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令嬢は怠惰を望む  作者: ゆうや
第一章
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第九話 令嬢、眠る

 スノトラに乗るタリアが外に抜け出す直前に振り返る。その瞬間に見た光景はレオンの最期だった。

 心の底から嬉しそうに笑っていた彼は、両手を広げ、まるで子供を迎え入れるような姿で文字通り四散した。辛うじて手足と首が原型を留めて地面に転がり、あとは血霧となって空気中に充満した。その空気を吸う前に脱出できたことは幸いだった。

 しかし、まだ終わりではない。彼の遺した魔族召喚の陣を本物とみた予感は当たった。既に無人となった筈の遺跡からは、強力な魔力のプレッシャーを感じる。恐らく、良くない何かがいる。


「タリア様、ここで降りて下さい」


 遺跡から少し離れた場所に降り立ち、アティが告げた。その表情は険しく、遺跡の姿見えぬ敵を見据えている。


「アティ、ここは撤退して態勢を整えたほうが良いんじゃない?」


「いえ、伝承に聞く魔族の召喚ですと、召喚直後が最も力が弱いと伝わっています。魔界からこちらの世界へ移動した際の影響とも言われていますが、それも時間経過で無くなるようです。倒すなら今しかありません」


 一時撤退後に人員を動員して対峙したとしても、倒せる確証はない。どれだけ被害がでるかも予想不可能で、しかも野放しの時に村や街を襲われれば目も当てられない。


「これ以上、タリア様の大事な畑に危害を加えられることは容認できません。もし、そんな事になれば号泣されるのは目に見えています。従者として主の憂いは断っておくことにします」


「アティ…」


 畑よりも、見知らぬ街や村の人の命よりも、アティが大切だ。そう言ってしまいたい。それでも、貴族のタリアはこの場にいない父に代わり、領民を守る責務がある。


「死ぬことは許しません。私の従者はアティだけです。部屋でゴロゴロしたり、寝っ転がってお菓子を食べたり、こっそり取り置きしていた夕食を夜食にすることも、他の人じゃ許してくれませんから」


「タリア様、最後のは初耳です。あとでお話ですね」


「しまったっ!?」


 余計なことを言ってしまった、とショックを受けるタリアから小さな猫が現れた。今までタリアが乗っていた猫の小さいバージョンだ。並ぶと、同じ姿なのがよく分かる。


「それは私の精霊スノトラの分霊です。内密にタリア様に護衛として憑けておりました。申し訳ありません」


「いいよ。私のことを心配してくれた結果だしね」


「そう言って下さると助かります」


 スノトラが分霊に近づき、顔と顔を合わせる。すると、今まで弱々しかった分霊がみるみる元気になっていった。


「力を分けておきました。ですが、戦闘が出来る程ではありません。タリア様は身を隠して下さい」


「分かった。初めまして、スノトラ。あなたは知ってると思うけど、アティの主であるタリア・グランドールだよ。取り敢えず、アティをお願いね!」


『しょーがないね。程々に頑張るよ』


 アティに憑いていたとなれば、タリアのことを知っていて当然だ。しかし、タリアにとってはこれが初対面となる。相手が一方的に自分を知っていることは言い様のない心地悪さがある。タリアの言葉に、スノトラが尻尾を揺らして気怠そうに答えた。その怠慢そうな姿勢に少し親近感が湧いた。

 タリアは足元をチョロチョロと動き回る分霊を持ち上げ、目に付いた大木の後ろへと避難する。十分に距離を取りつつも、それでいてアティの姿が確認できるギリギリの場所。戦う力が皆無のタリアは、魔族どころか魔物にすら遭遇することは危険だ。スノトラの分霊が力を回復したとはいえ、戦う力はない。無理をすれば、先程のように再び力を消失する事になる。最悪、川に飛び込んで流れに任されて漂うしか無い。


『なー』


 タリアの腕の中にいた分霊が鳴いた。


「どうしたの?」


『なー、なー』


 タリアの腕を前足で何度も軽く叩く。触れる肉球の柔らかい感覚と、こそばゆい毛の感覚が気持ち良い。その姿は、子供が親に何かをせがんでいる様に見えた。


「……ひょっとして、名前?」


 助けてもらった時から、『この子』とか『それは』等と呼ばれていた事を思い出す。メリッサから譲り受けたピーちゃんも、最初に名付けをした時には、喜んでタリアの周りを飛んでいた。


