表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
令嬢は怠惰を望む  作者: ゆうや
第二章
18/39

第十七話 令嬢、成長する

 暗闇だ。目を開いているはずなのに、視界は真っ暗で何も見ることができない。両手で周囲を恐る恐る探るが、何も触れることはない。音も聞こえない。自分の脈拍が聞こえてきそうなまでの静寂。小さな呼吸音と静か過ぎるために耳鳴りがしている。


「アティ?」


 タリアの小さな呼びかけに応える者はいない。自分が倒れる前の状況から、ひょっとしたら近くにいると思った。しかし、返事はない。恐らく此処はいつもの空間だ。

 状況的に身動きが取れないので、取り敢えずは何かが変わるまで立ち尽くす。そうしてどの位経ったのだろうか。視覚と聴覚を奪われたに等しい空間で時間の感覚が鈍ってきた。平衡感覚も怪しい。今、自分が真っすぐ立っているのか自信がない。

 そろそろ別の行動を起こすべきか、と考え始めた頃。空間の片隅で物音がした。トン、トンとリズムよく近づいてくる足音。そして足音が止まると、カチャカチャと金属をいじる音。タリアが音のする方を見ていると、遂に一際大きな金属音が鳴った後に空間に光が差し込んだ。

 思っていたよりもずっと狭い空間だった。貴族の令嬢であるタリアからすれば、とても狭い部屋。しかし、平民からすれば普通の一人部屋程度の広さだ。当然、一人部屋を持てる平民ともなれば、それなりに裕福な平民だが。


「わー、かなり埃っぽいですね。これは腕の見せどころですね」


 入ってきた人間は若い女だ。格好から何処かの貴族のメイドと思われる。グランドール家で支給しているメイド服ではないので、他の家の者だろう。その手には金属音の正体である南京錠を持っており、この部屋が施錠されていたことが分かった。窓が一つもなく、扉が閉まると光が全く入り込まないことから、閉じ込められると脱出は非常に困難だろう。

 メイドは薄暗い部屋を照らすためのランプを持っており、適当な場所へと置いた。そして、別に持っていた掃除道具を整然と並べると、よしっと気合を入れて掃除を開始した。

 特に不思議な光景ではない。何処かの屋敷に仕えるメイドが掃除をしている姿。この位の部屋だったら十分に一人で終えることができるだろう。気になるのはメイドが妙に嬉しそうにしていること。鼻歌を歌いながら全身で幸せを表現している。今にもスキップを始めそうだ。


(掃除が好きな人なのかな? まあ、趣味は人それぞれだしね)


 そんなことを思っていると、メイドが胸元からゴソゴソと一つのペンダントを取り出した。高価ではない。しかし、安いものでもない。それを大切に撫でている姿に、タリアはようやく思い至った。恐らく、メイドは恋人からプレゼントを受け取ったのだろう。そして、ひょっとしたらプロポーズをされたのかもしれない。見た目の年齢から結婚していても不思議ではない。

 タリアは見知らぬ女性が幸せを噛みしめる姿に、頬を緩める。事情は分からないが、幸せのおすそ分けをしてもらった気分だ。


「あらっ?」


 ふと、メイドがその足を止めた。ランプで照らされた部屋の床に汚れが付いていたからだ。彼女は訝しげにモップを手にし、ゴシゴシと擦っていく。しかし、なかなか落ちない。より力を込めて擦っていく。

 タリアはその光景を見て驚愕した。メイドが落とそうとしている汚れ。それに見覚えがある。ドス黒い負の感情と、鼻に残る死臭。ヒンヤリと熱を奪う無機物の空間。タリアが攫われ、連れて行かれた遺跡で見た陣の形に酷似している。まるっきり同じではないが、ほぼ記憶通りの形だ。つまり、これは二つ目の災いを招く図形。そんなものが何処かの部屋に存在する。その事実に身を震わせる。誰が、何故かなど今は良い。それよりも、この部屋の場所を特定する必要がある。

 焦るタリアを他所に、メイドは一心不乱に掃除を続ける。自分が何をしているのか、何の上に立っているのか知らずに。タリアは彼女に逃げろと告げたいが、これは夢だ。無駄だ。それは分かっている。それでも――

 陣が淡い光を帯びてきた。記憶にある赤よりも薄いが、それでも不気味な発光を始めた。突然の異変にメイドは驚き、その場に立ち尽くす。


 駄目、逃げて!


