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アリア。
アリア。
俺の対──アリア。
嬉しい。そう嬉しい。
お前が生まれてくれて嬉しい。
ずっとずっと待っていた。
俺の心を満たせるのはアリアだけ。
「今まではほっておいたが──……消えろ。アリアの心に傷を残す可能性のある残骸たちよ」
アリア。
真っ白なアリア。
お前は真っ白なままでいい。
今のアリアのままがいい。
アリア。
しくしくしく。
随分と性能の良くなった、少し尖った耳が何かの音を拾う。
まるで誰かが泣いているような、胸がキュッと掴まれたかのように痛くなる音。
誰? 泣いているの??
問いかける声は音になったのかどうか。
それさえわからずに、私はソッと手を伸ばす。掴めるかどうか。そんな事はわからない。けれど、胸を締め付けられるような声がどうしようもなく苦しくて、掴めるかどうかもわからない。寧ろ声なんて掴めるはずがないのに、手を伸ばさずにはいられなかった。
だが、しかしというか、やはりというべきか。その手は当たり前のように宙をきる。
案の定、何も掴めない。
わかっていた事だが、相手は音。掴めるはずがない。
そんな思考が浮かび、随分と意識がはっきりしてきたと思いながら、辺りを見回した。
そこには、何もなかった。
黄昏時のような、橙と紺が混ざったかのような、グラデーションの空間が支配するかのように、薄暗い。
大体とだが、確実に、闇に支配されていくのだろう。
しかし自身の身体が魔族という、人間とは大よそ異なるものだからなのか、その闇は目を細める程に心地よい。
暗くとも、二つの眼はしっかりと辺りの景色を映し出し、正確に脳に伝えてくれる。
人間だった頃には考えられない視覚。
その頃とは比べ物にならない程、詳細を教えてくれた。
ぼんやりとそれを眺めながら、ゆっくりと視線を動かしていく。
少しずつ、周りの情報を脳へと刻み込むかのように与えながら、ぐるりと一周させてみたが、声の主はいない。
聞き間違いかと思ったが、未だに耳にはしくしくと、泣くかのような音を拾ってくる。嫌な想像をしてしまうのも、無理はない材料が揃いまくっている。
これはアレですか。
ゆから始まって、いで終わる、平仮名4文字。漢字2文字のアレでしょうかね。
いやーーー。怖い怖い怖い。
そんな事実には気付きたくなかった。
だって怖いから。
理屈なんて関係ないのだ。その一言に尽きる。
とりあえず何もないけど、恐らく隅っこっぽいであろう所に腰を下ろし、そのままコテン、と横になった。
きっと夢だ。
夢に違いない。
だとすれば、眠れば目を覚ますはず。
現実逃避という事なかれ。今はこの手段が、私にとっては良い判断だと思ったのだ。
これ以上周りを見るのも怖いし。かと言って、ずっと怯えていたくはないし。
自分の暖かな布団が恋しい。そんな事を思いながら、私の意識は闇へと落ちていった。
それは深く意識が沈みこむと同時に、身体さえも沈んでいくような。
そんな感覚に似ている気がした。
ボクを置いていかないで──……。
小さな鳥の囀り。
心地の良い、極上なふっかふかのお布団。
私好みというか、勿体無いけど手放せない、キングサイズのベッド。私の為だけの広すぎる部屋。
贅沢が身についてしまうわ、と内心つっこみを入れた空間だけど、もう手遅れかもしれない。そんな事を思いながら、ゆっくりと手足を伸ばした。
このまどろんだ時間はとっても好きだけど、そろそろ起こしに来てくれるだろうから、起きなければ。この贅沢な部屋に見合う働きをしなくてはならないという仕事がある。
その時にタイミングよく響いた、控えめなノックの音。
トントン、とリズム良く扉を叩く音の主は、メイドのディンティだ。
女王としてここに生を受けてから一ヶ月とちょっと。なんと。ついにアスターニェ以外の魔族とも会えるようになったんだよね。
テンションが上がるわぁ。
紺色メイド服はロングの、白いエプロンは控えめながらもレース付き。