『なー』


 そうそう、と頷いているように見えた。


「名前…じゃあ、スノトラの分霊だから、スーさんで」


 ピーと鳴くからピーちゃん。スノトラの分霊だからスーさん。タリアの命名力は単純明快で捻りが皆無だった。それでも、名を受け取ったスーさんは嬉しそうに喉を鳴らした。


「スーさん、あなたの本体とアティが無事に帰ってこれるよう、祈ってようね」


『なー』


 無力で小さな一人と一体は、ただ無事を祈ることしかできなかった。





『来たね』


 最初にそれに気付いたのは、精霊のスノトラだった。人間よりも遥かに魔力に敏感な嗅覚は、姿は見えなくても遺跡から感じられるソレを見逃す筈がなかった。警戒した尻尾の毛が膨らみ、普段の倍くらいの大きさになっている。

 遅れて、警戒していたアティにもソレに気付いた。


「なるほど、これが魔族の気配というものですか。酷い船酔いの最中に似ていますね」


『殺気と魔力酔いのブレンドってとこだね。うーん、やっぱり格が高いヤツが召喚されたみたいだね』


「勝てそうですか?」


『周囲が焦土になっても良いなら、こちらに来たばかりのヤツに負けることはないと思うよー』


「タリア様を巻き込むのは論外です」


『なら、覚悟しなくちゃねー。僕達精霊は時間が経てば復活できるけど、君たち人間は死んだらそこで終わりでしょう。逃げなくて良いのかな?』


「愚問ですね」


 両手に短剣を構える。メイド服の下に隠し持っていたものはこれで最後だ。しかし、召喚された魔族相手への効果は未知数。鉄製の剣が刺さるのか、それ以前に当てる事ができるのか不明だ。戦闘は主にスノトラに任せ、アティは距離を取った上で、目くらましや牽制に徹する。それで相手の力を把握し、倒すしか無い。

 やがて、遺跡から異形の存在が姿を現した。想像していた姿よりも高さはない。せいぜい、大男と呼ばれる部類の人間よりも一回り大きい程度だ。山脈に生息するイエティにも似ているが、体毛は黒々としており、その目は血のように赤い。そして、頭部には触ると切れそうな鋭い二本の角が生えている。

 その息苦しいプレッシャーから、警戒しているアティの頬に汗が一筋流れる。緊張で喉が乾く。一瞬でも見逃すまいと凝視していた目がチカチカと痛い。反射的に瞬きをした。してしまった。


「っ!?」


 魔族の拳がアティの目前まで到達していた。まったく反応できなかった。あと数センチの距離に息を飲む。自分と拳の間にあるのは風の壁。アティには認識すらできなかった動きを、精霊であるスノトラは問題なく把握しているようで、守るための風魔法を使用していた。一拍遅れて拳圧がアティの髪を乱暴に揺らした。

 助走も力を溜めていた様子もなかった。ただ自然な風体であった筈の魔族が、普通ならゆうに十秒はかかる距離を一瞬で移動していた。アティの目前で止まっている拳は子供の頭程の大きさがあり、命中すれば絶命は必至だ。近距離で見る魔族の姿は、至る所の戦傷が見て取れた。治りきっていない大小様々な傷に、口元に見えるこびり付いた何かの肉。その目は野生の動物のように本能が色濃く出ている。


「これで力が落ちている状態ですか。万全となった時を考えると嫌になりますね」


 とてもじゃないが、スノトラと共に戦うなど無理だ。逆に足を引っ張る未来しか想像できない。自分もタリアと共に避難し、すべてスノトラに任せたほうが良かったかもしれないが、後の祭りである。今更、この状況下で背を見せて逃してもらえるとは思えない。


「スノトラ、すべて任せます。私のことは最低限で、全力で倒して……殺して下さい」


『りょうかーい』


 アティの周囲に風の壁を残し、スノトラが吠え、突撃した。重い衝突音がお腹に響く。二体の精霊と魔族は絡み合い、お互いに噛みつき、殴り、牙を立てる。巻き込まれた周囲の遺跡や木石は砂で出来ているかのように崩れていく。

 魔族は物理的な攻撃しかしておらず、一方のスノトラは他にも風の刃で死角から魔族を切り刻んでいる。それは時間と共に魔族の傷を増やし、状況を有利に傾けていった。既に魔族の無防備な背中は無数の切り傷と流れる青い血で、見るも無残な姿だ。しかし、魔族の動きに鈍さは見られない。逆に、調子を上げているかのように攻撃の速度と手数を増やしていく。

 スノトラも俊敏な動きで回避をしているが無傷ではいられない。


(せめてもの一手を!)


