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十四人目の髪の色 異界に転移したら王弟殿下と異形の神に寵愛される最強の能力者になった  作者: あべ舞野


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Ⅱ-Ⅰ ロウタの行方、そしてカナデと貴人の邂逅

隣国との交渉が始まるのか

カナデは皇后ベルナデットと出会う


Ⅱ-Ⅰ ロウタの行方、そしてカナデと貴人の邂逅


 カナデがリシュリューに連れられて行った翌朝、ロウタも馬車で移送された。場所は王都郊外のあの森の近くだ。高い壁に囲まれた灰色の邸宅だ。飾り気の少ない外見は要塞ともいえるような堅牢な雰囲気だった。

 本宅と少し離れた場所に通された。平屋建てだ。生活できる設備は整っている。寝室は二つあった。しかし内装は簡素だ。明るい色で統一されている。開拓時代のアーリーアメリカといった雰囲気だ。中に通されたロウタは家を一巡した。戸口近くのリビングに戻る。食料なのか、幾つかの木箱が積まれている。王宮と同じチボー物流だった。ロウタは同行の護衛士に言った。

「ここは何ですか? 物置とか?」

 若い護衛士は生真面目に首を振った。

「ここは王立護衛士団長官であられるアンリ・ヴァランタン侯爵邸の別棟です。領地に森がありますので、通常は狩猟客をお迎えする場所となります。食事と着替えは朝と晩の二回、本館より届きます」

 だから華やかな飾りがないようだ。

「へええ。俺は何を狩ればいいんでしょうね? ところで君の名前は? ずっと俺に付く?」

「はい。護衛士団の団員でモリス・ベルナールと申します。コマツ様の護衛と身辺のお世話を仰せつかりました」

「何歳?」

「二十歳です」

「俺より年上か。魔法は使えるの?」

「はい。四方向と火のエレメントが使えます。五個を発動できる護衛士は少数なので私が抜擢されました」

 ロウタはソファの一つにどすんと腰を落とした。病院を出る間際、髪を染め直してもらった。根本まで金色に近い茶色に戻っている。また部屋を見渡し、立ったままのモリス・ベルナールを見上げた。彼はラファイエット王国ではよくいる栗色の髪と瞳だ。とっくに成人しているのだが、頬には丸みがある。まだどことなく幼さが残る容貌だ。ロウタの口調がくだけた調子に変わった。

「彼女はいる?」

「二年前に結婚しました。子供もいます。別の伴侶の子供で、会った事は数回ですが」

 モリスの女性伴侶には、もう一人男性伴侶がいる。子供はそちらの子だが、養育費は全ての伴侶の義務だ。だからモリスも自分の子ではなくても色々な支払いをしている。個人宅への派遣があるために、なかなか家庭へ戻れないのは護衛士の宿命でもあるらしい。

「大変だなぁ。そこまでして世話をしてくれるなんて助かるよ、ありがとう。ところで護衛士と魔闘士はどう違うんだ?」

「魔闘士はリシュリュー殿下を総帥とする組織で、六個以上のエレメント発動が必要です。魔獣討伐などがメインの業務ですから。私たち護衛士団は政府の管掌です。貴人警護や町の警備などを行います。立場としては同列です」

 魔闘士の主な業務は、国境の魔獣が狂暴化した際の防衛だ。また自然災害が発生した時の対応も行う。彼らの魔力は大きいので、緊急に土木工事が必要な時でも対処できるからだ。家柄も良い者が多い。

 護衛士はその名の通りだ。王家・貴族など上流階級の護衛に当たる。今のモリスのように邸宅に配備される場合もある。使えるエレメントの個数や身分制限はない。もし何も魔力が発動しなくても、ある程度の体術を会得していればなれる。給料は悪くない。だから下級貴族の子弟や平民が多いのだ。護衛士で全てのエレメントを発動させられるのは、現在の長官アンリ・ヴァランタンだけだ。

 市民の警護には、また別に警察組織がある。これ以上の説明は不要だと、ロウタは手を振って遮った。

「ずっと居てくれるんだろう? ゆっくり教えてね。カナデは後で来る?」

「いいえ。別の場所へ移送されました。どこなのかは知らされていません」

 だいたいの所はカナデの行き先を知っている。しかしロウタには彼の一切の情報を伝えないようにと命令があったのだ。

「セシルも来ないのかな」

「分かりません」

 ぼそっとロウタが呟いた。

「使えねえなあ」

 ドアが叩かれた。モリスが開ける。勲章を付けた男性が供を連れて立っている。三十代ほどだろうか。金色だが、より茶に近い髪の色だ。彼はいかめしい表情で中に入った。座ったままのロウタを見下ろす。

「お前がロウタ・コマツだな。立て。私はアンリ・ヴァランタン、侯爵だ。ディミトリ・コリニー魔闘士団長官より依頼を受けて、しばしの間お前を預かる。ここの当主に相応の礼を尽くすべきだろう」

「侯爵様ですか? よろしく」

 ロウタは立ち上がった。右手を敬礼のように掲げる。

「俺は何でここに連れて来られたんですか? まるで隔離されたみたいな感じがしちゃいますね」

 友達にでも話しかける口調だ。アンリは顔を動かさなかった。

「初めに言っておく。お前は同胞への暴行容疑で保護観察中だ。邸宅からの外出及び外部との連絡は禁止だ。必要な物があればモリスに言え。日中は敷地内に出るのは許す。但し単独行動は禁止だ。夜間は外から施錠の上、防護陣をかける」

 夜は外出禁止という事だ。ロウタの頬がみるみる染まった。少し早口になった。

「それって...誤解があります。俺はアイツの恋人ですよ? そんな野蛮な真似をするはずが無いでしょう。カナデがちょっと不安定になったんです。落ち着かせようと声が大きくなっただけだし。暴行って少し肩に手が当たった程度ですよ。あっちは昏睡から起きたばっかり。よろめいたのを見られたんです。それを大げさに」

