第一章 2
祝詞――神を信じる『心』は、釈義の原動力である。身体を巡る独特の熱が、三善の能力発動部位に集中し始めた。それが完全に満たされるとき、彼らは奇蹟を起こす。
「『深層(significance)発動』!」
三善の奇蹟が始まった。彼の左腕は白くまばゆい光を放ち、時折火花を散らしながら変形してゆく。スラリと細長く伸びてゆく指先。同時に放出される聖気は、淀んだ空気を一掃し、息苦しさから解放してゆく。
怪物が動きを見せた。彼らが持つ強靭な牙――通称“楔”が三善めがけて振り降ろされる。巨体に似つかわしくない速さだ。息もつかせないその素早さ、これが“七つの大罪”が持つ一番厄介な武器である。
三善の左腕と“楔”がぶつかり合う刹那、鮮やかな黄色の火花が飛び散る。堅いもの同士が激しくぶつかり合う音。三善は鋭い光に顔をしかめながら、それを力ずくで振り切った。
三善の腕から白光が消え失せた。三善は光に目が眩んだせいで――彼の赤い瞳は、光に極端に弱いのだ――ほんの少しだけ動きが鈍ったが、それ以外に不利なことなど何ひとつない。そう、彼の細い左腕は今やひと振りの剣となっていたのである。両刃の剣は微かに黄色のプラズマを纏っていたが、後に消滅していく。
『腹……ヘッタ』
怪物の声が振動となり、三善の身体に直に伝わってくる。
「あいにく、僕は食べ物じゃないけど」
三善の反撃が始まる。
それを遠目に見ながら、ケファは呑気に笑っていた。余裕綽々もいいところだ。なにせ彼は、一体の怪物の頭に座りこんで三善の様子を見物していたのだ。神経の図太さはこういったところで発揮されるのかもしれない。
「おっ、今回はちゃんと制御できているみたいだな」
いいように扱われて怪物たちが黙っている訳がない。もう一体が味方を犠牲にしようと考えたのか、容赦なくその“楔”を振りかざした。
「おっと」
寸でのところで、ケファは宙返りを決め近くの塀に降り立った。いつまでも遊んでなんかいられない。それは分かっているのだが、『時間』を取ると街中が壊滅状態に陥ってしまう。ならば、多少手を抜いてでもその景観だけは守るべきだ。
ケファは胸元で十字を切ると、溜息混じりに黙祷を捧げてやった。
己と、これから天に召される者に対して『祝福』を。
「――でも、手加減って苦手なんだよなぁ」
勢い余った怪物は二匹まとめて地面を転がった。派手な音と共に、近隣のガラス窓が割れる。ガラスの雨が降り注ぐ中、ケファは容赦なく己の左手を掲げた。
「『深層(significance)発動』!」
目が眩むような閃光。彼が掲げた左手から鋭い光の矢がいくつも生み出され、怪物に向かって追撃を開始した。当然怪物もいつまでもうずくまっている訳ではない。口腔から黄色の酸を噴射し、飛び交うガラス片を瞬時に溶かし切ってしまった。あとは追撃する光の矢から逃れるのみだ。
「もう一発」
ケファが己の親指を噛み切り、舌で血液を舐めとった。そして、肩耳にぶら下がるイヤー・カフに触れながら、釈義展開の祝詞を上げる。真白きプラズマが、イヤー・カフの十字にまとわりついた。聖気が爆ぜる感触。
「『深層(significance)発動』」
彼の銀十字が光を帯びた両刃の剣――聖剣へと変貌を遂げたのと、遠くの方で三善が一体切り崩したのはほぼ同時。強い振動が地面を揺らした。びりびりと痛いほどに鼓膜が刺激される。
三善は肩で息をしながら、左腕を一旦下ろした。空気中を飛び交う白い灰が視界を濁らせる。それが邪魔でしょうがないのだが、いくら振り払おうが、己の左腕がその元凶である以上完全に追い払うことなどできやしない。
もう一体はどこだ、と辺りを見回すと、彼の左腕が元の形状に戻ってしまった。はらりと滑り落ちてゆく大粒の灰。――『対価』が切れたのだ。