 一か八か短剣を投擲する。レオンの時のように手加減は皆無。全力で、自身の魔力全てをこの一刀に掛ける。外れても、こちらに注意が向けばその瞬間にスノトラがチャンスを得る。

 無謀ともいえるアティの賭け。しかし、運命の女神に好まれた。アティの放った渾身の一撃が魔族の左肩に突き刺さった。しかし、アティの全力でも、僅かしか刺さっておらず、とても致命傷には成り得ない。それでも、魔族の注意を左上半身に向けることができた。


『いただきまーす』


 魔族の無防備になった下半身を鋭い風が襲った。ガクリと崩れ落ちる魔族。その右足が付け根から切断されていた。痛みと、憤怒で叫び声が上がる。空気を伝って振動が肌を刺激する。その間にもスノトラは追撃を仕掛けた。


『こっちも頂きー』


 残った左足も同様に切断を試みる。が、今度は風が防がれた。いや、命中はしているが切断できなかった。ただ、ひたすらに硬い。元々頑丈な皮膚だったが、今はそれ以上に硬化している。仮に人間の扱う一般的な長剣だったら、ポッキリと折れてしまうだろう。

 予想外の結果に、思わず身を固めるスノトラ。魔族は荒い息を吐きつつ、地面にその硬い拳を全力で叩きつけた。地面が砕け、粉砕された岩石が勢い良く周囲に飛び散る。拳を打ち込んだ自身はもちろん、接近していたスノトラもその余波を受け、吹き飛んだ。


「スノトラ!」


 駆け寄り、その体を支える。大小幾つかの岩石が鋭くスノトラの体に突き刺さっている。


『うう、痛いよー』


「早く回復して下さい。次が来ますよ」


『分かってるけど、精霊使いが荒い主人だねー』


 魔族も一旦は体の回復に専念しているようで、すぐには向かってはこない。アティが突き刺した短剣が、皮膚の硬化に負けて刀身が砕ける。さらに硬度が上がっている。これではその内、スノトラの攻撃もまともに効かなくなってしまう可能でも出てきた。そうなる前に、決着を付ける必要がある。


『思った以上に、こちらの世界に体が慣れるのが早いねー。ちょいと、マジでヤバイかもー』


 自爆した怪我はもちろん、切断した右足でさえも、回復が始まっている。切断面から肉片が脈動し、徐々に足の形を形成していく。完全に足となるまで時間はそうない。

 スノトラは濡れた体を乾かすように、全身を震わせて刺さった岩石を抜き飛ばす。傷口は一瞬で消えて元に戻った。


『ちょっと本気だすよー』


 スノトラの瞳が真ん丸となり、その喉が震える。口元から鋭い牙が露出し、敵を丸出しにする。そして、一気に駆けた。

 駆け出す速度は今までよりも遥かに早い。同時に、魔法でかまいたちを複数発生させて魔族を四方八方から滅多打ちにする。爪、牙、魔法。それらを絶え間なく浴びせ続ける。魔族の体の傷は瞬く間に増えていき、回復も間に合わない。右足も回復の兆しが止まった。完全にスノトラの攻撃が、魔族の回復を上回っている。

 魔族は両手で顔を守るようにして攻撃に耐えている。反撃する余地はない。


『つれないなー。もっと、お互いに顔を合わせようじゃないか。同じ人間界にきた者同士じゃないかー』


 両手を切断。おまけとばかりに、残った左足も切り落とす。両手足を失くし、胴と頭だけになった体が地面に転がる。切断面からはおびただしい量の血が流れ、地面を青色に染めていく。普通の生物ならば死んでいる。魔族だからこその、生命力。そして、未だ諦めることない、目に浮かぶ闘争心。


『その戦いに向ける姿勢は、僕には理解できないけど。まあ、敵ながら見上げた根性だったよ。おつかれー』


 トドメの前口上はそれで十分。スノトラは無防備になった魔族の首を落としにかかった。いくら魔族でも首が落ちればその生命活動は停止する。その後は死体を火葬して完全に塵とする。そうする事で、死体を食らった魔物が凶暴化することも、私欲に目がくらんだ人間がコレクションとして魔族の体を保管し、残留魔力に当てられて精神を暴走させることも無くなる。

 鋭い爪が体を貫く。意識していなかった攻撃に、安々とその体は跳ね上がり、転がる。


「スノトラ!」


 今まさに、トドメを刺そうとしていたスノトラが地に伏した。





 木の裏に隠れ、顔だけこっそりと出して様子を伺っていたタリア。いきなり魔族がアティの目前に出現したり、人知を超えた戦闘を繰り返すスノトラと魔族にポカンと口を開けて見ることしかできなかった。それでも、アティの一太刀で状況が収束に向かい、スノトラが魔族の四肢を切り飛ばした時点で、タリアは勝利を確信し、胸を撫で下ろした。