「ここは事情聴取の場ではない」

「俺を捕まえた連中は、話しをまともに聞いてくれませんでした。カナデと話しをさせてくれって言ってもダメでした。会わせてくれたら誤解だって分かるのに」

「上部が決めた事だ。処遇が決まるまでお前はここで過ごす」

 暴行事件の顛末までアンリには知らされていない。概要だけを聞かされて、期間を決めずに異界人を預かる羽目になっただけだ。アンリにとっても突然の命令だった。

 ロウタは食い下がる。

「好きで来たわけじゃないですよ。何とかカナデに会えないですか?」

「あちらが拒んでいるそうだ」

「そんなバカな!」

 膝の力が抜けたようだ。ロウタはどすんとソファに腰を下ろした。貴族の前で許可なく着席するのは無礼だ。モリスがはっと口を開いた。だがアンリは小さく手をかざして彼を制した。まあ許す、という事だ。相手は異界の来訪者だ。ラファイエットの習慣をまだ知らなくて当然だ。

 そんな温情をかけられているとも知らず、ロウタの瞳が怒りで燃えた。

(あの野郎...! 俺を頼るしかない状況なのに、何を好き勝手抜かしているんだ!)

 傍らにモリスが立っている。少し屈んでロウタの様子を窺っているようだ。ロウタは拳を握りしめた。息を吐いて感情を落ち着かせようと試みた。声が震える。

「...わかりました。でも、いつか会えるようにしてもらえるんですよね?」

「働きかけはしてみよう。他には?」

「さっきも言いましたよね。ここは狭いし、何だか閉じ込められているみたいに感じちゃうんですよ。せめて本館にしてもらえないですか」

 さすがにアンリは眉をひそめた。堅牢な造りの別邸ではあるが、必要な機能は全て備えている。

「賓客を迎える場所だ」

「下級の貴族? 何しろ護衛士は魔闘士よりも立場が低いらしいですね。何でそんな差があるんですか?」

 苛ついた気持ちがそのまま言葉になってしまう。モリスはため息をついて視線を落とした。

 アンリのこめかみがぴく、と動いた。ロウタには禁忌陣が張られている。魔力があっても使えないのだ。つまりアンリの方が上の立場。そう思った。

「この黒い犬は躾が必要だな」

 魔力の強いアンリには、ロウタに掛けられた禁忌陣が見て取れる。ディミトリ・コリニー魔闘士団長官の強い魔法だ。ロウタに何かできるはずがない。

 ふわっと八芒星(オクトグラム)魔法陣が浮かんだ。陽の印はないが、全てのエレメントが輝いて白い光を放つ。それがロウタに飛び掛かった。モリスが思わず数歩下がる。

 ロウタは腰を浮かせた。記憶取得の時とは比べ物にならない威力の魔法が向かってくる。恐怖を感じた。腹の奥が熱くなる。喉の奥が詰まるようだ。それを吐き出そうとした刹那、唸りが喉を駆け上がった。それは胸につかえた何かを伴う。火の塊が背筋を駆け抜けた。体が半分に裂けそうな衝撃は、そのまま全身から飛び出した。渦を巻く波動が八芒星(オクトグラム)魔法陣から放たれた光線を迎え撃つ。アンリの光は瞬時に弾けた。線香花火が燃え尽きる瞬間のように縮こまり、ジィーとわずかな火花を落として消えた。

 室内が静まり返った。モリスとアンリの従者は呆然とうずくまっている。アンリの顔にも色が無かった。

 だがロウタも同じだ。自ら放った力に平静を装ってはいるが、体の震えを抑えるのに懸命だった。

(何だ、これは...)

 裂けめから落ちた時、獣の咆哮を聞いた。恐怖と驚きで記憶があいまいだ。着地には衝撃があったものの、大した怪我はしなかった。

(これが異世界に来た故のチート能力ってやつか? それとも獣のせいか?)

 アンリが自失の体で呟いた。

「デマレ研究班長の報告書ではここまでとは......これが...異界の波動なのか...」

「その通り」

 ロウタは不敵に笑ってみせた。アンリの口調が変わった。

「コマツ殿、もっと詳しくその力について伺いたい。異界の者は皆そのような力を有するのか?」

「俺が特別かと」

「チュウゼンジはいかがか?」

 カナデが八芒星(オクトグラム)魔法陣を持つのは国家機密だ。魔闘士団の一部にしか情報は開示されていない。別組織のアンリにもだ。

 ふふ、とロウタは笑って顔を伏せた。近くにいるモリスには、その目が危うげに揺れているのが分かる。手を軽く握ったり開いたりもしている。しかしロウタはまたも不遜な顔をアンリに向けた。

「アイツが何かできるはずがない。個人差があるんですよ」

 カナデは病院でも一方的に殴られただけだ。自分の方に力があるはず。ロウタは自分に言い聞かせる。

「なるほど」

 アンリはしばし思案顔になった。

「まずはお互いの信頼関係を結ぶのが必要であろう。明日も私はここに来よう。共に昼食を取りながらこれからについて対話するのだ」

 それから従者に声をかけた。

「すぐに仕立屋を呼ぶんだ。着替えを用意させろ」

「おいおい、手のひら返しですか」

 ロウタは片頬を歪めて笑った。

「でも俺の能力をすぐに理解するとは、なかなか賢いお方のようですね。部屋は変えてもらえますか?」

「すぐには無理だ。魔闘士団がコマツ殿の状況を定期的に確認に来る。奴らの命をこちらで勝手に変えるとなると厄介だ。この力を彼らに伝えておいでか?」

「いいや。奴らは知らない。初めて披露したんですよ」

「貴殿も賢いようだ」

 アンリは踵を返した。

「では、また明日」

 扉を閉めた。本館に向かって歩き始める。まだ従者は青ざめていた。

「魔闘士団長官の禁忌陣が役に立たないとは。八芒星(オクトグラム)魔法陣を相殺、或いは弱体化させられる。これは大変な武器だ。攻撃はどの程度使えるのか確かめなくてはならないな」

