第一章 20話 「別れ」
二人がエキシポに帰還した時には、すでに日が沈んでいた。
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ヴァイオレットタイガーを討伐した後、ナヤギはコロンを抱きしめたまま泣いた。
大切な人を失うかもしれない恐怖からの解放。
ダムが決壊したかのように涙が溢れ出し止まらない。ポタポタと涙が落ち、彼女の白いワンピース風の服に染み込んでいく。
そんな彼に、優しく微笑みながらコロンは何度も涙を拭ってくれた。
残り火が温かく二人を照らす。
対照的に、頬に触れる小さな手はひんやりと冷たい。
それが気持ちよくてナヤギは安心感に包まれた。
しばらく、だがけっして長くはない時間が過ぎてナヤギの涙はようやく止まった。
その時には、彼は若干の気まずさを感じていた。
同じ年頃の少女、しかも自分の思い人の前で本気で泣いたのだ。恥ずかしいと思わない男子高校生などいないだろう。
顔が紅潮したナヤギに対して、「目が真っ赤になっているわよ」とコロンは楽しそうに笑った。
恥ずかしさを隠すために、彼はとっさにエポキシに帰ることを提案した。
二人とも満身創痍。回復薬のストックもほぼない。
コロンは提案を受け入れ、帰路についた。
恥ずかしさを隠せたナヤギがほっとしていたのは内緒。
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エキシポに戻った二人は、死地を乗り越えたことと強敵を倒したことの祝勝を兼ねて夕食を共にした。
訪れた店は、昨日も来た食堂である。
またもコロンは同じオムライスを注文。しかも、ナヤギにも勧めてきた。
同じものを2日連続で食べさせるのは流石に勘弁してくれと、苦笑いを浮かべながら彼は丁重に断り、他の料理を注文した。
料理が運ばれ、オムライスを頬張るコロン。
昨日と変わらずおいしそうな表情だ。2日連続で食べても良かったかなと、ナヤギは思った。
幸せそうな彼女を見るだけで、彼も幸せな気分になる。
食堂での会話は盛り上がった。
2人の距離は縮まったことに間違いない。
店の閉店まで話し込んでしまい、最終的に店主に追い出された。
「たく、追い出さなくてもいいのにな」
「しょうがないわよ。 NPCの設定に従っているだけなんだから」
追い出されたことに、ナヤギは少し不満そうだ。
正確には、コロンとの会話に水を差されたことがだが。
現在の時刻は夜の10時。
他の酒場などの店はまだ開いていることもあり、通りにはそこそこの人がいる。
千鳥足の酔っぱらいや、仲が良さそうに歩く数人の男女が通り、酒場の古ぼけた木の扉の向こうからは笑い声が聞こえる。
「じゃあ、そろそろ私は帰るね」
そろそろお開きにしようとコロンが切り出してきた。
「……あ……そうだね」
ナヤギの顔に陰りが浮かぶ。
しかし、コロンは気づかない。
幸せな時間はおしまい。
また明日から苦痛な孤独な日々が続く。
ナヤギは夢から醒めたように、現実を、自分の立場を思い出した。
「今日はありがとう。 バイバイ」
「ああ、さよなら……」
コロンはナヤギに背を向けて歩き出す。
彼は立ち尽くして、その背をずっと目で追っていた。
彼女の姿が雑踏に紛れて見えなくなろうとしている。
「――――待ってくれ!!」
気づいた時には叫んでいた。
あまりの声量に、何事かと周囲の人々の視線が集まる。
コロンも足を止めてこちらを振り向く。
嫌だ!彼女と離れたくない――――!
自分は何十人も殺した殺人鬼だ。これからだって生きるために殺人を続けていく。
だが、彼女といた時間だけはそのことを忘れることができた。年頃の男のように過ごすことができた。
彼女こそ、この残酷な世界での心の安らぎだ。
彼女とずっと一緒にいたい、ナヤギの心はその思いでいっぱいだった。
走ってコロンのもとへと急ぐ。
たいした距離ではなく、すぐに追いつくことができた。
「何かあった? どうかしたの?」
ただならぬ様子のナヤギに、コロンは小首をかしげて心配そうな眼差し。
一息つき、ナヤギは彼女の顔を真っすぐと見据えた。
こんなに真剣に自分の思いを伝えるのはいつぶりだろうか。いや、人生で初めてかもしれない。
緊張でしっかりと握りこんだ拳に汗がにじむ。
「あの、その、えっと……」
頭の中を色々なものが駆け巡り、言葉が出てこない。
自分の言葉が下手すぎて伝わるか、拒否されたらどうしようとか、マイナスのことばかりが頭に浮かび、挙句の果てにはこのまま黙っていた方がいいんじゃないかという考えがよぎる。
だが、このまま伝えなくてはきっと後悔する。
その思いに後押しされ、深呼吸をしてから口を開いた。
「コロン、君に伝えたいことがある。 俺と――――」
ナヤギは途中でそのセリフを途中で止めた。
何を言おうとしているんだ俺は――――
『――――ずっと一緒に居てくれないか?』
そんなことが言えるなはずがないだろう。そんなことを言っていいはずがない。
先ほどは気持ちが昂り、勢いで思いを伝えようとしたが、冷静になって馬鹿なことをしようとしているのに気づいた。
別に拒否されるのは構わない。
だが、もし受け入れられたとして、その後自分が人狼だとバレたらどうなるのか。
きっと彼女は怒るだろう。騙していたのだから。
そうなった時に自分は、どうするのか。
彼女を殺すのか。それとも、彼女に殺されるのか。
どっちもご免だ。殺すのも殺されるのも。
もしかしたら、彼女は優しいから人狼であることも受け入れてくれるかもしれない。
だが、他のプレイヤーに俺が人狼であることがバレた時に、彼女も協力者として処刑される可能性もある。
そんなのはあってはならない。
再び、ナヤギは顔に陰りを見せる。
「伝えたいことって何?」
ナヤギの顔を、コロンは下から覗き込むように見る。
すぐ目の前に来た彼女の顔にナヤギは驚いた。
「ああっと! えっと……俺とまた、いつか会ってくれる?」
とっさに出た言葉がそれだった。
彼女と一緒に居ることは許されないことだ。
胸の内に秘めた思いを伝えることは出来ないが、また会うくらいは許しを得たい。
それだけで、これからもこの世界で生きていく希望になる。
それすらも拒否されたら、生きていけない。
ナヤギは少し俯きながら、彼女の返答を待つ。一瞬、だが永遠にも思える時間が彼の中を流れた。
「もちろん! きっとまた会えるわよ」
透き通るような声に、ナヤギは頭を上げてコロンの顔を直視する。
彼女は嬉しそうに笑っていた。
「本当に……」
ナヤギは震える声で、それしか言えなかった。
彼女とまた会ってもいい。
幻聴ではないか。疑惑と幸福感が心の中に渦巻く。
「うん、絶対にまた会おうね!」
そう言い切る彼女の顔はまぶしい。
金色の髪を揺らしながら、白い頬を紅潮させて笑っている。
今までで、一番の笑顔かもしれない。
ああ、きっと俺はこの笑顔を見るために今まで生きてきたんだろうな――――
心が温かいものに包まれる。
「――――ありがとう」
ナヤギは、「ありがとう」それだけしか言葉にできなかった。
それで十分だった。
「じゃあ、またね!」
「ああ、またね」
手を振りながら去っていく彼女を、彼はいつまでも見送っていた。




