30・過去
『この世界の魔物の定義は混沌の闇から生まれる不定形の生物。
瘴気と魔力があれば存在し、人間または獣の生気を吸収して形を成す。
その多くは原型となるモノによって種族や名前が付けられているが、シェイプシフターは生物なら何にでも完全に形を写す。
そして、いつの間にか自分がシェイプシフターであることも忘れてしまうのだ』
「なんだ、これ」
そんなこと、あるわけないのに。
僕はシェイプシフターという魔物である。
魔物って何だろうなって最近思うようになった。
「どうかされましたか?」
同じ部屋で北の領地関係の資料を読んでいたスミスさんが顔を上げる。
「うん、これ」
僕が読んでいたのは、以前スミスさんからもらった魔獣図鑑のような本だ。
領地の魔獣を調べていて、魔物も載っていることに気付いた。
魔獣は絵が付いているが魔物は文字だけなので、あの時は気付かなかったんだな。
「しかし、ぷぷっ、シェイプシフターが『忘れてしまう』って興味深いですね」
「うっせえ」
最近スミスさん、遠慮がなくなったな。
魔物は魔力と瘴気さえあれば永遠に生きるモノだ。
一度形成されたら、その種族としての考えと行動が始まる。
その形を失くすと、また自我の無い魔力と瘴気に戻るだけだ。
ただシェイプシフターだけは、混沌の闇から出ると形が無くても思考が始まる。
それは何に擬態するかを選ぶためだ。
それが長い間、同じ姿を模している間に、シェイプシフターは自分が何者だったかを忘れてしまう。
「なるほどな、同種族に会ったことがないはずだ」
そして身体が消失した時に変身することを忘れて、魔力と瘴気だけに戻ってしまうのだろう。
チラリとスミスさんを見る。
僕なら大丈夫だ。 僕が魔物だと知っている者たちがいる。
何かあっても身体を消失する前にシェイプシフターだと思い出せば、姿を変えて生き残れるさ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
八年前、その青年はある女性を連れて逃げた。
青年の父親は宰相だった。
王宮で父の仕事を手伝っていたが、最近、ある女性の名前を頻繁に目にする。
(何故、この王宮に彼女の名前が?)
その名前に憶えがあった青年は、その答えを求め調べるうちに彼女が『魅了』という能力を持っていることが分かった。
(だから国軍が動き出したのか)
彼女を助けるためには逃げるしかない。
その能力を知った青年は、自分がとうに彼女に魅了されていることを自覚していた。
「私の母も娼婦でしたの」
身分の高い者を相手にする高級娼婦がいる娼館で彼女と出会った。
その日、青年は兄同然に育ったこの国の王子に頼まれて、王子が目を掛けていたこの女性に別れの手紙を届けたのだ。
大金を約束する手紙を読みながら、彼女はポツリと言葉を零した。
「ある男性に乞われて側妃になって私を産んで。 でも突然、殺されましたの」
側妃、ということは相手は王族だったのか。
文官である青年は王宮での事件なら覚えがある。
確か悪魔が憑り付いたとして女性が処刑されたことがあった。
『魅了』は悪魔の能力と言われ、それを持って生まれたものは人間ではないとして、処刑される。
後宮に入っていたとなれば色々と魔道具を使って調べられたのだろう。
普通は能力自体、誰もが自覚しているものではない。
ある日突然「自分にはこんな力があったのか」と気付くことが多いのだ。
それがたまたま彼女の母親の場合『魅了』だったということになる。
「私はここに匿われていて助かったのよ」
彼女の母親は不穏な空気を感じ、せめて子供だけでもと逃がし、ここに預けたのだろう。
能力は遺伝すると言われている。
当然、その子供である彼女も処刑の対象だったはずだ。
しかし青年は子供が処刑されたという話は聞いていない。
「勝手な話よね。 母は望んで側妃になったわけでも、私を産んだわけでもないのに」
