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第1話:地下の敗北者

1番書きたかった物語の第1話です。

是非最後まで読んでくれると嬉しいです。

ブ───!!!


ブザー音が、湿った地下空間に鋭く反響する。


加速する義翼の轟音、周囲の歓声が、縹(ヒョウ)の耳の奥で遠い嵐のように鳴り響いていた。


縹は、全身のボロ切れに染み込んだ汗を無視し、目の前の細い通路───採掘跡の巨大な石柱が乱立する、”嘆きの石窟”の迷宮を、必死にすり抜ける。義翼(ぎよく)は限界だ。昨夜から徹夜で修理したにも関わらず、モーターの軸が軋みを上げ、片翼が不自然に振動している。


(勝たなきゃ。兄貴を助けるためには、金が……!)


焦燥感が、彼のスピードを乱す。


最終コーナー。視界の端に、幼馴染のスターチスの義翼が、圧倒的な速度で滑空するのを捉えた。この地下空洞で、常に先頭を走り続ける彼の翼は、技術と才能の結晶だった。縹のボロボロの機体では、その背中すら拝めることはできない。


縹は最後の力を振り絞ったが、虚しく風を切る音だけが響く。


スターチスが、勝利の歓声の中心へ悠々と滑り込んでいく。


『本日のレースの勝者は! スターチス───!!』


(───今日も、勝てなかった)


◇


岩と石灰の湿った冷気が肌を刺す。


ここは地下深く、かつて大岩を削り出した巨大な採掘場跡―—スラム街「燕巣(エンズ)」。


周囲を囲むのは、途途方もない高さの垂直な岩壁だ。かつて大規模な採掘が行われた名残として、機械が穿った無数の穴や、人工的な段差が幾重にも刻み込まれている。天井のわずかな亀裂から落ちる一筋の光が、地下の冷えた湿気と石灰の塵を白く浮かび上がらせている。ここは、人が創り出した巨大な地下神殿であり、底冷えする迷宮だ。


その日もまた、燕巣の空がまだ夜の闇を抱えている午前四時。

コンクリートと錆びた金属の臭いが充満する空間で、縹は全身に巻いたボロ切れについた埃を払い、小さな作業台の前に立った。昨日のレースで破損した両翼分の義翼を、慣れた手つきで修理していく。彼の瞳の縹色(はなだいろ)は諦めに近い静けさを湛えていた。


「……オレはいつになったら勝てるんだろうな。兄貴みたいに……」


低く呟いた声は、周囲のガラクタの山に吸い込まれて消えた。


兄・藍(あい)のように、空を早く飛べる才能も幼馴染のスターチスのような回転の早い頭も、何一つ持っていない。持っているのは、ただ毎日ガラクタ集めて修理するオイルまみれの手しかない。


「兄貴は、どんなふうに飛んでたっけな」


ガタッ───


隣の路地から、何かが倒れる音がした。縹は反射的に義翼を掴んだ。燕巣の早朝は、金になる金属集めの盗人達の時間帯だ。油断はできない。


しばらく路地を観察していたが、誰かが出てくる気配は感じない。


(疲れてんのか……)


縹は昨日のレースの疲れによるものということにして、再び義翼の修理に戻った。


その時。


「んぁ? 坊主、何作ってんだ?」


一人の男が縹の真横から顔を出し現れた。ボサボサの黒髪に、手入れされていない無精髭。


「誰だお前は!!」


(気配に気がつかなかった……!! いつの間に!?)


