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日々の業務。それは朝9時から始まる。
1日7時間のお仕事。うーん。1時間少ないんだよね。人間だった頃は、8時間勤務だったから。それが凄く申し訳ないような、贅沢のような。がくがくぶるぶる……。
しかし優雅な生活だ。
「フィナ様。何をお考えですか?」
漸くアスターニェも、フィナと呼んでくれるようになった。本当に時間がかかった……のかな? 出会ってから1ヶ月ちょっとだけど。最初は女王様としか呼んでくれなかったしなぁ。
「うん。考えてるよ。アスターニェがフィナって呼んでくれてるのも嬉しくて」
にこにこと満面の笑みで言えば、アスターニェは頬を引き攣らせてそっぽを向いた。何処か照れくさそうな表情。
まぁ、考えていたのはそんな事ばかりではないけど。はぁ、なんて溜息を落とされる事間違いない事を最初に考えてたから、咄嗟に名前の事を言ったんだけどさ。
でも本当に優雅な生活なのは間違いない。
朝7時にディンティに起こしてもらって、のんびりと支度。
服選びには時間はかからないけど、髪形には多少の時間がかかる。ディンティが服を選べない鬱憤をぶつけてくるからだ。これは仕方ないと思ってる。
8時頃から朝食。時間は大体30分ぐらいかな。1日30品目なんて楽勝な豪華なメニュー。
その後自室に戻って一息。食後のティータイムとか。
ティータイムの後にお仕事に入る。職場までの移動時間は1分もかからない。
本当に、運動の2文字からは程遠い生活。
何せ動いたのは、自室から広間への往復。そして執務室へ移動するだけ。魔力でカロリーを消費出来なかったら。恐ろしい事になると背筋が凍るのは、きっと気のせいじゃないはず。
「またアホな事をお考えですか?」
いつの間にか復活していたアスターニェが、じと目で聞いてくる。
「またって何。またって」
最近言うようになってきたアスターニェに、即座に言葉を返しておく。
アホな事って何。アホな事ってさ。
至って真面目なのに。
ただ、消費カロリーについて、真面目に考えていた事は、あえて口には出さない。
でも、朝食の後のティータイム。
10時の休憩のおやつ。
12時に昼食。13時まで休憩。
15時からもおやつ。17時までお仕事。
仕事が終われば、自室に戻ってゴロゴロ。
高カロリーが素晴らしい。
ちなみに夕食は19時から。
夕食については、3食1人は寂しいとアスターニェを口説き落とし、一緒に食べてもらってる。ディンティに言ったら全力で拒否された。かなり悲しい。
今の所アスターニェで満足するようにしてる。諦めてないけど。
他にも一緒にご飯とかおやつとか食べてくれないかなぁ。
そんな事を考えつつ、手元の書類に視線を落とす。
領地の売り上げとか、災害被害とか。後者については、殆どないみたいだけど。魔界は人界と違って、魔王や女王の魔力で満たされているから、天災が起こるとかそういうのはないらしい。
私は不在だったけど、キィラの魔力が女王領に届くらしく、天災はなかったとか。
それは良かったけど。
アスターニェから説明を受けた時に、ホッと胸を撫で下ろしたのは記憶に新しい。
「そういえば女王様。魔王様からです」
仰々しい キィラ専 用の箱に入れられ、頭を下げつつアスターニェが差し出してきたもの。それは、毎度恒例の手紙の束だ。
うん。日々のお仕事はこれもあったね。
毎日届くキィラからの手紙の束。
代筆も混じっているんだけど、区別がつかないんだよね。
「キィラって何をしているんだろう」
日々のお仕事。
疑問に思って口にだせば、アスターニェは目を細めながら。
「聞かないで下さい」
しれっと返され、私は口を一文字に結ぶようにして閉じると、押し黙った。確かに魔王領のお仕事内容はわからない。
でもきっと、あのキアースって人を中心に、お仕事をしているんだと思う。
想像だけど、あながち外れではないだろうと思って る。
それはさておき。
「今日の書類は少ないね」
いつもはもっとあるんだけど。
輸入とか輸出の情報とかも。
そう思って聞けば、アスターニェが珍しく、困ったかのような表情を浮かべた。
本当に珍しい。
この側近。飄々としていて掴み所がなく、人の反応を見て楽しむという悪趣味な反面、根の部分では女王様が大好きだ。
女王様。つまりは私になるんだけど。
基本女王大好き。
私の反応は大好物──……なんかストーカーか変態っぽいな。
逸れてしまった思考をある程度読み取ったのか、アスターニェがものすごく何かを言いたげな視線を向けてきたけど、当然のように無視して続きを足す。聞きたい 事は仕事の少なさだ。
日常の業務はやっているけど、パッと見仕事の書類は半分以下。
そんな事があるわけがない。
顔を上げてアスターニェをジッと見つめる。
「人界からの物資がストップしました。特に支障が出ているわけではないのですが……」
