第27話 研究報告 Part3 合わせたもの
《協調率》
悠真はその項目を開いた。
最初に表示されたのは定義ではなかった。
《社会適応下における予測安定性》
《研究概要》
《行政予測が実際に利用される環境では、予測結果そのものが住民および行政の行動へ影響を与える》
《本研究では、予測利用後に生じる行動変化を含め、長期的な予測安定性を評価した》
その下に、
《評価指標》
が並ぶ。
《予測誤差》
《行動変化率》
《支援利用率》
《生活条件収束度》
《協調率》
悠真は最後の項目を押した。
画面が切り替わる。
《協調率》
《研究用指標》
《複数主体の行動変化と、更新後の予測条件との対応を評価する》
それだけだった。
「複数主体?」
悠真が小さく言った。
詳細を開く。
《対象》
《本人》
《行政支援》
《生活基盤》
《地域サービス》
《予測更新》
五つの項目が並んでいる。
その下。
《単一主体の従属性・服従性を評価するものではありません》
悠真はその一文で止まった。
もう一度読む。
《単一主体の従属性・服従性を評価するものではありません》
「先に書くんだな」
背後から岸本の声がした。
「また見てたのか」
「通っただけです」
岸本が画面を見る。
「協調率」
「ああ」
「これ、前に見てませんでした?」
悠真が岸本を見る。
「見たことあるのか?」
「いや、佐伯さんの画面で」
「いつ」
「家のじゃないですよ。仕事の……」
岸本が考える。
「見てないかも」
「適当だな」
「似た言葉多いじゃないですか」
「調和性とか?」
「それです」
「違うだろ」
「何が違うんです?」
「今読んでる」
岸本は笑った。
「じゃあ邪魔しません」
「戻れ」
「はい」
岸本が離れる。
悠真は続きを開いた。
《算出目的》
《予測利用後に、各主体の行動および条件変更が相互に矛盾せず、次回予測へ反映可能な状態となっている程度を確認する》
長い。
一度では入ってこない。
悠真は例を開いた。
《例1》
《予測》
《通勤時間帯の混雑増加》
《行政対応》
《公共交通運行調整》
《本人行動》
《利用時間帯変更 一部》
《生活基盤》
《需要変化へ対応》
《更新後予測》
《実測を反映》
《協調状態》
《高》
次。
《例2》
《予測》
《地域施設需要増加》
《行政対応》
《施設利用時間延長を提案》
《本人行動》
《利用時間帯 変更なし》
《生活基盤》
《設備条件 現行維持》
《更新後予測》
《現行行動を反映》
《協調状態》
《高》
悠真はそこで止まった。
同じ《高》だった。
一つ目では、人が行動を変えている。
二つ目では、変えていない。
「……そういうことか」
隣から岸本が言う。
「戻ってたのか」
「聞こえました」
「何がそういうことなんだよ」
「言った通りにするかじゃない」
悠真も同じことを考えていた。
二つ目を開く。
《注》
《本人が予測提案を受諾しない場合でも、その選択が以後の予測・行政・基盤条件へ適切に反映される場合、協調状態は成立し得る》
「断っても上がる」
岸本が言った。
「上がるとは書いてない」
「高なんだから同じでは?」
「研究用の例だろ」
「細かい」
悠真は次へ送る。
《例3》
《予測》
《生活支援需要上昇》
《行政対応》
《複数支援候補を提示》
《本人行動》
《一部利用》
《一部非利用》
《生活基盤》
《利用状況に応じて更新》
《予測更新》
《本人選択を反映》
《協調状態》
《高》
岸本が言う。
「何でも高くないですか?」
「次見ろ」
《例4》
《予測》
《地域移動需要低下》
《行政対応》
《交通便縮小を実施》
《本人行動》
《想定外の利用継続》
《生活基盤》
《供給条件との不一致発生》
《予測更新》
《実測反映遅延》
《協調状態》
《低》
「これは分かる」
悠真が言った。
「人が悪い?」
「違うだろ」
「ですよね」
低い原因欄を開く。
《主な不一致》
《予測条件と実利用の乖離》
《行政対応と地域需要の不整合》
《基盤更新の遅延》
本人の選択そのものには、
《適否評価対象外》
とある。
「やっぱり本人の点数じゃないんですね」
岸本が言った。
「ああ」
「じゃあ何の点数?」
悠真は少し考える。
「全体が、今の状態に合ってるか?」
「ざっくり」
「かなりざっくり」
「研究だからいいだろ」
「研究者に怒られますよ」
「いないだろ」
悠真は定義へ戻った。
《複数主体の行動変化と、更新後の予測条件との対応を評価する》
本人が従う必要はない。
断ってもいい。
予定を変えてもいい。
予測と違う行動をしてもいい。
その行動を行政側が受け取る。
設備側が合わせる。
モデルが次の計算へ入れる。
その結果、現在の状態と予測条件が噛み合っていれば、
《協調状態 高》
になる。
「協調って、人同士じゃないんだな」
悠真が言った。
岸本が画面を見る。
「人とシステム?」
「それだけでもない」
「行政と設備も入ってる」
「ああ」
「面倒な名前」
「研究者が付けたんだろ」
「今も使ってるんですかね」
悠真はそこで手を止めた。
研究資料の作成年を見る。
十四年前。
《協調率》
第24話の夜、家庭端末の通知一覧に出た文字。
同じ言葉だった。
「少なくとも、言葉は残ってる」
「え?」
「いや」
悠真は画面を戻した。
*
十六時三分。
研究報告の確認作業は終わっていた。
それでも閲覧権限は閉じていない。
悠真は《協調率》の研究結果を開いた。
《研究期間中の推移》
複数自治体。
半年。
一年。
二年。
時間の経過とともに折れ線が動いている。
自治体ごとの差は大きい。
導入直後は上下する。
