「忘れられない出会い」
人は忘れる生き物だ。
時間の波に、少しずつ記憶を溶かしていく。
けれど、忘れることは消えることではない。
だから私たちは、何かを残そうとする。
言葉を、想いを、かすかな温もりを。
誰かの胸の奥で、そっと生き続けるために。
私もまた、そうしてここにいる。
朝、目を覚ますとまだ枕が湿っていた。
私、鈴藤風海は乾いた目をこすりながら、今日から通う中学校のことをぼんやりと思い浮かべる。
「今日から新しい学校か……」
そう一人呟くと、
「…お姉ちゃん…もう起きたの?まだ3時だけど……」
隣で寝ていた妹、鈴藤カズミが目を覚ました。
「うん…ちょっと嫌な夢を見ちゃって……」
「ママとパパの?」
「…うん……」
私は目に涙を浮かべて布団に横たわる。
カズミはそっと私の布団に潜り込んできた。
「ちょっと、カズミ……」
「一人より二人のほうが寂しくないよ?」
「…カズミは強いね……」
私の言葉に、カズミの自信満々の声は少し震えていた。
二人とも同じように悲しんでいる。
同じママとパパを失ったから――
私たちは一緒に眠り続けた。
「かざみんかずみん、起きて」
「んぅ……もう朝?」
気づけばもう朝で、おばあちゃんが起こしに来てくれた。
「そうだよ、ちゃちゃっと支度しな、遅刻するよ?」
「うん…カズミ、朝だよ」
私はカズミの体を揺さぶる。
「…あと50時間だけぇ……」
「起きないと登校初日から遅刻しちゃうよ」
「むっ、それはまずいぞ」
カズミは飛び起きて、私に――
「なに寝てんの、遅刻しちゃうよ?」
「もう寝てたのはカズミでしょ?」
私はくすくすと笑いながらそう言った。
「違うもん!寝たフリだもん!」
「そうだね……」
私たちは両親を失ったことを忘れたかのように、楽しそうに支度をした。
「おばあちゃん、行ってくるね……」
「おばあちゃん、私はお姉ちゃんと違って友達作って返ってくるから」
そう言って私たちは家を出た。
「はぁ……」
「どうしたの、お姉ちゃん。もしかして友達できないか心配してる?」
「違うし、疲れただけだし」
私は思いついた嘘をついた。
「嘘はいけないよぉ〜?」
「え、なんでいつもバレるの?」
「目を逸らしてるから」
カズミは無邪気に笑った。
「てか、もう着いたね」
「うん……」
そして私たちは口を揃えて――
「ボロボロだね」
そう言いながら校門をくぐる。
「生徒全然いないね」
「あ、ごめんお姉ちゃん」
カズミは急に私に謝った。
「なに急に謝って……」
「時間間違えた」
カズミは腕時計を渡す。
校舎の時計と比べると、腕時計は1時間も早かった。
「ん?誰かこっち見てない?」
「どこどこ?」
カズミは周囲をキョロキョロ見渡す。
私は指を差して――
「ほらあそこ、女の子がいるでしょ?」
「ほんとだ、しかも同じ制服」
そう言ってカズミは女の子の方へ走って行った。
私は慌てて追いかけたが、インドア派の私が追いつけるはずもなく、
「あれ?……いない……」
「はぁ…はぁ……え?……」
周りを見てもさっきの女の子はどこにもいなくて、
一つの髪飾りが落ちていた。
「あの子の落とし物かな」
髪飾りを拾い上げて見つめる。
その髪飾りは錆びていて、とても古そうだった。
「君たち転校生?」
後ろから急に声をかけられ、私は驚いて尻もちをついた。
「驚かせてごめんね。私はこの学校の校長なんだぁ」
「へぇ、先生若いのにすごい」
「そうでしょそうでしょ?まぁ、とりあえず校舎案内するよ、ついてきて」
私たちは校長先生の後について行った。
「ここが玄関だよ」
校舎の中は思ったより綺麗で、ちゃんと学校だった。
逆にそれが不気味で少し恐怖を感じた。
「意外と綺麗だね」
「…そ、そうだね……」
「そうでしょそうでしょ?」
校長先生は自信満々に言った。
「じゃあ次は特別教室観光に行こっか?」
「はーい!」
校長先生とカズミはスキップしながら楽しそうに話している。
私は階段の方を眺めていると、中庭で見た女の子がいた。
「あの子はさっきの……」
「お姉ちゃん、置いてっちゃうよ?」
カズミの声で我に返り、私は急いで二人を追いかけた。
