放蕩貴族の旅立ち
「セーラ。俺、勇者を探しに行こうと思う」
ヴェルズは自室を清掃してくれているセーラに声をかけた。
セーラは畳んでいた服から目を上げた。
「……お金でもなくなったのですか?」
「何でそうなる」
「昨日もテッド様と街の賭場へ繰り出されたと聞いています」
「昨日の俺は勝ったぞ」
「そのお金は?」
「使った」
「やっぱりお金がないのですね」
「俺は勇者の話をしているんだよ」
セーラは小さく息をつき、畳み終えた服を机に置いた。
彼女はヴェルズが五歳の頃から、この屋敷にいる。
そのせいか、二十歳になった今でも、子供扱いが抜けない。
幼馴染で二歳年上の美人に、毎日世話をしてもらえる。
それだけ聞けば幸せな立場だ。
しかし過去の事も全て知られているのは、なかなか厄介だった。
「どちらへ行かれるのですか?」
「まずは王都。勇者を探すなら、人が集まるところがいいだろ」
「いつお戻りに?」
「勇者が見つかるまで?」
セーラの表情が変わった。
近くの町へ一泊二日で遊びに行く程度だと思っていたらしい。
「……少し、お掛けください」
「立ったままでいいよ」
「長くなりますので」
「説教するつもりだろ」
「お掛けください」
ヴェルズは座った。
セーラも向かいに座る。
こうなると、ふざけても逃げられない。
「勇者を見つけて、どうなさるおつもりですか」
「仲間にしてもらう」
「魔王討伐に同行する、という意味ですか?」
「まあ、最後まで行ければな」
「おやめください」
即答だった。
もう少し話を聞いて欲しい。ヴェルズは思った。
顔に気持ちが出てしまったのか、セーラは言葉を続けた。
「お身体のことだけではありません。今、北領地を離れれば、後継者としての責任を放り出したと言う方々が必ず出ます」
「もう好きなだけ言われてるだろ」
「これ以上、言わせる必要はありません」
そのとおりだった。
だから困る。
ヴェルズ・デーリングは、リガ王国の北領主の甥である。
神童と呼ばれ、十二歳で後継者に指名された。
剣も魔法も、人並み以上にできた。
褒められるのが嬉しくて、見えないところで必死に努力もした。
皆、その頃の彼には期待していた。
四年前の事故に遭ってから、全てが一変してしまった。
「セーラ。もう俺の話を聞く奴、ここには殆どいないぞ」
セーラは答えなかった。
彼女も理解している。
食事の席でヴェルズが口を開くと、親切そうに別の話を始める人々を。
怪我をした脚へ目をやり、「ご無理をなさらず」と微笑む人々を。
昔は同じ人たちに、君ならできると言われていた。
今は同じ人たちは、彼を見向きもしない。
「勇者と一緒に旅をすれば、俺も強くなれるかもしれない。功績を立てれば、領主の話だってもう一度考えてもらえる。イダの治療薬も探せるだろ」
「それは、全てうまくいけばのお話です」
「分かってるよ」
「戻られたとき、ご自分の居場所がなくなっている可能性もあります」
「……分かってる」
ヴェルズは笑おうとした。
うまく笑えなかった。
事故の後、怪我の後遺症で満足に剣も振れなくなった。
大切な人を事故で失い塞ぎ込んでいた時期もあった。
立ち直り、懸命に努力しても、周囲は後継者から外れたと評価する。
どんなに頑張っても、否定してくるのだ。
それから、ヴェルズは人前でふざけてばかりいるようになった。
酒を飲み、賭場に通い、綺麗な女を見れば声をかける。
いくら勝ったか、誰に振られたか。そんな話なら、自分からする。
公務も積極的にサボる。怠惰な後継者のふりをする。
夜中まで剣を振っていることは、話さない。
早朝に勉強していることも、話さない。
それを知っているのは、セーラとテッドとイダだけだった。
周囲は、落ちぶれた放蕩貴族だと笑った。
ヴェルズも、一緒になって笑っていた。
遊んでばかりだから駄目なのだと、思われている方が楽だった。
本気で頑張って、それでもこの程度かと思われるのは、もう嫌だった。
「セーラなら、俺の味方をしてくれると思ってた」
言った瞬間、セーラの顔がこわばった。
しまった。
けれど、もう遅かった。
「私は、どなたのために申し上げていると思っておいでですか」
「そういう意味で言ったわけでは——」
「他に、どのような意味があるのですか」
ヴェルズは口を閉じた。
本当は、それでも彼女にだけは、『あなたならできる』と言ってほしかった。
そんな期待をしていた自分まで見透かされたようで、顔を上げられなかった。
「……失礼いたしました」
セーラは立ち上がった。
机に置いた服を抱え、扉へ向かう。
「セーラ」