縹は振り向き警戒心をむき出しにする。


男は肩をすくめ、不精髭を生やした顎をジョリ、と手持ち無沙汰に撫でた。


「俺〜?」


そのまま髭を弄りながら、飄々とした笑みを浮かべる。その無精髭の口元が動く。


「俺はー、んーそーだなぁ、鶺鴒(せきれい)と名乗ることにしよう」


「はぁ?」


「今決めた俺の名前だ。覚えてくれると嬉しい。坊主は?」


縹は、この男の底知れない軽薄さに辟易したが、一瞬の間に彼の全身を観察し、警戒を強めた。燕巣(ここ)にいるとは決定的に違う異質な「隙の無さ」が、肌をヒリつかせる。


「……お前に教える名前なんぞねぇよ」


縹は吐き捨てるように言い、警戒を解かないまま一歩身を引く。


「そうか。それで? 坊主は何を作ってるんだ?」


「……義翼だよ。あんたここの住人だろ」


「いや、知ってる。だが、俺が知ってる義翼とはちったぁ違う。しっかし、地下に義翼を作る技術が坊主にも身につくほどに普及してるとは。俺は随分と世間知らずになったもんだぁ」


男───鶺鴒は物珍しそうに首を傾げ、縹の手元を覗き込んできた。その身のこなしには音もなく、まるで影が滑り込んできたかのように。


「地下? な、に、言ってるんだ?」


「あー、俺は最近地上から落っこってきたんだよ。それよりも坊主、ここの接続部が違う」


「上から落ちてきた……?」


「ああ、そう言ってる。あ、こここんなふうにつなげると可動域が死ぬぞ」


鶺鴒は慣れた手つきで作業台のパーツへ指を伸ばそうとする。あまりにも自然な動作に、縹は思わず息を呑んだ。この過酷な地下スラムにおいて、「上」から生きて落ちてきた人など滅多に聞かない。


「…………」


「なぁ、坊主。聞いてんのか?」


「おい、おっさん」


「おっさんじゃなくて鶺鴒な」


「おっさんは上に行く方法知ってんのか」


縹の低く切迫した問いに、鶺鴒の動作がわずかに止まった。


「知ってるって言ったら?」


「っ!!!! 今すぐ教えろ!! オレは兄貴を見つけに行かなきゃなんねぇ!!」


感情を抑えきれず、縹は胸ぐらを掴もうと作業台から身を乗り出した。


「──落ち着け」


その一言が放たれた瞬間、周囲の空気が凍りつく。


言葉と共に押し寄せてきたのは、言葉通りの威圧感――いや、まるで頭上の岩盤そのものが落っこちてきたかのような、物理的な重圧。

縹の体から一瞬にして全ての熱が引き、膝の力が破綻する。ドサリと石灰の床に膝をついたまま、呼吸を整えることすらできない。


(な、んだ……これ……っ!?)