青年にとって娼婦の部屋というのは落ち着かないものだ。
薄暗い明かりの下、彼女は王子からの手紙をゆっくりと破いた。
「それでも、お母様は貴女様を愛しておられたと思います」
青年の言葉に彼女は少し驚いた顔をして、そして笑顔のまま涙を零した。
「もっと早くにあなたのような方とお会いしていれば、私の人生も少しは楽しかったかしら」
気が付くと、青年は彼女を連れて逃げていた。
僅かな荷物を持ち、彼女の手を引いて夜の闇を駆け抜ける。
「驚いた。 坊ちゃん、どういたしやした?」
「すまない。 手を貸してくれ」
公爵家というのは王族に次ぐ名家であるが、その実体は国のためなら黒いことにも手を染める裏の者でもある。
そのお蔭で青年は王都を出ることが出来た。
「なぜ、そんなに私を助けようとするの?」
青年はただ頬を赤く染めて目を逸らす。
女性は青年の顔に手を添え、そっと自分の顔を寄せる。
綺麗だった姿は泥に塗れ、煤に汚れても、青年の青い瞳は美しい。
その瞳に吸い込まれるように唇を重ねた。
逃避行の間に子供が出来たのは若い二人には無理もない話であった。
南の辺境地からさらに船で五日ほどかかる島。
「ここまでくれば大丈夫だろう」
「うふふ、本当に二人っきりね」
「いや、もうすぐ三人だ」
妊娠中の船旅はとても危険だったが、偶然にも港で島へ行くという医者と出会い、同行することになった。
「うん。 とても元気な子だ。 魔力が多い子のようだね」
「ありがとうございます」
魔力が多い子供は総じて病気に強く、身体が丈夫だという。
ただし、魔力が暴走すると危ないので子供の内は魔力を封印する親もいる。
「どうしたらいいかしら」
女性は不安になる。
「大丈夫だよ、ほら。 これは我が家に代々伝わる『魔封じ』だ。
これがあれば子供の魔力を封印出来る」
小さな魔道具だが、この青年も子供の頃お世話になっていた。
知らないうちに荷物の底に入っていたのは彼女の『魅了』を封じるつもりだったのだろうか。
「子供の名前を考えなくちゃ」
突然、彼女が提案してきた。
「名前を決めるなら教会ね。 行ってみましょう」
二人が滞在していた村には小さな教会があった。
そこには祈祷師の老婆がいるだけだ。
青年は「気に入らなければ付けないだけだ」と気軽に応じた。
「赤子に名前を付けるのかや」
ほうほう、と言いながら老婆が提案した名前は割と気に入った。
あとは産まれた時に性別で変わるかも知れないと思いながら帰ろうとしたが、老婆に引き留められる。
「あんたたち、追手が迫っておるようじゃ」
老婆の目は黄色く濁っていたが、二人には思い当たるものがあり過ぎた。
「もしこの島まで追っ手が来るようなら、逃げる場所は一つしかない」
老婆はある洞窟の場所を教えた。
「大きな二つ石の重なった隙間じゃ。 昔は精霊の祠と呼ばれておった」
「精霊がいるのか」
青年が驚く。 この世界で精霊が姿を現さなくなって久しい。
「そこに捧げものをすればきっと守ってくれるはずじゃ」
「まあ、本当?。 きっと行ってみるわ」
すると老婆がこっそりと女性の手を取って古い紙片を渡す。
「これを持っていなさい」
誰にも言うなと言い置き、老婆は小さな声で囁いた。
「召喚魔方陣じゃ。 もしもの時のためにな」
「あ、ありがとう、お婆さん」
その真剣な顔に要らないとは言えず受け取る。
青年は、老婆が自分たちだけに秘密を教えたのは、彼女の『魅了』のせいかも知れないと思った。
産月が近付くと彼女は少し神経質になり始める。
そんな時、彼女が洞窟を見つけたと言い、老婆の指示で祭壇を作って祈り始めた。
青年は「身体に障るから」と何度も止めたが、彼女は「精霊様がいるのよ」と言って聞かない。
その日は朝からお腹が痛いというので、もう止めるように言った。
「今日で最後にするから」と彼女にせがまれて青年も同行する。
その洞窟は、青年の目には不気味にしか見えなかった。