 アンリは明るい空を眺めた。視線の先には森を越えた王都の中心部がある。城は見えないが、彼はまさにそちらを強い視線で見つめていた。

「俺たち護衛士は魔闘士の手下じゃないんだ」

 吐き捨てるように言うと、足早に本館へ向かった。

 残された二人は、しばらく無言だった。まず口を開いたのはモリスだ。

「コマツ様。失礼ながら、もしやこの能力は初めて発現したのでは?使い慣れていないとお見受けしました」

 使った本人が驚いている。隠そうとしても、すぐそばにいたモリスには彼の戸惑いが見て取れた。

「だったら何だと?」

「練習されませんか? 私と」

 王国の為の力になる。純粋な気持ちからの申し出だった。

「ありがとう、モリス。頼りにしているよ」

 ロウタの瞳が弧を描き、口角がゆったりと上がった。顔の造作は悪くない。むしろ彼に最初に接した者は、親しい口調とこの笑顔に惹かれる。モリスも眩しそうに目を細めた。

 


 王国の行政を実際に動かしているのは内閣部である。それは王宮の敷地内に設置されている。責任者として国王から任じされているのが宰相だ。それが政治のトップとなる。

 現在の宰相は五十代のジョルジュ・パルク伯爵だ。貴族の位は中程度なのに頂上まで登りつめたのだ。それだけ彼の優秀さを示すものだった。

 ラファイエット王国は穏やかな気候だ。この日も麗らかな初夏の日差しが降り注ぐ。しかし午後の宰相執務室は重苦しい空気が満ちていた。宰相の机の手前に応接間がある。そこでパルクは神妙な面持ちで座っていた。とはいえ、いつもこのような表情だ。本当は何を考えているのか掴みどころが難しい。若い秘書が後ろに控える。正面にはリシュリューとディミトリがいる。テーブルのカップには手を付けず、こちらは思案顔だった。

 ディミトリが口火を切った。

「隣国からの使者は、もうとっくに来ていたのですね? なぜ情報を内閣部だけに留めておいたのですか?」

 内閣部と魔闘士団の関係性に上下はない。どちらも王府直轄の組織だ。貴族の階級的にはディミトリが上だが、相手は行政のトップでかつ年上だ。話し方にはなかなか気を遣う間柄ではある。

 パルクは軽く咳払いした。

「国王陛下には即日報告しました。リシュリュー殿下は外遊中でご不在でしたから」

 その口調も固い。臨席の王弟殿下に責任を転嫁するような物言いだ。ディミトリはさらに反論しようとしたが、リシュリューが指を上げて止めた。

「兄上が了承済ならいい。現状の報告を」

 秘書が三人に書類を配った。やはり文字は濃い紺色で印刷されている。

 異界からの落下事象が起きてまもなくの日だった。隣国アルニウスから書簡が届いていたのだ。そこは北方に位置する陰の気(ルキデュイ)の強い国だ。ラファイエット王国と種族が違う事もあり、民間の限られた交流のみで正式な国交がない。相反する陽と陰の国同士なのでお互い干渉なしだ。これで外交的には何ら問題は起きていなかった。

 アルニウスは陰の気(ルキデュイ)を操る魔獣を神と崇める国だ。それは普段は地上には現れない。地下を住処としている。だからアルニウスでは鉱石や貴石など一切の採掘を禁止している。神性を侵す行為だからだ。

 リシュリューは書類を投げるように机に置いた。ばさ、と音がしてばらける。

「その禁をラファイエット王国側の人間が破ったと?」

「左様です、殿下。それを受けて私どもは事実確認を進めていたのです」

 二つの国の間には自治区が設けられている。どちらの国民も生活している自由交易の場所なのだ。現場はそのナント自治区に近いラファイエット王国の土地オーギュ地方だ。地下トンネルを掘削し、アルニウス側の貴石を持ち出した。その為に神獣が怒った。それで意趣返しとばかりにラファイエット王国に魔獣の妖狗を送りこんだ。そしてあの落下事象が起きたのだ。

 書簡によるとアルニウスの要求に応えなければ、再び魔獣が降臨するかもしれないとあった。

「返事をしなかった。そうだな? だから再び現れた。神獣のグリフィスがじきじきにお出ましだ」

 え、とパルクが口を少し開いた。墓所での再来を知らなかったようだ。しかしすぐに何気ない様子を装う。

「不確実な報告はできません。現地に調査員を派遣しておりました。すでに調査結果をまとめた書簡も送付いたしました。それで本日おいで頂いたのです」

 新しい書類が手渡された。

 ラファイエット王国では産出しない貴石イリザスィヨンが大量にナント自治区で取引されていたのだ。水晶のように透明で、最大で七色の光が虹のように内包されている。透明度と色の数や広がり方で価値が決まる。希少価値と美しさでとても人気がある宝石だ。採掘が禁じられているアルニウス国から一気に出る量ではなかった。

「確かにオーギュ地方の国境沿いで坑道が掘られておりました。臨時入国の許可を得て、アルニウス側近くまで坑道を視察させました。国境付近と思われる場所まで相手側の外交員が来ました。立ち合いの下、採掘の痕を目視で確認。調査員が行けたのはそこまでです。しかし外交官があちら側から来たとなると、トンネルはアルニウス領土まで繋がっている模様です。位置からしてナント自治区か、少なくともその近辺のアルニウス領でしょう」

