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【第二章完結】追放された宮廷女医は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito
第2章:王宮・水面下編

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50/50

50話:父として

数日後。


アレクの居室にまた集まった。


ディートリヒから、話したいことがあると先触れが来た。あの館で別れて以来だった。エリカとリーナ、クラウス、アレク。フリッツが扉の外に立った。


ディートリヒは約束の刻限ぴたりに現れた。


背筋が伸びていた。あの日、中庭で膝をついた人とは違った。


「お時間をいただいて」


頭を下げた。それから言った。


「イルゼ様の沙汰が決まりました」


部屋が静かになった。


「国を出られます。他国へ輿入れなさる」


リーナが息を吐いた。


「他国に」


「ええ」


「じゃあ、もう、こっちには」


「戻られることはないかと」


リーナの肩から力が抜けた。エリカもどこかで、よかったと思いかけた。


「相手は」


アレクが訊いた。


ディートリヒが家の名を口にした。海を越えた北の国。古い王家だという。


アレクの動きが止まった。


「……あそこか」


組んでいた腕をほどいた。


「待ってくれ。あの家に嫁ぐとなれば、ただの厄介払いじゃない。格が要る。こちらが頭を下げて、ようやく話を聞いてもらえるような相手だ」


「兄上」


クラウスが窓際から言った。


「そういう縁談は何日で整う」


アレクが口をつぐんだ。


「相手との行き来。格式の擦り合わせ。持参するもの、迎える側の支度。——普通にやったら半年か、それ以上だ。どれだけ急いでも数日でどうにかなる話じゃない」


部屋が静かになった。


ディートリヒが目を伏せた。


「……おそらく」


低い声だった。


「私がけじめをと申し上げるより、ずっと前から。閣下はもうお決めになっていた」


「あんたの進言を聞いた振りをしてか」


「は」


ディートリヒが、握った手を見ていた。


「私は償わせるつもりでした。マルガレーテ様の忘れ形見を、これ以上罪に沈めるわけにはいかない。そう思って参ったのです。——ですが、私が口を開いた時には、もう何も残っていなかった」


誰も何も言わなかった。


エリカはその横顔を見ていた。


「エリカ殿」


ディートリヒがこちらを向いた。


「約束をしました。私が責任を持つ、と。——果たせませんでした。申し訳ない」


頭を下げた。


何か言おうとして、言葉が出なかった。あなたのせいではない、とは言えなかった。


「……頭を上げてください」


それだけ言った。


***


ディートリヒが辞した後、リーナがぽつりと言った。


「結局、イルゼさんだったんですね」


膝に手を置いて。


「レナート様の鉛。私の仮病。エリカさんを襲わせたのも。——全部」


「手を下した者はみな違う」


アレクが言った。


「鉛を仕込んだ使用人。仮病の侍女。剣を抜いた騎士。だが、後ろにいたのは一人だ」


「その人がお咎めなしで、いい所へお嫁に行く」


「咎めがないわけじゃない。国を追い出される。——表向きは、な」


リーナが唇を結んだ。それから息をついた。


「スッキリはしないですけど」


「しないな」


「でも、もう来ないなら。いいことにします」


エリカは何も言わなかった。鉛を盛られた侯爵家が手を伸ばす隙すら、残っていなかった。


「まあ」


アレクが椅子の背にもたれた。


「お前はまた狙われずに済む。せいぜい夜道は一人で歩くな。次は間に合うとは限らん」


「……間に合ってもらえたのは助かりました」


「自覚があるなら、いい」


軽い口調だった。リーナが横で小さく笑った。


エリカも少し肩の力が抜けた。


***


その人が来たのは、それから三日後だった。


診療所にふらりと現れた。供も連れず。買い物のついでにでも寄った、というような足取りで。


リーナが戸口で固まった。


「……エリカさん」


灰色の髪。仕立てのいい服。表情に隙がなかった。


宰相コンラートだった。


「急にすまないね」


穏やかな声だった。


「近くまで来たものだから」


リーナがエリカとその人を見比べた。動けずにいた。エリカはリーナの肩に軽く手を置いた。


「いらっしゃいませ。——どうぞ」


宰相は中までは入らなかった。戸口に立ったまま、診療所の中をぐるりと見た。薬棚を。煎じ釜を。並んだ椅子を。


「こういう所で診ておられるのか」


「ええ」


「立派なものだ」


それから薬棚に目をやったまま言った。


「娘が失礼をした。父として詫びておく。——危ない目に遭わせたそうだね」


頭は下げなかった。首が会釈ほどに傾いただけだった。


「……ご丁寧に」


そう返すしかなかった。


宰相が微笑んだ。


詫びている時も今も、同じ顔だった。


首の後ろが冷たくなった。


見た。


呼吸も手も視線も乱れがない。詫びてきた人間の後ろめたさが、どこにもない。


何も漏れていなかった。視ても何も返ってこない。底が見えなかった。


宰相がもう一度、薬棚に目をやった。


「人のことばかり視ている医者は、自分の身体の変わりめには案外気づかないものでね」


「——昔、そういう人がいた」


口をつぐんだ。笑みは崩れなかった。


それからエリカに目を戻した。


「あなたは正義感の強い人のようだ」


「結構なことだ。——だが、出過ぎれば火傷をする。賢いやり方じゃない」


「お気をつけて」


宰相が身を返した。


去り際にこちらを見た。


足元ではなかった。まっすぐ顔を見ていた。


「では」


背を向けた。


戸口を抜けて消えた。足音は聞こえなかった。


***


リーナが奥から出てきた。


「……今の、宰相様、ですよね」


声が強張っていた。


「謝りに来たんですか。わざわざ」


「そうみたいね」


「なんか」


リーナが戸口の方を見た。


「怖かったです。優しそうなのに。——うまく言えないんですけど」


エリカは答えなかった。


イルゼは海の向こうへ消える。それでおしまいのはずだった。


拳を握っていた。気づいて、開いた。


指の跡が手のひらに残っていた。


二章「王都・水面下編」、お読みいただきありがとうございました!


ここまで追いかけてくださった皆さま、本当に感謝しています。

イルゼをめぐる一連がようやく一区切りつき、その先に新しい影が見えたところで、第二章の幕を下ろします。


つきましては、ここまでの感想を一言でもレビューに書いていただけると、とても嬉しいです。

「ここが好きだった」「この場面が気になった」——どんな短い言葉でも、次を書く大きな力になります。【★★★★★】やブックマークも、変わらず励みになっています!


次章「王都・決壊編」、そして物語の核心へ向けて、準備のため一時的に休載をいただきます。

長くお待たせするつもりはありません。少しだけ充電して、必ず最後まで書き切ります。どうかその時まで、エリカたちの行く先を見届けに戻ってきてください。


また次章でお会いしましょう。

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