しかし、『対価』だけならいくらでもある。足元を見れば、ガラス片も鉄片も、ほしいと思うよりもはるかに多く存在する。このとき初めて、ケファの運転の乱暴さに感謝した。
もう一体が酸を振りまきながら“楔”の先をこちらに向けてくる。猪突猛進もいいところだ。頭の中は完全に冷え切っている三善は、足元に散らばるやや大きめのガラス片を拾い上げる。
そしてひょいとその場にしゃがみ込むと、案の定怪物は塀に激突していった。その隙に、三善は素早くガラス片を白い灰へと変換する。
「『深層(significance)発動』」
三善の祝詞と共に現れたのは、ガラス質のホイールだ。大きさは一メートルほど、縁が鋭く尖っており、触れればすぐに怪我をしてしまいそうなほどである。それを、怪物が起き上がるより早く投げつけた。
車輪が回転し怪物の身体に食いこむたび、黄色の火花と茶色の液体がぶわりと噴き出してくる。別の対価を支払い、三善は己のために盾をつくると、
「……『発動』」
微かな摩擦音が聞こえた刹那、ホイールが突如爆発、炎上した。激しい熱風に歯を食いしばり、必死に両手で耳を押さえる。実はまだ火加減が上手く調節できないので、下手したら鼓膜が割れてしまう危険性があったのである。だから予め防護壁も造っておいたのだが――轟音と爆風は、予想以上のものだったらしい。しばらくふらふらとしながら、三善は鎮火する様を眺めていた。
「――ヒメ、派手にやりすぎだ」
へたりこんだ三善の耳に、ケファの声が飛び込んでくる。のろのろと顔を上げると、彼は目の前で聖剣を振り降ろしたところだった。二体の怪物は間を置いて、地面になだれ込む。斬られた箇所からは黄色の血漿が噴き出していた。
それを見て、すぐに三善は悟った。自分がこれだけ時間をかけて倒した怪物を、ケファはたったの一分程度で倒したのである。さすが、としか言いようがないか。
「人のこと、言えないじゃん。ケファ」
喘鳴を洩らしながら三善が口の端を吊り上げた。そんな彼の頭に手を乗せ、ケファはたった一言、労いの言葉をかけてやる。お疲れさん、と。その一言で、三善が心のどこかでほっとしていた。
ケファは周囲を一瞥し、一般住民に被害が及んでいないことを確認してから、胸元で十字を描いた。
「『釈義完了――Amen.』」
三善もそれにならい、祈りを捧げる。
住民には被害は及んでいないだろうが、建物や道路、電柱など、そういったものは壊滅状態となっていた。あまり派手に壊してしまうと後々大変なことになるので、できれば爆破は避けたかったのだけれど。横目でケファは三善を見遣る。彼は未だ、真剣にお祈りをしているところであった。
いや、祈るのもいいが反省しろよ、反省。
「……なに?」
きょとんとした様子で三善が首を傾げてきた。
***
現場は後々やってきたプロフェット部門の聖職者に任せて、二人は急いで目的地である聖フランチェスコ学院へ向かった。車は、駆けつけてきたプロフェットが乗ってきたものを拝借して。予め読んでいた資料も、私物も、先程の一件で何もかも消炭になってしまったので、詳細は結局分からずじまいだった。
ようやく学院に到着し、正門に待ちかまえていた警備員の元で所定の手続きを済ませる。しかし、二人は何故かしばらくそのまま待機するように言われてしまった。それもそのはず、せっかくこの日のために聖職衣を新調してきたというのに、先程の戦闘で全てが台無しになってしまったのである。多少の汚れなら目をつぶることもできるが、聖職衣の白い部分は血漿にまみれ、長い裾はびりびりに破れている(しかも微妙に焦げている)。唯一位階を示す肩帯は行方不明。おまけに全身傷だらけでやってきた聖職者なんて、
「確かに信用できないか」
ケファは警備員室でぼやいていた。自分がもしも警備員なら、絶対に校内へは入れさせない。