 地図にはトンネルの道筋が赤く表示されている。アルニウス側は未確認の為点線だ。

「残念ながら犯人は逃亡後で正体は不明のままです」

「取引市場に持ち込んだ者は?」

「不明です。販売業者の証明書は偽造でした。採掘者がナント自治区側から侵入した可能性も否定できません」

「あちらにもつながっているのなら、奴らが掘り出したのかもしれない」

「その通りです。しかし確証がないのです。採掘した事実があるだけです。もちろん即刻、現場を封鎖しました。盗掘品は没収です。もはや市場に流れてしまった一部も追跡中です。いずれもアルニウスに返却となるでしょう」

 状況は良くない。アルニウス国からしたら不法侵入である。魔獣をけしかけるような真似をしてまで脅すのも無理はない。パルクにすれば、なるべく事を片付けてから報告を上げたかったのだ。

「あちらの要求は賠償金です。及び...殿下、書類のご確認を」

 机上のページをめくるリシュリューの手が止まった。もう一つの要求は異次元からの来訪者二名の引き渡しだった。落下者の生き残りがいるとはかん口令など敷いていなかった。彼らが来た時にはまだ二人の能力を知らなかった為だ。

 もっともカナデはグリフィスと対峙しているのだ。そこから能力者の存在は知られている可能性はある。それにカナデはグリフィスから黒の八芒星オクトグラム・ノワール魔法陣を受け取っている。アルニウスには伝わっているのか。彼は強大な武器でもある。

「神獣が引き寄せたのだからアルニウスに所属するべき...とは強引な論法だな。引き渡しは受け入れられない。国防上の不利だ」

「もちろんです。二人の戸籍を急ぎ作成し、自国民といたしました」

「ご苦労。盗掘の犯人は目ぼしさえ付かないのか?」

「追跡調査は続けておりますが、何しろ時間がありません。アルニウスは即時の解決を求めています。さもなければ妖狗は何度でも来るのを止められないとの事です」

 妖狗はとにかく、グリフィスは数千年を生きる神の領域にいる獣だ。退治などできない。追い払うのが精いっぱいだ。しかも対抗できるのは個人では魔闘士のリシュリューとディミトリくらいだ。カナデがグリフィスを抑えられるのが判明しているが、問題の根本的な解決にはならない。

 リシュリューは背もたれに身を預けた。

「パルク。君の事だ。もう会談の日時はもちろんすり合わせ済だろうね? 私も参加しよう」

「難しいかと存じます。提案されている会談場所はアルニウス本土かナント自治区です。あちらはご存じの通り軍属の立ち入り禁止です」

「緊急時だ。調整しろ。会場は私も参加してのナント自治区か、現場のオーギュ地方だ。現地の検証をさせると言えば、無理な理由にならないだろう。どちらかは譲るな。私も兄上と話を詰めよう」

 ナントには両国の共同で防衛の為の魔法陣が掛かっている。内部では魔法が使えるものの、外部とのシンクロやチャネリングが出来ない。どちらの国にも秘密会談などさせない為だ。リシュリューの参加を拒むなら、少しでも有利な自国での開催を提案させるのだ。

 話は済んだ、とばかりにリシュリューは立ち上がった。ディミトリが続く。

「かしこまりました」

 最高権威の国王を持ち出されては仕方がない。パルクも椅子から立ち上がり、出ていく二人を見送った。



 この日のカナデ担当もセシルだった。起こされた時には、もうリシュリューは出かけていた。やはり使用人食堂で食事を済ませた。熱望した皿洗いは食堂の責任者に却下された。カナデに何かをさせるのは、例え雑用と言われる作業でも主であるリシュリューの許可がいるようだ。

 まだデザイン課との打ち合わせが出来ていない。セシルはカナデを散歩に誘った。彼女は今日もカバンを肩に掛けている。白いエプロン姿のメイドたちは持っていない。セシルは服も違う。エプロンは淡い水色だ。

「何が入っているの?」

「ハンカチ、絆創膏とか塗り薬、メモ帳、通行証...まあ色々ね」

「宮中は通行証が必要なんだ?」

「ええ、使用人はね。私が持っているのはリシュリュー宮付きの証明書なの。ほぼどこでも入れるわ。カナデ用のも殿下が用意してくださったはずよ。後で机を確認してみて」

 王族の通行証だ。威力は絶大らしい。

「分かった。宮殿毎に制服が違うの?」

「そうね。それで魔法が使える者は水色の何かを身に付けているの」

 色々と子供のように尋ねるカナデに、セシルの頬が緩む。

「カナデ、花は好きかしら?」

「うん、まあ」

「では温室に行きましょう。今はバラがキレイよ」

 カートを使った方が良かったのでは、と思うほどの距離を歩いた。緩い上り下りを繰り返す。この散歩はセシルには心地よいようだ。丘の中腹にガラスで囲まれた温室が見えた時、カナデは汗ばんでいた。陽の気(ルキデュヤン)にあたったとフーシェ閣下に言われた通り、この国の太陽光線はカナデには息苦しい。決して強い光ではないのだが。

 夕べのリシュリューの言葉を思い出す。陰の気(ルキデュイ)は日除けに使えないだろうか。黒の八芒星オクトグラム・ノワール魔法陣をなるべく具体的に思い出す。目の前に出そうになったが堪えた。イメージの陰の印から少しだけ陰の気(ルキデュイ)を取りだす。自分の体にまとわせた。すっと爽やかな涼気に包まれた。息も楽になる。やはり陽によるのぼせになりかけていたようだ。

