7
見渡す限りの闇。
けれどそれは恐ろしいものではなく、寧ろ安心出来るもの。
今度は夢ではなく、生身でこの空間に訪れる事が出来た。覚める心配はない。存分に探す事が出来る。
ならば早々に、声の主を探してしまおう。
この誰も、何もかも存在していない暗闇の中で唯1人。ずっと泣いているなんて、どんな気持ちなのだろう。
一歩一歩踏みしめるように歩いていたはずが、いつの間にか早歩きへと変わっていた。声の主を探す為に、どんな些細な音も聞き漏らさないとばかりに動く耳。
常に魔力を展開し、眼ではなく魔力で視界を確保する。一体何時の間に、こんな風に魔力を扱えるようになったのだろうか。一ヶ月と少し前にここで生まれ、女王という立場で過ごしてきた。
キィラとの出会い以外で、魔力を使った、という感覚は全くない。あれだけだ。けれど息を吸うかのように、呼吸と同じぐらい自然に、魔力を手足の如く使う事が出来る。
少しずつ自分の領域を増やしていき、声の主を捕らえる為に全神経を集中させた。
声の主は、中々現れない。
夢の中では、あんなにも簡単に、声だけなら聞こえてきたというのに。今やその影も形もないのが逆に不思議になる。報告書には、私の夢との類似点がこれかと言わんばかりにあったのに、今となっては共通点は肌に纏わりつく暗闇だけ。
ここでなら会えると思っていたのに、勘違いだったのかと肩を落としたくなくなるが、まだ探し始めて5分程だろうか。そのぐらいしか経っていないような気もした。
長いのか、それ程なのか。
時間の感覚が失われていく中、私は魔力を頼りにひたすら歩く。
体力は魔力で強化しているから疲れる心配はないんだけど、あまり時間がかかり過ぎると、アスターニェとロケールナ公爵が探しに来る。それはまずい。
あの2人来たら、逃げてしまう。私の直感が、そう耳元で囁くようにひっそりと、私にだけ伝えてくる。
わかっているよ。改めて教えられなくても。
だからこそ私は、手足を必死に動かして、目的の人物を探す。声の主は幽霊とかそういう類なのかもしれないけど、元は人間だった。そんな気がする。
そうして、何故か寂しくて泣いているのだ。
理由なんてわからない。
「お願い。出てきてッッ!」
わけのわからない感情を爆発させるかのように、叫んだ。ひょっとしたら、魔力も爆発させたのかもしれない。瞳の奥がチカチカとする感覚に、魔力を放った後の高揚感。あぁ。まずい。魔力を使ってしまったのなら、アスターニェとロケールナ公爵が来てしまう。そんな危機感に、私は久しぶりに、場違いにも感情の抜け落ちた表情でただ立ち尽くしていた。
身体から、力が抜けていく。
魔力を使ったからなのか。いや、キィラとの邂逅の時の方が使っているし。だから、そうじゃない。なら、これはなんなのだろうか。わけのわからない感情に支配され、どうしようもなくなる。
その時、耳元で声が聞こえた。
囁くような。
歓喜に満ち溢れた、子供の声。
──お姉ちゃん。見つけた。やっと。見つけた。
目的の人物を探し当てられたと言わんばかりの、喜色に満ちたしっかりとした口調。
私は突然姿を現した捜し求めていた存在に、頭がついていかずに動きを不自然に止めてしまう。脳の処理が追いつかない。
どうしようどうしようどうしよう。
意味のない言葉が、次から次へと溢れだして止 まらない。
声の主を見つけて抱きしめたかっただけなのに、今の状況だけを見ると、抱きしめるのではなく、抱きしめられている。私の首に回された、小さな腕。小学生ぐらいだろうか。大きさからいって。首元に顔を押し付け、くすくすと笑い声を漏らす。
──ボクと同じ。同じ人。同じモノ。やっと見つけた。来てくれた。嬉しい。
嬉しげに、摺り寄せてくる。普段ならばくすぐったいと思うんだろうけど、今はそこまで頭が働かなかった。小さな子供から紡がれる言葉を、働かなく脳を総動員させてかんがえる。
同じ? 同じモノ?。
来てくれた。嬉しいの?