 タリアの目前で、メイドの腰から下が消失した。

 光が頂点に達した瞬間。陣から巨大な口が出現した。人間をすっぽりと飲み込んでしまう程の口は大きく開かれており、生え並ぶ凶悪な歯はノコギリのようで、その強靭な顎で柔らかい人間の肉をいとも簡単に食い千切った。その化物の出現は本当に一瞬で、メイドは突然自分の下半身が失われたようにしか感じなかった筈だ。


「あ…えっ?」


 自分の体の状態を理解できていないメイド。ドサリと地面に転がる。何とか起き上がろうとして、両手で体を起こすと、必然的に下半身の状態が目に飛び込んだ。一瞬の静寂と、そして切り裂くような叫び。ほんの少し前までの幸せな表情は崩れ、痛みと突然の出来事に涙を流し、狂ったように頭を振る。痛い、痛いと泣きわめき、助けを呼ぶ金切り声が何度も木霊するが、誰も助けに来る様子はない。誰も居ないのか、来るつもりがないのか。

 生きたいという意思でメイドは両手で這って部屋の扉へと向かう。食いちぎられた箇所からは、目を背けたくなるような出血。少しずつ移動すれば、残された上半身の痕跡を残すように地面を赤く染めていく。やがて、メイドの上げる声が少しずつ小さくなっていく。明らかに致死量の出血と損傷だ。ここまで生きているだけでも奇跡だ。もはや体を引きずる力すら無くなった腕の力は、助けを求めるように扉へと伸ばされ、そして最後に誰かの名を呟き、力なく落ちた。部屋に静寂が戻る。

 タリアはその光景を瞬きせずに見入っていた。この光景がいずれ何処かで発生する。とてもじゃないが、看破できない。疫病の件だけでも手一杯なのに、さらに抱え込む余裕なんてない。しかし、それでも絶対になんとかする必要がある。なるべく息絶えたメイドを視界に入れないようにして部屋を見回す。しかし、平凡な何処にでもありそうな内装だ。場所を特定できるような品は見当たらない。ならばと、タリアはメイドが入ってきた扉に手を掛けるが、ドアノブをすり抜けてしまい、掴むことができなかった。

 このまま時間が過ぎていけば、自分が目を覚ましてしまうかもしれない。そうなれば、再びこの空間を訪れることができるとは限らない。焦り、地面に這いつくばって探していると、再びドアの外から足音が聞こえてきた。

 先程のメイドよりも音が重い。一歩一歩確かめるようにして歩くテンポ。恐らくは男性だ。音の主はドアの前まで辿り着くと、ゆっくりとドアノブを回した。タリアはドアの近くに張り付き、少しでも外の光景を覗こうとする。

 ドアが開かれた。


「ふむ、実験は成功か」


 外を覗こうとしたタリアは入ってきた人物を見て、凝視して止まってしまった。気付いた時にはドアは閉められ、覗くことはできなくなった。しかし、それよりも入ってきた人間が問題だった。予想通り男性で、しかもタリアが見覚えのある人物だった。


(スタブ……ヴックヴェルフェン。なんでっ!?)


 肥えた体に人を見下したような視線。タリアを娶ろうと愚かな策を弄して最終的に命を落とした貴族。タリアは一度だけ彼と対面したことがある。言動も非常に不快な人間だったので、見間違えるはずがない。タリアはスタブが死んだ光景を直接見たわけではない。父を助けに向かった先で、それらしき人とも思えない残骸を少し見ただけだ。そのため、絶対にこの男がまだ生きているはずがないとは言い切れなかった。


(また魔族の召喚を試みているっ!?)


