#01生き残ったキミへ
・オシャレな自転車
オシャレな自転車とそうじゃない自転車がある。ボクの自転車はオシャレじゃない。その点、目の前の自転車はとてもオシャレだ。ボクの自転車は何がオシャレじゃないかと言うと、葛飾区立像金中学校のステッカーがまだ貼ってある。そして、都立像金高校のステッカーも貼ってある。目の前の自転車は、なんだか茶色いオシャレなペイントで、フレームも丸みを帯びていて、とてもオシャレだ。その倒れた自転車がタテに見えているということは、ボクは横に倒れているということなんだと何となく気づいた。横倒しになっている自転車がタテに見えるってことはそういうことだ。ここがどこで自分がどんな状態なのかを思い出すのに1秒も掛からなかったのだと思う。でも、その1秒はうんざりするほど長く感じた。ここは像金駅前の地下駐輪場だ。そしてボクは何事かに巻き込まれ吹っ飛ばされたのだ。真っ白い土煙のようなものがもうもうと舞っている中、ボクは砂だらけで倒れているのだ。全身はどうなっているのだろうか。大体全身がしびれている。唇はコンクリートの床に触れて、口の中まで砂っぽい。その段階で、この場所でうめき声を上げているのがボクだけではない事に気づいた。不意に目の前のオシャレなタイプの自転車を踏み潰したモノがいる。なんだかよく見えないが、雑巾とウミウシを足して3で割ったような馬鹿げた姿だった。記憶はあいまいだがボクの人生はここで終わるのではないだろうかとの疑問が不意にわいてきた。テロなのだろうか。それともウミウシの反乱なのだろうか。ほのかに海の香りがするのが悪いのだろうが、ボクはウミウシに関する大変な疑問を抱いた。
「クッソ!ボクが…ボクがウミウシに何かしたかよ!?あぁ!?」
別にボクはヤンキーでもないし、多少のオタク傾向があるだけで自分がイキリオタクだと思ったことは無い。でも、不思議なモノで、人間、相手が下と見るや、どこまでも横柄になれるものだ。
「クッソ!クッソ!ペッ!ペッ!」
口の中にたまった砂を唾液と一緒に吐き出すと唾液だと思ったモノの大半は血だった。無理も無い。ボクはちゃんとゴミも分別してるし、CO2削減にだって心がけている。川や海にポイ捨てだってしない。ウミウシにこんな酷い目に会わされる理由なんてどこにも無いはずだ。疑問は徐々に怒りに変わっていく。激しい頭痛が襲う。目の前がチカチカし始める。そして、体が軽くなり始めた。気が遠くなって倒れるのかな?と思ったがそういうわけではないらしい。立ち上がって周囲を見回すと土煙の中に幾人もの人が倒れている。どうやら爆発があったようだ。青い裂け目のようなものが空間に出来ていて、ウミウシの群れなのか一本の長い雑巾なのか分からないモノが垂れ流されている。ふと見ると、最近巷を騒がせている「ヴィラン」とかいうヤツが倒れていて、そいつが多分しでかしたのだろう。ボクは恐怖にゆがんだヴィランに歩み寄ると、そいつにも文句を言ってやろうと、胸倉を掴んだ。ヴィランは酷くおびえた表情で、ゆっくりと口をパクパクしている。何を言っているのか聞き取りづらい。低い声でゆっくり喋っている。よくよく耳を傾けると、ヴィランは僕の背後に何かいると考えているようだ。ヴィランの皮ベストから手を離すと、えらくゆっくりとヴィランが落ちていく。振り向くと、はたして雑巾お化けがボクのほうへゆっくりと這ってくる。あまりにも遅いので攻撃する意思があるのか分かりかねたが、口の中一杯の砂と、見ず知らずの誰かのオシャレな自転車の復讐ぐらいは許されるだろう。もしかするとこれは夢かもしれないなと、考えてパンチを繰り出すと、ウミウシの親玉は殴ったところから裂けた。裂けつつもゆっくりと後退するので、これは効いているのか?と考えながらサンドバッグのように殴り続ける、途中、ゆっくりと触手のようなモノがボクに伸びてきたのだが、それも殴って破壊した。ウミウシの体(?)は地面から浮いた状態になり、なおもゆっくりと後退しているので、「コイツはかなり軽い素材なのだろうな」とボクはそう結論付けた。視界の端に何か線香花火のようなものが揺らめくのを捉えた。そいつはぼんやりと何かの気体に燃え移っていくので、危ないなと思いながら近くを見ると、案の定、人が倒れている。小走りで近寄って、その人を抱えて、火元から離す。火は結構早く燃え広がっているので少し考えて口で吹いたら消えた。その頃になると、地下駐輪場に倒れている人々のボクを見る目がおかしい事に気づいた。ボクを驚きの表情で見つつ、ボクの動きが目で追えていないのだ。ふと気づくとヴィランはやっと地面に落ちたところだ。
「ボクが速いのか?」