だけど階段の方に視線を戻すと、そこにはもう誰もいなかった。
まるで最初からいなかったかのように――
校舎の古い空気が足元から静かに冷たく染み込んでくる。
ほんの少しだけ、誰かに見られている気がした。
誰かが、ずっとそこにいたような。
私たちのことを、最初から待っていたような――そんな気配が。
「あの子なら覚えてくれるかな……」
小さな声が、誰にも聞こえない場所で、そっと囁いた。
「ここが理科室だよぉ」
「なんか狭くないですか……?」
「まぁ古い学校だからねぇ。生徒の数も少ないし、この広さで大丈夫だと思うけど」
理科室は狭く、机も一つしかなかった。
「せんせー準備室入ってもいい?」
「ん〜、じゃあカズミちゃんと風海ちゃんは特別に入っていいよ」
「やったー、せんせー最高!」
私たちは理科準備室に入った。
中にはいろんな薬品やビーカーなどの実験器具があった。
「じゃあそろそろ教室行こっか?」
「わかりました」
理科室を出て教室に向かう。
「せんせー」
「どうしたのカズミちゃん?」
「面白い話してくだしよぉ」
カズミがそう言うと校長先生は少し考えて口を開いた。
「昔、ここに在籍していた女の子の噂があるんだけどね」
私たちは歩きながら黙って聞いた。
「その女の子はいじめられてて、先生も助けてくれなかったんだ……そして耐えられなくなった女の子は……」
私たちは口をそろえて尋ねる。
「女の子は?」
「学校で暴れて、通報を受けてきた警察に射殺されちゃったんだ……」
「へ、へぇ~。ま、まぁ噂だよね」
カズミは強さを隠しきれていなかった。
「うん、噂だから気にしなくていいよ。じゃあ私は仕事に戻るね」
校長先生は校長室へ歩いていった。
「お姉ちゃん、私も自分のクラスに戻るね」
カズミは廊下を走って自分の教室に向かった。
「一人になっちゃった……」
「一人じゃないよ」
「誰!?」
慌てて振り返ると、そこには私と同じ制服を着た女の子がいた。
「えっと……同じクラス?」
「うん、私は瀬長素美。あなたは?」
「鈴藤風海……」
「可愛い名前だね。よろしく、風海ちゃん」
そう言って彼女は手を差し伸べてきた。
私は素美の手を握る。
素美の手はなぜか冷たかった。
「よ、よろしく……素美ちゃん……」
「私のことはすーちゃんって呼んで?」
「うん……わかった、すーちゃん……」
私がそう呼ぶと、すーちゃんは満面の笑みを浮かべた。
何故かその笑みは少し怖かった。
「やっと会えた……私を覚えてくれる人……」
その瞬間、教室の扉が開き、担任らしき先生が入ってくる。
「えっと鈴藤風海さんですか?」
「あ、はい……」
「私、このクラスの担任、小野優子です。鈴藤さんの席は窓から2番目の後ろの方です」
私は一番後ろで窓から2番目に近い席に座った。
「わかりました……」
席につきカバンを机に置く。
「私の隣の席だね」
すーちゃんはそう言って隣に座った。
「うん……仲良くしようね……」
「うん……ずっと一緒だよ?」
「うん……」
私がカバンから教科書を出していると、廊下の方から足音が聞こえた。
誰かが教室に入ってきた。
「今日もいちばーん……って、あんただれ?」
「え、私は東京から転校してきました。鈴藤風海です……」
「へぇ、都会から来たんだぁ……」
近づいて私の前の席に座る。
「私は笠木知夢、吹奏楽部だよ。ところで風海は何部に入るの?」
「まだ決まってなくて……」
「じゃあ吹奏楽部見に来なよ!」
「じゃ、じゃあ放課後……見に行きます……」
「ほんと!?やったぁー!約束だからね?」
私たちが話していると、どんどん生徒が教室に入ってきた。
「また後でね」
そう言って知夢さんは前を向いた。
(仲良くできるかなぁ……)
そう思いながら、
「自己紹介何いうの?」
すーちゃんが言った。
「え、自己紹介?……」
「うん……自己紹介……」
そう言われて私は考え始める。
「特技……とか?」
「普通だね……」
「え、じゃあコントとか?……」
「いいじゃん!っで誰とやるの!?」
「え、えっと……」
私は教室中を見渡す。
転校生の私は知り合いもいなかった。
