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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
3.憤怒の橙の太刀
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第四章 3

「それ、どういう――」

 珍しく慶馬が状況を把握できない様子で尋ねた。

 帯刀は首をゆっくりと縦に動かし、つまり、と付け加える。

「……この件に、少なからず先代が関係している。それは分かった」

「待ってください。先代が関係しているとは? 壬生様が自ら、己が生み出した訓令を破ったと?」

 帯刀はその後しばらくじっと押し黙っていた。気がついて慶馬もそれ以上追及しようとはしなかったが、その瞳に困惑の色が浮かんだのは事実である。

 というのも、元々壬生というその人物は決まり事を守らせることに関しては誰よりも厳しかった。他人に厳しい分、自分もそれと同様、もしくはそれ以上に厳しかったと記憶している。だからこそ、帯刀が今言い放った言葉がとても信じられるものではなかった。

「逆だ。親父は『あれ』に関わりすぎたから、俺たちには触れさせないようにしたというそれだけだ」

 ばつが悪そうに帯刀は首筋を軽く搔き、慶馬に何と説明すべきか思考を巡らせている。しばらくの逡巡ののち、腹が決まったらしい帯刀は、おもむろに顔を上げた。

「結論から言うと、『契約の箱』は今“姫良真夜”の手から離れており、真の管理者のもとに置かれている。だから今まで開匣されることがなく正常な状態で保管できていた」

「真の管理者とは?」

「親父殿曰く、『契約の箱』という名称の他にも読み方があるらしい。あれの正体は、聖ペテロの恩恵賜いし釈義」

 その言葉に、慶馬は思わずはっと息を飲んだ。その名は大聖教に関われば必ず耳にする。そして、その名を関する釈義能力者も慶馬は非常によく知っていた。

「それって……」

「その通りだ」

 帯刀は静かに頷いた。「よくよく考えたらその通りなんだ。どうして気づかなかったんだろう。大聖教『十二使徒』の聖ペテロの席は、少し前まで存在しなかっただろ。本来教皇位がペテロの後継者だから」

 それに対し、珍しく慶馬が反論する。

「だとしたら、ストルメント司祭の釈義は? あれは一体」

「彼が『十二使徒』に任命されたのは聖戦終結の少し前のはず。確か、前任者の殉教に伴う再任命という扱いだったが……。確かにその頃には、もう教皇は殉教したことになっていた。辻褄は合う」

「だとしても、他の使徒が気づくでしょう」

「教皇の釈義と『契約の箱』それ自体は全くの別物なんだろう。ペテロの釈義に適合する人物がいないとか、適当な理由を作れば無理はない気もする」

 帯刀は力の抜けた笑みを浮かべ、それから右手で前髪を掻き上げる。言葉を失った慶馬に対し、やるせなさの混ざる声で吐きすてる。

「本当に、あっと驚く場所に隠しやがって」

 さて、と帯刀は再び携帯を取り出すと、ボタンを数カ所叩き、再び二つ折りにして戻した。

「書き換えは済んだ。ところで慶馬、みよちゃんが“大罪”に攫われたらしいぞ」

「“大罪”?」

「おそらくトマスだ。この場所から本部まで向かうのに大体三日かかる。攫われたのはついさっきだと言うから、到着して速攻連れ出したという感じだろうか」

 帯刀は言う。「トマスは何か勘違いしているかもしれない。たしかにみよちゃんを連れ出せば事は済むんだが、それとは別の思惑があるように思う」

「忠告、しますか」

「いや、いい。みよちゃんを連れ出したなら、後からブラザーたちが追跡するだろ。それより俺たちがやるべきことがある。そっちを片付けよう」

 慶馬が怪訝そうな顔をした。

「憤怒が単独行動をとる理由、何となく理解できた」

 帯刀の囁きが慶馬の耳に届くほんの少し前――

 目の前の扉が、“爆ぜた”。

 すかさず帯刀も慶馬も受け身をとるが、その勢いに押されて身体が後退する。妙な感覚がつま先に走った。ただの砂と化した扉が視界を白く濁し、埃っぽさが喉に侵食する。

 その白い煙の中に、帯刀は見た。

 橙のプラズマが走る刹那を。

「っ、“憤怒”か……!」

 それならばこの扉が砂と化した現象にも納得がいく。“憤怒”の“太刀”は液状化現象を引き起こす。刃物に対象物を構成する物質の結合力を弱める程度の超振動を起こし、水分のない鉄などは砂と化し、それ以外は液体に変換される。最近の殺人事件云々もまた、それと同じ現象が起こっている。

「――挨拶にしちゃあ、些か乱暴すぎやしないか。“憤怒”」

 帯刀の青い瞳がその向こうに立つであろう男を睨めつけた。

 赤毛の男は背が高く、かつての傲慢や嫉妬のように裾の長い聖職衣を模した服を着ていた。その手には橙のプラズマを纏う太刀を握り、愉しそうに少しだけ目を細めている。ある意味おぞましいとも思える表情だったが、帯刀の視力ではそこまで見えてはいなかった。

