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【第3話】覚えてないよ♂

 部活の練習を終えた雄介は、職員室へ部室のカギを戻しにいった帰り、西日の差す渡り廊下をゆっくりと歩きながら、聞こえてくる雑多な音に耳を澄ましていた。


 吹奏楽部の奏でる管楽器の音色が少しちぐはぐなのは、個人個人がそれぞれに練習しているからだろう。


「ん? オーボエのやつ、だいぶ上手くなったなぁ」


 だとか、


「あのコルネット、才能なさげ……」


 とか、好き勝手な批評をするのが部活後の雄介の日課だった。


 陸上部の練習時間は割と短いため、この時期だとまだ明るいうちに帰る事ができる。


 夕暮れの空に響く楽器の音と、風に流れてくるまだ練習を続けている野球部の声。


 まったく調和の取れていない音たちが勝手に耳に飛び込んでくるのを、雄介は校舎の合い間から見える景色を眺めながら楽しんでいた。


〝お願い、雄介の血……ちょうだい……〟


 ふと、美月の言葉がよぎり、雄介は立ち止まってバッグの中からスマホを取り出す



『血を飲みたがる』



 表示された検索の結果に、目を引くタイトルがあった。



血液嗜好症ヘマトフィリア:血液を見る事で性的快感を覚える、精神疾患の一つ。血液に対して異常な執着を見せる。吸血症】


『三十年前から毎月2リットルの血を飲み続けている、吸血鬼のような女性がいる』

『週一回、お互いに血液を飲みあうカップル』



「血を見て……性的快感……」


〝……私……もう、我慢できな、い……〟


 思い返してみれば、あの時の美月の表情は普通ではなかった。


 上気した頬に潤んだ瞳。はっとするほど艶めかしく動く唇と、ぞくぞくするような甘い吐息。


 触れ合うくらいに迫った美月の顔が頭に浮かび、雄介はごくり、と唾を飲み込む。


 美月はあの時、明らかに性的な興奮状態だった、と思う。


「ヘマトフィリアか……」


 現実主義者の雄介でも、それなら納得できた。結局、長い犬歯は雄介の見間違いだったのだろう。


「なんか、思い詰めてたようにも見えたけど……そっか、病気だから、それを気にして……」


 何となく頭の中の整理がついた雄介は、スマホをバッグに入れて、一年生校舎の昇降口に向かった。


「あれ? 待てよ、なんで俺なんだ?」


 肝心な事がすっぽりと抜けていた。


〝やっと会えたね雄介……私、一日も雄介の事、忘れた事なかったよ?〟


 そう言って見つめた美月の目は、本当に嬉しそうに輝いていた。


「……やっぱ、ちゃんと謝って、ちゃんと聞こう……」


 自分でも、久しぶりに会った友達から忘れられていたら、かなり落ち込むだろうと思う。


「思い出さないとなぁ……」


 昇降口の自分の靴箱から靴を取り出し床においた時、がしゃん、っと何かが倒れるような音が響いた。



◇◇◇◇◇◇



「あ……んっ……」


 美月はトイレに座り込んだ状態のまま、目を覚ました。


「やば……」


 一瞬そう思ったが、まだ暗くはなっていないところをみると、日が暮れる前には起きる事ができたようで、ほっと胸を撫で下ろす。


 まだ頭はがんがんと痛むし、お腹に力が入らない。でも、吐き気だけは収まっている。


 これなら、なんとか歩いて帰れるだろう。


「うっ……」


 ゆっくりと立ち上がったが、少しふらっとした。


「ここに泊まるのはやだ……」


 美月は意を決してトイレのドアを開け、壁に手をつきながら歩きだした。


「これ……一週間コースかな……お母さんに怒られちゃう」


 ――吸血姫――。


 僅かな時間ではあるが、人外の力を発揮する事ができる一族。


 だが、その反動として起こる身体の不調は、未だに人の血を飲んだ事のない美月には、大きすぎるものだった。


 誰の血でもいい、という訳ではない。


 吸血姫は生涯、たった一人の男をパートナーに選び、その男から定期的に血の提供を受ける。


 そして、パートナーとなるには、幾つかの厳格な条件がある。


「私は……雄介がいい……」


 ただ、冷静になって考えてみると、アレは唐突すぎるし、ちょっと強引だったかもしれない。


「十一年……だもんね……忘れてても……仕方ない、かも」


 自分に言い聞かせるようにそう呟いてはみたものの、涙が溢れそうになるのを美月はぐっと我慢した。


 手摺に身を預けるように階段を降り、おぼつかない足取りでなんとか昇降口に辿り着く。


「これ……ホントに帰れるかな……お母さんに電話して、迎えに来てもらった方がいいかな」


 靴箱から取り出した靴を、床に置こうと前かがみになったと同時に、美月は身体を支えきれずに足から崩れ落ちた。



◇◇◇◇◇◇



「きゃっ」


 派手な物音と、消え入るような悲鳴に、雄介は急いで靴箱の裏へと走る。


「あ、西條さん!?」


「え?」


 そこには、腰をぺたんと落とし、両手を床についた美月がいた。


「どうしたの、西條さんっ、大丈夫!?」


 雄介は迷わず美月の傍に膝をつき、肩に手を置いた。


「あ、うん、大丈夫……」


「顔色、良くないけど、ホントに大丈夫?」


「うん」


 緩慢な動きで立ち上がろうとする美月の腕を、雄介はそっと握って支えた。


「ほら、つかまって」


 雄介に支えられながら、ふらふらと立ちあがった美月は、不意に雄介を見つめ、そしてすぐに顔を背ける。


「……ありがとう、ゆうす……三田村、くん……」


 美月は、『雄介』と言いかけて、やめた。




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