 しかし、最後の瞬間。突然スノトラの体に爪が突き刺さった。一切の前触れもなく、気付いたらスノトラに刺さり、その体を吹き飛ばしていた。魔族は未だに地面を転がっている。原因は他だ。

 スノトラを貫いた爪は、足のない幽霊のように宙を闊歩しており、まるで透明人間の爪だけが見えているような感覚になる。


「ん? あれは……」


 よく見ると、遺跡から何かが這いずり出ていた。

 八足歩行でタリアの背丈ほどの高さ。そして、幾つもの目、目、目。魔族同様にそれらはすべて赤々としている。時折、屋敷で見かける蜘蛛が巨大化したその姿に、自然と嫌悪感が生まれる。小さい生き物でも、巨大化すれば気味が悪い。しかし、普通の蜘蛛と異なり、すべての足の先は鋭い爪となっており、歩く度にカチカチと音が聞こえてくる。あんなもので踏まれれば一溜まりもない。その魔族的な蜘蛛の、一本の足先が消えている。観察すれば、スノトラを攻撃した爪と消えている足の動きがシンクロしている。

 恐らく、空間を操る魔法か何かだろう。見たことも聞いたこともないが、そうとしか思えない。


「どどど、どうしよう。スーさん、あれを相手にして勝てる?」


『なー』


 勘弁してくれ、と言いたげに首を振るスーさん。ピーちゃんは絶賛引きこもり中である。

 魔族は無力化したが、また新たに出現した敵。スノトラも未だに立ち上がらない。アティは健在だが、あのような危険生物相手に、どう立ち向かうというのか。タリアならば、瞬殺される自信がある。

 頭を抱え、思考するタリア。その気配を感じ取ったのか、蜘蛛がタリアの隠れる木を見た。


「あっ、まずいかも」


 取り敢えず、完全に動きを止めて様子を見る。瞬きも、呼吸すらも止めて自然と一体化を試みる。偶然、蜘蛛がこちらを見ただけで、タリアの存在には気付いていない可能性もある。

 十秒経ち、まだこちらを見ている。呼吸は我慢できる。二十秒経ち、まだまだこちらを見てる。呼吸はちょっとキツイかも。三十秒経ち、タリアの呼吸に限界が来た。


「ぶはっ!」


 ゼーゼーと肩で息をするタリア。一方の巨大蜘蛛は待ってました、と言わんばかりにタリアに向かってくる。勢い良くすべての足を総動員して移動する姿に、タリアは腰を抜かしそうになる。アティが自分の名を叫んでいるが、正直何を言っているのか聞いている余裕はない。『逃げて下さい!』だろうか。スーさんが全身の毛を逆立てて威嚇しているが、蜘蛛の動きに変化はない。サイズが違いすぎる。

 タリアは気合で体に力を入れ、足を動かす。今は一歩でも動いて逃げるしか無い。スーさんを手に抱え、全力で走る。しかし、数歩走った所で追いつかれ、さらには回り込まれた。


「ひ、ひぃぃ」


「タリア様!」


 アティが最後の短剣を投げるが、魔法の上乗せすらしていない投擲は、蜘蛛が軽々と弾いてしまった。ほぼ真後ろからの攻撃だったが、多数の目は広範囲の角度をカバーして死角がない。


「ひ、火魔法! 風魔法! 水魔法! あとは、えーと、えーと…」


 両手を突き出し、メリッサから教わっていた攻撃魔法をダメ元で試すが、当然のように上手くいかない。危機に陥って、自分の中の眠れる力が覚醒する事はないようだ。

 蜘蛛が大きく口を開く。醜悪な口内と鼻を刺す匂い。このまま頭から齧り付かれる未来を想像し、タリアは目を強く瞑る。せめて、最後に美味しいものを、お腹一杯食べたかった。最後の食事が村長宅での質素なメニューだとは、心残りがありすぎる。


『ピー』


 タリアの中からピーちゃんが現れた。スーさん同様、蜘蛛は気に留めない。


『ピー』


 再びピーちゃんが鳴く。今度はもっと大きい声で。すると、蜘蛛が動きを止めた。空気が変わったことを肌で感じ、タリアが目を恐る恐る開ける。目前には恐ろしい風貌の蜘蛛。足がガクガクと震える。知らず、目からは涙が出る。


『ピーーーーッ!!!』


 蜘蛛が突如、上空を見上げた。そして、その体が炎に包まれる。火種があったようには見えない。それでも、蜘蛛の体は勢い良く燃え、今もその勢いは止まらない。全身を焼かれている蜘蛛はのた打ち回り、どうにか火を消そうと躍起だ。その勢いと炎に巻き込まれそうになるも、背後から強い力で引っ張られた。そして、包み込むようにして両手が回された。