三善は彼の隣でパイプ椅子に座らされ、女性警備員から怪我の手当てを受けていた。こういうとき、彼の外見の可愛らしさは武器になる。
「それにしても、あらかじめ話が通っていると思ったのですが」
ケファが切り出すと、別の男性警備員が肩を竦めながら言った。
「申し訳ございません。最近、校内で妙な事故ばかり起こるものですから……。外部からの侵入者か、内部の犯行か分からない以上、できるだけ閉鎖しておくようにと言われておりまして。昨日もまた、あんなことがあったんじゃあ」
ぽつりと彼が口走ったのを、女性警備員が叱咤した。余計なことを言うんじゃない、と至極まっとうなことを言っている。
しかし、それを聞き逃す訳にはいかなかった。何せ、彼ら二人の神父はそれを調査するためにやってきたのだから。ケファはすぐに穏やかな表情を見せ、
「あんなこと、とは? もしよろしければ、お聞かせ頂けませんか。あなた方の不安を、ほんの少しでもいいから取り除いて差し上げたいのです」
余談だが、ケファ・ストルメントは、非常に外面のいい神父であることで有名である。主にエクレシア内部で。これは彼なりの処世術であり、むしろよくここまで完璧に猫を被ることができるなぁ、と感心してしまうほどだ。
三善はそれを知っているので、敢えて何も言わず、優しい神父オーラを五割増し程度に放出しているケファを見つめた。……まさかこの人たちは騙されないだろう、一応警備の人なんだから。
しかし、それに騙されたのがまさかの女性警備員であった。元々は端正な顔立ちをしているフランス産美青年の、ある意味で武器でもある。これも三善は慣れっこなので、小さくため息をついて黙りこくるしかなかった。
「い、いえ……今朝の新聞は御覧になりました?」
日が昇るよりも早く本部を発った二人は、そんなものを見ている暇はなかった。あいにくですが、とケファが首を横に振る。
「実は昨夜、高等部の納屋が火事で全焼してしまいまして」
「火事?」
「ええ。幸い怪我人は出なかったのですが……」
なるほど、とケファは頷いた。件の発火事件のことだろう。これだけ連続して起こるなら、警備が強化されるのも納得できる。もしも外部犯の仕業ならば、彼らの職務怠慢ということにもなりかねない。だから、警備員は来訪者に対してやや神経質になっているのだ。
「それはさぞ辛い思いをされたことでしょう。私も胸が締め付けられる思いがします。もしよろしければ、ここでお祈りさせて下さいませんか。きっと我が神も、早急に解決することをお望みのはずです」
そして無理やり押し切る形で、ケファは警備員室で祈りの句を述べ始めることとなった。初めは日本語で形式的なものを述べていたが、途中からそれはラテン語へと変わる。三善は理解できないながらもそれをじっと聞いていたが、その中で聞き慣れた単語が耳に飛び込んでくる。
――Exegesis。
はっとして顔を上げると、ケファはにこりと穏やかな笑みを浮かべながら彼らに礼をしているところだった。
「ありがとうございます。きっと我が神はこの学院に祝福をもたらしてくれることでしょう」
そんな胡散臭い言葉も、今の彼にはとてもよく似合っている。完全に絆された警備員たちは、感激して何度も何度も感謝の言葉を述べていた。おいおい、そんな簡単に信じていいのか警備員……。三善はもう敢えて何も言うまい、と肩を竦めていた。
その時、警備員室の戸が開き、一人の男性が顔を覗かせた。
「大変お待たせいたしました。ケファ・ストルメント司祭に、姫良三善助祭」
初老の男性は、こちらもケファに負けず劣らず穏やかな表情で一礼してくる。ぴしりと着こなした黒のスーツは、聖職衣を連想させた。彼もまた、洗礼を受けた者であることは明白である。
「聖フランチェスコ学院へようこそ。私、本校の学長を務めております、四辻と申します」