第伍拾参話 永遠
夏休みも終わりに近づき、日本へ戻った結子は平凡な毎日を過ごしていた。
変わったことといったら、幼なじみが傍にいないことだけだ。
すべてが終わっても、結子の記憶は失われていなかった。
天壱の代償には結子の記憶も含まれていたはずだったが……。理由はわからないが、結子は結衣姫としての前世も忘れてはいないのだ。
暁神社の境内では、蝉が鳴いている。
なんとなく部活動の帰りに寄ってしまうのだ。未練がましいこと此の上ない。
割れてしまった神鏡は、町内会で新しいものが買われたらしい。
取替え可能な神鏡なんて、やはり何が祭られているのかよくわからない、と結子は思う。
「そうだ……新しい携帯買わなくちゃ」
もちろん防水機能がついているものを買うつもりだった。
制服のスカートには彼にもらった誰が袖が二つも入っている。そして、宝玉がついたままの金色の腕輪も。
境内に風が吹きぬけた。
(……帰ろう)
石柱から表へ出ると、ちょうど見覚えのある八人の不良が歩いてきた。彼らも結子に気づいたらしく、こちらへと近づいて来る。
今の結子にしてみれば、いつも八人で一緒にいる彼らが羨ましくて仕方がなかった。
彼らが怖いわけではない。淋しいのだ、と結子は思う。
自然と涙が浮かんできた。
(あれ…? 私こんなに泣き虫だったかな)
真っ先に喧嘩を買ってくれる左近は、もういない。
優しく見守ってくれた白蓮も万里もいないのだ。
そばで支えてくれた幼なじみの郁巳もいなかった。
そして──好きだと言ってくれた人も。
涙をぬぐった時だった。
「ああ──っ、てめェら、姫さん泣かせやがったなっ!」
「うっきー! うっききぃ!」
「女性を泣かせるとは感心しませんね。この方たちには反省の色が見えません」
「こやつらの気配、覚えておるぞ……まだ懲りていないとみえる」
背後から聞こえた声に震えてしまう。
眼前の不良たちの頬は、何か悪いものでも見たかのようにひきつっていた。
振り返ると、そこには左近、万里、白蓮の三人と夜叉丸がいた。
(嘘っ……! 信じられない……)
心なしか左近と夜叉丸の顔は赤く、酒臭かった。
万里は白装束を着て木箱を背負っているが、頭に白布を巻いてはいなかった。彼の頭には短くのばされた髪がある。
そして、琵琶を背負った白蓮は、開かれた瞳で……結子の顔をジッと見つめていた。
「こっ、こいつら祭りの時のっっっ、コスプレイヤーっ!?」
「にっ…逃げろ──ッ」
不良どもが逃げ出すと、左近と夜叉丸が追い始めた。
「待ちやがれっ!」
民家の屋根を跳びながら追っているのだが、左近の足もとが少々おぼつかない。
(あ、コケた…)
その様子を見ていた万里と白蓮は呆れ顔だ。
「ウリ坊め…また突進して行きよった」
「昼間からお酒を飲むなんて……仕方がありませんね。我々も追いましょう。姫様、また後で」
「うえっ? ちょっと……!」
感動の再会もそこそこに、彼らは屋根や塀を軽々と跳躍して走り去った。
(そういえば……電線とか自動車に注意しろって言うの忘れた)
突然現れて、突然いなくなるので、結子はしばらくのあいだ放心していた。
「あいつら何者だ? 野朗ばかりで八人も」
上の方から聞き覚えのある声がした。
(この声……まさか)
神社のまわりにはたくさん木が植えてあるので、見上げても何処にいるのかわからない。
「天壱っ、どこなの!」
次の瞬間、制服の襟が何かにつかまれて、思いきり引き上げられた。
「うきゃあぁぁっっっ!」
釣り上げられた先は、樫の木の上だった。男は幹に背をあずけて座っていた。
菅笠をついとあげると、
「もう少し色っぽい声、だせないのかよ」
