第一話:怯えないでよ寂しいなあ
「自由だー!!」
つい叫んでしまった。でもこれでもう自由だ! やった幸せ!! 堅苦しく規則に縛られることもないし監視されることも出来た姉と比べられることもない。私はつい、朝日に向かって叫んでいた。変なやつである。
あれからやったことと言えば、まず布団だ。虫がいたらいやだなぁと思って色々はたいて見たら、もう出るわ出るわ埃が!! 外ではたくにしても限度があるのに。まだ少し埃の残る布団はたった今川で洗い終わったところだ。桃は流れてこなかったよ。
私はよっこいしょ、と近くを流れる小川に足を浸し、足で水をすいていた。ああ、幸せ。実は前世の私は山育ち。こっちの方が性に合う! 今日はお天道様は元気なようで、折角だから精力的に活動したい。
「ふふー、じゃあまずどうしようかな!」
上機嫌な私は気付かなかった。公爵家の追っ手が真後ろまで来ていたことに。空を見ようとくるん、と上を向くと、見たことのある顔が目前にあった。
「……っえ!?」
知ってる。私はこいつを知っている! 待て、もうこの場所が知られた……!? いや、速すぎない!? 私がどこに逃げても追い付かれる気がするんだけど。寒気しかない……。
私を見下ろす#緑花__エメラルド__#の瞳は澄んだ美しい宝石のようなのに、濁った川でしか生きられない魚のように汚れていた。彼の過去と関係があるのだろうか。
「マルシェ・リザーブお嬢様。お迎えに参りました」
私が固まっている間に優雅な礼をしたその男は、私を殺しに来たルエラ・ノージェその人だった。
私はその数分後、ルエラと向かい合って馬車に揺られていた。沈黙は金なりって誰が言ったんだろう。私もうあの小屋に帰りたい。
正直探しに来ない方が良かったと思うんだ。私がいなくなることが望みなら、監視を付けたまま放っておいてほしかった。そうすれば、もし私が気が付いたとしても何も起こらなかったのに。
ちらり、と端正な顔を盗み見ると白金の髪から覗く淡い緑が私を鋭く睨んでいた。慌てて視線を外す。やっぱり帰りたい。窓の外を街の景色が流れていった。
「なぜ、あんなところに?」
「……」
なぜなんて言われても答えられるわけがない。いやだって、あなたのことが嫌いだからなんて言えないよね。無理だよね! 私はただ幸せに暮らしたいだけなのに。あなたたちが無理矢理関わってくるくせに。
「答えてはくださらないのですね」
そんな射殺すような目で見ないでください! 真の英雄は目で殺すって奴ですかやめてよ! もう縮こまるしかない私。逃げたい。帰りたい。というか何故私は殺されなかったんだろう。誰にも知られず殺すチャンスだっただろうに。謎である。
ルエラはユーリェに助けられてからずっとユーリェ至上主義。だから私を殺すことに抵抗なんてないはずだ。
「着いたようですね」
さらりと降りるこいつのことが、私にはよく分からない。
「お手をどうぞ」
「結構です」
手を取らないのはせめてもの抵抗だ。そうやっていつまでも目を見開いていればいい。
馬車から降りた私を見つめるいくつもの瞳は、興味、諦観、絶望、憤怒。私をここに連れてきたのはユーリェ信者たちの前で無様に殺すため? それともこの人たちに殺されるの? ゲームでは描かれなかった本当の事実が、まだ隠されているのかもしれない。
……これからどうしよう。
「お帰りなさいませルエラ様」
使用人も、私に怯えている。別に何もしていないのにな。彼らも私なんかの面倒を見るの、辛いでしょうに。
「お疲れになりましたでしょう。湯を張っておりますので是非。エリー!」
「はい!」
エリーと呼ばれた若い女の子はびくびくと怯えていた。怯えさせているのは私だから申し訳ない。エリーは私を浴場へ連れていき、すぐさまいなくなってしまった。もしかしたら私を昨日からずっと待っていたのかな。確かに死にたくないとは言え、すごく勝手だった……。でも、どうしろと言うのか。
着ていたワンピースを脱いだ素肌は、果たして彼らにはどう見えるのか。もし、もしも隣にユーリェがいたら……。
「考えても、仕方ないのかな」
大きな屋敷だ。多分あの小屋と比べたらどこも大きいのだろうけど。私の家結構裕福だもんなぁ。扉を開いた先はがらんどうだ。音ひとつ立たず、舞う湯気が熱気を醸し出してくれなければ泣きそうなほどに、悲しい。
「まぁ、元々一人で入るつもりだったから別に気にしないんだけどね?」
少し、さみしいと思ってしまった。
「あーあ。日本に、帰りたいなぁ……」
豪華なものなんて、特に要らない。ひた、と足に伝わる微かな温度は頼りなく、私になんの感慨も与えない。シャワーの暖かさより、湯船のお湯に巻かれるより、私にはもっとずっとほしいものがある。前世で手に入れられなかったそれを、私は今世で手に入れられたら幸せだろうな。
シャンプーに空気を含ませて泡立てる。私の髪、もっと短くてもいいかなぁと鏡を見て思った。お行儀が悪いと叱られるかもしれないけど、髪を伸ばしたままだだっぴろい湯船に体を沈める。そんな状態で、お風呂から出たら泥のように眠ろうと決意した。
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