黒色の艶やかな髪を、後頭部辺りで1つにまとめている。
切れ長の瞳に、睫は翳りが出来る程長い。
くっきり二重のクールビューティー。
美人率高い、というか、高すぎる魔族さんたち。
筆頭は私だと言われるんだけどね……。
身体全身が映る鏡を横目で確認。
将来有望な、すっごい美少女が映っておりますよ。
未だに実感なんてわかないんだけどね。一ヶ月ちょいではまだ全く、全然といっていい程慣れないらしい。一体何時になったら慣れるのか。
謎だ。
しかし、とりあえず先にディンティに応えないと……。
「ディンティ。入ってきて」
私のプライベートな部屋は、誰であっても入る時には私の許可が必要だ。一度出たなら、また許可がいる。その都度貰うって感じでね。
その都度許可を出すのは面倒ってアスターニェに言ったら、非常に良い笑顔で却下をされたのは、まだ記憶に新しすぎる。
笑顔なのに、ものすごく怖かった。
それを、この時程実感した事はない。
アスターニェを最近美形外にしていたけど、ヤツはやっぱり美形だったと再確認。くそう。美形って本当に厄介なんだよ。これだから美形は。全くって感じだ。
内心そんな事を悶々と考えていたら、ディンティが透き通った凛とした声で、失礼します、と言って部屋に入ってくる。
見慣れてきたディンティだけど、今日もやっぱり美人さんだった。
何度見ても、美人さんなんだよね。クールビューティーさは揺るがない。
容姿の通り、性格もクールさん。
淡々としているんだけど、ふとした瞬間の照れた表情。堪りません!! 普段はあんなに綺麗なのに、あの可愛さ。
ギャップ萌えですか。そうですか。
内心悶えているけど、表情は柔らかな笑みを保ちつつ、ディンティに笑いかける。
「おはよう。ディンティ」
挨拶は大切だよね。
しみじみと思うけど、これ重要。
慣れていないのか、最初は戸惑いから始まったディンティ。でも徐々に、花も綻ぶかのような、ふわりとした柔らかな笑みを見せてくれた時にはもうっ。
危うく新たな扉を開きかけたよ。全くもうっっ。
こんな事を考えながらも、私の表情は崩れない。
事務員スキルというか、社会人スキルの1つだろう。内心はどうであれ、表情はにっこりな笑顔を保つという技は。
「おはようございます……フィナ様」
何処か、はにかんだ様な笑み。
朝からご馳走様です。
ちなみに、“フィナ”という呼び名も、アリアーフィナールのフィナだ。アリアはキィラ専用の呼び名だから使えないらしい。懐かれているとは思うけど、私は大丈夫だと思ってアスターニェにアリアでいいんじゃない? と提案してみたら、光の速さで却下された。
それはキィラだけの呼び名だと。
キィラの部下じゃなくても、アスターニェたちが私をそう呼ぶ事は許されないって。
そう言われて悩んで、妥協案でフィナで良いんじゃない?
そんな事を提案してから数日。そう呼ばれだしたのはつい先日の話だ。
女王様じゃない、名前呼び。
その提案が受け入れられたのは良かったけど。
内心ではドキドキだったのだ。名前で呼んでほしい、と。
出会った最初は女王様。
それから一週間も経つ頃には、フィナ様と呼んでくれるようになったディンティ。けれどこの見た目と、可愛い性格だと侮ってはならない。
アスターニェが女王領ランドディアのナンバー2だというなら、ディンティはナンバー3であり、私の護衛を兼ねている。
ディンティに戦わせるぐらいなら、自ら行く。
そんな本音は、見事にアスターニェに言い当てられ、止めてほしいと半泣きで縋られ、懇願された。
私に傷1つつくのは許せないと。
つく事はないと思うけどって言われたけど、思わずどっちだと突っ込んだのは当たり前だと思う。
だって、本当にどっちだって感じだし。
アスターニェやディンティが言うにはだけど、私は常に結界を展開しているらしい。その結界を破る事は、キィラでも不可能だとか。互角の実力だからこそ、キィラにも破れない。
私も、キィラの結界は破れないけどね。
じゃあ傷なんてつかないでしょ。