すーちゃんの方を見ると、「私しかいないでしょ」と言われている気がした。
「じゃ、じゃあすーちゃんとやろうかな……」
「やったぁー、今からネタ考えよ!?」
「そうだね、考えよっか……」
そして自己紹介が始まった。
「東京から来ました、鈴藤風海です。よろしくお願いします……そして今日は、すーちゃんとコントやります!」
私がそう言うと、教室がざわつき始めた。
「え〜!?突然ですがここでクイズですっ!」
「いやいや、いきなり?しかも自己紹介は!?」
「この教室の床には、いったい何枚のフローリング板が使われているでしょうか!」
すーちゃんはノリノリで言った。
「知るか!!誰得!?転校生が初日に出すクイズじゃないのよ!」
すーちゃんは気にせず、
「正解は〜……」
「言うの!?言っちゃうの!?」
「……秘密♡」
「ならクイズにすなあああああ!!」
教室は笑いに包まれた。
自己紹介が終わり、次の授業の準備をしていると、私の席を囲むようにクラスの皆が集まってきた。
「鈴藤さんって東京から来た?」
「コント面白かったよ」
みんなが一斉に質問する。
「え、えっと……うん、東京から……ありがとう……」
私が答えると、クラスの子たちは次々に話しかけてきた。
「すごいねー、東京ってどんなところ?」
「有名人見たことある?」
「髪サラサラでいいな〜」
みんなが口々に言いながら距離を詰めてくる。
こんなふうに囲まれるのは、きっと初めてだった。
私はうまく笑えていただろうか。
そして授業開始のチャイムが鳴り、みんなが席に戻る。
私はこう思った。
(このクラス、あったかいなぁ……)
「ねぇねぇ……」
すーちゃんが急に話しかけてきた。
「どうしたの?」
「教科書見せてくれない?」
「う、うん…いいよ……」
私は机をすーちゃんの机にくっつける。
「ありがとう、思ってた通り優しいね」
「そ、そうかな……」
「うん、風海ちゃんは優しいよ!」
すーちゃんは大声でそう言った。
「すーちゃん、今授業中だよ……」
「あ、ごめん……」
「鈴藤さん、授業中ですよ!静かに!」
「あ、すみません……」
私は小野先生に怒られてしまった。
(なんで私だけ……)
午前の授業が終わり昼休み――
私はすーちゃんと屋上でお弁当を食べている。
「風海ちゃんのお弁当、美味しそう!自分で作ったの?」
「うん……自分で作った……」
「すごいね!私は料理できないから」
そう言ってすーちゃんはおにぎりを食べる。
私はおにぎりを食べるすーちゃんにそっと卵焼きを差し出した。
「え、くれるの!?」
「うん…おにぎりだけじゃ足りないと思うから……」
「ありがとう!後で1人で食べるね」
「わかった。私食べ終わったから先に教室戻ってるね……」
私はすーちゃんに小さく手を振り、1人で階段を降りる。
教室に戻ると、思ったより人は少なく、知夢さんがちょこんと1人で座っていた。
「あ、カズミん!」
知夢さんはそう言って私に駆け寄る。
「1人で寂しかったんですけど!」
「そ、そうなんですね……」
「お昼、どこで食べたの!?」
「お、屋上ですーちゃんと一緒に……」
「すーちゃん?友達?」
知夢は首を傾げそう言った。
「うん、友達……かな?」
「まぁ、そのすーちゃんは置いといて、明日は私と一緒に食べようよ!」
「わ、わかりました……」
「やったぁ!」
知夢さんは子供のように嬉しそうに飛び跳ね、私の手を握った。
「約束だよ?」
「うん、約束……」
この時の知夢さんの手は、思ったより暖かかった。
新しい場所、新しい人間関係、新しい日常。
それは期待と不安が入り混じる、ほんの少し息苦しいスタートライン。
風海とカズミが迎えた朝は、決して明るいものばかりではなかったけれど、
それでも彼女たちは、ちゃんと前を向いて歩き始めました。
笑ってみたり、嘘をついてみたり、誰かに手を伸ばしてみたり。
誰かと関わることの温かさや、言葉にできない寂しさ。
そのすべてが、風海たちの“今”を作っていきます。
この物語を通して、少しでも心の奥に何かが届いていたら嬉しいです。
読んでくださり、本当にありがとうございました。




