【第4話】思い出してよ♀
美月の呼び方が『三田村くん』に変わったことに、雄介は少しだけ罪悪感を覚えた。
〝俺が、覚えてなかったから……〟
相当がっかりさせてしまったのだろう。
雄介はそう思ったが、美月の顔色の悪さは、さすがにそれが原因ではない事ぐらいは分かる。
立ちくらみを起こして倒れたのか、真っ青な顔に汗が滲み、息も小刻みで浅い。
陸上部の女子にも何人かいるが、症状がほとんど同じに見える。
たぶん、スポーツ貧血だ。
〝何か、部活の練習にでも参加したのかな?〟
詳しい理由は分からなかったが、なんとなく雄介はそう思った。
「西條さん家どこ? 送っていくよ」
「え?」
美月は驚いた顔で雄介を見上げた。
「……いいよ……一人で帰れるから……」
雄介の手を振り払い、靴を履いた美月は気丈に歩き出したが、数歩でよろめいてしまう。
「おっと」
雄介は素早く美月の隣に駆け寄る。
ごく自然に、照れる事もなく女子の肩を支えた事に、雄介は自分でも驚いていた。
「俺の事は、杖とでも思えばいいから。誰かに見られてもそう言っとくから、西條さんは気にしなくていいよ」
「ゆう……三田村、くん……」
美月は戸惑うように雄介を見つめた。
〝私の事を忘れてたとしても……子供の時と同じ……やっぱり雄介は、優しいな〟
「うん、ありがとう」
美月は雄介の右腕の袖を、遠慮がちに摘まんだ。
「家どっち? 近いの?」
昇降口を出て、雄介が尋ねた。
東側の校門へ向かうか、西側の通用門へ向かうか、帰り道の方向で変わってくる。
「家は……吾古月……」
「じゃあ通用門だね」
通用門を抜けて大通りを渡り、雄介は美月のペースに合わせてゆっくりと歩き、車通りのない住宅街の道に入る。
特に近道という訳ではないが、この道なら車だけでなく人もあまり通らない。
二人がくっついて歩いても、疲れてしゃがんでも、あまり人目を気にする必要がなかった。
それを美月も分かっているのか、雄介の腕に縋りつくように身体を預ける。
「ごめんね、この方が……その、楽で……」
「ああ、うん。大丈夫、大丈夫」
美月が見上げた雄介の頬は、夕日のせいだろうか、少しだけ赤くなっている。
〝雄介……〟
雄介はわざとらしく顔を背けて、美月の方を見ようとはしなかった。
特に会話もなかったが、美月は掴まった雄介の腕から伝わる心地よい温もりに、気のせいではなく躰にほんの少し、活力が戻ってくるのを感じた。
「あ、ここ。懐かしいな、まだあったんだ」
小さな公園の前で雄介は立ち止まり、特徴的な遊具を眺めた。
直径が5mほどはあるコンクリート製の半球には、表面にくねった溝と、クレーターを模したいくつもの円。おそらく月のつもりだろう。
コンクリートの月の上に、浮いた状態の滑り台が設置されているが、その滑り台の最上部には、銀に塗られた球形の物体に丸い窓とアンテナ。これは宇宙船をイメージしているらしい。
公園の入り口や他の遊具は変わっているが、その宇宙船と月は雄介が子供の頃から、少しも変っていなかった。
「ホントだ、朝は別の道を通ったから、分からなかったよ」
美月も懐かしそうにその遊具を眺めた。
「小さい頃、ここでよく遊んだなぁ……」
「うん、私も……」
雄介の家族は、以前この近くのアパートに住んでいた。
「アポロ公園っていってたな、ホントの名前はしらないけど」
「あ、私もだよ。って、みんなアポロ公園って言ってたね。今でもそうなのかな」
「どうだろ、でも俺たちよりけっこう上の人もそう呼んでたって言ってたし。たぶん今でもそうなんじゃない?」
雄介と美月は、まるで忘れものを探すかのように、公園を隅々までじっくりと、そしてゆっくりと見渡した。
あの頃は終わりがないくらいに広く感じた芝生の公園も、いまでは全力で走れないほど狭く感じる。ただ、低かった木々は、もう昇る事もできないほど高く成長していた。
美月は、離れていた年月の長さと重さをこの公園に重ねていた。
〝ここで一緒に遊んだ事も、雄介は忘れてるんだ……〟
「ゆ、三田村くんは、家どこなの?」
涙が溢れそうになり、美月は想いを無理やり引き剥がすために話題を変えた。
「あ、俺は、馬場崎だよ。小学校に入る前に引っ越したんだ」
「そう、そんなに遠くないね……」
「え? そうか? そんなに近くもないと思うけど」
「通り道じゃない? 三田村くんの家から」
「いや、めっちゃ遠回り」
ぷ、っと二人はふきだした。
「冗談よ」
「まあ、ね」
そこからの足取りが少しだけ軽くなったように感じたのは、けっして美月の気のせいではなかった。
「ちょっと、顔色良くなったんじゃない?」
雄介は、にこにこと笑う美月の顔を眺めてそう感じた。
「そう見えるなら、三田村くんのおかげ、だよ?」
「いや、それは大袈裟だって」
途中、建設中のマンションの前を通る時、雄介は見えない自転車でも避けるように道路にはみ出した。
「三田村くん?」
「え? 何?」
だが、雄介は無意識にそうしたようだ。
「もう、この辺りでいいよ。家、すぐ近くだし」
「ああ、でも、この先で曲がったほうがいいんだ。だから、そこまでは一緒にいくよ」
「……うん、ありがとう」
曲がり角近くの、もう美月の家にほど近い茶色マンションの前で、美月は不意に足を止め懐かしむように見上げた。
「あれ、ここに住んでるの?」
「あ、ううん。そうじゃなくて、このマンション、出来上がったんだなって。私がいたころは、建設中だったから」
「そりゃあね、十一年も経てば……」
「うん、そうなんだけど……ねえ、三田村くん……」
「何?」
美月はマンションを見つめたまま、しばらく悩む素振りを見せたが、ふるふると首を振って歩き出した。
「ごめん、何でもないっ」
「そう? じゃあ俺はここで……ホントに大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう……三田村、くん」
また明日、とその角で二人は別れてそれぞれの家路についた。
暫く雄介の後姿を見送った美月は、心のもやもやを振り払うように首を振って踵を返した。
「ただいま」
ドアを開けて玄関に入ると、奥のキッチンから母親の返事が返ってくる。
「お帰りー」
リビングに向かいバッグを床に落とし、制服のままソファーに座り込んだ美月に、母親の美鈴が笑顔で声を掛ける。
「学校どうだったぁ? 雄介くんとは会えたの?」
「会えたけど……雄介、私の事完全に忘れてた」
美月は瞳を潤ませて、拗ねたように頬を膨らませる。
「あらあらぁ、そうかぁ、やっぱり覚えてなかったんだぁ、雄介くん」
「やっぱり? お母さんっやっぱりって、どういう事!?」
美鈴は腕組みをして眉根を寄せ、ううん、と困ったように溜息を零した。
「あのね、美月。あなたにはまだ話してなかったけど、私たち吸血姫は、人外の力を使えるかわりに、人の血を飲まなければ長くは生きていけないでしょう?」
「うん、それは……知ってる」
「それともう一つ、大きな代償があるの……美月には辛い事だけど……」
美鈴は美月の前に膝をつき、美月の手をとり、優しく包んだ。
「人の記憶に残りにくいの。特に能力を見た人の記憶からは、とても消えやすい……」