殺気とは違う。目の前の男から放たれているのは、もっと暴力的で、世界のそのものが圧し潰してくるような圧倒的な密度のナニカだった。

鶺鴒の見下ろす瞳に、先ほどまでの軽薄さを一切感じさせない、深く冷たい光しかない。


「坊主。この地下で1度でもいいから勝ったことはあるのか?」


「……ない」


縹は震える声で答えるので精一杯だった。


「お前は、ここでさえ勝てないのに、どうやって地上で生き残るつもりだ? 地上には残虐で冷酷な奴らがいるんだぞ」


「知らねぇよ!!! ただオレは!! 地上にいる軍のやつらに連れて行かれた兄貴を!!」


叫びながらも、縹の身体は恐怖で硬直していた。目の前の鶺鴒の言葉は、縹の敗北と無力感を、燕巣の冷たい岩壁よりも重く突きつけてくる。


「ならどうすりゃあいいか、か」


鶺鴒は鼻で笑うと、背中にのしかかっていた途方もない重圧を、何事もなかったかのようにすっと取り払う。

荒い呼吸を繰り返す縹を余所に、鶺鴒は、縹の作業台の上、昨日壊れた義翼の残骸を無造作に指で叩いた。


「簡単なことだ。まずは、お前をここで一番早いやつにする」


「は……?」


「まずはレースでの勝利だ。1等のやつを叩き潰す」


一瞬前までの圧迫感が嘘のように飄々とした態度に戻り、鶺鴒はニヤニヤと笑っている。

縹の瞳に、困惑と、ほんのわずかな光が戻る。スターチスは、彼がいくら手を伸ばしても届かない絶対的な壁だった。


「……叩き潰すって、どうやって? オレの翼はもう限界だ」


「なにが限界だ。バカたれ」


鶺鴒はケラケラと笑い飛ばした。


「限界なのは義翼じゃない。お前の頭だ。俺はお前が飛んでいる姿を見たことが無い。明日のレースでお前の癖、コース、全部見る。明日のレース終わり、楽しみにしてろよ。坊主」


鶺鴒は無精髭をじょり、と一撫ですると、ひらひらと手を振りながら薄暗い路地の影へと消えていった。


◇


翌日、縹はいつも通り行われている試合のスタートラインに立っていた。


いつも通りのメンバーに、いつも通りのコース。


ブ──────!


レースが始まる合図が鳴った。風を切る感触、身体が浮く感覚。今日のコンディションも大丈夫。

そう思ったのは、スタートから最初の直線を抜けるまでの、ほんの数秒だけだった。


前方を行くスターチスの義翼が、岩壁の影を裂くように加速する。

無駄がない。迷いがない。

縹はその背中を追い、スロットルを開いた。


義翼が悲鳴を上げる。昨日直したはずの軸が、また軋んだ。

それでも減速はしない。減速できない。


(くそっ、なんで追いつかねぇんだ!!)


───『限界なのは義翼じゃない。お前の頭だ』


先日、突然現れて説教してきた男の言葉が蘇る。


(うっせぇな!! これ以上どうすればいいんだよっ!)


最初の急カーブ。縹はいつものように、外に膨らみ、翼で風を掴みにいく。一瞬、浮いた。


その一瞬で、差がついた。


スターチスは減速していた。最小限、必要な分だけ。

縹が再び地面を捉えた時、背中はもう視界の端にすら映らない。


「……くそ」


声にならない悪態が、風に散る。


中盤、デッドゾーン。崩落跡の隙間、乱気流。

危険だと分かっている場所なのに、身体が勝手に翼を信じる。


飛べ。速く。追いつけ。


その思考が、縹を縛っていた。


義翼が煽られ、制御を失いかける。

慌てて姿勢を立て直す間に、さらに差が開く。

観客のざわめきが、遠い。


ゴールが見えた頃には、勝負は終わっていた。


スターチスが先に滑り込み、歓声が爆発する。

縹は遅れて通過し、ブザー音が無機質に結果を告げた。


「……また、負けた」


悔しさはある。だが、それ以上に───何が悪かったのか、分からない。


その無力感が、何よりも縹を打ちのめした。


◇


レースが終わり、縹はレース場から少し離れた壁にもたれかかっていた。一生懸命鶺鴒が言ってた通りに頭で考え、最善を尽くした。この冷えた壁が冷静さを取り戻させてくれるかと思ったが、何も浮かんでこない。


「よぉ、坊主。ボロ負けだな」


何事も無かったかのように鶺鴒が話しかけてくる。


「うっせぇよ……」


縹は顔を背けた。鶺鴒は無精髭をじょりじょりと撫で回しながら、どこか底意地の悪い笑みを浮かべて見下ろしている。


「言ったろ? 限界なのは翼じゃなくて頭だって」


鶺鴒のその言葉に、縹は拳を固く握りしめた───。

最後まで読んでくださりありがとうございます!

いかがだったでしょうか。


万年最下位の少年・縹と、怪しいおっさん・鶺鴒の師弟コンビがここからどう駆け上がっていくのか、楽しんでいただけたら嬉しいです。

少しでも「面白い」「続きが気になる」と思ってくださった方は、ページ下部の【ブックマーク登録】や【評価】をいただけると、執筆の大きな励みになります!


ちなみに縹の瞳の色である縹色は夏の青空のような濃い水色です。

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