「あれ。二人いたのか、ここの部屋」

 彼はその太刀を背中に背負うと、左手をそっと差し伸べる。帯刀はその手を取らず、自らゆっくりと立ち上がる。

「お前は他の“第一階層”と随分違うな」

「そりゃあ違うさ。俺は、あいつらから一歩進んだところにいる」

 帯刀はぴくりと肩を震わせ、それから慶馬へ目配せする。彼が微かに頷いたのを見て、ようやく帯刀は口を開いた。

「おかしいと思っていた。つまり、お前は逆の立場なんだな」

 “憤怒”が肩をすくめ、「それはどうでしょう」と茶化すように言う。その反応を見て、帯刀は確信する。

「なるほど、理解した。慶馬」

 帯刀が鋭い口調で彼の名を呼んだ。それに反応してぱっと顔を上げると、帯刀は存外冷たい表情を浮かべながら彼を見下ろしていた。凍れる瞳が、しかと彼の双眸を射抜く。

「やれ」

 それだけ言うと、帯刀は再び視線を“憤怒”に戻し、作り物のようなはり付いた笑みを浮かべた。

 それが合図だった。

 “憤怒”の頬を鋭い切っ先が掠めていく。それと同時に彼の背後の方でなにかが着地する軽やかな音が聞こえた。今まで足元の方にいたはずの黒髪の男は、今はそこにいない。その頃彼は“憤怒”の後ろで舞うように合口を抜き、今唯一の狂気を振りかざすところであった。

 慶馬の黒い黒曜の瞳がゆらりと、一瞬だけ青い光彩を放った気がした。

「『釈義(exegesis)展開、第三釈義(third-exegesis)発動』。聖クリストフォルスが命じる。これより能力の全権を美袋慶馬に委ねる」

 帯刀の祝詞が響いた。

 “憤怒”が気づいて太刀を振り降ろそうとした刹那、慶馬の身体が彼の肩を軸にふわりと空中で回転した。合口が銀の閃光を放った刹那、それが彼の右腕に細かな傷をつけた。じゅ、と妙な音がした。見ると、“憤怒”の右腕が僅かに氷を纏っている。

 “憤怒”の太刀が振り向きざまに虚空を走る。が、慶馬の姿はそこにはない。身を低くした一瞬の隙に、彼の真正面に回り込み、下から顎を蹴り上げた。

 まるで黒い毛並みの獣である。しなやかな身体の動きには無駄がなく、それすらも徹底的に排除されたものだった。まるで全てを計算しつくしたような動きが、“憤怒”を苛立たせた。

 これが、帯刀が、慶馬が、他の釈義能力者と一線を画すところである。

 帯刀家の血筋にはごく稀に「他人と同調する」ことに長けた者が現れる。例えば、身体の動き。思考パターン。口調や行動の癖。拍動。それら全てを一目見ただけで把握し、自身の動作に置き換えてしまう。通常ならば考えられないような「仕組み」をものにした彼らが情報戦という分野で隆盛を極めるのは無理もないことだった。

 その能力を持つ証が、あの独特の「青い瞳」。この瞳を持つ帯刀ならば他人とあらゆるものを同調させることが可能、まして慶馬のように“楔”で繋がった人間ならばなおさらである。

 つまり帯刀は今己の釈義を慶馬の振るう合口と同調させ、疑似釈義を生み出しているのだ。これならば自分が動かずとも、釈義で対応することができる。

 帯刀は慶馬の僅かな動きに微修正を加えながら、予測して『釈義』を発動していた。少しずつ彼の心拍数も上昇するので、それも誤差が生じないようにじっと集中する。

 “憤怒”はまだこのからくりに気がついていないはずだ。

 ならば。

「おまえらいい加減にしろ!」

 “憤怒”の怒号が飛ぶ。

 いたぶるように細やかな傷をつけていく慶馬だったが、どうも“憤怒”の対応する速度に間に合わないらしく、それ以上の深手を負わせることができない。珍しく小さく舌打ちした慶馬、彼の太刀を間一髪でかわした。

「お前がトマスの元に行くのは都合が悪い。俺たちの救世主をあちらに連れていかれては困る」

 帯刀が“憤怒”へ向けて大声で呼びかけた。「これで終わりにしよう」

「それはどうだろうな」

 “憤怒”が吐き出した言葉が帯刀の耳に届いた刹那、それは起こった。

 背に回りこみ袈裟切りにした慶馬が、動揺したように微かに目を剥いた。

 “憤怒”の太刀が、彼の関節ごと思わぬ方向に曲がり、そしてその切っ先が慶馬の左腕を掠っていった。橙のプラズマが皮膚を走る。


 ――地獄を、見た。

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