「アティ!?」


 首だけ振り向く。しかし、そこには居たのは、タリアの予想した人物ではなかった。


「ご無事ですか、タリア様」


 長い白髪がタリアの頬を撫でた。このような状況下でも見惚れるような笑み。直前に醜い蜘蛛を見ていただけに、その姿はタリアに想像以上の安心を与える。万人が彼女の姿に酔いしれ、求め、教会へと赴くという。初対面でタリアの能力を暴露し、彼女自身の力も明かしたタリアの義姉。そして教会の聖女。エメリア・ドゥ・ロレーヌが守護の力で炎からタリアを守っていた。


「エメリア…お姉様?」


「はい」


「なんで、ここに…」


 未だに信じられず、思考が追い付かない。素直に口から疑問が湧いて出た。


「昨晩、ハルバート様からタリア様への助力を求められました。日が昇った直後に街を発ち、村では村長様からタリア様とアティさんの行き先を聞いてこちらまで辿り着きました」


「うう、ありがとー」


「私はタリア様の守護者。その任を全うするためなら、地の果てでも参上しますわ」


 タリアの目に溜まった涙を拭き取り、頭を撫でる。安心したのか、タリアは思い切りエメリアの胸に顔を埋めて抱きついた。


「それに、私だけではありません」


「そう、私も、いる」


 再度、炎が蜘蛛を襲った。辛うじて生き長らえていたが、今度こそ動きが鈍くなり、やがて止まった。声の聞こえてきた方を見ると、木の上にタリアの師であるメリッサが、得意気な表情で腕を組んで仁王立ちしていた。その肩には、彼女が使役する鳥の姿をした炎の精霊が止まっていた。


「ハルバート様が兎に角、急ぎで少数精鋭と仰られまして。そのため、私のメリッサ様が選ばれたのです」


「来る途中、エメリア様から、少し、事情を聞いた。来てみたら、アティが、精霊、使役。びっくりした」


「タリア様の事情は詳しくは話しておりません。タリア様自身がご判断下さい」


「色々、知りたい。そのためなら、タリア様に仕えるのも、良い」


 うんうん、と一人頷くメリッサ。と、一瞬で表情を切り替えた。


「また、同じ蜘蛛が出てきた」


「えっ!?」


 驚き見ると、確かに遺跡から同じような蜘蛛が出現していた。この場に蜘蛛の死体があることから、また別の同一種とみて間違いないだろう。こちらに気付き、一目散に向かってくる。

 そもそも、アティが対峙していた魔族とは別に出現した蜘蛛。レオンが召喚する魔族は一体とは言っていなかった。二体目が存在しても不思議ではない。しかし、また次の三体目。これでは、さらに次が来ても不思議ではない。過去の話や書物では、複数の魔物が同時に現れたとは聞いたことも読んだこともない。だが、目の前ではそれが起きている。何か原因があるはずだ。このまま増え続ければ、文字通り世界の危機だ。

 原因を調べる必要がある。ならば、自分の力が役に立つ可能性が高い。


「メリッサ様、あれの対応をお願いします」


「了解。行くよ、フェニ」


 エメリアから離れ、告げるタリアの言葉に疑問すら抱かずに飛び行くメリッサ。相棒のフェニと呼ばれた精霊もヤル気が満ちている。

 アティの様子を伺うと、タリアが無事だったことに安心したようでスノトラの側に付いている。スノトラもだいぶ回復した様子で、立ち上がろうと試みている。しかし、四肢を切り落とされた魔族も負けじと回復を早めており、両手足が気味の悪いことになっている。


「アティとスノトラは、その魔族をお願い!」


「分かりました!」


 有効な攻撃手段がないアティは、スノトラが回復するまで手が打てない。状況から、スノトラのほうが早く立ち直ると思われる。あちらは任せ、タリアは自分のやるべき事に集中する。


「エメリアお姉様。お願いがあるの」


「おまかせ下さい」


 信頼して貰えるのは嬉しいが、せめて内容を聞いてからにして欲しい。


「膝枕をして欲しいの。良い?」


「私へのご褒美ですね。全力で承ります!」


 速攻で羽織っていた旅用マントを外し、地面に敷くエメリア。その上に座ると膝をたたんでポンポンと叩く。準備完了。いつでもタリアを迎えることができる格好だ。当然、二人ともふざけているわけではない。タリアの能力である予知夢。これで、未来の情報を得て状況を打破する。この場でタリアが行える唯一の試みだ。

