隻眼の老人とエリスの野望
その男は戦場を悠々と、しかしどこかぎこちなく歩いていた。
使い込んだ風を思わせる鎧に大槌。衰えを感じるとはいえ、隆々と盛り上がった筋肉はまだ彼が現役で叩けることを誇示している。
その男の名前はガングレフ。ザナウェルに宿を構えるしがないおっさんだ。
しかし、今この瞬間において彼は彼ではなかった。一般に神がかりという奴がガングレフの身には起きている。つまり、彼の身体は悪く言えば神様に乗っ取られていた。
主を失い、危険な危険な戦場で統制を失った魔物たちはパニック状態に陥っている。
まぁようは時々こちらに突っ込んでくる魔物がいるということだ。
また一匹、向かってきたゴブリンを大槌で肉塊に変える。
当然戦場の奥にいけばいくほど魔物の数は多くなる。必死こいてシュアナスの森へと帰ろうとしているのだから当然と言えば当然か。
そして彼は戦場の奥へと向かっていた。
神は面倒だと思い男の姿に自らの《概念世界》をかぶせる。
すると大槌は神々しい雰囲気を放つ槍へと変わった。
まだ若さを残していた男の顔もみるみるうちに老けていき、いつの間にやら立派な髭までこしらえられている。
片目は眼帯に覆われ、立派な鎧はどこか頼りないローブへと姿を変えてしまった。
明らかに先ほどよりも弱そうな老人へと姿を変えたその神は、こちらの方が落ち着くと言わんばかりに堂々と歩き始める。
驚いたことに、先ほどまでは考えなしに男に突っ込んでいった魔物たちは逆に老人を避けるように逃げ始めた。しかもその顔には明らかに恐怖が浮かんでいる。
それはその神がいやおうなしに高位の存在だと知らしめているのだ。
そしてついに、神は目的の場所へとたどり着いた。
そこには激しい戦闘の跡があり、一人の男が横たわっていた。カナタである。その傍らにはこぶしほどの大きさもある魔石があった。たった一か月前に命の取り合いを初体験した少年が悪魔を討ち果たしたのか、とその神は驚愕する。そしてここへと足を運んだことは正解だと確信した。
そして目的を果たそうとする。この少年を封印、もしくは殺すという。
神がカナタの方向へとかがみ、両手をかざしたその時だった。
「ストップ。僕の駒に手を出す不届きものは誰なんだい?」
いつの間にか、その少女、いや、女神は目の前に立っていた。
赤い髪が炎のように揺らめく。
やれやれと思いその神は立ち上がった。
「おぬしか…スクルドが言っておったのは」
「うん?知っているなら猶更さっさと北に帰ってほしいんだけど?ガングレリ…いや、オーディン」
「なんだ知っておったのか。ならば何故、儂がここにおるかもわかるじゃろ?これは危険すぎる。というよりも…あまりにこやつが不憫じゃ」
そして、エリスの眼を見つめてオーディンは言った。
「なぜならこやつは既に死んでおるんじゃからな」
エリスの表情が固まった。まさかそこまでつかまれているとは思いもよらなかったのだ。
そう、すでに辻占彼方という人間は生きていない。だが完全に死んでいるというわけでもないのだ。
ベルフェの存在はいわゆるペースメーカーだ。鼓動を偽造し、ぬくもりを偽造して人の形を崩さないための。
それをカナタは知らない。知れるはずもない。誰からどう見たってツジウラカナタは生きているからだ。
睡眠欲も、食欲も、性欲だってある。ただし、それらが満たされなくてもカナタは生きていける。ただ、今はそれを知らないだけ。
つまり「生きている」ということを思い込んで入れさえすれば人は別に「死んで」いようが気づかない。
そしてその不和はエリスにとって何にも代えがたいご馳走だった。
自然、笑みがこぼれる。
「アハハハハ!そう!よくわかったね。おめでとう」
「本当にむごいことをするな、貴様は。しかもそれだけでは飽き足らず頭の中まで弄り回しとるじゃろ?」
「アハハ!すごいね!そこまでわかってて僕を止めようとしたのか…なるほどね。確かに僕は【夜の帳】という魔法式をカナタの頭の中、つまり概念世界に書き込んだよ。鍵は《メメントモリ》と【夜】さ。まぁ、もう一つあるんだけどそれは内緒」
エリスは急にご機嫌になると軽い足取りでカナタへと近づいた。
しゃがみ込み、自分の膝にカナタの頭を乗せ、それを愛おしそうに撫でる。
そのあまりに狂気じみた様子にオーディンは思わず距離をとった。
「…フン。面白くないの。何にしろそれは危険じゃ。殺させてもらう…」
見かねたオーディンはついに手に持っていた槍、《グングニル》を振りかぶるが…
「それはこっちのセリフさ。言ったよね?さっさと北に帰れって」
途端、オーディンの姿がぼやけていく。
「概念世界への干渉じゃと!?どこからそんな力が…!」
そこまで言ってオーディンは気づいた。
《カナタ》という至上のご馳走にご丁寧にセットされた《戦場》という環境。
もはやエリスを止められるものはこの場にはいない。
「…無念じゃ…」
そうしてガングレフへの憑依は強制的に中断させられた。
ガングレフは元の姿へと戻り、大槌と共に地面にどさっと突っ伏する。
やれやれと、それを横目に見ながら、エリスはつぶやいた。
「【夜の帳】は一割ってところか…メメントモリは二割も進んだね。九回もアレを使えば、僕は【死】の概念を手にできる…。それは誰にも拒否できない…」
言葉は宙に溶け、またエリス自身も現れた時同様にフッと消えた。
カナタの頭が優しく地面に下ろされる。
風が一陣吹いて、その髪を揺らした。
まさかの一週間ぶりです。毎度ながら申し訳ない…
今回は伏線回でした。というか、回収回ですかね?とりあえず今後にもかかわってくる設定です。あしからず。
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