そう、気づいた瞬間、時間の進む速度が普通に戻った。ウミウシは反対側の壁にものすごい勢いで吹っ飛び、落ちたヴィランは「ゴン」と嫌な音を立てた。頬に熱気と風を感じた。先ほどの線香花火は何かの爆発だったのだろうか。ウミウシは駐輪場の奥の壁にべたりと吹っ飛ばされた状態から再びボクのほうへ突っ込んでくる。
「さっきのどうやってやったんだ!?」
ボクがボクに向けた疑問だ。この一言を声に出したかどうかは定かではないが、そんな事はどうでもいい。さっきは頭痛と目がチカチカする感覚があった。どうやってあの状態になったのか…ボクは他に何も思いつかずに歯を思い切り食いしばった。頭痛が走る。意識が遠のく。目がチカチカする。
「そうだ、これだ!この感覚だぁ!」
世界は再びスローモーションになっていた。
・パワーの覚醒
こめかみに鋭い痛みを感じ、目を開くのもやっとの状況でも、恐ろしく鈍い世界の中で、ボクは一人だけ普通の速さで動けていた。襲い掛かるウミウシはこの際あまり問題ではない、この状況になってしまえば、コイツは干してある洗濯物と大差ない。問題は青い裂け目だ。
(どうやって閉じるんだよ…)
悩むのも束の間、足元を見ると、なにやらヘンテコな装置のようなものが置いてある。
(これ壊したら怒られるかな…)
ボクは再び悩んだが、よくよく考えたら、この状況で、この機械をボクが壊したところで、事故のせいになるだろう。思い切り蹴飛ばしたら、難なく壊れた。青い裂け目が閉じていく。ボクはホッとして奥歯をかみ締めるのをやめたら、世界はまた元のスピードになり、ボクは何かの衝撃波に吹っ飛ばされて気絶した。
・無事だった相棒
気絶から我に帰ったボクは、中学校の入学と一緒に買ってもらった自分の自転車を探した。砂まみれになっている事を除けば、意外にも無傷だった。全身がやや痛むのを我慢しながら、自転車を曳いて家に帰る。乗ってみようとも考えたが、今、乗ったらこけそうな気がした。別にボク自身が悪い事をしたわけではないが、母親に心配をかけるのは嫌だったので、砂埃で真っ白になった服をよくはたくと、右の肩甲骨のウラあたりに鈍い痛みがあった。絶対、痣になっている。駅前で事件に巻き込まれたことを悟られないように、洗濯機を回し、お湯をためながら風呂に浸かっていると、母親が「アンタ帰ってたらなんか言いなさいよ」とキッチンから声をかけてきた。ボクが「ちゃんと『ただいま』って挨拶したし」と大嘘を付くと、母は「あ、そう」とその話題への興味を失った。風呂に浸かりながら奥歯を食いしばると、水が流れる速さが遅くなる。
「アイタタタ…」
そして頭は痛い。ボクのパワーなのだろう。パワーを持った新人類が増えているのはニュースで知っている。「ボクにもパワーがあったらな」と思うことはあったが、いざ、身についても実感がわかない。それよりもそれを補って余りあるこの頭痛は何だ。風呂を出て、母親に痛み止めを出してもらった。
「アンタ、怪我してんの?駅前で起きた爆発?」
「違うよ、そのときにはもういなかったよ。自転車で転んだんだよ。」
ボクは再び大嘘を付くと、夕食のアジフライを食べて薬を飲み、自室に引きこもった。
風邪を引いていた。
・風邪ひいて数日間
夜、居間のテレビの音で目が覚めた。父と母がテレビに釘付けになっている。まるで大災害が起きたかのようにテレビには行方不明者の名前が次々と表示されている。画面の下の青い帯に、ヒーローの名前が白い文字でどんどん流れていく。
「何コレ、お父さん!?」
母親が目を腫らしてテレビを見ている。レポーターが緊迫した声で何事か訴えている。強大な敵が現れて、ヒーローたちが戦っているのだ。そして、次々に死んでいるのだ。
「ああ、大変なのよ今、アンタがご飯食べて部屋に戻った後…あれ!?アンタ、なんて顔色してんの!?」
ボクが一瞬「ボクも戦わなきゃ」と思ったのは間違いない。でも、ボクの体調はそれを許してはくれなかった。ボクは朦朧としてニュースを見る気力もなく、悪寒と高熱で数日間寝込む事になった。その数日間は後に「セカンド・カラミティ」と呼ばれるようになった。
・ボクへの疑惑
やっと布団から起き上がれるようになった頃、地元、像金町では「地下駐輪場の砂男」探しが始まっていた。結局はボクのことなのだが、砂やチリまみれだったせいで、正体がいまいちバレなかったのだ。しかし、状況証拠や事件に巻き込まれた人間の証言から、マスコミや町の暇人はボクもその候補者だとにらんだようだ。証言した人間は「異形の生物を撃退したヒーローだ」と言うし、また他の人間は「ヴィランを逃がした」と言う、また他の人間は「地下駐輪場の事故を起こしたのは砂男ではないか」と勝手な推論を振りかざして、地上波がセカンド・カラミティ問題で揺れている最中、地元のケーブルテレビは「砂男」の特集番組が組んでいた。
