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第四話

 たかが数時間、されど数時間。


 朝が来るまでの間、羊は布団の中で、永遠とも思える時間をやり過ごした。当然眠れるわけがない。暗闇の中だと余計に聴覚が研ぎ澄まされる。窓の外の波の音や、他の乗客のいびきや寝返りでさえ、やけに鼓膜に張り付いて神経をすり減らした。


 そんな具合だったので、羊は朝5時にはすでに布団を抜け出した。空はうっすらと白み始めている。頭がぼんやりとしている。コーヒーでも飲もうと再び自販機コーナーに向かう。


「あら羊君。早いのね」

 そこに照虎が立っていた。夏らしくタンクトップにショートパンツ姿が眩しい。

 同じく自販機コーナーで飲み物を買っていた彼女は、昨晩と同じ格好の、何だか草臥(くたび)れた様子の羊の姿を見て目を丸くした。


「おはよう」

「おはよう。よく眠れた?」

「うーん……」

「何かあったの?」


 照虎が不思議そうに小首をかしげた。羊は迷ったが、結局話すことにした。どうせ後少しで目的地に着いてしまう。それに、彼女なら誰にも言わないだろう。


「えぇっ!? それホントなの!?」

 照虎は羊の話を聞き、危うくペットボトルを落とすところだった。羊は頷いた。


「じゃ、今も何処かにあの蛇がいるかも知れないってこと……!?」

「うん……だけど」

「だけど?」


 明け方近くなって、ボチボチ他の乗客も目を覚まし始めている。誰にも聞こえないよう、壁の隅のソファに座り、二人はヒソヒソと耳元で囁き合った。今度は羊が首をかしげる番だった。


「どうも腑に落ちないんだ」

「何が?」

「何となく……タイミングが、さ」

「タイミング?」

「だって、()()にしては出来すぎてると思わない? 昨日僕らが蛇を見せてもらって、0時に皆で部屋の前で集まって、ちょうどその時部屋で蛇が人を襲う……だなんて」


 どうにもわざとらしい。

 まるで出来の悪い三流ミステリの、下手なアリバイ工作みたいだ。

 まず、蛇に噛まれるタイミングで部屋の前に集まるなんて、どんな()()だ?


「確かに、昨日の今日で死体になるなんて、ねぇ」

「僕らにあの蛇、ヴェルムを見せたのはさ、わざとだったんじゃ無いかって」

 本来なら、羊たちはこの船に蛇が乗っていることすら知らなかったはずなのだ。

「それって、つまり……?」

「……本当に蛭間さんは、蛇に噛まれて死んだのかな?」


 怪しいのはやはりあの3人だ。蛇使い同好会の面々。


 もし、あの3人の中に犯人がいるのなら。

 羊は思考した。

 もしこれが、巧妙に仕組まれた殺人事件だったなら。


 そんな風に穿(うが)った見方をしてしまうのは、羊の(さが)だろうか。しかし考えずにはいられなかった。もしこれが殺人だったら。犯人は羊たちに、部屋に蛇がいることを見せたかった。恐らく被害者の、蛭間圭介の見せたがりの性格を見越して、わざと声を張り上げ聞こえるように話をしたのだろう。


 0時にミーティングというのも、犯人の仕掛けたアリバイ工作だ。

 あの時は3人とも部屋の前に集まっていた。そう証言する人が欲しかったのだ。


 何のために? 凶器を誤認させるためだ。

 これが、蛇による事故だと思い込ませるために。


 しかし……羊は戸惑った。もしこれが殺人事件なら、一つ困ったことになる。

 部屋には鍵がかかっていたのだ。するとこれは、現実に起きた密室殺人ということになってしまうではないか。


「じゃあ、蛭間さんは殺されたってこと?」

 隣で照虎が、心なしか声を上擦らせた。

「どうやって?」

「……色々と確かめなきゃいけない」


 羊は立ち上がった。確かめたい。そのまま2人で、封鎖されている3階へと向かう。小走りに階段を駆け上がりながら、羊は思いつくままに喋った。


「蛇に噛まれた時に聞こえた音だけど」

「うん」

「あらかじめ録音したものを流せば、今時そんなものはいくらでも偽装できる。実際の現場を目撃した訳じゃない。僕らその時、ドア越しに音を聞いただけなんだから。たとえばスマホなんかにメッセージを残して……」

「でも、この船圏外でしょう?」

 照虎が後ろから尋ねた。

「Wi-Fiは使えるよ。電話機能を使えば履歴も残る」


 もしかしたら被害者のスマホの履歴が証拠になるかもしれない。羊は足を早めた。やがてたどり着いた部屋の前には、

「関係者以外立ち入り禁止」

 の立て札が合って、それ以上進めないように黄色いテープで封鎖されていた。あの後船員の神狩がやったのだろう。羊と照虎は顔を見合わせた。


「……どうする?」

 廊下は静まり返っていた。この先の部屋に今も死体があるのだと思うと、さすがの照虎も躊躇しているようだった。羊は意を決してテープを潜った。


「ちょっと……」

「大丈夫」


 ポケットからハンカチを取り出し、304号室のドアノブに手をかける。開かなかった。試しに照虎の持っていた別の部屋のカードを押し当ててみたが、反応はなかった。

「そりゃそうか」

「このカードキーって、合鍵なんて作れないわよね?」

「ホテルのフロントだったら、失くした時に申請したら新しいのをくれるけど……船の上だしなぁ」

「だったらマスターキーがないと無理ね」

 照虎が意味深げに羊を見つめた。


「ね? 普通に考えて、その神狩って船員が犯人なんじゃない?」

「え?」

「だって彼はマスターキーを持ってたんでしょう? 部屋には内側から鍵がかかってた。窓も開かない。だったら入れるのは、その船員だけよね」

「でも……動機は?」

「知らないわ。そんなの、本人に聞かないと」


 照虎が肩をすくめて見せた。


「だって、あの人は船員だよ?」

「でも、蛇使い同好会って毎年夏に興行に回ってたんでしょう。だったら毎年この船に乗ってた可能性も高いわ。掘り下げれば動機は見つかるんじゃないかしら。数年前、この船で何らかのトラブルになったとか……」