「夕食の用意をしてまいります」
いつもの言葉を残して、彼女は出ていった。
ヴェルズはしばらく扉を見ていた。
勇者を見つけるより先に、どうにかしなければならないことができてしまった。
◇◇◇
「怒らせちゃった」
窓の外から声がした。
振り返ると、セーラの妹であるララが庭からこちらをのぞいていた。
「いつからいた?」
「勇者の仲間になるってところから」
「ほぼ最初じゃないか」
ララは、窓の縁へ肘を乗せた。
姉によく似た青い髪と金色の目。年は十七。
幼馴染のヴェルズには、姉以上に遠慮がない。
「旅に出たいの?」
「ああ」
「じゃあ、何でお姉ちゃんに許してもらおうとしてるの?」
「別に、許しを貰おうとしたわけじゃない」
「止められたら、すごく悲しそうだったよ」
「……俺の顔をよく見てるな」
「窓の真正面に座ってるから」
ヴェルズは椅子をずらした。
ララは笑った。
「もう見たから、遅いよ」
彼も少しだけ笑えた。
「おまえは、どう思う?」
「行けばいいんじゃない?」
「随分あっさり言うんだな」
「だって、ヴェルズが行きたいんでしょ」
「心配しないのか?」
「するよ。ちゃんとお土産買ってきてね」
そう言うと、ララは窓から離れようとした。
「ちょっと待て。それで終わりか?」
「他に何かある?」
「もっとこう……。立派な男になって帰ってきて、とか」
「できるの?」
「少しは期待してくれよ」
「じゃあ、まずはお姉ちゃんにちゃんと謝って」
痛いところを突かれた。
「それは、明日の俺がやるごもっとも」
「またそれだ。あ、私は洗濯物を取り込んでくるね。雨が降るって」
ララは庭へ戻っていった。
それを見送りながら、ヴェルズは左脚をさすった。
無理をすると、古い傷が痛む。
それでも、四年前よりはずっと動くようになった。
今は走れる。剣も振れる。
今の身体に合う戦い方だって、少しずつ身につけてきた。
それを知らない人たちに何を言われても、笑ってやり過ごせる。
でも、セーラには笑えなかった。
昔は彼女も、ただ「ヴェルズ」と呼んでくれた。
領主の後継者に選ばれてから、「ヴェルズ様」に変わった。
嬉しかったはずの日に、少し寂しさが滲んだことを、今でも覚えている。
4年前の事故のあと、彼女はさらに慎重になった。
無理をしないように。
傷つかないように。
そう気を遣われるたび、自分にはもう何もできないと言われた気がした。
本当は、心配してくれているのだろう。
頭では分かっている。
それでも、また前みたいに一緒にいて欲しかった。
◇◇◇
イダの部屋に立ち寄る。老女は寝台の上で、自らの両腕をさすっている。
使用人として、最も長くデーリング家で働いてくれている。
ヴェルズが生まれる前から、ずっとだ。
元気だった頃なら、片手で持って、もう片方の手で仕事をしていた人だ。
「おや。今日は大人しいね」
「俺はいつも大人しいだろ」
「そういうことを言う元気はあるんだね。良かった」
ヴェルズは寝台の脇に座った。
彼に初めて字の書き方や、馬の乗り方を教えたのは彼女だった。
事故のあと、リハビリに付き合ってくれたのも彼女だった。
「王都へ行こうと思ってる」
「そうかい」
「そのあと、西領地にも寄る。王立医師団があるから、薬のことを聞いてくるよ」
イダの手が止まった。
最近、身体の感覚が少しずつ失われる奇病が広がっていた。
イダもその一人だった。
医師からは、治療方法はまだ研究中だと言われた。
そして、研究が最も進んでいるのは、西領地の王立医師団らしい。
「それはありがたいけどね、坊ちゃん」
イダは優しい顔で語りかけた。
「薬が手に入らなかったら、ちゃんと手ぶらで帰っておいで」
「……俺が帰ってきても、手は治らないぞ」
「そんなこと、知ってるよ」
あっさり言われた。
「それでも顔くらい見たいんだよ。何か持って帰らないと、あたしに会えないとでも思ったかい」
ヴェルズは少し黙った。
真っすぐな優しさに、何も言い返せなかったので、笑うことにした。
「いやあ。ここまで惚れられてたとは」
「坊ちゃん、あんたはいい男になったよ」
「それ、セーラに言っといてくれない?」
「自分で何とかおし」
イダは笑った。
ヴェルズも笑った。
大好きな恩人が、日に日に弱っていく。
何もできない自分が嫌だった。
何かできることがあるなら、やってみたかった。
◇◇◇
夜、剣の稽古を終えて休んでいると、テッドが顔を出した。
「よう。やっぱり、ここか」
ヴェルズは汗を拭いた。
「何しに来たんだ。酒なら、もうないぞ」
「知ってる。おまえが全部飲んだからな」
テッドは隣に腰を下ろした。