「いや、ボクは何も見ていません…その時間にはいなかったので。」
ケーブルテレビはウチにも取材に来た。どっかの誰かが駐輪場の利用者のリストを流出させたのだ。しかし、そのリストの件は警察が「個人情報取扱法違反」の疑いで捜査をはじめた為、ケーブルテレビはバツが悪くなってリストを使うのをやめた。しかし、インターネットにはそれまでの報道の情報がまとめられて、ボクの名前も「ケーブルテレビの取材を受けた砂男候補の一人」としてリストアップされていた。近所の目が、また通っている専門学校の同級生の目が怪しい。それはそうだ。砂男はボクなのだ。単にヒーローだと思われているとしたら、万が一、名乗ったかもしれないが、ヴィランの一人で駐輪場を破壊したとも言われている現状、ボクが名乗り出る理由は無い。ただ、恐ろしいもので人間はちゃんと真実に近づいていくようで、リストの絞込みと共にボクへの懐疑の目は強くなっていった。
・哺乳類はおかあさんの母乳を飲んで育つ生き物
そんな風にして、像金町の人々が祖父や祖母など先祖の名にかけて真実を暴こうとしているある日、自転車置き場が使えないので歩いて帰る像金町商店街に野犬の群れが現れた。そしてその群れを追い立てているのは牛に乗った口ひげの男だ。
「ファー!!ハッハァー!!ワタシの名前はミスターママル!!哺乳類を愛し、哺乳類の代弁者たるこのワタシがァ!!…えーと…」
像金町の商店街の人間は気性が荒い。
「お前ェ、この野郎!!自分の設定ぐらいちゃんとしてからヴィランやれェ!!」
「だいぶ杜撰なアタマのヴィランきやがったな。このバカが、帰れ!帰れ!」
ミスターママルは少し気分を害したようだが、気を取り直した。何か小声でブツブツ独り言をいう事で、なんとか尊大な自分を取り戻すと、サッと手を振る。その合図でクマが数頭現れた。コレには商店街の連中も度肝を抜かれた。
「えー!!東京にクマぁ!?」
「おいおい、マジか!?」
ミスターママルは得意そうだ。
「ファー!!ハッハァー!!知らなかったのかなァー!?クマもね…哺ォ!乳ゥ!類ィ!なんだよォォ!!お母さんのオッパイ飲んで育つんだよォ!!」
まさかクマが哺乳類である事をヴィランに説教される日が来るとは思ってもみなかったが、その危機的状況で商店街の人間の目がボクに集まる。
「え?」
金物屋の店主らしきオッサンがボクを見て言う。
「兄さん…ヒーローだろ?」
ボクが何も言えずにいると、商店街中の人間がボクを怪しい目つきでみている。その向こうの野犬の群れとクマですら、真っ直ぐボクを見ている。例外的に、ミスターママルだけが「哺ォ乳ゥ類ィなんだよォォ」という決め台詞がよほど気に入ったらしく、視線を彷徨わせて自己陶酔しながら「哺ォ乳ゥ類ィなんだよォォ」ともう一度言ってみる行為に没頭していた。
「アナタたち、バカ言ってないで逃げなさいよ!」
その人垣から一人の少女が飛び出した。ボクの腕を掴むと、野犬の群れからボクを引き離す。商店街の人々も急に我に帰って、逃げ惑い始めた。
「…これ!」
少女はボクをビル影に引き入れながら、紙袋を渡す。ドミノマスクが見える。その下は畳まれたボディースーツだろうか。ボクは奥歯を強くかみ締める。少女がスローモーションになっていく。鋭い頭痛に顔をしかめながらも、ボクは少女の視界の外へ動いて、スーツを着た。渡された紙袋がゆっくりと落ちていく。その紙袋が落ちる頃には、ボクは着替えを終えていた。少女の視線はまだボクを捉えていない。純朴そうな顔と似つかわしくないパステルグリーンの髪はバンドか何かやっているのだろうか?通りに出ると、金物屋の主人が犬に襲われそうになっている。頭痛の具合から時間はあまり長く止めておけないようだが、あの店主と犬の間に割って入るのは簡単だろう。
「間に合った!」
急に時間が元の早さに戻る。犬は店主の替わりにボクに飛び掛るが、目の前の攻撃対象が変わった事実に驚いて後ろへ下がった。ボクは再び奥歯を噛む。野犬の数は6匹。この距離なら、スローモーションの間に全部一発ずつは殴れる。鋭い痛みに耐えながら野犬を全てミスターママルのほうへ殴り返す。
「フゥ!」
時間が元に戻ると、6匹の犬が放物線を描いて同時に吹っ飛ばされていく。
「分身した!?お前が…砂男か?」
ミスターママルの震える声に「さぁ?」と答えると、3匹のクマが立ちはだかる。クマがずいっと前につめてくる。野獣の殺意の鋭さのようなものを感じながら、一歩踏み出すと、3匹の鋭い突進が来た。
(今だ!)
