第19話 最適な一日 Part3 何もなかった日
九時二十分。
悠真が席に着くと、今日の予定がすでに開いていた。
《九時三十分 部門定例》
《十一時 地域設備更新条件確認》
《十三時三十分 需要予測月次整理》
《十五時 相川市北部設備更新 反映確認》
《十七時十分 終業予定》
朝、家を出る前に見たものと大きくは変わっていない。
違うのは、最後の一行だった。
《帰宅予測 十八時四十四分》
四分早くなっている。
悠真は端末を閉じた。
「今日、早いんですね」
岸本が言った。
「何が?」
「帰宅」
「見えるのか?」
「共有予定に終業予測だけ」
岸本が自分の画面を向ける。
《佐伯悠真》
《本日 定時内完了見込み》
《十八時以前の追加業務提案 なし》
「帰宅までは見えてませんよ」
「じゃあ何で分かるんだ」
「顔」
「そんな顔してた?」
「ちょっとだけ」
悠真は笑った。
「夕飯が十八時五十五分なんだよ」
「家族予定?」
「ああ」
「間に合う?」
「今のところ」
「じゃあいいじゃないですか」
「まあな」
岸本は自分の予定へ戻った。
それで話は終わった。
*
十一時。
地域設備更新条件確認では、三つの自治体案件が並んでいた。
設備容量。
更新時期。
施工経路。
周辺需要。
どれも通常業務だった。
二件目の確認中、悠真の端末に小さな通知が出た。
《家庭予定更新》
会議中なので内容は表示されない。
重要度も低い。
悠真はそのまま資料を見続けた。
「南側系統は、来年度へ送っても余裕あります」
担当者が言う。
「どれくらい?」
課長が訊く。
《供給余裕 二一・四%》
《需要増加予測 年間一・八%》
《更新延期時リスク 低》
悠真は条件を確認する。
「二年は長いですけど、一年なら問題なさそうです」
「じゃあ来年度候補」
課長が入力する。
《更新時期変更案》
《本年度》
から、
《次年度》
へ。
《設備側確認》
《適》
最終判断は自治体側。
いつもの処理だった。
会議が終わる。
悠真はさっきの家庭通知を開いた。
《陽菜 放課後予定更新》
《図書室利用》
《利用終了予測 十五時五十八分》
《帰宅予測 十六時二十九分》
朝より早い。
その下に、
《美咲 歯科予約》
《予定どおり》
さらに、
《蓮 帰宅後候補》
《近隣公園》
《気温予測更新》
《屋外活動推奨時間 十五分以内》
《候補保持》
まだ決まっていない。
悠真は閉じた。
特に連絡することはなかった。
*
十二時四十分。
昼食を取りながら、悠真は家族予定をもう一度開いた。
《佐伯家 本日の予定》
全員の現在位置が出ているわけではない。
必要な予定だけ。
蒼は学校。
陽菜も学校。
蓮は園。
美咲は買い物を終え、歯科予約まで一時間ほど空いている。
《空き時間 五十二分》
その下に候補が出ていた。
《自宅へ戻る》
《近隣店舗利用》
《歯科周辺で待機》
《予定なし》
選択状態は、
《予定なし》
だった。
悠真は少し笑った。
「何です?」
向かいで岸本が訊いた。
「いや」
「家?」
「ああ」
「何かあった?」
「何もない」
「じゃあ何で笑ったんです?」
「予定なし、って予定が入ってた」
岸本が少し考える。
「それ、予定なんですかね」
「表示上は」
「何するんです?」
「何もしないんじゃないか」
「いいですね」
「何が」
「ちゃんと何もしない時間がある」
悠真は画面を見る。
五十二分。
その時間に何をするかは決まっていない。
候補はある。
でも、美咲はどれも選んでいない。
「俺だったら何か入れそう」
「佐伯さん、空いてると仕事入れますもんね」
「入るんだよ」
「自分で?」
「半分は」
「じゃあ残り半分は?」
悠真は少し考えた。
「入れやすい場所に入ってくる」
岸本が笑った。
「それ、今さら気づいたんですか?」
「別に気づいてない」
「言ってましたよ」
「昼休み終わるぞ」
「まだ十九分あります」
「細かいな」
「予定が出てるので」
岸本は自分の端末を見せた。
《昼休憩終了まで 十八分》
一分減っていた。
*
十三時三十分。
月次需要整理を始める。
今日は人の移動を見る仕事ではない。
純粋な設備集計だった。
《住宅需要》
《商業需要》
《公共施設需要》
《交通設備需要》
先月比。
前年同月比。
予測差。
異常なし。
悠真は数字を確認していく。
十四時十一分。
端末が振動する。
《家庭予定更新》
まただ。
今回は休憩中なので開いた。
《美咲 歯科定期確認》
《終了》
《次回候補 六か月後》
《本人確認 未》
その下。
《帰宅経路》
《途中買い物 不要》
《帰宅予測 十五時五十一分》
さらに、