私が探していたのと同じように、泣き声の主も私を探していたのだろうか。導き出された単 純な答えに、まさか、とも思ったが、それと同時にストン、と胸へと落ちてきた。
焦がれるように、自分自身を不甲斐ないと思ったように、泣き声の主を探してた。理由や理屈なんてなく、ただ探さなければと。抱きしめなければと思ってしまっていた。今にして思えば、それは一方通行的なものではなく、両方からの想いによるものだったのかもしれない。引き寄せられたのはどちらだったのだろうか。
両方か。
答えは出ないだろうと、早々に諦めた。
「私と同じなの?」
後ろから抱きつかれている為、顔は見えない声の主へと問いかけてみる。
──うん。同じ。同じだよ。だって──……。
「え?」
声が、笑った。
くすくすと。楽しげに、嬉しそうに、笑う。
言われた言葉の意味を理解するよりも先に、無意識に首を横へと振って、それを否定する。
だって、だって。
まるで子供に帰ったかのように、壊れたおもちゃのように、同じ言葉を繰り返しながら否定を繰り返した。
──同じだよ。お姉ちゃん。
けれど声の主は、私が否定する度に違うと。同じなのだと言葉に乗せ、私の心臓へと突き刺 していく。痛い痛い痛い。心臓が潰れてしまいそうな錯覚。
でもそれ以上に、苦しくてどうしようもなくて、目の前が黒に染まりそうになる。私を抱きしめていた子供の腕に、力が入る。
──お姉ちゃんも苦しかったでしょ? 辛かったでしょ? 突然……。
子供の声が、急激に冷えていく。
そうまでして搾り出したい言葉。聞きたくない、と耳を塞ぐより先に、声となって紡がれた言葉が、今度こそ胸へと深々と突き刺さった気がした。
──死んだんだもんね。
くすくすと笑う子供と、笑えない私。
この一ヶ月、必死に隠し通してきた私の本音。それを見事に言い当てられ、私は今度こそ声を、言葉を失った。私の態度に気を良くしたのか、子供は尚も言葉を続ける。
──だって突然召喚されて、勇者になって、魔王に殺されて。生き残ったのに、また殺された。悔しい。苦しい。ほら。お姉ちゃんも同じでしょ?
交通事故で突然死んで、気がついたら女王になっていた。
地球に帰る事が出来るのに、そこに既に私の居場所はなくて。元々別人になってしまった私の居場所があるはずもないんだけど。部屋から荷物を持ち出せるぐらい近い距離なのに、愛しい家族に会う事は叶わなくて。
何不自由のない女王に生まれて、愛されて、大切にされて、すごく贅沢までしているのに。
それでも足りなくて寂しくて、言葉に出す事は出来なくて、ずっと胸の奥で燻ってた。
──同じ同じ、同じ魂。ねぇ、ボクにちょうだい。
子供はうっとりと微笑むと、抱きしめている腕に力を込めてくる。
ひょっとしたら、このまま殺されてしまうんじゃないだろうか。
ぼんやりとした頭で、他人事のようにそんな事を考えた。
──お姉ちゃんを手に入れたら、ボクはもう殺されないもん。
何よりも死ぬのが怖いのだと、笑っているのに泣きながら言う子供。
そうだね。私はランドディアの女王で、最強と名高いキィアの対で、同じく最強の名を欲しいままにするであろう存在。この世界において、怖いものなんて存在しない。
誰も私を殺せない。
だからきっと、子供の言う事も正しいのだ。
──ねぇ、お姉ちゃん。
段々と身体から力が抜けてくる。体躯の差はかなりというか、比べ物にならないぐらいに私の方が有利なのに、それを使おうとは思わずに子供の好きにさせていた。脳の処理が全く追いついていない。
突然暴かれた、私の隠し通していた本音に、ボロボロと涙が溢れてくる。
──おやすみ。
子供からの最後通知。
私が抱きしめたかった子供は、私とは違う意味で、私と会いたがっていた。
このまま眠ってしまえばきっと、こんな感情に振り回される事なんてなく、子供の中で永遠とも言える時間を、生き続けるのかもしれない。きっとまどろみの中、ずっと夢と現の間を彷徨うのだろう。
例え子供が何をしたとしても。
「それは駄目だよ」
自分でも驚く程、するりと喉から言葉が溢れ出した。びくりと、子供の身体が不自然に揺れる。まさか、私に抵抗されるなんて思ってもみなかったのかもしれない。
「駄目なんだよ」
きっと、私は永遠に後悔するんだろう。
「寂しいよ。泣きたいよ。寧ろ情けないけど泣いちゃっているよ。でもね」
勢い良く身体を回し、向きを入れ替える。
私の目の前には、虚ろな、感情の篭っていない眼差し私へと向けてくる、小さな小さな子供。
あぁ、やっぱり。
「同じだね。寂しいよね。苦しいよね。辛いよね。泣きたいよね」
