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お願いがあります。
その言葉を口にした時、内心胸がドキドキとして破裂するかと思った。
まだ許可が下りないのに、こんな言葉を口にしていいのか。迷いが意志を鈍らせる。けれど、声の主に近付く方法はこれしか思いつかず、私はアスターニェに。そしてロケールナ公爵に甘えてしまう。
きっと許してくれる2人に。
「お願いが、あるんです」
椅子から立ち上がり、アスターニェとロケールナ公爵を瞳に映す。
「私がそこに行けるように、場を整えてもらえませんか?」
それは、無茶とも言えるお願いだと、理解出来ている。
けれど、近付くにはそれしかないから。だから頭を下げた。夢の中での暗闇では、相変わらず近づけない。何かに邪魔をされているかのように、声の主にたどり着けない。
どうしたものかと頭を悩ませている所に、ロケールナ公爵が報告書を持ってきた。そこに書かれていた内容は、私の夢の内容と酷似していて、これだと身体の芯が震えた。
ロケールナ公爵は明らかに落 ち込んで いるのに、その報告書を呼んで近付く手段を得たと、歓喜に震える自分がいる事に覚える罪悪感。
「「フィナ様が、その場にですか!?」」
アスターニェの、震える声が響く。
普段は喧嘩ばかりしている2人なのに、その時ばかりは示し合わせたかのように、私に向かって同じ言葉を同時に叫んだ。
「まさかそんな。フィナ様の身に何かがあったらどうするんですか!」
「そうです。そんな事があったら、俺は自身の領地を焼き払いたくなってしまいます!!」
物騒な言葉だったけど。
同じ言葉を発したのにもかかわらず、嫌悪も何も見せない。
いつもだったら見せるのに、それ所じゃないのだろう。
けれどここで押されるわけにはいかない。私はきっと、その場に行かなくてはいけないと思うんだ。でないと、声の主にはいつまで経っても抱きしめられないまま。
だから私は頭を下げる。
「お願い! 私は、その場に行かなきゃいけないの!」
それに、ギョッとした表情を浮かべるアスターニェとロケールナ公爵。まさか、2度も頭を下げるとは思っていなかったらしい。それか、さっきのは驚き過ぎて見えていなかったのかも。
現場に行きたいって言葉に驚き過ぎて。
「頭を上げて下さいフィナ様!」
「そうです! フィナ様が頭を下げる事など何もありません!」
またもや息のあった連携を見せる2人。
本当に仲良しさんだよね。
ちょっと場違いな事を思いながら、キョトンと瞳を丸くして2人を見てしまった。それに、思わぬ所で連携プレーを見せてしまったアスターニェとロケールナ公爵は、お互い顔を見合わせた後に心底嫌そうに顔を歪め、次の瞬間にはまるで示し合わせたかのように、同時に顔を背ける。
だから、それが仲良しに見えるんだって。
あぁ、何か和む。今、私の目の前にいるのが、アスターニェとロケールナ公爵で良かった。他の五大公だったら、こんな風に和みはしなかっただろうし。
「ありがとう。でも、頭を下げてでも行きたいんです」
くすり、と笑みを漏らし、2人を見上げる。
どうしようかと蟀谷の辺りをぴくぴくと動かしながら、思案にくれる眼差し。アスターニェは、何処か諦めたかのような笑みを浮かべている所をみると、私は言い出したら聞かないと思っているのかもしれない。
ごめんね。こんな性格で。
申し訳なさそうに口元を引き締めながら、くしゃりと表情を歪めた。
なるべく良い女王様であろうと、この一ヶ月頑張ってきたけど、根本的な性格は変わらないらしい。
ごめんね。本当に。
「ごめんなさい。行って……行くだけじゃなくて、1人で、探索したいんです」
アスターニェには、到底受け入れられないような言葉だと思う。
でも、押し通したい。
ごめんねと謝りながら、それでもひかない。自分の意見を押し通す気でいる。
申し訳なくて、譲れなくて。どうしようもない。
「謝らなくていいんですよ。フィナ様。フィナ様の個性で、私がそれを、受け入れないはずがないのですから」
そんな私の心境を読み取ったのだろう。
アスターニェに困ったように微笑まれ、でもそれは私への肯定で。嬉しくて嬉しくて。何て言っていいかわからない。人払いをするって大変だと思う。私はまだ他の魔族に会えないんだから、警備を厳重にしなきゃいけない。どれだけの人を総動員するんだろうか。
わからないけど、きっとすごく大変だと思う。
けれどアスターニェはそれでいいと、何処か困ったように。でも瞳には優しげな光を讃えて笑ってくれた。だから、何とかなるんだと、背中を押されたかのように安堵を覚えた。