「王都へ行くんだって?」
「もう聞いたのか」
「ララから。しばらく俺と遊べなくなるから、顔を見せてやれってさ」
「俺、そんなに寂しがりに見えるか?」
「セーラさんに会えなくなるのは、寂しいだろ」
「……否定はしない」
テッドが吹き出した。
ヴェルズも笑ったが、少し悔しかった。
今日は誰に会っても、先に本音を言い当てられている。
「勇者の仲間になって、魔王を倒すのか?」
「倒すのは勇者だよ。俺は、傍で役に立てればそれでいい」
「おまえなら、出来るだろ」
あまりに簡単に言われたので、ヴェルズは友の顔を見た。
テッドだけは、ヴェルズの左脚を見て話さない。
彼は隣に置いた剣を見ていた。
「毎晩それだけ振っていれば、少しくらいは強くなる」
「怪我の後遺症、まだ残ってるんだけど」
「でも努力していない奴よりは強いじゃん」
「何もできないと噂の後継者だぜ?」
「出来るようになろうとしているだろ。それは凄いことだよ」
こいつの前では、怠け者のふりをしても仕方がない。
母と叔母を失った日、ヴェルズには何もできなかった。
二人とも、手を伸ばせば届く所にいた。
自分も酷い怪我を負った。
それでも、怪我を助けられなかった言い訳にはしたくなかった。
次に同じ事故が起きたとき、また何もできないのが怖い。
セーラやララ、イダ、ここで暮らす人たち。
失いたくない人が、まだたくさんいる。
「もっと強くなりたいんだ」
「うん」
「今度は、助けたい」
テッドはしばらく黙っていた。
それから、いつもの調子で言った。
「じゃあ、帰ってきたら俺にも教えろよ」
「何を?」
「勇者の剣術。女にモテそうじゃないか」
「おまえ、少しくらい真面目な顔して聞けよ」
「真面目だよ。俺もおまえも女にもてたい」
おかげで、ヴェルズもいつもの顔に戻れた。
あの時、母たちが死んだ本当の理由も、いつか確かめたい。
ただの事故だったとは思えない。調査の記録さえ見せてもらえない。
正式な領主になれば、今より出来ることは増えるはずだ。
その話は今夜、胸にしまっておいた。
それからテッドは、王都の北門は昼前に通ると空いている、と教えてくれた。
「ありがとな」
「友達だろ、別に大したことじゃないだろ」
「それでもだ。ありがとう」
正直、旅に出るのは不安だった。
でも、彼みたいな友人がいるから頑張れる。
心が少し楽になった気がした。
◇◇◇
翌朝、裏門には馬と、セーラが待っていた。
ヴェルズは少し迷ってから、まっすぐ彼女の前へ行った。
「昨日は悪かった」
セーラが顔を上げる。
「味方じゃないなんて言って、ごめん。心配してくれたのに、八つ当たりした」
「……お分かりいただけたのでしたら」
「でも、やっぱり行くよ」
「はい」
思っていたより、静かな返事だった。
セーラは旅袋を差し出した。
「着替えと、傷薬です。お金は袋を分けてあります。一度にお使いにならないように」
「俺、そこまで信用ない?」
「お酒も博打も、旅費を使い切らない範囲でお楽しみください」
「はい」
ヴェルズはおとなしく受け取った。
袋の口から、手紙が一通のぞいていた。
「これは?」
「道中でお困りにならないよう、注意事項を」
「何枚?」
「三枚です」
「俺、手紙でも小言を言われるの?」
セーラは答えなかった。
ほんの少し目を伏せたので、ヴェルズもそれ以上はからかえなかった。
「……俺も手紙、書くよ」
「お願いします」
「無事だって知らせる」
「はい」
そこへ、ララが駆けてきた。
「間に合った。はい、お昼の分」
包みを渡される。厨房で焼いたいつものパン。
肉料理も少し入っている。
まだ温かい匂いがした。
「お姉ちゃん、朝早くから作ってたんだよ」
「ララ」
「私も手伝ったよ。味見」
「それは手伝ったとは言いません」
ヴェルズは笑いながら、二人を見比べた。
セーラは、こちらを見ようとしない。
「帰ってきたら、また作ってくれる?」
「……無事にお帰りになれば。」
いつもの食事の話だった。
なのに、不思議なくらい嬉しかった。
「じゃあ、ちゃんと帰ってこないとな」
ヴェルズは馬に乗った。
セーラが、彼の右の鐙を少し短くしてくれた。
左脚に無理がかからないよう、イダに教わった長さだった。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
「女の人ばっかり追いかけないでねー!」
「ララ! そういうこと、大声で言うな!」
門番まで笑った。
ヴェルズはもう一度だけ振り返り、二人に手を振った。
それから、王都へ続く道を進み始めた。




