!!」
上機嫌にそんなことを言ってのける校長。
驚いたのは義勇だけではない。
「「鬼ごっこ」とな?アタシにとっちゃ75年ぶりじゃの~」
そう言うのは老女である。
「はは。黒峯キヌさん。童心に帰ったつもりで、頑張ってください」
嘘くさい爽やかさに溢れた笑みを浮かべる校長。
「ルールの方は副校長の仙境翠據君が説明するから」
校長が先程の優男を示す。
「ただ今紹介に与りました、仙境です。ルールは普通の鬼ごっこと同じように、鬼にタッチされるとその人が鬼になるのですが、鬼になった場合にタッチできる人間が私に限られます」
つまり、私以外にタッチしても鬼の状態が解除されるわけではありません。
そう言う翠據の説明を真剣に聞く教員志望者たち。
「制限時間は今日の日没まで。その間に私に捕まったのち私を再び鬼にするか、一度も捕まらないかのどちらかで、試験合格です。ちなみに、私を撃退したり、私を再び鬼にするのに何を使っても構いません。・・・・・・何か、質問は?」
翠據がそう問うと、中年のボディビルダーっぽい男性が手を挙げた。
「神宮らきとさん。何でしょう?」
「えーっと、副校長先生は同時に二人以上にタッチして鬼にすることは出来るんですか?」
「ええ。ちなみに、一度鬼になったあと私を鬼に戻した場合、その後鬼にされることはありません」
「なら、その二人以上が協力して副校長先生を捕まえてもいいのか?」
「・・・勿論です。ただし、鬼ではない人が、鬼の人の手伝いをするのはルール違反です」
らきとと翠據のやり取りが終了すると、校長が何処から出してきたのか、空気銃を持ち出し、
「それでは、始め!!!!」
掛け声とともにそれを撃った。
号砲と共に義勇は走り出す。
肉体は衰えたとはいえ、常人に負けるわけにはいかない。
紺青高校の周りを囲む山林に逃げ込む。
義勇は頂上を目指すつもりだった。
頂上からならば鬼の動きや他の志願者の動きを見ることが出来るからである。
灌木や涸川を飛び越え、山の獣道をひた走る。
義勇と同じことを考えていたのか、先程義勇が見た科学者っぽい青年が同じく頂上を目指していた。
「・・・こんにちは。貴方も僕と同じことを考えていたようですね」
100mを9秒で走る人間が世界最速だと持て囃されるのはあくまで表の世界だけの話だ。
義勇は今でこそ100m9秒台だが、昔は5秒で走っていた。
その義勇と同じスピードで走る青年。
「・・・そのようですね。・・・私は論義勇。貴方のお名前は?」
先程見たフラスコにはゴム栓がしてあった。
「僕は、今は仙崎無界と申します。・・・論さん、速いですね」
無界の素直な褒め言葉に
「ありがとうございます、仙崎さんも速いですね」
同じく褒め言葉で返す義勇。
「いえ、僕なんてまだまだです・・・。もうじき頂上ですね」
義勇と無界が話をしていると、頂上が見えてきた。
「これで一安心です・・・」
ふうと息を吐く無界。
義勇は気を抜かずに辺りを見回す。
頂上には真冬に似つかわしくない薄紅色の花弁をつけた桜の花が咲いていた。
『・・・狂い桜か?』
そう考えながら義勇が山を見下ろしていると、先程黒峯と呼ばれていた老女が恐ろしい勢いで山を駆けあがり木々を伝って副校長を追いかけ、タッチしている場面を見た。
「・・・・・・!!」
「あれ?論さんどうかしました?」
絶句して呆然と立ち尽くす義勇に、無界が話しかける。
「・・・・・・さっき黒峯さんが・・・」
「ああ。あの人昔トライアスロンの選手だったらしいですよ?」
世間話でもするかのように言う無界に、自分が見たものが信じられなかった義勇。
・・・・・・実際世間話なのだが。
すると、
「なんだ~お二方も同じこと考えてましたか~」
アメコミみたくHAHAHA!!と笑って登場したのは先程神宮と呼ばれていた中年男性。
「神宮さん!」
「論さんと仙崎さんは既に副校長と鬼ごっこを終えてますか?」
無界の言葉に疑問形で返したらきと。
二人は首を横に振る。
「私は先程捕まってその後捕まえ返したのですが・・・」
あの副校長、中々やりますよ
真顔でらきとはそう言った。
「もともと体育教師を別のところでやっていて、面白そうな学校があるからと知り合いに紹介してもらったんですが、あそこまで速い人は久しぶりに見ました」
嘆息するらきとに、
「先程黒峯さんが副校長を追いかけているのを見ました」
そう義勇が伝えると、大袈裟に驚くらきと。
「黒峯さんって・・・あのバア・・・・・・ご年配のご婦人ですよね?」
『・・・やはり驚くのが普通の反応だな・・・』
らきとの驚きに内心でホッとしていた義勇である。
そんなやり取りを繰り返していると、肩にイグアナを乗せた女性と、分厚い眼鏡をかけた女性がやってきた。
「・・・凄いね、式ちゃん」
「・・・確率からそう導き出されただけだよ」
イグアナを乗せた女性がはしゃぐなか、分厚い眼鏡の女性はあくまで冷静だった。
「梅尾さんに、枡さん!ご無事でしたか!!」
らきとが二人に話しかける。
「ええ。式ちゃんが全部計算してくれたもの」
「璘さんが山の状態とイグアナを使って追い込んでくれたからね」
「へえ~」