アスターニェへの絶大なる信頼感。
この世界に生を受けた直後から隣に居てくれるアスターニェへの刷り込みなのか、どうなのか。きっと、永遠に答えなんて出ないんだと思う。
そんな私とアスターニェが醸し出す雰囲気に、ロケールナ公爵が微かに表情を歪めた事に、私は気付かなかった。
「フィナ様。装束は調えましょうね」
にっこりと、心底嬉しげに笑みを浮かべたディンティが、執務室を出た所で待っていた。行った直後に場が整えられているはずもなく、ロケールナ公爵の連絡待ち状態の中、手持ち無沙汰になってしまったなと思ったら甘かった。
普段は着飾る事をしない私だけど、外に出るというと気合が入るらしい。
「程々に……本当に程々にお願いしますです。はい」
ディンティの気合に圧されるように、一歩後ろへと身体を下げながら、頬を引き攣らせないように一生懸命に表情を作って、なんとか頷く。ディンティが楽しみにしていると知っているだけに、この時ばかりはされるがままになる事は、決定しているのだ。
それならば、潔き良くされるがままを受け入れようじゃないか。
簡易なスーツを脱ぎ捨て、何故か勝負下着のようなレースをあしらったものまで渡される。いや、可愛いよ。可愛いんだけどね。レースと花をあしらったデザイン。生地はシルクかな。何かな。手触りはやはり良い。
素直に身につけていたら、ディンティが衣裳部屋から持ってきた。デザインはマーメイドラインのドレスだった。マーメイドラインのドレスは、膝までがスレンダーなラインのもので、膝下から、人魚の尾ひれのようにスカートが広がっているデザインで、色は純白。一瞬ウェディングドレスかと思うような真っ白さだ。
「ディンティは白色が好き?」
思わず聞いてしまう。
ディンティが用意してくれるものは、白色が多い。
「フィナ様は何色も似合いますが、この黄金の艶やかな髪に合うのは純白かと。フィナ様の碧眼にも似合いますし。金糸で縁取りをしていますが、派手過ぎず地味過ぎずに、フィナ様の全てを引き立てるようなデザイン。
勿論プリンセスラインのドレスや、エンパイアラインのドレスも捨て難いですが。
あぁ、でもそちらも合わせてみますか?
色は純白から漆黒まで、何でも取り揃えてあります!」
自信満々に言い切るディンティに、私は迷わず首を横に振る。これ、地雷だよね。ある意味地雷だと思うんだよね。一度踏み抜けば、半日は帰ってこれないんじゃないかなパターンのヤツだよね。
「その、マーメイドラインのドレス綺麗だね。それで髪型もあわせてもらっても良い?」
ちょっと片言になりそうだったけど、なんとかその言葉だけでも吐き出した私は、賢明だったと思う。
そんなわけで、ディンティが張り切った結果、私は純白のドレスと、それに似合う髪形──まるで結婚式のような気合の入り方だけど、日常だから恐ろしい──をするという、ある意味戦闘衣装に身を纏うと、アスターニェに連れられて城内にある魔方陣の前へ立っていた。
ロケールナ公爵は、この転移の魔方陣の移動先で待っていてくれているらしい。
「人払いは完璧ですから、安心して下さい」
「うん。ありがとう」
ディンティは城でお留守番。
悔しがっていたけど。着いていく気でいたらしい。ディンティが居れば心強かったけど、アスターニェとロケールナ公爵がいるから、大丈夫。
「ここに入ればいいんだよね」
「お手をどうぞ。フィナ様」
「ん……ありがとうございます」
サラッとエスコートをしてくれるアスターニェ。
うぅむ。やっぱりイケメンか。美形がやると、様になる
けれど不安だったから、素直アスターニェの手に右手を乗せて、足を魔方陣に向けて踏み出す。その瞬間、私の身体を取り巻く空気が変わった気がした。
魔方陣から立ち上った魔力が、絡みつくように身体纏わりついたかと思うと、身体が粒子に変わっていくかのような錯覚。再構築されていくような、不思議な感覚。
自分自身の魔力と、魔方陣の魔力が調和し、光に包まれる。
初めてではないけど、やっぱり不思議な感覚。
ぼんやりとする目をこすり、改めて頭を動かして辺りを見回すと、そこに居たのはアスターニェの言う通り、ロケールナ公爵が魔方陣に向かって背筋を真っ直ぐと伸ばし、一心に見つめていた。私の姿を捉えた瞬間、輝く瞳。
「そのお姿も似合いますね、フィナ様」
息を吸うかのように、当たり前のように褒め言葉を口にするロケールナ公爵。
「純白のドレスに、金糸で刺繍を施したレースで飾りをつけたマーメイドラインのドレスですね。フィナ様の金糸のように艶やかで煌く御髪に、碧眼とも合いますが、漆黒のドレスも捨て難い。今度、贈らせていただいても宜しいですか?