《夕食準備開始候補 十八時二十一分》
朝より一分早い。
悠真は画面を送る。
《家族夕食》
《十八時五十五分》
《参加見込み 五名》
変わっていない。
通知を閉じる。
「連絡しないんですか?」
岸本が横から言った。
「何を?」
「奥さんに」
「何て?」
「歯医者お疲れ、とか」
悠真は岸本を見る。
「家庭予定覗くなよ」
「見てませんよ。さっき歯医者って言ってたから」
「ああ」
「終わったんでしょう?」
「終わったらしい」
「らしい」
「通知で見ただけだからな」
「じゃあ送ればいいじゃないですか」
「何を?」
岸本が笑う。
「そこから?」
悠真も少し笑った。
端末を開く。
美咲とのメッセージ画面。
最後のやり取りは昨日だった。
《牛乳買って帰れる?》
《了解》
その二行。
悠真は入力欄へ触れる。
《歯医者終わった?》
と打つ。
一度見る。
消す。
もう知っている。
代わりに、
《お疲れ》
と入力する。
これも少し変な気がした。
定期検診へ行っただけだ。
消す。
岸本がこちらを見る。
「送らないんですか?」
「仕事しろ」
「してます」
悠真は画面を閉じた。
*
十五時。
相川市北部設備更新の反映確認。
昨日決まった、
《更新容量 現状比九〇%》
が正式案へ入っている。
《相川市内部確認済》
《設備事業者確認待ち》
課長が言う。
「佐伯、昨日の案だよな」
「はい」
「条件変わってない?」
悠真は確認する。
《需要減少傾向》
《継続居住需要》
《災害時余裕》
《将来変動余地》
どれも昨日と同じ。
「変わってません」
「じゃあ確認お願い」
《設備事業者確認》
《確認する》
悠真は押した。
《確認済み》
《次工程 予算調整》
数分で終わった。
地図を開く。
北部の色は昨日と同じ薄さ。
中心部も同じ。
人が一晩で大きく動いたわけではない。
設備計画も急には変わらない。
悠真は閉じた。
*
十六時十二分。
蒼の部活動が予定より早く終わった。
《蒼 帰宅予測》
《十七時四十九分》
朝より二十二分早い。
十六時二十八分。
陽菜。
《帰宅》
十六時三十四分。
蓮。
《帰宅》
その直後、
《帰宅後候補》
《近隣公園》
が更新された。
《本人希望 あり》
《保護者確認》
《美咲》
《確認済み》
《出発 十六時四十五分》
《帰宅 十七時》
朝は候補だったものが、予定になっている。
悠真は見る。
美咲から連絡はない。
蓮からもない。
必要がない。
美咲が家にいる。
十五分だけ公園へ行く。
それだけだ。
十六時四十七分。
《蓮 近隣公園》
《予定どおり》
悠真は画面を閉じた。
「今度は何です?」
岸本が訊く。
「公園」
「行ったんだ」
「ああ」
「佐伯さんも?」
「俺は会社だよ」
「朝、決めてって言われてませんでした?」
悠真の手が止まる。
「……言われた」
「忘れてた?」
「忘れてない」
「じゃあ?」
悠真は少し考えた。
「帰ってから決めるって話だった」
「決まったんですね」
「ああ」
「奥さんと」
「ああ」
岸本は頷く。
「ならいいんじゃないですか」
「そうだな」
悠真は答えた。
実際、その通りだった。
蓮は公園へ行きたいと言っていた。
美咲が確認した。
暑さも十五分なら許容範囲。
予定は成立している。
自分が決める必要はなかった。
*
十七時五分。
今日の業務一覧はすべて完了していた。
《本日の確認事項》
《未完了 〇件》
《持越し 〇件》
《追加勤務提案 なし》
岸本が端末を閉じる。
「今日は本当に早いですね」
「ああ」
「夕飯、余裕」
「十分くらいは」
「七分じゃなかったです?」
「帰宅予測が早まった」
「何分?」
悠真が見る。
《帰宅予測 十八時三十九分》
「十六分」
「増えましたね」
「増えたな」
「何します?」
「何が?」
「十六分」
悠真は少し考えた。
「帰ったら手伝うよ」
「何を?」
「夕飯」
「もう準備時間も決まってるんじゃないですか?」
悠真は家族予定を開く。
《夕食準備》
《開始予定 十八時二十一分》
《担当 美咲》
《調理》
《鶏肉と野菜の蒸し焼き》
《想定所要時間 二十四分》
その下に、
《補助不要》
とある。
岸本が笑う。
「いらないって」
「表示上はな」
「じゃあ何するんです?」
悠真は答えなかった。
《帰宅後》
という項目はない。
夕食までの十六分。
特に予定もない。
候補も出ていなかった。
悠真は鞄を持つ。
「帰れば何かあるだろ」
「たぶん」
「またたぶん」
岸本が言った。
悠真は笑って、執務室を出た。
エレベーターへ向かいながら、家族予定を閉じる。
悠真が何かを調整した場面は、朝から一度もなかった。