「そこで何をしている!?」


 不意に背後から鋭い声が飛んできて、羊たちは飛び上がった。振り向くと、噂をしていた神狩康がそこに立っていた。


「そこは立ち入り禁止だぞ……って何だ。君か」

「神狩さん」

 見回りに来たのだろう。羊は頭を下げた。勝手に犯人扱いしていた照虎が、少しバツが悪そうに首をすくめた。神狩が興味深そうに2人を眺めた。


「何だい君たち。もしかして、『犯人は現場に戻ってくる』って奴じゃないだろうな」

「僕たち……ちょっと気になることがあって」

 羊が慌ててそう言うと、神狩がニヤリと笑った。


「なるほどな。探偵の真似事って訳だ。おじさんも昔ハマってたよ。憧れたなぁ。今じゃ無駄に人を疑う癖だけ残っちゃって、どうも、ね」

「別に……そんなつもりじゃ」

「ま、確かに俺もおかしいと思う部分はある」

「え?」

「だってよ。持ち込んじゃいけない蛇をわざわざ部屋に持ち込んで、そいつに噛まれて死ぬなんて、どんな間抜けだよ……普通は抗生剤だとか、そういうの準備してるもんなんじゃないの?」

「あの……」


 照虎がおずおずと尋ねた。


「もし良かったら、部屋を見せてくれませんか?」

「え?」神狩が目を丸くした。

「だって、中に蛇がいるかも知れないんだぜ?」

「ほんのちょっとで良いんです。確認したいことが……それに、血清が見つかれば、いざって時役に立つと思うんです」

 神狩は少し迷っていたようだが、好奇心には勝てなかったのか、

「……いいぜ」

 ニヤリと笑い、快く承諾してくれた。


「じゃ、開けるよ……」

 神狩がマスターキーをかざす。ロックの外れる音がした。羊は身構えた。


 部屋の中は、当たり前だが、昨日と一緒だった。机の上に置かれた水槽はもぬけの殻だ。ベッドから上半身を投げ出した蛭間の死体が、昨日と変わらぬ姿勢で羊たちを出迎えてくれた。羊の後ろで照虎が小さく悲鳴を上げるのが分かった。


「……本当に大丈夫? 噛まれて、爆発したりしない?」

「爆発? しないよそんなの」


 照虎が不安そうな顔でそう言ったので、羊は笑い飛ばした。蛇に噛まれたくらいで、人体が突然超新星爆発したりする訳がない。そんなのはトリックだ。


 扉を閉じるとオートロックがかかった。入り口近くの壁にカードキーを入れるホルダーがある。差し込むと電気が付いた。試しに抜いてみると、5秒くらい電気は付いたままだったが、そのうちフッと暗闇に戻った。羊は改めてカードを戻した。


 おそらくこの中に蛇はいないだろう。

 羊は直感的にそう思った。何となく、生物の息遣いとか、気配がしない。息を殺して獲物を狙っていると言われたら、それまでだけど。


 羊は慎重に、指紋を付けないようにハンカチで蛭間の上着を探った。

「……ない」

 血清は見つからなかった。最初から持ってなかったんだろうか? それとも……羊はそれから蛭間のスマートフォンを取り出した。新品のようだ。ロックがかかっていたが、蛭間の指紋で難なく開錠出来た。


 画面を操作し、履歴を探る。

 昨日どころか、ここ数日着信はなかったようだ。最後に使ったのは……一ヶ月前?

 随分と昔だ。羊はさらに履歴を調べた。留守電などを細工された跡もない。試しにWi-Fiに繋げようとすると、パスワードを要求された。

「おかしいな……」

「どうしたの?」

 羊が難しい顔をしていると、照虎が横に座り込んで画面を覗き込んだ。


「普通は一回でもログインしておけば、2回目以降はすんなりとWi-Fiに繋がるはずなんだけどね。まさか、船に乗ってから、一回もスマホ触ってなかったのかな……」

「今時そんな人いる?」

 照虎が首をかしげた。一応スマホではなく、自前の小型録音機でも前述の、音の偽装トリックは可能だ。探せば安い奴がいくらでも売ってある……しかし、だとしたらその機械をどうやって部屋の中に仕込み、そして回収したんだろう?


 羊は立ち上がり、次に窓を調べた。窓ははめ殺しタイプで、開けようがない。念の為に指で軽く押してみたが、ピクリともしなかった。波が青い。外は良い天気だった。ガラスの向こうにポツポツと小さな島々が見え始めていた。もうすぐ着港だ。


 羊は唸った。もしこの部屋で殺人が起きたのなら……犯人は一体どうやって密室を作り上げたのだろうか?

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