 温室に近づいた。反射が眩い。陰の気(ルキデュイ)を出したばかりなのに、肌にちりっと陽の気(ルキデュヤン)が刺さるようだ。そっともう少し追加した。入り口に護衛士がいる。カナデを見てぎょっとする。急いで何気ないふりをした。セシルがカバンから通行証を出して示した。すると彼が鍵を開けてくれる。

 むっとした湿気が押し寄せる。背の高い木の間を蝶が舞う。木々の幹も薄い茶色や白が多い。通路沿いに植えられた花々の色合いは淡いが様々だ。まさに花園である。あちこちで係員が水やりや間引きなどのお世話中だった。

 彼らに会釈しながらセシルが一つずつ解説してくれる。見知らぬ形と名前ばかりだ。しかし異界の花も美しい。

「温室の向こうに庭園があるの。そこはバラ園よ」

 まもなく出口だ。扉を少し開けると話し声が聞こえた。セシルはそっと覗き込み、急いで閉めた。

「先客がいらっしゃるわ。戻りましょう」

 しかし、すぐに向こう側から開かれた。いかめしい顔の護衛士だった。

「通行証は?」

「リシュリュー殿下下賜の証明書がございます。でも温室の見学は終わりましたので、これにて失礼いたします」

 セシルは一歩下がった。しかし遅かったようだ。さらに別の声がした。小鳥がさえずるような話し方だ。

「お客様でいらっしゃいますか?」

 護衛士がドアをさらに大きく開いた。バラと翻訳されるだけに、ほぼ同じ華やかな花が一面に咲き誇る。強い香りだ。つたを絡めたアーチと並んで真っ白な四阿(あずまや)があった。彼の後ろから水色のエプロンのメイドが微笑む。手前の男性の肩ほどもない小柄な若い女性だ。カナデに目を留めた。彼女はにっこり笑った。

「あらセシルさん。異界からのお客様をお連れなのね」

 それから彼女は軽くカナデに礼をした。

「お初にお目にかかります。私は皇后陛下の御身のお世話をさせていただいておりますコレット・アポリネールと申します。階位は子爵の長女ですわ」

 先客は皇后だった。リシュリューの更に上位の王族だ。本人も子爵のご令嬢。セシルが緊張で固まるのも無理はない。カナデは口ごもりながらも返事をしようと試みた。

「初めまして。中禅寺奏、名前がカナデです。よろしくお願いします。でももう帰るのでお世話はかけない...かけないかと。あっ、私は平民です」

 しどろもどろの挨拶になった。にこやかにコレットが見つめる上から、能面のような護衛士の顔がある。本気で帰りたい。

「少々お待ち下さいませね」

 コレットはスカートを翻して四阿に向かった。そのすきにセシルが耳打ちしてくる。

「ベルナデット皇后陛下がいらっしゃるわ」

「うん。帰りたい...」

 コレットは少し言葉を交わした。礼をしてからまたすぐに戻る。

「チュウゼンジ様、よろしければこちらへどうぞ。皇后陛下がお目通りを許して下さるそうです」

 会いたいなどと上奏していないのだが。セシルはカナデに向かってそっと首を振る。しかしコレットはさっさと歩み始めていた。二人は顔を見合わせた。仕方なくカナデを先にして彼女に続く。四阿は少し高く造ってある。数段上がると、これも真っ白な椅子とテーブルがある。テーブルの上には小花の散る模様のティーセットがあった。片側の壁がない。天井に至るまで黄緑のツタが絡まっていた。

 奥の椅子に白いドレスの女性が座っている。長いプラチナブロンドは見事な縦ロールを描く。リシュリューと同じ年ごろだろうか。頬が真っ赤だ。ドレスの襟元も少し肌の赤みが強いようだ。カナデが初めて感じる強さの陽の気(ルキデュヤン)だ。少しくらくらする。またも陰の気(ルキデュイ)追加だ。

 彼女はこれもまた白い羽製の扇をゆっくり揺すった。セシルがカナデの背中を突いた。声を出さずに何か告げる。しかし翻訳陣は音と文字に対応する。唇の形だけでは何だか分からない。

 皇后の傍に立つ白髪の女性がいる。彼女は白いワンピースだ。水色の物は身につけていない。魔法は使えないようだ。彼女は厳しい目線をカナデに向けた。

「そこの者。口がきけないのですか。ご挨拶もできぬとは無礼な」

 あわててお辞儀をしたが、どう言ったらいいのか。彼女の目線が痛い。顔を上げると、皇后は扇を胸元に置いて微笑んでいた。初夏の太陽のようだ。

「初めまして、異界からのお客様。私はベルナデット・ラファイエット。お会いしたいと思っていたの。カナデ・チュウゼンジね。リシュリューから聞いているわ」

 軽やかに転がる鈴のような声だ。そして傍らの女性に言った。

「この子は他の世界から来て目覚めたばかりなのよ。しきたりなど知らなくて当たり前でしょう、サンドラ夫人」

 カナデはやっと声を出した。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。お初にお目にかかります」

「こちらへどうぞ。一緒にお茶をいかが?」

 サンドラが目を吊り上げた。

「陛下! なりません」

「あらまあ、どうして? ラファイエット王国のお客なのよ。お話したいわ。さあいらっしゃいな。コレット、チュウゼンジのお茶を用意して」

 ここまで言われては仕方がない。カナデは覚悟を決めた。サンドラが睨んでいるが、彼女の上司から呼ばれているのだ。

(僕の無礼の苦情は王弟殿下にしてもらおうか!)