突進は向こうの方が当然早い。でも、ボクはそれを見てから追い越すパワーを持っている。野犬と同じく、3匹キッチリどついて、時間を戻す。
「あれ?吹っ飛ばない?」
クマは3匹とも顔面を殴られて痛そうにしている。突進は止ったようだが、3匹とも同じ位置にいる。
「クマ強い…」
思わず呟くと、商店街の人間が「まあそりゃあそうだな」と腕組みして眺めている。3匹のクマはお互いの距離が近くて動きづらそうにはしているが、間髪いれずに腕を振り回して攻撃してくる。スレスレで避けたつもりが一撃もらってしまった。声が出ない。恐ろしい衝撃だ。ミスターママルはなにやら怪しい動きでクマを操っている。
・決着
ボクは、ボクの非力なパンチではビクともしないクマ相手にパニックになりそうになったが、ウミウシお化けを倒したときの事を思い出した。
(一発で効かなきゃ、何発も重ねればいいんだ!)
奥歯を噛みしめ、スローモーションに突入する。本当は声を出して殴りたいところだが、口が開けない。息を止めてクマのわき腹あたりにひたすら拳を叩き込む。クマが少し浮いたように見える。
「…っがぁ!」
目論見どおりクマは吹っ飛んだ。しかし、呼吸の乱れが抑えられない。これをあと2回もやるかと思うと気が遠くなってくる。しかし…
「勝てないわけじゃない!」
頭痛に顔をしかめながら残る2体のクマの突進を避ける。そこからは実直に一匹ずつしとめた。もう、頭痛も呼吸も限界だ。でも、あと一人残っている。気力で一歩前に踏み出すとミスターママルに詰め寄った。
「…次はお前だ。」
「あ、ワタシは戦闘能力はナイです。降参です。無理です。あんなの食らったら死んじゃうヨォ…」
ミスターママルは牛から降りて、両手を揃えて前に出してきた。手錠をかけろという意味だろうが生憎そんなものはない。疲労と怒りに任せてミスターママルの頭を普通に平手で叩くと、最後にもう一回だけ奥歯をかんだ。急いで少女の元に戻ってスーツを脱ぎ、少女と一緒に逃げ出している体を装う。少女は察した様子でボクの演技に付き合って逃げてくれた。
「なんだ、兄さんがヒーローじゃなかったのか。」
「なんだ違ったのか。今のヒーローに感謝しないとな、名前なんていうんだろうな。」
「結局、砂男の正体はわかんなかったってことだなぁ。」
一斉に独り言が始まった。ボクは振り返れずにその場を後にした。
あとがきで注釈していきますね。
像金町
以前に考えていた町の設定で、その頃は江戸川区の設定だった。今回は葛飾区と改められている。基本的には「かたがね」と読むが、稀に「ぞうきん」と読む場合がある。成仏新宗錦糸町派像金寺(じょうぶつしんしゅうきんしちょうはぞうきんじ)がその一例。
ミスターママル(Mr.Mammal)
ママル(Mammal)は哺乳類と言う意味。高校英語で出てくると記憶している。
ヴィラン(Villain)
急速に市民権を得た英単語。ヒーローや主人公に対する悪役。敵役という意味があるが、Little Villainで「いたずら小僧」と言った意味合いも。実は英検準1級レベルで、大学で習うか習わないかと言ったレベルの単語。ちなみに日本の英語教育にかすりもしないのに、ゲームをやっているとたまに「二挺拳銃」の意味で遭遇する英単語に「akimbo」という単語があるが、本来はその意味も違う。気になる人はオンライン辞書などで調べると。