一年ほどで変動が小さくなる地域が増える。
「上がってる?」
岸本が言った。
「ずっといるな」
「自分の仕事終わったので」
「帰る時間じゃないぞ」
「次待ちです」
悠真はグラフを見る。
単純な右肩上がりではない。
下がる時期もある。
大きく崩れる地域もある。
ただ、全体平均では、
《協調率 上昇》
とある。
同時に、
《予測誤差 低下》
《設備需要誤差 低下》
《支援再提示回数 低下》
《行政処理再調整 低下》
が並んでいる。
「効率良くなってる」
岸本が言った。
「ああ」
「良いことでは?」
「そう見える」
「またその言い方」
悠真は注記を開いた。
《協調率上昇は、本人選択の均一化を直接意味しない》
《個々の選択内容には多様性が維持されている》
《一方、予測提示後の行動変化については、時間経過とともに一定の傾向が確認された》
悠真はその先を開いた。
《行動傾向》
《初回提示時に選択される候補順位の偏り 増加》
《再提示後の変更回数 減少》
《本人による自由記述理由 簡略化》
《生活条件変更後の再調整回数 減少》
岸本が読む。
「慣れた?」
「かもしれない」
「制度に?」
「使い方に」
「同じじゃないですか?」
「少し違うだろ」
さらに、
《解釈上の注意》
がある。
《上記傾向は、選択自由度の低下を示すものではない》
《候補提示精度の向上、本人の制度理解、行政手続き簡略化など複数要因が考えられる》
「ちゃんと注意書きある」
岸本が言う。
「ああ」
候補の精度が上がった。
本人も使い方を覚えた。
不要なやり取りが減った。
だから最初から合う候補を選ぶ人が増える。
十分あり得る。
悠真はグラフへ戻る。
協調率が上がる。
予測誤差が下がる。
行政の再調整が減る。
「完成度が上がったってことですかね」
岸本が言った。
「制度の?」
「社会ごと」
悠真が岸本を見る。
「言い方でかいな」
「でも、人も行政も設備も入ってるんでしょ」
「ああ」
「なら社会じゃないですか」
悠真は答えなかった。
画面の隅に、
《関連分析》
がある。
開く。
《高協調地域》
《低協調地域》
比較表。
《高協調地域》
《予測誤差 低》
《行政再調整 少》
《設備需要差分 小》
《本人再確認回数 少》
《支援中断率 低》
《低協調地域》
《予測誤差 高》
《行政再調整 多》
《設備需要差分 大》
《本人再確認回数 多》
《支援中断率 高》
「高い方が運用しやすい」
岸本が言った。
「数字だけ見れば」
「人も困らない?」
「そこは載ってない」
悠真は下へ送る。
あった。
《生活満足》
高協調地域と低協調地域。
差は小さい。
統計上、
《明確な関係を確認せず》
となっている。
岸本が少し笑った。
「また別」
「ああ」
生活満足と協調率は同じではない。
協調率が高い地域の人が、より幸福とは限らない。
低い地域の人が、不幸とも限らない。
ただ、高い地域ほど、
予測と実際のずれが小さい。
行政のやり直しが少ない。
設備も合わせやすい。
「便利なのは行政側ですね」
岸本が言った。
「住民もだろ」
「何で?」
「何回も同じ確認されない」
「ああ」
「予定も合いやすい」
「なるほど」
「交通とか設備も」
「じゃあみんな楽」
「そういう面では」
岸本が笑った。
「否定しづらいですね」
悠真も笑う。
「何を否定するんだよ」
「知りません」
*
十六時四十一分。
悠真は最後の研究総括を開いた。
《社会適応下における予測安定性》
《総括》
《予測システムは、固定された社会を外部から観測するものではない》
一行目から少し違った。
続き。
《予測結果は行政行動を変化させる》
《行政行動は本人の選択条件を変化させる》
《本人の選択は地域需要を変化させる》
《地域需要は生活基盤および次回予測条件を変化させる》
その下。
《したがって、運用下の予測モデルは、予測対象である社会と相互に影響しながら更新される》
悠真はゆっくり読む。
「予測する側も外じゃない」
岸本が言った。
「まだいたのか」
「これ読んだら戻ります」
「仕事しろ」
「待ちですって」
最後の段落。
《長期運用において重要なのは、予測前の社会状態を維持することではない》
《予測利用後に生じた選択を含む現実の状態を継続的に取り込み、予測と生活の乖離を縮小することである》
その下に、
《協調率》
という言葉が使われていた。
《協調率は、この相互適応が安定して行われている程度を補助的に評価するための指標として用いる》
悠真は画面を送る。
最後。
《なお、協調率の上昇を政策目的として直接設定することは推奨しない》
「何で?」
岸本が言った。
悠真もその続きを読む。
《指標自体を目的化した場合、本人選択・行政判断・生活基盤調整のいずれかを指標へ合わせる運用が生じる可能性があるため》
《協調率は結果指標として扱い、個別判断の目標値として使用しないこと》
岸本が黙った。
悠真も何も言わなかった。
十四年前の研究資料だった。
《協調率》
《結果指標》
《個別判断の目標値として使用しない》
「今もそうなんですかね」
岸本が言った。
悠真は研究資料を閉じた。
「知らない」
「調べる?」
「今日の仕事じゃない」
「そうですね」
岸本は自席へ戻った。
悠真も通常業務へ戻ろうとした。
その前に、
《関連資料》
が一件表示される。
《協調率》
《現行運用》
《参照権限 あり》
悠真の指が止まった。
時計は十六時四十四分。
次の予定まで、十六分あった。
悠真は開かなかった。
《後で確認》
を押す。
《関連資料を保持しました》
画面が閉じた。
第27話 完