 どのようにして父の目を誤魔化したのか疑問は残る。ひょっとしたら、最初からレナとはグルで、死んだように見せかけていただけなのか。憶測は幾らでも浮かぶが、確信はない。確実なのは目の前で見せられる光景だけだ。


「まあ、これだけの完成度ならば、あの冒険者崩れでも扱えるだろう。あとは贄を用意できていれば問題なく起動するはずだ」


 満足そうに卑屈に笑うスタブ。タリアの脳裏に、あの洞窟での朽ち果てた子供達の姿が蘇る。夢で触ることはできないと理解していても、全力でスタブの脛に蹴りを入れたくなってくる。


「これでグランドール領に混乱を起こし、その間にタリア嬢を娶れば、我がヴックヴェルフェン領は安泰だ!」


(……えっ?)


「しかし、レオンという冒険者はまだ連絡をよこさないのか、これだから程度の低い平民は嫌なんだ」


 スタブの言葉からレオンまでもが生きていることが伺えた。しかし、これは流石におかしい。タリアは遺跡から脱出する際にレオンが悲惨な死に方をしている光景を目の当たりにしている。陣を破壊するためにエメリアと共に突入した際にも、彼の亡骸を見ている。あれで生き延びているなどとは思えない。

 何かがおかしい。この光景は予知夢ではなく、ただの悪夢なのか。それこそまさかだ。これ程現実的で濃い血の匂いを感じる夢などある筈がない。亡骸となったメイドの悲痛な叫びと涙は幻とは思えない。だとしたら、考えられる可能性は一つだ。


(ここは……過去の世界だ)


 レオンが村の近くに陣を張り、街の子供を少しずつ連れ去り、命を奪っていった前の時間。スタブがレオンに陣を与える前。今タリアが見ている光景は未来ではなく、過去のもの。それならば納得ができる。そして理解する。もはや、タリアにはメイドの命を救うことは叶わぬことを。現実では既に彼女は命を落としているのだから。


(でも、なんで過去の光景が……)


 今までタリアが見てきた夢はすべて未来の出来事だった。望んだ時間や場所を見通すことはできなかったので不安定な力だったが、それでも例外なく未来だった。だからこそ、予知夢なる力なのだ。それが、今は過去を見ている。何故か。心当たりは書斎で見つけた黒い本。あれしかない。目覚めたら直ぐに本の調査を行い、父にも出処を確認する必要がある。

 そして、今いるこの部屋の陣が、現実世界で既に潰えているか考える。結論、絶対に大丈夫だとは言えない。隠れて実験をやっている以上、スタブ以外でこのことを知っている者は限りなく少ないか、最悪スタブのみとなる。となると、既にスタブが死亡している以上、誰も知らぬまま陣が放置されている可能性もあるのだ。そのまま放置されても大丈夫だろうと思うほど、タリアは楽観的ではない。


(でも、これでこの部屋の場所が、ある程度絞られた)


 スタブ・ヴックヴェルフェンがいる何処かの建物。まさか、ここがグランドール領や王都の筈がない。まず間違いなくヴックヴェルフェン領の何処かだ。しかも、現実世界でハルバートが本拠地として使用している本宅の屋敷からそう遠くない場所だろう。スタブのような者ならば、自分の目と手が届く場所で小賢しい悪巧みを行うはずだ。


「おっと」


 そのスタブが突然よろめいた。額を手で抑えて軽く頭を左右に振る。何事かとタリアは思ったが、特にそれ以上は異常がないようで、一度だけ深呼吸すると直ぐに立ち直ったようだ。


「辛気臭い所は、やはりいかんな。とっとと出るか」


 地面にあるメイドの死体を、ついに一度もまともに見ることもしなかったスタブは、そう言うと部屋の扉に歩き出す。タリアは慌てて後を追う。部屋の外に出れば今以上に情報を得ることが出来る。このチャンスを逃す手はない。太った体型のスタブは歩くのも遅い。十分、タリアの足でも扉が閉まるまでには間に合う。

 しかし、


(あぐっ!?)


