第13話 『ワーム』
シュンが眠りに就いてからしばらくの間、ネカは彼の顔をじっと見つめていた。
普段は見返されたり疑問に思われたりするのが恥ずかしくて、長時間ゆっくりと見つめていることはできなかったのだが……いまはこうして彼のことを見つめ続けることができていた。
流れる車窓に目を向けることもなく。がたごとと揺れる馬車に身体を委ねて。ゆっくりと、彼の寝顔を記憶に刻んでいく。
「…………」
彼を起こしてしまわないように、つい呼吸を潜めてしまう。独り言も、間違ってもしないように気を付ける。
……ずっとこの時間が続けば良いのに……。
ほのかな幸福感を抱きながら、しばらくの間ネカがそうしていたとき……。不意に馬のいななきとともに馬車が停止した。がくんと馬車が揺れたことで、シュンが目を覚ます。
「んぁ?」
頭を窓枠にぶつけたらしく、手を頭に当てている。そうしながらネカに聞いた。
「なんだ? なにが起きたんだ、ネカ?」
「わ、わたしにもなにがなんだか……?」
ネカは、幸せな時間が終わってしまったことで残念な気持ちはあったが、それはそれとしてなにが起きたのか事態の把握をしようとして窓の外を見た。
窓の外には大量の土煙が舞っていた。ついさっきまで窓外はあまり見ていなかったが、それでもこんなに土煙はなかったと思うはずなのに。
「土煙が舞ってますね?」
「外になにか出たのか……⁉」
御者台につながる小窓を開けて、シュンが御者に尋ねる。小窓を開けた拍子に、土煙がいくらか室内に流れ込んできた。
「なにが起きた⁉」
土煙のせいで咳をする口に手を添えながら、御者が答える。
「魔物です! 大型のワームが現れました!」
「ワーム⁉」
御者と馬の先に目を向けると、言う通り、巨大なミミズ型の魔物がいた。
ワームは地面から空へと、縦方向に伸びながら、うねうねと身体を動かしている。
シュンが声を上げる。
「なんでこんなとこにワームが⁉ 砂漠や荒野じゃねーのに⁉」
「分かりません! 迷いこんだのかもしれません!」
御者も声を上げて答える。
いま馬車が通っているのは、草原のなかにある道だった。普段は野ウサギや小動物、小鳥や蝶などといった生き物がいるくらいである。
たまになにかしらの小型の魔物が出ることもあるにはあるが……このようなワームが出るなどということは非常に稀のはずだった。
「あのワームを避けて通ることはできるか⁉」
「私としてもそうしたいのですが……!」
御者の言いたいことを、シュンとネカはすぐに察した。
大きなワームは首をもたげるように馬車のほうを向くと、じーっとその体勢のままになった。
ワームの頭と思われる部分には、人間やエルフなどの他生物のような明確な眼球は見られなかった。
しかし……シュンもネカも御者も、見られていると感じた。こちらの様子をうかがい、あわよくば捕食しようとしているのだと容易に悟った。
グワバッと、ワームの口が開いた。人間やエルフなどのように上下二つの顎に分かれるのではなく……頭頂部の中心から三等分、三方向になる形で分割したのである。
『グワアァァ!』
「「「ぎゃあぁぁっ⁉」」」
ワームが咆哮を上げるのと同時に、シュン達もまた叫び声を上げる。ワームの頭兼口が馬車へと迫る。
「おっさん! 早く馬車を出せ!」
「は、はいぃっ!」
御者が手綱を叩くように使い、慌てて馬車を方向転換させてワームから逃げ始める。
走る馬車の背後で、それまで彼らがいた場所をワームの口が突撃していった。まるで海やプールにダイブするように、地面のなかへと口を潜らせていく。
「あっぶねえっ⁉ ぎりぎりだったな!」
「どうしますシュンさん⁉」
「どうするもこうするもない! 次に奴が顔を出したときに倒すぞ!」
「はい!」
「御者のおっさんはこのまま走らせ続けろ! 絶対に止まるんじゃねーぞ!」
はいぃっ!と御者が泣きたくなるような声を出しながら手綱を操っていく。