 何しろ王宮へ連れて来たのは彼だ。

 体が少し緊張していたようだ。階段の段差に躓いてよろめいた。

「あら大丈夫? 体調はよろしくて?」

 嗤われるかと思いきや、皇后自らに気を使わせてしまった。

「大丈夫です。緊張しているだけです」

「それは無用よ」

 コレットが椅子を引いてくれた。カナデの分のお茶が置かれた。ベルナデットが早速手を伸ばして来る。頭を撫でた。

「黒いのに緑。美しいわ」

 明るい陽に照らされると、黒髪は緑に輝く。黒髪がいないのなら、これは初体験の光景だろう。

 サンドラが顔をしかめた。

「陛下、触れてはなりません。そこの者は陰の気(ルキデュイ)を放つと聞き及んでおります」

 彼女はベルナデットのカップをソーサーごと持ち上げた。

「コレット。別のお茶を用意しなさい。陰の気(ルキデュイ)に触れたのだから、更に強い陽の気(ルキデュヤン)を含む物を」

「サンドラ夫人」

 間髪入れずに、ぱしっとベルナデットは扇を閉じた。

「私の為に、あなたがカメリアを用意して来てね。私は八重咲きが好きよ」

 体の良い人払いだ。サンドラはぐっと唇を引き結んだ。毒キノコでも見るような目つきでカナデを見下ろす。しかし無言で頭を下げて庭園へ向かった。何事も無かったように、コレットが皇后に新しいお茶をサーブする。

「チュウゼンジ、気を悪くしないでね。サンドラ夫人は役目に熱心なだけなの。私に陽の気(ルキデュヤン)を満たそうと懸命なの」

 彼女はカナデの目を覗き込んだ。

「わあ、夜の闇ね。私が映っているわ。吸い込まれそう。きれい」

 ベルナデットの瞳はリシュリューに似ている。上位階級が持つ濁りのない淡い色だ。

「陛下の瞳の方がキレイです。リュシ...リーシュ...殿下と同じで...」

 目覚めてからカタカナの人名が怒涛のように押し寄せてくる。しかもひねる音が多い。とても覚えきれないし、発音が難しい。カナデはハーフではあるが、生まれも育ちも日本だ。多少は英語が分かる程度で、日本語以外は喋れない。

 ベルナデットは軽やかに笑った。

「私の名前は憶えているかしら? 言ってみて」

 思わず目がきょろきょろしてしまう。自信がない。彼女の背後からコレットが口を動かした。人名なので読み取れた。

「ベルナデット様」

「ふうん?」

 彼女はちらっとコレットを振り返った。カナデの目線がずれたのがばれているようだ。彼女が追い打ちをかける。

「殿下の名前は? ねえもう一度」

「り、リュシリー様」

 普通に噛んだ。人の名前を間違えるのは失礼だと分かっている。しかし殿下の名前は、鬼門と言えるほどカナデには言いづらかった。

「リシュリューよ。国王陛下のお名前はオレリオンソル・ラファイエット。さあ言って?」

 口の中で呟く。前後二つに分ければいけそうだ。

「...お、オレリ...オンソル様」

「よくできました。私は宮中で育ったの。陛下と殿下とは幼馴染なのよ。今でもとても仲が良いの。それで私の名前は?」

 それからも延々と名前当てゲームが続く。魔闘士団と護衛士の長官と副長官や宰相の名前を聞かされては言わされる。ベルナデットはいたずらっぽい顔で問題を出す。

 嫌味な感じは微塵もない。育ちの良さもあって真っ白な子猫がじゃれついてきているようだ。面白がっているのか。何度も繰り返すうち、はっとカナデは別の意図に気づいた。表情に現れたのだろうか。ベルナデットは軽く扇を仰いだ。

「さあゲームは終わりよ。楽しかったわ」

「はい。ありがとうございます」

 カナデはしっかりと彼女の瞳を見返し、深々と頭を下げた。髪が揺れる。ベルナデットは扇を置き、両手をカナデに伸ばした。頭を何度も撫でる。指を絡めて何度も梳いた。カナデは固まった。もう為すがままである。

「素敵ね。リシュリューがあなたの話ばかりしているのも分かるわ」

 うっとりとしている。いつしか頬の赤みが消えていた。

「カナデちゃんって呼ぶわね」

 彼女は再び扇を手にした。

「絵がとても巧いのですってね。私を描いてもらおうかしら」

「とっとんでもない! です。宮廷画家がいらっしゃるでしょう?」

「いるけれども彼は私を美化しすぎるの」

 まあそれは彼女をそのまま描けばとても美しくなるだろう。それが気に入らないとは? 庭園を見渡す。光が溢れ、弾ける光景だ。これを描くとすれば、印象派が適当だろうか。それをこの王国で何と表現すればいいのか分からない。

「えーと、明るい色使いで、対象物をふんわりと空気をまとったように表現する...というような描き方は、こちらにはあるのですか?」

「いいえ。それはなあに? どういう絵なの?」

 ベルナデットは身を乗り出した。絵画や彫刻を見るのは好きらしい。見識は広そうだ。そこから美術談義が始まった。

 セシルのみならずコレットも少し不思議そうな顔つきだった。ラファイエット王国では身分制度がきっちりしているので、上級教育を受ける階層も決まってくる。それなのに、ただの平民が王族と並ぶ感性を有しているのだ。

 会話がひと段落した。

「そういえばカナデちゃんは黒の八芒星オクトグラム・ノワール魔法陣を持っているんですって? 見せてもらってもいいかしら? あ、サンドラ夫人が戻って来る前にね」

 悪戯っぽく微笑む。ここで出していいのだろうか。セシルを見るが、彼女は緊張からか無表情だ。カナデと目が合うと、あわてて目配せした。

(どっち?)