 頭を殴られたかのような衝撃。一瞬、意識が遠のく程の痛み。目の裏側がズキズキと断続した痛みを発し、吐き気すら覚える。当然、まともに歩くこともできず、地面に膝を付いて耐える。呼吸はいつの間にか早く、冷や汗も止まらない。それまで、兆候すらなかった突然の頭痛。そもそも、夢の中で痛みを感じることなど初めての体験だった。明らかに普通ではない。何かが自分の身に起こっている。

 何とか視線だけ上げると、スタブが部屋から出ていく後ろ姿が見えた。追いかけても間に合わない。そもそも、追いかけることすら難しい。タリアの見ている前で、扉は無情にも閉まっていき、部屋に重苦しい金属音が鳴り響いた。





 一人の軍人がいる。高身長で、頭を覆う鉄兜からは彼の特徴である金髪が見え隠れし、わずかな隙間から周囲を見渡す碧眼は見る者を刺殺するかのように鋭い。体を覆う鉄の鎧は見た目以上に重いが、それでも訓練で鍛えた体で苦もなく作戦を遂行することが出来る。そんな男――ウィルネスは腰に携えた剣の柄を力強く握りしめた。睨みつけるようにして見続けるのは、朧気に見ることが出来る街並み。街へと伸びる最も大きな街道の中央に彼は立っていた。


 イーセット王国には二種類の軍が存在する。王国に仕える国軍と貴族に仕える領軍だ。文字通り、国軍は国が人材を選定して雇う常備軍で、装備や質もある程度のレベルを保持している。一方の領軍は貴族が独自に保持する集団を指す。貴族自身が装備調達や訓練を行うので、領軍によって質はマチマチだ。財源が豊富な領主ならば装備も整うが、逆に財源が心もとない場合は装備もバラバラで古く、普段は農業に準じて有事の際に僅かばかりに訓練した軍人として従軍するケースもある。最悪、軍すらも持てずに、隣の領主に頼っている貴族も中にはいるのだ。

 そのため、普通は国軍を目指す者が多いのだが、必然的に審査は厳しくなり、採用されても規律や訓練の厳しさから長続きしない者も多い。そんな国軍の中でも心技体に優れ、なおかつ国王に絶対的な忠誠を誓った者だけが選ばれる特別な部隊がある。狼をモチーフとした部隊章を持ち、少数精鋭の利点を活かして機動力を駆使する通称『フェンリル』の面々だ。

 ウィルネスはそんな部隊の中で三十人程の部下をまとめる小隊長だった。通常の部隊と異なり、貴族平民関係なく純粋な能力のみで構成されており、部下は殆どが平民で数人が貴族。ウィルネスの上官である中隊長は平民の男だ。普通の貴族ならば平民から命令されることなど我慢ならないだろうが、ここでそんなことを主張すれば即座に配置転換で通常部隊の補給科に回される。そもそも、ウィルネスは中隊長がその座にいることに疑問すら抱かない。軍人として経験も実力も自分が下回っていることを自覚しているからだ。


「配置完了しました」


「分かった」


 部下が最低限の報告を上げてきた。報告を待っていたウィルネスは片手を上げる。すると、部下の一人が伝書鳩を空に放った。別の地点で各小隊をまとめる中隊長への伝達。指定された道の完全封鎖が完了した旨を知らせる内容だ。

 無事に鳩が飛んでいく姿を確認した後、ウィルネスは街を背にして振り返る。そこには道の両端に控える部下の面々。人数はそれなりで、全員が鉄の鎧を着ているにも関わらず、まったく音が聞こえない。金属が擦れる音も、重い鎧を着たままの作業で普通は荒くなる息遣いも、砂地を踏みしめる足音さえも聞こえてはこない。

 ウィルネスは部下たちの油断ない様子に満足そうに頷いた。


「陛下からのご命令を伝える。我々はヴックヴェルフェン領地を完全に封鎖し、内外への人の出入りを阻止する。場合によっては武力による制圧も行うので、各自そのつもりで。以上」