シュンが馬車のドアを開ける。
「シュンさん⁉」
「奴を倒すにも、馬車のなかじゃ狙いにくいからな。屋根に上るぞ!」
「分かりました!」
まるで鉄棒の逆上がりをするように、ドアが開いている箇所の上部、屋根板の一部を掴みながらシュンが屋根へと上っていく。
腕や腹、背中など全身の筋肉に力をこめてなんとか上れたといった感じだった。
「まったく、明日は筋肉痛かもな! 俺の手を取れ! 絶対に落っこちるなよ!」
そんな文句をこぼしながら、ネカに手を差し出す。
「ネカも早く!」
「はい!」
シュンの手を借りて、ネカも屋根に上っていく。そして二人は屋根に立ち、シュンがネカの肩に手を添えて、彼女が馬車の背後へと杖を構えた。
猛スピードで走る馬車を追いかけて、背後の地面が急速に上下していた。そのなかをワームが進んでいるらしい。
「やれやれ、あんだけ掘ってんのによく地面が陥没しないもんだ」
「地中移動の魔法やスキルが使えるワームなのかもしれません。もしくは、単純に掘った直後に排泄しているのかも」
「前者でお願いしたいね。後者は……な」
シュンは肩をすくめた。口にして言いたくはないらしかった。
二人がそんな会話をした直後、不意に背後の地面の隆起が途絶えた。それまでの地鳴りが消えて、馬車の走る音だけが響く不気味な静寂が辺りを包む。
ネカが声を漏らす。
「ワームが消え……⁉」
「油断するな、ネカ。いつどこに現れてもすぐに撃てる準備をしておけ」
「は、はい……っ」
馬を走らせている御者も声を上げる。
「旦那ぁっ! どうなったんです⁉ 音がしなくなりましたけど⁉ まさかやっつけたんですかい⁉」
「奴が消えた! お前も油断して馬車を停めんじゃねーぞ! その隙に食われるぞ!」
「へ、へいぃっ!」
御者が手綱をしならせて、馬の速度を維持させる。
シュンとネカが周囲に警戒の視線を走らせたとき……不意に、がごんっ!と馬車が縦に揺れた!
「なっ……⁉」
「……っ⁉」
シュンとネカがバランスを崩す。
……落ちる……っ!
瞬時にシュンがネカの身体を抱くようにして、馬車の屋根から振り落とされて地面に落下した衝撃から彼女を守る。
「ぐっ……!」
「シュンさんっ⁉」
馬車もまた横転して、車輪がぐるぐると空転していた。馬も横倒しで悲鳴をこぼしていて、御者が情けない声を上げている。
「な、なんだってんだよぉ……じ、地面が突然凹んで……」
そのとき、地面に倒れるシュンの身体に地響きが伝わってくる。
依然として姿は見えない……だが、確実に近くにいる。
地面の下に。
「ネカ! 俺達の真下にいる! 撃て!」
「っ⁉」
直後、二人と馬車の周囲の地面が盛り上がり、彼らを囲む鋭い牙の並んだ口の壁が出現した。逃げる間もなく、そのなかに囚われてしまっていた。
だが……その巨大な口が閉じて暗闇に飲み込まれる直前で、ネカが自分とシュン、および馬車や御者を包むほどのドーム状の光を展開して、その光の奔流を周りの口壁へと急速に広げていった。
それはさながら光の爆発だった。
『…………ッ……⁉』
口の壁が破壊されて、ワームの血と肉片の雨が降ってくる。
ネカは自分達や馬車の周囲に魔法の防壁を張って、そのグロテスクな雨を防いでいった。
「うへー、ぐろー……」
シュンがうんざりしたようにつぶやいたあと、ネカに言う。
「だが、とにかく、ネカ、よくやった。さんきゅー」
「いえ、どういたしまして」
ネカがうれしさの笑顔で応じた。
その後……ネカは御者や馬の傷を治し、馬車の損壊も修復していく。
「本当にありがとうございます!」
そんな御者のお礼の言葉を受けたあと……シュンとネカを乗せた馬車は再び走り出していく。
そして数時間後、二人は最初の目的地である町に到着したのだった。
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