 今まで、タリアは予知夢を自在に制御できたことは皆無だ。この場で望んだ情報を得ることなど、可能性は非常に低い。しかし、今自分にできることはこれしかない。予知夢を見るためには寝る必要がある。そのための膝枕であり、眠って動けないタリアを守護で守れるエメリアが膝枕をするのは適材適所だ。

 遠慮なくゴロンと転がり、頭を膝枕の上に乗せる。暖かく、ほどよい柔らかさと心地良さ。少し頭の位置を調整すれば、長時間続いた緊張と疲労で直ぐに眠くなってきた。普通ならば、どれだけ疲れていても、この状況下で眠れる人間は多くない。しかし、タリアは食う、寝る、食うが大好きな少し変わった令嬢だ。彼女は他の令嬢貴族とは違うのだ。


「眠くなって…き…」


「良い夢を」


 最後まで言葉を紡げずに目を閉じる。意識が落ちる瞬間、優しく頭を撫でる手と、子を想う母を思わせるエメリアの言葉に、完全に眠りに落ちた。





 そこは普段タリアが食事をする、屋敷の一部屋だった。

 右を見るとエメリアが座っている。左を見ると、メリッサが座っている。アティは自分の背後に控えており、いくら言っても頑として共に席をすることを辞退した。視線を正面に戻すと、父がいて母もいる。姉のアネッサも顔色が優れない様子だが、それでもこの場にいてくれる。無理をしないで欲しいのだが、それだけ自分が無事だったことに安堵して、それを祝う気持ちが強いのだろう。それを理解すると、自分の頬が緩むのが分かった。

 そして、さらにはテーブルに広がる料理の数々。豪華ではない。普段のようにバランスの整ったメニューではない。しかし、すべてが自分の好きなものばかり。主食、惣菜、デザートが順序を無視して並んでいる。これはまさにパラダイス。天国かもしれない。夢かもしれない。


(いや、夢だった)


 目を輝かせていたタリアが我に返る。この夢が予知夢なのは、その鮮明さから理解できた。恐らくは、これは未来に訪れるであろう光景。あの場にいた全員がいるということは、無事に状況を切り抜けたということだ。しかし、完全に実現する保証はない。選択を間違えれば未来は変わってしまうのだ。だが、少なくとも、この光景に至るための道筋が存在することは分かった。


(なら、次はその方法を)


 飛び過ぎた未来ではなく、現実の少し後の未来を見たい。

 起きろ、起きろ、起きるんだ自分ー。と念を入れる。目の前に広がる料理の数々を見逃すのは非常に心残りだが、致し方ない。現実ではそれ程時間も余裕もないのだ。

 しかし、起きたいと思えば思うほど、なかなか上手くいかない。いっそのこと、少しだけでも目の前の料理を堪能してしまおうかと欲が出る。少しだけ。ほんの少しだけだから、と自分に言い聞かせて手を伸ばした瞬間。世界が終わった。





「ううー、駄目だった…」


「タリア様、ご自分をあまり責めないで下さい。貴方様は精一杯頑張っておられます」


 目を覚まして開口一番にタリアが愚痴ると、頭を撫でていたエメリアが心配そうに言った。彼女は恐らく、タリアが状況を打破する情報を取得することができなくて悔しがっていると思ったのだろうが、実際は違う。望んでいた情報を得られなかったのが半分。残り半分は夢で好物を食べ逃した事を後悔していた。当然、そんなことを堂々とは言えないので、タリアはキョロキョロと視線を泳がせて誤魔化した。


「も、もう一回寝るから」


「はい、守りは私におまかせ下さい」


 このペースではいつ目的の情報が得られるのか不明だ。短時間で寝起きを繰り返せば、体調にも影響が出るかもしれない。それと、夜に眠れなくなるかもしれない。祈るようにして手を固く握り、目を瞑る。エメリアが『まるでおとぎ話に出てくる、眠る姫君のようですね』などという台詞を聞きつつ、意識が落ちた。





 メリッサが戦っている。彼女は襲い来る蜘蛛をまったく怖気づくことなく、逆にウキウキと楽しそうに戦う。己の精霊と共に炎を纏い、容赦なく炎の雨を浴びせている。普段ノンビリとした彼女からは想像できない身のこなしで敵の蜘蛛を焼いていく姿は頼もしくもあり、彼女と敵対した相手が気の毒にも思えてしまった。