実際、同じ、だなんて言い切れない。今の私は女王として、何不 自由ない生活をさせてもらっている。寂しいなんて言えば、それこそ申し訳ない気になる程、周りの人間にも恵まれているし。それでも──……。
「泣こうよ。一緒に。一緒に、いてよ」
今度は、私が子供を抱きしめる。
子供の体が揺れた。驚きに満ちた、生きた人間の顔をしながら。
「もう1人にさせないで。しないで。一緒にいて」
そう言って、今度こそ大声で泣いた。
前の人生も合わせて、こんなに泣いたのは初めてだったんだじゃないだろうか。そう思うぐらいの大泣きだった。
「それで、どうしてアリアにくっついているんだ? ソレは、邪魔だろう?」
あの後、子供を抱きしめた状態で倒れている私を発見したアスターニェとロケールナ公爵が、真っ青になりながインハーレードにある客室へと私を運んだらしい。
私の寝室は、私の許可がないと入れないからね。だから仕方がなく客室だったらしいんだけど。
そしてタイミングの悪い事に、キィラからの手紙の返事を書いてなかったのだ。
と言っても、眠っていたのは丸2日だから、2日間返事が遅くなっただけで、インハーレードの居城に押しかけてきたんだけどね。後ろでだらだらと汗をかいているキアースさんの表情は、確実に焦っている。
一応寝込んでいたからね。それなのに、こうして感情を露にするキィラの後ろで、一生懸命謝りたいのを我慢しているように見えた。
「邪魔じゃないよ。全く。キィラでもそういう風に言ってはいけません」
当たり前のように。寧ろ当たり前なんだけどね。小さな子供が私の腰に手を回し、ぴったりと身体を密着させている。
「邪魔だろう。アリアにくっついているのだからな」
私にくっつく存在は、子供であっても邪魔らしい。300歳になっても子供なキィラ。らしいといえばらしいんだけどさ。でも、どうしたものかと腕を組みながら、私は頭を捻る。たかが知れた脳みそだから、導きだされる答えなんてたかが知れているんだけどね。
「ボクはユキって立派な名前があるんだもん。ユキ・リディアーダ。アリアの名前を貰った立派な名前があるし」
そう。私は、あの泣いていた小さな子供に、ユキという名前を考えた。苗字は、私の長い名前の一部を そのまま渡した。ユキとして生まれ変わった理由としては、唯の自我だけだった存在に私が魔力で肉体を作り上げたから。
だから倒れたんだけどね。魔力の使いすぎで。流石に、肉体を1人分構成するのは、相当の魔力を消費するらしい。
けれど、ユキが私の事をアリアと言った瞬間、間違いなく場の空気が凍った。
キィラの怒髪天をつき、私の側近で傍に控えていたアスターニェ。お茶の準備をしていたディンティ。キィラのお供でランドディアに来たキアースさんの空気を凍らせた。それは見事なまでに。
「な……な……な……」
わなわなと声を震わせるキィラ。そこまで怒らなくてもいいと思うんだけど。たかが名前だし、と言っちゃ駄目なのかな。
「黙れ小僧!! アリアは俺だけの名だ。俺だけのものだ!! 貴様如きが口にしていいものだと思うな!!!」
見事なまでに、心の狭さを発揮したキィラが居た。
本来なら、私以外の魔族はあまりの濃縮された魔力の波動に当たり、恐怖で震えが止まらないのだろうけど、ユキは違う。私が気を失うまで注がれた芳醇な魔力。そして常に私にくっつく事で、私から発せられる魔力を身体に蓄え、キィラ程ではないけど、アスターニェとキアースさん以上の実力を兼ね備えた魔族として生まれ変わったのだ。この程度の魔力に身を竦めるような性格でもない。
「煩いおっさん。ボク、アンタ嫌いだ! 大嫌いだ! アリアに近付くな。おっさんッッ!!」
うん。心底ユキも負けてなかったね。
どうしてこうなったんだろうか。
とりあえず、生きた心地がしないから、私を間に挟むのは止めてもらってもいいでしょうか。
紛れもなく本音だったんだけど、空気を読んで口は開かずに、ディンティの淹れてくれた紅茶で喉を潤す。
はぁ……お茶ぐらい、静かに飲みたいなぁ、なんて思っちゃうんだけどごめんなさい。見つめないで下さい。紅茶をコクコクと嚥下する私は目立ったのか、何故か部屋中の。ディンティを除く全員の視線を集めてた。
あぁぁ。見られるのはまだ苦手なんです。
勿論。そんな私の心の声がわかるはずもなく誤魔化すかのようにユキの撫で心地の良い頭に手を置き、現実逃避とばかりに撫でていたら、余計にキィラが煩くなった。
はぁ。私の新しい日常はこんなんばっかりか。
思わず漏れた本音は誰にも拾われる事はなく、空気に溶けていく。