どうにもこうにもはっきりしないアスターニェだったけど、急がせる事なく続きを待つ。支障があれば今すぐ手を打たなければならないけど、そうじゃなければ、急かす必要はない。まぁ、対策は考えるんだけどね。最終的には。
「どうもおかしいのです。
人間が止めた、というわけではなく、行き来が出来ない。止めざるおえない、と言った所でしょうか。それに伴い、現場に人を派遣しようと思うのですが、フィナ様は誰が良いと思いますか?」
「ふむ」
誰、か。
確かに原因不明というのは怖いし、大問題だよね。誰を派遣しようかな。
半分ほど瞼を落としながら視線を下げ、腕を組む。
とりあえずアスターニェは私から離れないから、無理だし。
五大公の誰かに頼むのもどうなのか。
ちなみに、五大公というのはアスターニェ、ディンティの次に会えるようになった魔族だ。五大公っていうのは、女王領──ランドディア国の中央領以外の土地を五等分した 領の領主の 事で、五大公って呼ばれている。
基本、中央領インハーレードに居てくれるんだけど、女王、アスターニェに続く権力を持つ五大公を動かしていいものなのかどうなのか。いまいち、そういうのがわからないんだよね。
でも責任のある実力者に調査はして欲しいし。
多分、部下を動かすよね。私がお願いして、五大公が自ら行く前に、部下に調査をして、それを纏めてからの報告になるのかな。恐らく。
私が直接顔を合わせたのは、アスターニェ。ディンティ。五大公までだ。一ヶ月じゃ、五大公までが限度とか。実際自分で街に降りれるのは何時になるのかなぁ。
けれどその私が決めるとなると、結局の所五大公しか選べない。
悩んだ末に出した結論は 、五大公のロケールナ・バルー公爵に行ってもらう、という事だった。ロケールナ公爵は、五大公の中での外見だけだと、一番年上に見える。
と言っても、35歳ぐらいのイケメンさんだ。
青い髪に黄色の瞳の、温和そうな雰囲気を持った魔族だけど、アスターニェに言わせると腹黒らしい。
お前が言うなと言いたい、というか言ったけど。
フィナ様。全く貴方っていう方は、はっきり言いますね。なんて言いつつ、頬を朱色に染めたアスターニェ。正直気持ち悪かったので、それ以来、その話題にはふれないようにしてる。
「ロケールナ公爵に行ってもらおうかな。確か……人界への入り口は、ロケールナ公爵の領地だったよね」
あれ? でもどうなんだろう。
五大公は確かに領を持っているけど、同時に中央の役人でもある。
けれど領地はロケールナ公爵のものだから、原因究明はやっぱりロケールナ公爵に頼めばいいんだよね。
こんがらがってきた。
でも、ロケールナ公爵以外に頼むのもおかしい。
私の混乱がわかっているのか、アスターニェはその美しい顔を存分に活かした笑みを浮かべた後。
「それでいいと思いますよ。フィナ様は玉座で報告を待ちましょう」
ゾッとする程の人間離れをした、ここ一ヶ月では随分と見慣れた美貌の主であるアスターニェが、まるで私の思考を先回りしたかのように、一文字一文字をゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
あぁ、綺麗。
見慣れたはずの美貌の主は、こうして簡単に、いともあっさりと私を手の平の上で転がすのだ。
圧倒されるその美貌を存分に活かして。
息を吸う事も忘れ、惚ける私を、面白そうに見るアスターニェは、本当に悪趣味だ。心底悪趣味だと思 うけど、 抗う術がないわけじゃない。
私はアスターニェが称した玉座──実際はただの執務室の椅子なんだけど、そこから立ち上がると、机を挟んだ場所に立っているアスターニェの肩に手を置き、その綺麗な顔を引き寄せる。そして──……。
「私の望むままに。それが、アスターニェの望みでしょう?」
花の綻ぶような。
可憐でいて、それで背筋が寒くなる程の美しさを讃えた笑みを浮かべる。
なんて傲慢な言葉。
けれどもう知っている。理解している。私の望みは、アスターニェの望みでもあるという事は。
本能、で、理解出来ている。
「大丈夫。ロケールナに頼む。
まだ──……私は彼等以外には会えないのだから」
それは、お前が一番知っているでしょう?
ソレ、を管理しているのは、アスターニェだ。
どっちみち、私が直接現場に向かう事も出来ないし。
そう言ってから小さくて頼りない肩を竦めて、私は椅子へと腰掛ける。
「ロケールナ公爵を呼んでもらってもいい? 直接頼みたいから」
書類に目を通しながら、アスターニェは見ずに頼む。
やっぱり、こういうのは直接お願いしたいよね。
そう思いつつ、私の思考は既に目の前の書類へと移っている。
ほんの少し前の、妖艶な雰囲気など消し去り、いつも通りの私が座って指示を出しながら書類に目を通す。いつも過ぎる光景。
少ない書類とはいえ、さっさと片付けたいし。
仕事はいつ何が飛び込んできても良いように、早々に片付けた方が良いに決まってるしね。そんな私を、アスターニェが右手の平で口元を抑え付け、その美貌を崩すほど真っ赤にさせて肩を震わせていたなんて知るはずもなく、書類に集中しきっていた。