 また一匹の蜘蛛が絶命した。蜘蛛はスノトラを傷つけた厄介な魔法を持つ。体の一部を空間転移させて相手を攻撃するが、メリッサはまったく苦にした様子はない。遠距離で目視した時点で攻撃を開始し、蜘蛛が近づく頃には黒ずみと化している。距離の制約があるのか、蜘蛛は手も足も出ない。これでは、蜘蛛がスノトラを攻撃した手段を使う暇すらない。ひょっとしたら、スノトラも油断していなければ、傷を負うこともなかったのかもしれない。


(あ、また出てきた)


 また同じ蜘蛛が遺跡から出てきた。周囲には既に四、五体の死骸が放置されている。それでも、本能のままに蜘蛛はメリッサに向かっていく。襲い、焼かれ、息絶え、そしてまた現れる。まるで終わりのない退屈な劇を見ているようだ。これでは、いずれメリッサの体力や精神が音を上げることもあり得る。

 しかし、


(どうして一匹ずつなんだろう?)


 不自然な点に気付いた。常にメリッサが戦うのは一匹のみで、絶命した後に次の一匹が出てくる。戦っている最中に次の蜘蛛の姿が見えたり、倒した後に長時間のインターバルが入ることもない。まるで、前の一匹が倒されたのを確認した後、次の蜘蛛を放っているようなタイミングだ。二、三回ならまだしも、それが五回を超えると流石に偶然とは思えない。

 原因を探ろうと、遺跡に向かう。途中、次の蜘蛛とすれ違ったが見向きもされない。夢の中なので、当然なのだが横を通る時には緊張した。蜘蛛の侵攻により、地面が凸凹になっている通路をひた走る。途中にいくつかあった分岐点は、地面の損傷具合を確認して一方を選択する。そして、ようやく目的の場所にたどり着いた。

 目を背けたくなる十二人の生贄と、彼らを繋ぐようにして書かれた陣。この元凶となったレオンは、面影もないほど木っ端微塵になっており、原型のある肉片が幾つか確認できるくらいだ。

 陣はタリアが最後に見た時よりも、更に赤く怪しく光っている。蜘蛛は陣の一部から、穴から這い出るようにして出現していた。やはり、蜘蛛も魔界から呼び寄せられているようだ。

 勇気を出して、陣の中に足を踏み入れる。そして、蜘蛛が出てくる穴を覗き込んだ。


 数え切れない程の赤い目、目、目。


 まるで、街の人気のパン屋にできる行列のように、蜘蛛の大群がこちらに向かって並んでいた。それも、同族同士で攻撃しあって、手足が悲惨になりつつある個体もいる。さらに最悪なことに、蜘蛛以外の異型の存在すらも確認できた。こんな一団がこちらに来る事は、絶対に阻止しなければならない。

 暗さに目が慣れ、注意深く観察する。何とかして、陣を無力化してこちらへの出現を止めたい。

 そして、タリアは気付いた。


(この男は…本当に最後まで手間を掛けさせる)


 世界が戻る。





「分かった!」


 勢い良く起き上がり、叫んだ。膝枕をしていたエメリアは突然の行動に目を丸くしていた。タリアは豪快に蜘蛛を焼いているメリッサに叫んだ。


「メリッサ様! 蜘蛛は殺さずに時間を稼いで下さい」


「…了解」


 再び遺跡に入る必要があるが、メリッサが蜘蛛を倒してしまうと、タリアは蜘蛛と正面から遺跡の中で遭遇することになる。それは御免だ。そのため、メリッサには手加減して時間を稼いでもらう。簡単に倒せる敵を、加減して生かすのは微妙なさじ加減が必要だ。尚且つ、メリッサの精霊が扱うのは炎。燃え広がるため、他の属性と比較して加減が難しい。何も考えずに殲滅するには最適であるが、今はメリッサの力量を信じるしかない。


「エメリアお姉様は、私と一緒にあの中に入って欲しいかな」


「たとえ、地獄の底でもお供いたしますわ」


 これで準備が整った。後は行動に移すだけ。早く終わらせて、あの夢の食事とご対面したい。

 エメリアの手を取り走る。それはまるで娘が母を急かすような光景。メリッサの戦っているすぐ横を抜け、アティとスノトラを横目で確認し、そして薄暗い遺跡に突入する。タリアなら、このような場所に初めて入るなら不気味さに気後れする。しかし、エメリアにそのような様子はない。むしろ、余裕の表情でタリアの手を離すまいと、しっかりと握っている。

 現実でタリアがここに入るのは二回目。しかし、最初は気を失っていたので、自身の足で入るのは初めてとなる。それでも道順を把握できるのは予知夢のお陰だった。

 夢と違い、走り急ぐと息が切れる。心臓が飛び出ると思うほど激しく高鳴り、脇腹も痛い。足もスネが張って痛む。令嬢が走る回るなど普段はしない。そのため、体が負担に付いていけない。ようやく、例の空間にたどり着いた時には、タリアは汗だくで、足は生まれたての子鹿のように震えていた。空間の魔力酔いと、体調の悪さが相まって、コンディションは最悪だ。