戦う分には何の問題もないと言えば、どうやら私が進んで戦う事自体が許せないとか。
女王とかって本当に面倒。
それが表情に出てしまっていたのか、ディンティが困ったように、でも微笑んでくれる。
「フィナ様」
「大丈夫。わかってるから」
何処か咎めるような。でも知ってる。心配しているだけだって。
過保護な過保護な私の専属メイド兼護衛のディンティ。
だからディンティに笑いかけて、その意志を無碍にはしない。たった一ヶ月ちょっとでも、ランドディアの魔族は私にとってみたら家族だ。その家族を、もう悲しませたくなんてないから、やれる事だけはなるべくやるようにしている。
それが女王のお仕事でもあるし。お仕事はしっかりとしないとね。今日も気合を入れると、頑張るぞ、と握り拳を作りつつ、ディンティに掛けてもらったローブを片手で抑えながら、ベッドから降りる。
「フィナ様。今日は良く眠れましたか?」
「うん。今日もぐっすり眠れたよ。ありがとう、ディンティ」
「いえ……お礼を言われる事では。今日の装いはいかがなさいますか?」
照れたように頬を赤く染めながら、ディンティが尋ねてくる。
今日の服装かぁ。うん。いつも通りのビジネススーツかな。
それを伝えると、案の定残念そうな表情を浮かべられた。
ちゃんと言わないと、ドレスになるからね。
ゴージャスなやつだからね。時価ですか。そうですか。恐ろしい的なドレスだからね! 一回言わずに用意されたドレスを見て、頬を引き攣らせたのは記憶に新しい。
指定いないと駄目だ。しかもはっきりと。
そう悟ってからは、ディンティに残念そうな表情をさせても譲らない。
あくまで中身は一般市民だから。
そんなゴージャスなドレスなんて生活には無縁だったからね。その代わりとばかりに手早くビジネススーツに着替えた後、化粧台の前の座り心地の良い椅子へと腰をおろす。
髪型はディンティに任せます。
そんな意思表示。
「お任せ下さい」
ここでディンティの表情に笑顔が戻る。満面の笑みです。満面の。
うきうきといった擬音が聞こえてきそうな程声を弾ませたディンティを見ながら、お手柔らかに、なんて言葉を付け足すけど、聞こえたのかどうか。
滑らかな手の動きで、髪を結い上げていく。
髪は無駄に長いからね。それを活かして、毎日手の込んだ髪型を披露してくれる。果たして今日はどんな髪型になるだろう。ちょっと他人事みたいで楽しいんだけどね。
それを口にしたら、何処までも凝りそうだから言わないけど。
「シャンプーはどうですか?」
うっとりとしながら髪を整えつつ、ディンティがそんな事を聞いてくる。シャンプーですか。そりゃ勿論……。
「すごくいいよ。毎日天使の輪っかが光輝いているし」
本当にね。
ドレスと比べるのは間違っているけど、消耗品としてはやはり庶民感情が悲鳴をあげる一品なんだと思う。
「そうですね。手触りが柔らかくなりましたし」
へぇ。そうなんだ。全く区別がつきませんとも。2回程変わったのはわかったけど。
さてはて、今日の朝食はなんだろう。
気分転換の為に、毎日毎食の楽しみになっているご飯の事を考える。
毎日毎日手の込んだ豪華なご飯。
カロリーが心配だわと現実的な事を言えば、アスターニェからは何を言っているんだという、生暖かな視線が向けられた。
なんと。
魔力消費イコールカロリー消費。つまり、常に魔力を消費している私はダイエット要らずという事。
何それ羨ましい。
今となっては自分の事だけど。やっぱり自分って実感はないから、羨ましいって思ってしまう。
しかしそうならば、カロリーたっぷりの食事を楽しまずにどうする。
日々のお仕事の前の栄養補給。
カロリー摂取。高カロリー万歳。
そんな単純な思考が駄々漏れだったのか、ディンティがくすり、と微笑ましげに笑みを漏らした。
うん。日課になりつつあるやりとりなんだけど、仕方ない。
日々のご飯が美味しいんだもん。
口に出さずに言い訳染みた事を思いながら、ディンティが開けてくれたカーテンから差し込む日差しを浴びながら笑う。
今日も一日頑張るぞ!!