 頷いて了承する男たち。彼らならば、命令を迅速に遂行してくれるだろう。確信がある。例え、それが自身の知り合いや家族であっても容赦はしないだろう。それが自分たちに期待された役割であり、この部隊の存在意義なのだから。

 ウィルネスは再び街へと視線を送ると、静かに誰にも聞こえないように父の名を呟いた。その表情は鉄兜に隠されて見ることはできなかった。





 手が温かい。誰かに左手を握られる感覚で意識が覚醒した。そこには自分の手を握っているアティの姿。自分が目を覚ました為か、ホッとして表情を崩していた。


「アティ?」


「はい。大丈夫ですか、タリア様?」


 そう言い、アティはタリアの口元をハンカチで拭った。眠っている間に口元が汚れてしまったのかと思ったが、ハンカチに赤色が付いており、そんな呑気な感想は吹き飛んでしまった。


「血っ!? もしかして、倒れた時に口を切ったのかな」


「いえ、そうではありません」


 タリアの予想をアティはきっぱりと否定した。


「不覚ながら、私も少しの間寝入ってしまったのですが、私が目を覚ました時にはタリア様は書斎の床に倒れておりました」


 そこまではタリアも覚えている。突然足の力が抜けてしまい、床に倒れ込んだのだ。しかし、記憶ではどこも強く打ち付けてはいなかった筈だ。


「慌ててタリア様を揺り動かしたのですが、一向に目覚める気配がありませんでしたので、いつもの予知夢だと判断しました」


「そうだね」


 正確には未来ではなく過去を見ていたのだが、異質な夢を見たことは同じだ。


「しばらく様子を見ていたのですが、突然タリア様が苦しまれたと思ったら……吐血されました」


 空いている右手で口元を拭う。ハンカチでは拭いきれなかった血の跡が手の甲に付着した。舌で口内を探ってみるが、特に痛む場所はない。口内の傷以外の原因で吐血したのだろう。体の各所に力を入れてみるが、痛みは生じない。疲れは感じているが、それ以外は普通だ。これで吐血したと言われても自覚が持てない。だが、今まで病気らしい病気をしたことがないタリアにとっては、いきなりの吐血は流石に不安になる。何事もなければ良いのだが。

 周囲を見渡すと、今いるのは書斎ではなく、屋敷にある医務室だった。恐らくはアティが慌ててタリアを運び込んだのだろう。常に居る筈の回復魔法が使える魔法使いが見当たらない。タリアの予知について話すため、事前に席を外してもらったのだろうか。


「何があったのですか?」


 少しだけアティの握る手が強くなった。不謹慎だが、これ程自分の身を案じてくれる人がいることに、タリアは嬉しさを感じた。


「私も聞きたいわね」


 どこから話そうか迷っていると、そう言ってイリスが入ってきた。その表情は当然ながら、厳しいものだ。一瞬見えた部屋の外には年配の魔法使いが頭を下げてイリスを見送っていた。


「お母様」


「血を吐いたそうね。体調管理を怠るようなら、今まで以上に目付けを増やさないとダメになるわね」


「うぅ…」


 縮こまるタリアを見て、イリスは呆れたようにため息を付いた。状況的に、ある程度は皆が無茶をしている。それでも、自分の体調は自分で見極めをしないと、逆に周囲の足を引っ張る。年齢的にはまだ幼いタリアに、そこまで求めるのは酷だろうか。しかし、親の贔屓目を差し引いても十分にやってのけるだろうとも思う。


「その件に関してはあの人が帰ってきたらたっぷりと叱って頂きましょう。それじゃあ、何があったのか話して頂戴」


 ハルバートが無事に帰還することを前提とした言葉。イリスはそれが当然であると思っている。


「はい。それでは、お母様。悪いお知らせと、凄く悪いお知らせのどちらから聞きますか?」


「凄く悪い知らせからね」


 イリスは迷いなく指定した。悪い情報を聞いた後に、それ以上悪い話を聞きたくはなかった。


「レオンが遺跡で使用した陣と似たようなものが、他に残っている可能性があります」


 イリスが陣のことについて知らない可能性もあったが、幸いハルバートはこの事もイリスと情報を共有していたらしい。アティと共にイリスも表情が驚き、強張ったが我を失うほど狼狽はしていない。流石の胆力だ。