 出せという合図か『やめとけ』か。

 ベルナデットがじっと見ている。カナデは迷いを捨てた。顔の前に小さく八芒星(オクトグラム)魔法陣を出した。もう出し入れはかなり自在にできるようになった。

 ひゅっ、と軽くベルナデットが息を飲んだ。しかし身を乗り出す。

「すごい...。初めて見たわ。ねえ私の八芒星(オクトグラム)魔法陣と交換しましょう」

(ええええ)

 皇后陛下とライン交換するようなものか。ベルナデットの魔法陣も全てのエレメントが輝く眩い環だった。電話帳の登録が王弟に続き皇后陛下だ。リシュリューはとにかく、彼女を呼ぶ機会はそうそうなさそうだ。

 やがてコレットがエプロンのポケットから懐中時計をそっと出した。目を落とす。にっこりしながらも両手で時計を包む。視線がカナデを捕まえた。

(時間使いすぎ? 帰れって事?)

 カナデは慌てて立ち上がった。

「長居をして申し訳ございません」

「あら、帰ってしまうの?」

 ベルナデットは少し唇を尖らせた。そんな動作も愛らしい。

「またお話しましょう。次は絵画の間へいらっしゃい。ね、カナデちゃん」

 セシルが礼をするふりをしてカナデに囁いた。それをそのまま声にする。

「身に余るお言葉、光栄に存じます」

「あはは」

 ベルナデットは声を立てて笑った。無邪気な少女そのままだ。

「無理しなくてよろしくてよ。セシル、聞こえているわ」

 二人は赤くなって顔を見合わせた。身を縮めて礼をする。そして庭を後にした。温室を通り抜け、芝生の道に出てから、二人は大きなため息をついた。セシルが自分の肩を揉む。王弟に仕えてはいても、さらに上位の王族にはかなり気を遣うようだ。

「カナデは絵画の技法も詳しいのね」

「まだまだ。勉強を始めたばかりだったけど...」

 温室を振り返る。反射が目を射た。実はあまり油彩は得意ではないし、正統派美術へ進むつもりもなかった。広告デザインなどやりたかった。それを踏まえて受験する学校も厳選して入学したのだ。失われたそれらを思うと鼻の奥がツンとする。急いで別の言葉を探した。

「皇后陛下はとてもお優しい方なんだね」

「ええ。でもうまく言えないのに何度も言わせるなんて意外だったな。そんな方だったかしら?」

「あれは罰ゲームじゃないと思うよ」

 しつこいほど名前を言わせたのは、王宮にいるのなら知っておかなくてはならない人達の役職と氏名だ。例え市内で暮らす事になっても必要な知識だろう。きちんと覚えなさいと言葉にはしなかった。けれども押し付けがましくなく教えてくれたのだ。それが伝わったと分かったのだろう。それでベルナデットはゲームをやめた。

 コレットの『もう終わり』というメッセージもあからさまではなかった。貴族社会の伝え方なのか。

「そうそう。何事も遠回しなのよね。皇后陛下のゲームもカナデの言う通りだと思うわ。本当に素晴らしい方なの。陛下が愛されるのも分かるわ」

 セシルによると皇后ベルナデットは二十四歳で国王オレリオンソルは二十六歳。結婚して六年経つが、未だに子供に恵まれていない。それでもオレリオンソルは第二の妻を娶ろうとしない。

「リユ...リシュリュー殿下は独身だっけ」

「ええ。五年前に婚約者様にふられちゃったの。その後も恋人はいたようけど婚約まではいかなかったみたいね。でもカナデが来たから...どうかしら」

「は? 僕?」

 すっとんきょうな声が出てしまった。セシルはふふ~んと意味ありげに笑っただけだった。殿下の心はまだカナデには読めない。話題を変えた。

「それはそうと、あのご婦人は何であんなに厳しいのかな? 使用人の元締めとか?」

 宮殿に来てから一番のむき出しの敵意と言っていいほどの物言いをされた。

「ううん。侍従長は別の方よ。でも、いつも誰にもあんな感じで威張っているわ。ずっと宮中にいるヌシみたいな?」

 先代王妃付きの侍女かつオレリオンソルとリシュリューの子守係だった。今は王妃の筆頭侍女だ。さっきの戦闘モードはベルナデットを心配しての言動だろう。だが正体不明の黒髪への猜疑心を隠さなかった。あれこそ人々の本心ではないのか。

 カナデの心がちくりと痛んだ。

 一方の庭園では、サンドラがカメリアの花束を籠に入れて戻った所だった。

「異界の炭かぶりは帰ったのですね」

「まあサンドラ夫人。品の無い言い方は無しね」

 サンドラは頭を下げた。

「申し訳ございません。しかしあれは陰の者です。皇后陛下は陽の気(ルキデュヤン)に包まれていなくてはならないのです。触れてはなりません」

 花束を渡す。ベルナデットの頬が赤みを取り戻した。

 コレットが布巾を手に取った。それでカナデのカップを掴んで片付ける。別の布で彼の触った場所を丹念に拭き清めた。

「皇后陛下のお許しが頂ければ、風魔法で気配を飛ばして差し上げます」

「そこまでせずともよろしいわ」

 さっきまでは忘れていた。頬がまた火照り始める。コレットがサンドラに言っている。

「陰の者に触れられましたので、お申しつけに従いお茶は更に陽の強い種類に淹れ替えました」

「そう、よくやったわ」

 ベルナデットは花束をテーブルに置いた。先ほどまで歓談していた相手をこのように扱われるのは寂しいものだ。熱くなった頬に手を当てる。カナデを見ただけで日陰の涼やかさを感じた。頭の表面は太陽の光で熱くなっていたものの、髪の間に差し入れた指はひんやりとした泉を感じた。いつも感じている火照りがすぅっと引いたのだ。

 美術の知識もそれなりにある。皇后ともなると、対等に話をできる相手はあまりいない。とても楽しい時間だった。

(本当に八芒星(オクトグラム)魔法陣が黒かったわ)

