29・領地
お祖父様が王宮の職を引退し、家に居ることが多くなった。
その日、お祖父様の部屋に呼ばれて行くと机に十冊ほど本が積まれている。
「明日から指導してくれる文官が来る」
「はい?、何の指導ですか」
僕は首を傾げる。
「領地経営だ」
そういうのはアーリーがやるんじゃないの?、と眉を顰めた。
「アーリーは公爵家の本家の教育になる。 まずはお前が暗唱出来る、あの本からだな」
あー、はいはい、『王国の歴史と人物』ですね。
「で、どうして僕が領地経営なんでしょう」
お祖父様が額に手を当てて苦い顔になった。
「王子殿下が、イーブリスの処分を取り消せとうるさくてな。 出来れば王都に居ないほうが良いと思ったのだ」
はあ、あの方ですか。
それは是非、回避したい。
僕が王都に居ると、あの王子がまたいつ公爵邸に来るか分からない。
「分かりました」
物理的に遠ければ王子も簡単には押し掛けられまい。
「それで、公爵家が所有する領地の中から、イーブリスに好きな場所を選んでもらおうと思ってな」
色々と説明されたが、僕は領地の発展具合や物流なんて関係ない。
むしろ荒地で人が少ない土地が良い。
地図を見せてもらい、一番北にある領地を選ぶ。
「ふむ。 ダイヤーウルフを捕獲した土地であるな」
お、それは良いかも知れない。
スミスさんが本を受け取り、僕の部屋まで運んでくれる。
部屋に戻り、テーブルに乗せておいてもらう。
「ありがとう」
「いえ」
と言って、スミスさんも座って読み始めた。
僕が首を傾げると、ため息を吐かれる。
「イーブリス様だけに行かせるわけないでしょう。
自分も同行いたしますので、一緒に勉強させていただきます」
「なるほど。 じゃ、よろしく」
二人で積み上げられた本を半分に分けて読んでいった。
アーリーのメイドに関しては、人数を増やして五人での交替制となる。
執事補佐だった大柄な少年は、護衛として公爵家騎士団でしごかれているところだ。
時々、アーリーも一緒にしごかれている。
やっぱり男の子だな、騎士に憧れてるみたいだ。
あの真っ黒メイドは特別任務として、地下の礼拝堂の掃除と入退室の管理を任されるようになった。
何だか知らないうちに、地下にある祭壇の部屋が『礼拝堂』と呼ばれるようになっている。
床に絨毯が敷かれ、入り口の扉には使用中と書いた札まで下がっていた。
「何これ」
久しぶりに地下室を見に来た僕は、ただ驚いた。
「仕事に疲れていそうな使用人たちに教えて祈らせたところ、疲れが取れると評判になっています」
そりゃ瘴気は貰うから身体は軽くなるけどさ。
「今では密かに屋敷内で流行しておりまして、使用したい者は順番待ちなのです」
そりゃそうか。
平和そうに見えても、この屋敷でも真っ黒メイドみたいに何かを拗らせた者は居るよなー。
「でも絶対、礼拝堂のことは屋敷から外に出さないようにしてよ」
「邪神を崇拝してる」なんて言われたら、今度こそ公爵家がお取り潰しになりかねない。
「そうなったら公爵様含め、信者全員で他国へ亡命いたしましょう」
スミスさん、それ、冗談に聞こえなくて怖いわ。
しかし、スミスさんは何か言いたそうだ。
「えっと、イーブリス様が領地に行かれたら、この礼拝堂はどうなりますか?」
僕はスミスさんの疑問を闇の精霊に訊いてみる。
「僕がどこにいても、ここの瘴気は届くってさ」
シェイプシフターの紋章と僕自身を闇の精霊が繋げてくれている。
「それは助かりますね」
僕たちは礼拝堂の確認を終え、部屋に戻るために歩き出した。
「イーブリス様はアーリー様と離れることは大丈夫なのですか?」
スミスさんは僕が魔物として離れて生活することに支障がないか、気掛かりらしい。
今の僕はアーリーとローズ、そしてヴィーから生気を貰っている。
「どうしても足りなければ、夜中にでも使い魔の力を借りてアーリーの部屋に通うよ」
僕に一番必要なのはアーリーの身体情報だ。