「タリア様」


「ん?」


「それは、今後何処かで遺跡の陣と同じように魔族が召喚される未来があるということでしょうか?」


「それはまだ分からないね。正確には、他にも陣があったみたいだけど、今はどうなっているのか分からないって感じだから」


「?」


 タリアの能力に最も接している回数が多いアティだが、タリアの言い分を理解できない。当然だ。アティにとっては、タリアが見るのは未来の出来事であり、今回は過去の出来事を見たなどとは夢にも思わない。


「例え陣が使用できない状態でも、確認は必要だね。ヴックヴェルフェン領にある前領主の別荘とか、人の少ない建物の筈。ヴックヴェルフェン元領主が使うような場所を手当たり次第調べるしか今のところ方法はないかな」


 タリアの言葉をイリスは黙って聞き、口に手を当てて考える。タリアの言葉を信じるにしても、どこまで行動を起こすべきなのか。ハルバートに伝えるべきなのか、それともイリス独自の人脈で対応すべきなのか。話の内容を完全に信じるならば、国王に話を直接持っていったほうが良い。しかし、万が一誤報だった場合はそれなりに面倒くさいことになる。国王ならばハルバートとの仲があるので大事にはしないだろうが、その周囲の人間でグランドール家を快く思っていない者が騒ぎ立てるのは容易に想像できる。


「それで、悪い知らせは何かしら?」


 イリスは取り敢えず、もう一つの悪い情報を聞いてから判断することにした。少しでも考える時間と材料が欲しかった。


「私が血を吐いた原因です」


「まさか、食事に毒が入っていたのでしょうか?」


 アティが思いついた懸念を口にした。貴族の人間は平民や他の貴族からも、恨み嫉妬で命を狙われることがある。スタブのような悪徳領主はもちろん、グランドール家のような貴族でも例外ではない。自分が上手くいかないことや、不幸なことの原因を外的要因に転換し、現実逃避することなど珍しくもないのだ。その対象にタリアが偶然狙われたのかもしれない、とアティは思ったのだ。

 しかし、タリアはアティの言葉を否定する。


「それこそ、まさかだよ。食事は冷めても美味しいがうたい文句のグランドール家なんだから。原因はもっと別だね」


「では、一体……」


「書斎にあった黒い本。本のタイトルも内容もない奇妙な本なんだけど、アティは見た覚えある?」


 言われ、アティは自分の記憶を遡る。しかし、書斎でアティが棚から見繕った本は一通りタイトルには目を通している。調べる目的が疫病に関することなのに、あまりに無闇闇雲に読んでも効率が悪いと思ったからだ。最後の方では、かなり逸れた分野の本も選んでいたため、例の悲劇が起こったのだが。そのため、タイトルのない本ならば気付き、中身を確認したはずだ。しかし、そんな記憶はアティにはない。


「いえ、そのような本はなかったかと思われます」


「ふーむ」


 アティの答えに、タリアは特別には驚きはしなかった。妙な本が、あのような場所にあり、偶然タリアが手にした。しかも、アティには見覚えはない。偶然で片付けるには難しい。だからこそ、自分が過去を見た現象と黒い本を関連付けることができるとも言える。


「それで、その本に毒でも仕込まれていたのかしら?」


 このまま放っておくと一人で考え込みそうなタリアにイリスが先を急かした。毒の種類によっては、直接口に含まなくても触れただけで侵される場合もある。書斎にあった本なので、可能性は低いが皆無ではない。


