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 あれ? ここは何処だろう。

 さっきというか、今まで寝室のベッドの上に寝転んでいたはずなのに。いつのまにか、何もない、真っ暗な場所に立っていた。きょろきょろと、忙しなく辺りを見回しても、何もない。

 でも不思議と、怖いという感情は沸き上がってはこなかった。

 本当に不思議だけど。自分でも疑問に思う中、とりあえず歩く事に決める。

 誰かに会いに行かなければいかないような。

 誰かって、誰だろう。

 自分の思考に、疑問の声が漏れる。

 思ったよりも声が響くが、そういえばこの暗闇、と思い当たり、足を止めた。今自分を包み込むような暗闇だけど、今朝の夢に似ている気がした。

 そうなると、今も眠っているのだろうか。よく覚えていないけど。

 それとも、誰かに招待でもされたのかな。

 漠然と、そんな事を考える。

 そんな事を考えていたら、予想通りしくしくと、泣き声が耳に届く。何処だろう。声が遠い気がするな。少しでも声の主に近づくように、耳だけを頼りに歩いていく。

 少し尖った耳をぴくぴくと動かしながら。

 この声の主に会わなきゃいけない。それだけは、確かだ。

 会って 抱きしめな いと。

 使命感のようなものなのか、それはわからない。けれど、抱きしめる事は確定してる。

 決めているのに、声の主には中々たどり着けない。焦燥と苛立ちが生まれ、どうしようもなくて頭を掻き毟る。

 不甲斐ない。

 本当に心底。悔しくて悔しくて、ギュッと手を握り締める。爪が食い込んだけど、そんな事など気にも留めずに歩き続ける。でも、やはりというかたどり着けない。

 まだ。まだ足りない。このままじゃ、たどり着けない。

 そんな言葉が脳裏を過ぎった。

 一体何が足りないというのだろうか。自分自身の思考に首を傾げる。

 自分は、何を知っているというのだろうか。

 そこまで考えた所で、急速に暗闇が遠ざ かっていく。あぁ……駄目だ。まだ見つけられない。気付いた時には、ベッドに飛び込んだ体勢のまま目を開けていた。

「あー……夢、じゃないよね」

 朝だけだったのならば、夢かと思っていた。けれど、流石に今回のこれは、夢じゃない。しかし、自分の思考を思い返すと、どうやらあの泣き声の主を抱きしめたいという事らしい。

 抱きしめられない事が歯痒くて歯痒くて。そんな自分に苛立ちを覚えている。

 抱きしめる為にはどうしたらいいのか。今の所、声の主を感じられるのは夢の中だけ。他に手がかりはない。

「手詰まり、か……」

 とりあえず、眠る度に近付くようにしよう。

 それぐらいしかないと、あまりの不甲斐なさに肩を落とした 。

 うぅ。本当に情けない。



 フィナ様の命を受けてから一週間。

 直接の命の割りに、時間がかかったなと思いながらも、執務室を訪れたロケールナを見つめた。だが、ロケールナの表情は暗く、普段自信に溢れた様はなりを潜めている。

 ロケールナの性格はアレだが、仕事は出来る男だ。

 それは認めている。性格はアレだけどな。実力だけは私も認めてはいる。

 フィナ様の目の前で、報告書を持って頭を下げているロケールナの表情は、今すぐにでも死んでしまいそうな程沈み込み、普段の面影など全くない。

 だが口元は苦虫を噛み潰したかのように歪められ、苦渋を滲ませていた。

 あれから一週間。フィナ様の執務室に報告書を持ってきたロケールナは、それを読むまでもなく、報告書の内容は表情が全てを物語っていた。

 あのロケールナが結果を出せないなんて、心底珍しい。というか、私が生まれてから見た事がない。何でも、ソツなくこなす男だ。しかも今回は、待ち望んだ女王様からの直々の命令。

 意気込みは、今までの比ではなかったはず。

 しぃん、と静まり返った執務室に、フィナ様の声が響く。

「ロケールナ公爵。顔を上げて下さい」

 責める響きなどは全く感じさせず、柔らかな響きをもつそれ。

 ただ結果だけを受け入れた。そう感じた。

 ロケールナの報告書に目を通し、そしてロケールナを見つめた。柔らかな、慈愛を讃えた光を宿した穏やかな瞳で。それに、チリッと胸に痛みが走る。フィナ様が誕生されてから一ヶ月と半月程か。