「これは……」


 息を整えているタリアの横で、絶句するエメリア。何も知らずに、このような狂気の空間を訪れれば誰しもこうなるだろう。むしろ、絶句程度で済んでいるのが、エメリアの心の強さを示している。


「けほっ、終わったら、皆を丁寧に埋葬して、けほっ、あげないと」


「その時には、私が司教を務めさせて頂きます」


 ようやく息が整うと、ゆっくりと陣へと向かう。相変わらず、不気味な光を発している。あと一歩で陣に入るという所で、タリアの足が止まる。夢では陣に入っても問題はなかった。そもそも夢の中でタリアが危害に合うことはない。しかし、今は現実。流石に不気味な陣に入り込むのは躊躇した。


「タリア様、守護を張ります」


 タリアの懸念を察したエメリアが祈りを捧げた。二人を聖なる光が包む。


「ありがとう、エメリアお姉様」


「いいえ、お安い御用です」


 恐る恐る指先を入れてみる。痛くも、痒くもない。熱くも冷たくもない。何も起こらない。あとは思い切って体ごと陣の中へと入った。陣の中央部に夢で見たソレが横たわっている。近づいていくにつれ、ソレが鮮明になる。エメリアは黙って見ている。


「貴方に引導を渡しに来たよ、レオン」


 ソレは、この騒乱を引き起こした男の頭部。狂気に溺れ、理想に狂い、そして暴走した哀れな男の末路。しかし、その顔は笑っていた。まるで、自分の理想が実現できた光景を目にしたように。

 切断面からはおびただしい量の血が溢れ、地面に広がっている。そして、その広がった部分が何処か別の場所を映し出していた。幾多もの蜘蛛の集団。そして、見たこともない異形の者ども。アティとスノトラが戦っていた魔族とよく似た姿も見ることが出来る。それらが、一斉にこちらを見て、渡ろうと懸命に足掻いている。


「恐らく、レオンが用意した陣の効力は最初の一体で失われた。でも、彼の血が広がった範囲からは、向こうからこちらへと渡ることができてしまう」


 スノトラと対峙した魔物の大きさは蜘蛛よりも遥かに大きい。そのため陣全体の大きさが必要となった。しかし、その後に出現した蜘蛛は、血が広がった範囲からギリギリ抜け出せるサイズだ。そのため、それ以上の大きさを持つ魔物がこちらへ来ることはできないのだろう。


「こちらに来た蜘蛛が倒されると、この範囲から別の存在がこちらに渡ってこれるようになる。正直、原理なんて分からない。でも、やるべき事は一つ」


 もしも、この血の量が格段に多かったら。さらに大きく強い者が出てきたかもしれない。実際、徐々にではあるが、血の範囲はじわじわと面積を広めており、このまま放っておけば陣全体にまで広がったかもしれない。

 だが、それは防げた。タリアが予知夢で確認し、予測を立てた。でなければ、こんな場所に再度訪れるなど御免だ。


「さよなら。貴族も王族もいない世界で貴方も満足でしょう?」


 小さな足を振り上げ、そして勢い良く蹴り出す。まるでサッカーボールを蹴るようにタリアはソレを蹴っ飛ばした。ゴロゴロと転がり、血の範囲に到達。そして、落ちるようにして消えていった。覗き込めば、無事にあちらへと移動したようだ。それを確認すると、地面の砂を手に取り、血の海へとばら撒く。陣の発光が徐々に弱くなる。魔力の酔いも消えていき、ただの死臭漂う遺跡の空間に戻っていく。やがて、完全に光が消え、静寂が訪れた。


「終わったよ、エメリアお姉様」


「はい。お疲れ様でした、タリア様」


「本当に、本当の本当に疲れたよ。後は、外の二人に残りを倒してもらって終わりだね」


 何度か強制的に寝起きしたので頭痛が酷い。走った足も痛いし、縛られていた腕も痛くなってきた。最後に蹴っ飛ばした足先も痛い。痛い所ばかりだ。何より、心が痛く、疲れた。

 それらを振り払うようにして、外に出ようと一歩踏み出し、力なく膝から崩れ落ちてしまう。


「あれっ…?」


 まだ終わりではない。しかし、体が言うことを聞かない。エメリアに受け止められ、抱きしめられる。人肌が温かい。


「後は私達がやります。タリア様は安心してお眠り下さい」


 もう、限界だった。





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