無界が興味津々、といった感じで彼女らを見遣る。
「貴方は化学・物理担当の仙崎さんですよね!!」
理系担当として、頑張りましょうね♪
・・・宜しく
無界が璘、式と握手する。
『ああいう場合は壁の花になるに限る』
などと訳分からないことを心中で呟きながらひっそりとしていた義勇が再び例の狂い桜を見ていると、
はらり
薄紅色の花弁が一枚、落ちた。
それと同時に義勇の直感的な警鐘が脳内で鳴り、咄嗟に「何か」を躱す。
「・・・さっきので当たったと思いましたが・・・・・・流石に上手くいきませんね~」
「何か」は、案の定副校長だった。
「殺すつもりでいったんですが・・・」
小首を傾げながらそんなことをサラッと言ってのける翠據。
「・・・副校長先生・・・冗談はやめてくださいよ・・・」
そんなことを言いながら取り敢えず相手との間合いを測る義勇。
「・・・私は冗談は言わない人間ですよ?」
『尚性質悪いわ』
そんなことを心の中でツッコみながら相手の一挙一動を観察する。
「ま、頑張って逃げて見せてくださいね、先輩?」
相手の残像が見え始める前に義勇は脱兎の如く、否、脱飛行機の如く走り出す。
『休暇も貰わずに殺されるなんてまっぴらだ!!!』
そんなことを思いながら義勇が山を駆け下りていると、先程見た金髪碧眼の男性に遭遇した。
「・・・・・・strepitosoだね、ギユウ・ロン。ま、あの副校長はcapriccioでも演奏しているかのように楽しげだけどね」
100mを6秒くらいで走り抜ける義勇の耳に何故か届く声だった。
* * * * * *
「・・・はあ、はあ・・・・・・」
紺青高校のある山の麓近くまで下りてきた義勇。
あれから副校長の姿は見かけていない。
日没が17時30分なので、あと30分ほど逃げ続ければ義勇は採用となるはずである。
「・・・・・・やはり、「森羅の懐刀」は違いますねえ」
石段を下りてくる姿。・・・紛れもなくそれは副校長だった。
「私からここまで逃げ切ったのは貴方が初めてですよ、論先輩」
『先程から此奴は「先輩」と私のことを呼ぶが、何故だ?』
またも疑問詞を撒き散らす義勇。
「・・・義勇さん、貴方、「森羅機関」出身でしょう?」
ふと、翠據からそんな問いを投げかけられた。
二人の距離は約20m。
下手をすれば一瞬で勝負がつく距離だ。
「・・・明言はしない」
その解答に翠據が笑みを深める。
「・・・その答え方が「森羅機関」出身だと言い切っているようなものです」
「まあ、私も「森羅機関」出身でしてね」
『それで「先輩」、と』
合点がいったが納得はいかない。
それが義勇の見解であった。
「・・・そろそろ時間も無くなってきたことですから、終わらせましょうか」
副校長は革靴でカン、カンっと二回ほど石段を踏みしめると、一直線に義勇へと――――――――――
飛んできた。
「っ!!!」
それに対して横へ避け、山の中に、鬱蒼とした森の中に再び分け入る義勇。
無我夢中で走りながらも、山の中に仕掛けられた謎の罠を掻い潜る。
『トラバサミに落とし穴・・・私は猛獣ではないんだが・・・』
そんなことを思いながら残り5分を駆ける。
「森羅機関」出身ならば時計なんかを一々見ない。体内時計が電波時計並みの精度を誇るからだ。
ヒュッ。
風切り音にふと横を見ると、隣を短刀が走り抜けていった。
『何投げてくるんだ彼奴は!!』
義勇はそのまま紺青高校の敷地を目指した。
* * * * * *
「・・・帰ってきませんねぇ論さん」
璘がそんなことを言いながら、寒そうに校庭待っていた。
日没まであと5分を切っていた。
「・・・論さんが捕まらない可能性が75%」
静かに式が呟く。
「・・・流石ですな!論さんは!」
またもHAHAHA!!と笑うらきと。
「あの人は私と同年代なのによくやるのう」
そんなことを言うのはキヌである。
「僕でも捕まったというのに・・・ねえ?論さんはどこまでやり遂げるのでしょうか?」
無界もフラスコ片手にそう呟いた。
「・・・superboだな、ギユウ」
金髪碧眼の男性は、拍手をしていた。
「あと1分を切ったね」
校長がそう言うと、校庭の端に義勇と翠據が現れた。
「!!」
「機関銃持ってんぜ、副校長」
「大丈夫ですかね?」
「この学校は核シェルター標準装備だ、問題ない」
「彼が撃たれず、捕まらない可能性50%」
「ほっほっほ。アタシも負けてはおれんのお」
「・・・流石は論さんだ・・・」
「lestamenteね、二人とも」
結局、義勇は捕まらずに試験を終えた。
「お疲れ様。・・・・・・と」
校長が見遣ると、最初に集まった時に居たいかにも普通の先生、といった感じの男性が出てきた。
「矢神先生、・・・・・・おめでとうございます、採用です」
校長がそう言って矢神と呼ばれた人に握手をする。
「あ・・・ありがとうございます・・・」
矢神と呼ばれた人は少し照れながら頭を下げた。
「・・・もちろん、皆も採用だ、おめでとう」
そう校長が言ったことで、この場はお開きになった。
ある冬場の、鬼ごっこ。
矢神先生は逃げていたのに、影が薄かったため捕まらなかったというオチ。