 フィナ様の全ての感情は、側近である私が独り占めしていた。

 それが、こうして少し増えただけで分散される。ロケールナが側近という立場の私に嫉妬するように、圧倒的に近い私が、他の者に嫉妬を覚える。誰にも言えない感情。

 一週間もかけて調べられたはずの報告書は、驚く程少なく、書類を読む事に慣れているフィナ様はあっという間に目を通し終わる。

 報告書の枚数が少ない。それは、調べられなかった事を意味するのだろう。 それでい てその少ない報告書を持って執務室に来たという事は、完全に手詰まりになったのか。

「以上……報告です」

 悔しげに、唇を噛み締めるロケールナ。

 感情の制御が出来ず、わなわなと身体を震わせる。

「ロケールナ公爵。傷になってしまいます」

 そんなロケールナの唇に、フィナ様の指先がソッと触れた。

 無意識の行動だとわかってはいるが、面白くはない。

「この報告書だけで十分です」

 全ての報告書に目を通し終え、フィナ様は微笑む。その表情から察するに、本当にこれで十分だと思っているのだろう。だが、一週間も調べて、何も解決しない変異に、たかが数枚の報告書で十分なはずがない。

 それなのに、フィナ様は十分だという言葉を口にした。

 私の知らない何かを、フィナ様は知っているというのだろうか。

 広い城内の中、自身の部屋か執務室しか行き来出来ないこの現状で、何がわかったのだろう。

「報告書の、この──暗闇に紛れる。声が聞こえる。子供の……泣き声が……」

 呟くように、一文字一文字を噛み締めたかのように、紡がれた言葉。それは、まるで全てを理解出来たと言わんばかりの口調で、事実を確認するだけのような場だった。

 一週間。私よりも少ない行動範囲でしか動けなかったフィナ様。

 日々の書類に目を通し、仕事が終われば自室に戻り本を読む。そのぐらいの生活しか出来ていなかったフィナ様が、何を知りえたのだろうか。

 この一週間。フィナ様に接触したのは、私かディンティ。それかロケールナぐらいだ。

 私の知らない、フィナ様の知りえた確信に焦燥感を覚えながらも、ただフィナ様を見つめる事しか出来なかった。それは、ロケールナも同じだろう。

 形の良い小さな唇が、控えめに動く。

「私の話を聞いてもらっても良いですか?」

 何処か決意を秘めたような、何かを決めた強い眼差し。

 魔界の事など何も知らなかったひな鳥のようなフィナ様の、1人立ちをしてしまったかのような、凛とした声。

 あぁ。御生まれになってから一ヶ月と少ししか経っていないのに、何時の間にこんなに強くなってしまったのだろうか。

「実は……時期は通れなくなった頃と一致していると思うのですが、その頃から夢を見始めました」

 フィナ様の口調 はあくまでも淡々と。けれど確信を込めたもの。

 その頃から、という事は、一度ではない、という事でしょうね。

 魔界の最高権力者である女王が見る夢。しかも、その夢を見ているフィナ様自身、それがただの夢だとは思ってはいない。口調が事実だと物語っている。

 夢の内容は、暗闇の中、小さな子供のような声が聞こえるというもの。

 声は泣いているもの。フィナ様はその声の主を抱きしめようと探すが、たどり着けないという事。何度も何度も夢を見ては探しているのだろう。

 何処かフィナ様の表情は疲弊していて、原因がわかったと同時に自身にどうしようもない程に苛立つ。毎日毎日、何時間も傍に控えていて、フィナ様の憂いに気付かなかった。

 フィナ様の白魚のような手の平に傷がついているのは、治療をしていた私は知ってはいたが、きっと自身の力のなさを嘆いた結果なのかもしれない。

 直接聞いたわけではないが、間違いないだろう。

 フィナ様の話を聞いていて、身体の芯が冷えていく。

 身体の芯が冷えたのは、私だけじゃないみたいだが。

「それでお願いがあります」

 だが、フィナ様の話はそれで終わりではなかった。

 決意を宿した強い眼差し。

 きっと、私やロケールナが何を言っても、自分の意志を貫き通す。そう決めた、強い意志を感じた。

 あぁ、フィナ様が自身の力だけで立ってしまう。

 魔界の女王としては正しい姿であったとしても、私にはそれ は悲しく、同時に寂しい感情に支配される。

 まだ、まだ私の後ろにいて下さい。

 私を頼って下さい。

 お願いします。

 フィナ様。

 どうか、どうか。

 切なる願いは音になる事はなく、私自身の中で未消化のまま、消える事なく蟠りとしてつもり積もっていく。こんな醜い感情は、フィナ様には知られなくない。

 だからこそ、表に出す事はないだろう。

 その時、まるで私の感情を読み取ったかのように、ロケールナの視線を感じた。だが、この時ばかりは応えず、フィナ様の強い眼差しを視界に捕らえながら、後押しするかのように小さく頷く。

 そうする事しか出来ない私は、弱くどうしようもない。

 500年もの年月を生きてきた中で、初めて知った醜い感情に、どうしようもなく。対処する事も出来ずに、フィナ様の理解者のふりをした。




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