フィナ様さえ宜しければ、ぜひともビアンナ領の特産であるシルクで作らせていただきたいのですが」
にこにこと温和な笑みを浮かべながらも、口を挟ませない威力を持った言葉の強さ。
私の意向を聞きつつも、ドレスをプレゼントする事は決定しているかのような印象を受けるけど、実際は贈るつもりなのだろう。しかしロケールナ公爵。一発で当てるなんて、ドレスのデザインの覚えがいいんですね。
これが社交辞令の褒め言葉なら軽く流すんだけど、ロケールナ公爵は真摯に私に向き合い、私にだけに向かって褒め言葉を口にし、こういして自身が贈りたくて仕方がないものを贈ってもいいかと尋ね、私の反応を伺う。
「程々にしていただけるなら」
断ればへこむ事がわかっているし、今回の件では迷惑もかけているし。だがしかし、全てを許すわけにはいかない。勘だけど、全てを許せば、止め処なく贈り物攻撃が来る事は目に見えている。
キィラ程ではないだろうけど、それはまた豪華な贈り物をしてきそうだ。強ち外れではないだろうと思いながら、引き攣りそうになる頬を根性で笑みへと変えて、辺りを見回す。
暫く、来るはずもなかった街の外れ。当たり前だけど、ここに居るのは私とアスターニェとロケールナ公爵だけ。
避難は完璧なのだろう。
危険物扱いかと思わなくもないけれど、仕方ないのかな。
「それより、場所は何処ですか?」
「こちらです」
私の言葉に、直ぐに反応してくれたロケールナ公爵だけど、その表情は未だに不満気なまま。私が現場に行く事に納得しきれていないのだろう。それも仕方がない。私がロケールナ公爵の立場だったのなら、反対していたと思う。
ランドディアの女王。ナンバー1という重責に身震いしながら、私は視線だけでロケールナ公爵の行動を促す。
「現場は、100m程先になっております。魔族払いをしてはありますが、用心の為、結界も張ってあります。もし結界を敗れるとしても、五大公以上の実力がなければ無理なものを展開してありますので、ご安心を」
歩きながら説明をしてくれる。
「はい。ありがとうございます」
たかが100m。歩きながら話をするだけで、目的地にはあっという間にたどり着いた。
「フィナ様。ご無理だけはなさらないで下さい」
本来ならば、私はここに来るはずじゃなかった。
本来ならば、ロケールナ公爵だけで解決出来るはずだった。
本来ならば、こんなに大事になんてならなかった。
そもそも、声の主はどうして現れたのか。
「はい。わかっています」
ロケールナ公爵の気持ちを精一杯受け止め、私は一度だけ頷く。
「フィナ様。例え人界との繋がりが切れたとしても、私は、フィナ様の御身が一番大切です」
続いて、アスターニェが沈んだ声で、淡々と言葉を紡いできた、
人界との貿易が潰れたとしても、アスターニェも、他の魔族も、私の身体が一番だと思っている。紛れもない、アスターニェの本音。大切にされている。され過ぎている。
それに何かのしこりを覚えながら、私は一度だけ頷き、迷わず2人に背を向けた。
2人が感じるような恐怖は何も覚えていない。
あの声の主は、私を傷つけない。けれど、そう感じるのは全て、私の勘。確証なんて何1つないのだから、アスターニェとロケールナ公爵が不安に思う事も当たり前だ。
痛い程2人からの視線を感じながら、私は真っ直ぐとした足取りで迷わず、闇へと向かって足を進める。
あぁ。夢の感覚と同じだ。
さらりと、空気と同じく当たり前に存在してるかのような闇が、私の身体を少しずつ包み込んでいく。幾重にも重なり合った深淵を思わせる漆黒が、私の視界を塗りつぶしていった。
忙しなく耳を動かし、音を拾う。
魔力を耳に集め、範囲を広げた。
今度こそ、声の主を抱きしめる。
私は、抱きしめなければならない。
だって声の主は──……だから。