「いえ、黒い本は恐らく切っ掛けです。直接の原因は過去を夢で見たことかと思われます」


「「過去?」」


 アティとイリスの困惑した言葉が重なった。疑問に満ちた視線。タリアの口から聞いても信じることができない。それ程信じがたい内容。もちろん、予知夢という力をタリアが保持しているので、未来だけでなく過去も見れるようになりました、と言われれば無理にでも納得するしかない。しかし、未来だけでも十分驚愕だが、これに加えて過去までも見ることが出来るとなると、さらにタリアの存在価値は高まる。同時に、秘蔵する必要性が益々上がる事になる。過去を見ることができるとは、内密に会話した内容や、知られたくない言動がタリアには筒抜けになる事を意味する。一般人はもちろん、秘密が多い王家や貴族にとっても欲しいが、同時に排除したい能力だろう。アティはこれまで以上にタリアを守ることを内心で誓い、イリスはハルバートに相談して今後の対策を練り直すことを決めた。

 そんな二人の心内を知らぬタリアは、書斎での一連の流れを話していく。


「書斎で先程お話した黒い本を見つけたのですが、その本を開いた瞬間、体から力が抜けて眠ってしまいました。それで見た夢が過去の出来事で、スタブ・ヴックヴェルフェンが何処かの部屋で陣の実験を行っている光景だったのです」


 その実験の内容までは語らない。態々胸糞悪くなる話を二人に聞いてもらう必要はないし、自分から話すのも躊躇ってしまう。


「それで、その陣がまだ何処かに残っている可能性があるとタリアは言うのね?」


「はい、お母様。そして、夢の最後に突然激しい頭痛に襲われまして、目を覚ましたらアティに手を握られていました」


「なるほど。その夢での頭痛が、こちらでの吐血に影響しているとタリアは考えているのね?」


「恐らく、ですが。黒い本を読んだら初めて予知夢が変化して過去を見ることができた。そして、夢の中で激しい痛みを感じたら、現実では血を吐いていた。関係があると思うのが普通かなと」


「確かに、悪い知らせね。いえ、正確には悪い可能性がある知らせね」


 タリアは今までに予知夢をそれなりの数見てきた。小さな出来事から、人の命が関わるような大きな出来事まで。その頻度や時間帯、内容は様々だが決してタリアが物理的に身体に影響が出ることはなかった。むしろ、影響が出たのは精神面だ。軍人が戦時中に見るような光景も普通に直視せざるを得なかったので、今でもタリアは切っ掛けがあると脆く、感情的になる時がある。

 しかし、今回の過去の夢は異なる。夢の中で激しい痛みを感じ、それが現実で吐血に繋がった。これが最初の今回だけならまだ良い。しかし、今後も過去を見るたびにタリアが傷つかない保証は何処にもないのだ。


「最悪の場合、タリア様は過去を見た時は……」


「そのまま目覚めない可能性もあるね」


 アティが詰まらせた言葉を、タリアは明言した。予知夢を制御することは今も出来ない。ならば、過去の夢も同様と考えるのが自然だ。タリアには夢を見ないようにすることはできない。最悪の場合、タリアは過去の夢の中で命を食い尽くされる事も考えられる。アティは何も出来ない自分を呪い、唇を噛みしめる。タリアの手を握る力が無意識に増す。それは痛みを感じる程だったが、タリアは困ったように笑うだけだった。

 何処か達観しているタリアに、イリスは優しく両手で頬を包み込み、その目を覗く。真剣なイリスにタリアは目を離すことができない。


「取り敢えず、タリア。よく聞きなさい」


「はい」


「凄く悪い知らせとは貴方が倒れ、そして夢を見ると傷付く可能性があることです。魔族に関する件は、確かに国全体としては非常に悪い情報でしょう。でも、私達にとっては貴方が傷つき倒れるのが一番悪い知らせなの。それを忘れないで」


 タリアはその言葉に、僅かばかりの涙を目に溜めた。そして、少しだけ嬉しそうに笑った。


「はい、お母様。アティにも、これ程心配してもらえる私は幸せです」





 タリアに新しい力が宿った事はどうしようもないので、取り敢えずはタリアが眠る時には必ず誰かが共にいることが決まった。そして、アティが書斎を確認した所、案の定黒い本は見つけることはできなかった。一応、後日ハルバートにも確認を取ることになっているが、恐らくは手がかりを得ることは難しいだろう。本に関してはこれ以上の詮索は難しかった。