 カナデの魔法陣を思い浮かべた。するとそれだけでカメリアから受けた陽の気(ルキデュヤン)が鎮まる。再び花を手に取った。穏やかで美しい花束だ。火照りはしない。

 サンドラが声をかけた。

「ご気分はいかがですか? 気持ち悪さなどございませんか?」

「ないわ」

「お茶のお替わりをいかがですか? 陽の気(ルキデュヤン)をもっと取り入れないとなりませんよ。皇太后様もかつては同じようにされてお子様を授かったのです。陛下におかれましては、まだ陽の気(ルキデュヤン)が足りないと存じます」

 結婚してからずっと、世継ぎ誕生の為だとできる限り陽を取り入れてきた。しかし六年経つが報われていない。

「ねえコレット。私の部屋にフーシェを呼んで」

 サンドラがきっと顔を上げた。

「やはりご気分が優れないのですね。全くあの炭かぶりは、皇后陛下に近づくなんて不遜な!」

「私が呼んだのよ。体調は何ともないの。少しフーシェと話したいのよ」

「お子様の事でしたらいけません。フーシェ閣下は分かっておりませんよ」

「あ~」

 ベルナデットは両手を組み合わせて前に突き出した。

「実はとても気分が悪いの~。部屋に戻るわ。フーシェを呼んでちょうだい」

 サンドラは眉をひそめた。しかしベルナデットは額に手を当ててふらふらと立ち上がった。

「あ~あ~眩暈(めまい)がするわ~」

 それで一時間もしないうちに、宮殿にフーシェが到着したのだった。

 王城は宮中で最も高い位置にある。皇后の部屋は天井が高くて窓も大きく光に溢れている。助手を連れて現れたフーシェを見たベルナデットは、まずコレットとサンドラを部屋から追い出した。

 フーシェはベッドに横たわるベルナデットににこやかな笑顔を向ける。

「眩暈がされるとの事で宜しいでしょうかな、陛下。注射は致しませんのでご安心を」

「フーシェの顔を見たら治ったわ」

 元気よく起き上がる。

「さっきカナデに会ったのよ。あなたは彼を知っているわね?」

「はいはい、カナデ・チュウゼンジですな。あれは素直な良い子です。そしてなかなか(さと)い」

 ベルナデットは彼にしかけたゲームを思い返した。最初は戸惑っていたカナデだったが、すぐに彼女の意図を理解したようだ。

「ええ。そのようね。それにとても綺麗ね」

「ほう。お気に召しましたか。陰の気(ルキデュイ)を持ちますが、その件ですかな。ご気分はいかがですか」

「それがとても良くなったの。彼は確かに陰の気(ルキデュイ)をまとっていたわ。それに触れたし、話もしたの。魔法陣の交換さえしたわ。それなのに爽やかな感じになったの。どんなに陽を取り入れても、そんなことは無かった」

 ベルナデットは閉まった扉を見た。

「サンドラ夫人は私の為に本当に気を使ってくれるので、こんな話を聞かせたら卒倒するわね」

「では倒れてもらわないとですな」

 フーシェは笑ってから顔を引き締めた。

「何度もサンドラ夫人には伝えておるのですがね。陽の気(ルキデュヤン)も取り入れすぎは逆に体によろしくないのです。燃え盛る火は暖かいものです。しかし近づきすぎれば火傷をしましょう。それと同じです。強すぎる陽は体を焼きます。それを抑える為に体力を使ってしまい、気の巡りが滞るのです」

 陰の気(ルキデュイ)は静寂と安息をもたらす。さらに強い陽を中和する。それで、のぼせていたベルナデットは体の熱が鎮まったのだ。

「一度取り入れた陽を減弱させるには治癒魔法を用いるしかありません。しかしチュウゼンジは自然とある程度の陽を抑えられるのでしょう。彼とお話されても何ら害はありませんな。八芒星(オクトグラム)魔法陣の交換も、むしろ陽と陰のバランスを整えるにはよろしかったと存じます。そもそも陛下におかれましては陽の気(ルキデュヤン)の過剰摂取が疑われます」

 ドアがばたんと開いた。サンドラだ。青ざめている。こめかみに血管が浮いていた。

「ご無礼をお許しください。フーシェ閣下、もういい加減になさいませ。陛下に何を吹き込むおつもりか。今おられる国王陛下ならびに殿下も、同じ方法でお生まれでございます!」

「個人の体質がありますからなあ。で? サンドラ夫人は人払いをされたのになぜ会話の内容をご存じなのですかな?」

 盗み聞きしただろう、と暗に言う。サンドラは次に赤くなった。

「閣下! 私は陛下の為だけを思っているのです! あの炭かぶりを二度と陛下のお傍には寄せ付けません! もうお話しは終わりでしょう。お出口はこちらでございます!」

 やれやれ、とフーシェは首を振った。

「お仕事熱心はよろしい。しかし何事もやり過ぎはダメですな」

「私...私がダメとおっしゃるのですか?」

「お気持ちはよろしい。行動がよろしくないのです」

 彼女の全身がわなわなと震える。フーシェはあからさまにまた大きく首を振って見せた。

「本当に卒倒されると仕事が増えますな。陛下、これにて失礼いたします。私が申し上げた事をお忘れなく」

 そして助手を促して出て行った。

       ツヅク!  ⅡーⅡ 爆発事件、そして病院派遣で一波乱   メンタル、ヤバイです…


お読みいただきありがとうございます。


カナデにとってはひと時の 落ち着いた時間になりました。

皇后ベルナデットは 賢くて可愛らしい人という設定です。

でもとても素直なので、お付きにもちょっと気を使ってしまう事もあるみたいな?


次回、大事件。カナデのメンタルが追い込まれます。気の毒に。


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