日々成長するその姿形を写し、自分の身体を上書きしていく。
まあ、子供は成長が早いからな。
双子ということになっているアーリーとの体格差があまり出ないように気を付けないといけない。
ただ、今までそんなに長い間アーリーと離れていたことがないから、どうなるかはまだ分からないとしか言えない。
春に婚約の儀式が終わり次第、僕は北へ行く。
当然、ローズは同行する。
ヴィーは、アーリーたちと一緒に学校へ通い、十五歳で成人と同時に挙式の予定だ。
その後は僕の妻として王都の公爵邸に入ってもらい、公爵夫人としての教育が始まる。
学校は引き続き三年間の専門課程に通い、十八歳になって卒業したら領主夫人として領地に迎えることになるそうだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『嘘だと思うなら、お祖父様に訊いても構わないよ』
イーブリスに正体を告げられたアーリーは、祖父の仕事部屋に入るなり叫んだ。
「お祖父様、リブが魔物って本当ですかっ」
そこには公爵と部下の青年が居た。
「あっ、ごめんなさい、何でもないです」
祖父以外に人がいると思っていなかったのだ。
アーリーは咄嗟に謝り、部屋を出ようとした。
「構わんよ、おいで、アーリー。 ついでに紹介しておこう。
孫のアーリーだ。 七歳で春からは学校に通う予定だ」
「ああ、なるほど。 初めまして、アーリー様。
私は王宮で公爵閣下の部下をしておりましたカートと申します。
こちらでもお仕事のお手伝いと、アーリー様の教師をさせていただくことになりました」
「よろしくお願いします」と手を差し出され、アーリーも手を出して握る。
ニッコリと微笑んだ青年は、明るい茶色の髪に薄い青の目をしていた。
「すまんが、スミスに『例のモノ』を持って来るように伝えてくれ」
執事長が頷いて動こうとする前に扉が叩かれた。
公爵が許可を出すとスミスが入って来る。
「こちらでございますね」
鍵付きの日記帳を差し出す。
「うむ、それだ、ありがとう。 そうだ、スミス。
ついでにこの男に屋敷内を案内してやってくれ」
「承知いたしました」
二人は礼を取り、部屋を出て行った。
執事長が公爵とアーリーにお茶を淹れ、扉の近くに控える。
「イーブリスが魔物だと気付いていなかったのか?」
アーリーはコクンと頷く。
「お祖父様は知ってたの?」
「ああ。 お前たちのことは調べ尽くしたからな」
大切に保管されていた調査報告書を取り出す。
「妊娠中の娘の胎内には一人しかいなかったと医師が証言していた。
なのに洞窟で見つかった時、赤子が二人になっていた、という事が書いてある」
アーリーはじっと書類を見ていた。
「あの洞窟にあった魔物の召喚陣が、シェイプシフターという擬装を得意とする魔物を呼ぶものであったそうだ。
あの娘は魔力が異常に高くてな。
しかも無自覚に危ない魔法を使っていたようだ」
「魔法?」
「うむ」と頷いた公爵は、『魅了』の能力のことは話さなかった。
「私の息子はその娘を愛したが、それ以上に他に被害者を出すことを恐れたのだ」
辺境地の、さらに島へ渡り、彼女を人々から遠ざけた。
「そして、あの娘は最後に魔物を召喚し、産まれたお前を守るように頼んだ」
「それがリブ?」
アーリーの声は震えていた。
「そうだ。 だが、あの魔物は変わったヤツでな」
公爵はそう言って苦笑し、日記帳を差し出す。
「読んでごらん。 本人から許可は出ているよ」
その中身はアーリーの赤ん坊の頃からの成長日記だった。
アーリーは驚き、恥ずかしさで顔が赤くなる。
イーブリスはずっと自分が記憶していたアーリーとの思い出を書き綴っていたのだ。
「私も、ここにいる執事長も、そしてスミスも、イーブリスのことは例え魔物であっても信用している。
こんなにお前を愛して止まないシェイプシフターをな」
アーリーは日記帳を抱き締めた。