 ベットの上で体を起こして座るタリア。そしてベットの横に椅子を置いて座るイリスとアティ。今の屋敷には深い情報を知ることが出来る人間はこれだけしかいない。疫病の件と魔族の件、奇しくも両方共ヴックヴェルフェン領地に絡むものだ。タリアにとって、行ったことのないその地は、鬼門になりつつあった。

 疫病を解決しながら魔族の陣を探し出す。そんな方法を考え、頭を捻るが難しい。陣を探索するには人海戦術しかないと思っている。しかし、疫病が流行している地域でそんなことをすれば、国全体への蔓延を自ら引き起こしにいくようなものだ。かと言って、陣を放置すれば今度こそ悲惨な結果になる可能性もある。

 いくら考えても妙案が浮かばないタリアが、ベットに倒れ込んだ。


「あー、ダメだ。頭がごっちゃごちゃの、ぐっちゃぐちゃになってきて、もう考えるのが辛い……」


「宜しければ紅茶を入れましょうか」


 投げ出したタリアに、アティが進言する。イリスがいなければ、はしたないですよ、と苦言も付いただろう。


「うん、お願い~。あとお菓子も~」


「私はブランデーをほんの少し入れて貰おうかしら」


「承知いたしました」


 イリスも口には出さないが、相当疲労しているようだ。ハルバートの長期不在に加えて疫病の発生。そして、タリアの吐血と魔族の陣について。どれも彼女の心労を蓄積させるには十分なものだ。


「アティ。私も、私も。ぶらんでー入れて」


「絶対駄目です。断固拒否します。入れると仰るなら、私を倒してからにして下さい」


「な、なぜそこまで否定っ!?」


「ご自分の過去の醜態を思い出して下さい」


 タリアは予知夢以外に、ごく少量のアルコールで暴走する酒乱の能力も所持しているのだ。そんな人間にブランデーなど、火薬庫に花火を投げ入れるようなものだ。絶対に危険なので避けるべきだ。本人は兎も角、周囲の被害が半端ではない。

 一方のタリアは言われても全く思い出せない。エメリアやメリッサから話は聞いているが、自覚がないのでそれ程現実味がないのだ。


「記憶にございません」


 プイッと顔をそらして遠くを見るタリア。ワザとらしく口笛まで吹いている。そんなタリアを見つつ、イリスはアティからカップを受け取った。


「私もあの人も、お酒に弱いわけではないのだけど。不思議なものね」


「タリア様は存在自体が色々と不思議ですので」


 確かに、普通は予知夢など見ないし、貴族令嬢が畑で作物を育てることもしない。ついでに、あれ程食い意地も張っていない。


「そうねぇ。私は酔っても少しふらつく位なのだけど。タリアももう少し成長すれば耐性ができるかもしれないわね。そもそも、何故タリアはそんな事を?」


「成人後の社交デビュー対策と、擬似的に魔力酔に慣れる為のハルバート様のご指示です」


 あと数年で訪れるタリアの社交界デビュー時に、酔っ払って大暴走したら目も当てられない。また、非常時にタリアの魔力を使用する状況でハイテンションになって暴走でもすれば危険だ。だからこそ、今のうちに体を慣らすのだ。しかし、現在までの成果は今ひとつだ。


「社交界に関しては言わずもがなですが、魔力酔いも重度化すると危険……なの……で」


 言葉が尻すぼみとなるアティ。


「アティ? どうしたの」


 タリアの問い掛けにも反応がない。一体、どうしたのだろうかとイリスと顔を合わせていると、ポツリとアティが言った。


「ひょっとしたら、我々は疫病に関して、思い違いをしていたのかもしれません」


「えっ?」


 突然の話題変換にタリアは目を丸くした。


「疫病として聞かされている症状。それは急激な魔力消耗による影響の可能性があります」


 意外な所で道筋が開けた瞬間だった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