「ちょっと……また人のこと魚みたいに……っ」
呑気にあくびをした男は、結子の視線に気づくとニヤリ、と笑った。
「腕がいいからな。ひっかけた獲物は逃がさない」
「獲物って…」
結子はそれ以上言うのをやめた。男が襟の釣り針をはずしてくれる。
「また……会えたね」
視線が重なると、彼は苦笑した。
「あぁ。俺たちは宝玉を失って死んだとばかり思ってた。だが、実際は獣としての魂が消滅しただけだった。それで代償もなくなったわけだが───」
天壱はそこまで話すと、腕輪を見せた。
ええぇっ!? 結子は驚きのあまり仰け反った。
落ちそうになるのを慌てて天壱が抱き寄せる。そこには青い宝玉が燦然と輝いていた。
「なぜか宝玉がついている。しかも、暁から日本にこれた…」
「はあ〜? でも…そういわれてみると私の腕輪にも宝玉はついたままだよ。ところで……暁は今、どうなっているの?」
「妖鬼の類は消えたが、半妖鬼はしぶとく残っている。人間たちは北から戻ってきている」
「よかった……」
結子は半妖鬼でも優しくしてくれた薬売りの禄絽のことを思い出していた。そして、駒屋の猫鬼たちのことも。
「そういえば……駒屋の猫さんたちは? 彼女たちはどうなったの?」
「あいつらはもともと暁に古から居ついている妖だから、妖王とは関係ない。さっそく土産の八つ橋を催促された。ここいらに八つ橋は売っているか?」
「その……京都まで行けばあると思うけど」
(猫鬼なのに……八つ橋が好きなのかな?)
顔に疑問符を浮かべていた結子は、天壱の眼差しに気づいて、黙りこんでしまった。
彼はもともと険のある目つきをしているが、暁にいた頃に比べるとだいぶ穏やかな顔つきになっていた。
二人が見つめあっていると、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきて、神社の前を通り過ぎた。
「やかましいな」
「パトカーだから。緊急車両だし」
「……よくわからねぇ。それより結子」
天壱が身体をグッと近づけて、顔を覗きこんできた。
(こ…これはもしかして………キスの予感っ!?)
ファーストキスはすでに奪われているのだが……。それでも結子の胸は高鳴った。
「俺が最期に言った言葉の、返事が聞きてぇな」
天壱の目が優しい。結子はおどおどして視線をそらした。
彼が辛抱強く待ってくれたので、勇気をだして想いを言の葉にのせる。
「わ、わわわわ、私も…………好き…」
真剣な眼差しに、結子はドキドキしながら瞳を閉じた。
遠くで聞こえていたパトカーのサイレンが次第に大きくなってきた。
先ほど通り過ぎたばかりなのに。しかも数台にふくれあがって、こちらへと戻ってくるような気がする。
結子は嫌な予感がして、目を開いた。
正面の天壱は、邪魔が入ったと、サイレンの方角を険のある目つきで見ていた。
「大変だあ〜、鉄の塊が追いかけてくるっ!! 夜叉丸もはね返されたぁぁぁ!!」
左近がものスゴイ勢いで駆け込んできた。
(跳ね返されたってことは、つまり……仕込み刀で切りつけたってことじゃ…)
「あの音はなんでしょうっ、赤い光も禍々しいです」
「ここは万里、お主の火薬と毒薬で…」
銃刀法違反に、危険物爆発物所持、おまけに毒劇物違反か…と結子は冷や汗を掻いた。
うっかり注意するのを忘れていたのだ。彼らは……これでもかってくらいに武装している。
「逃げるわよっ!」
「姫様、戦わずして逃げるとは……」
戸惑い顔の万里の隣で、ここは作戦会議だろ! と左近の顔が輝いている。
尋常ならぬ結子の様子に、天壱はなにかを察して同意してやる。
「よくわからねぇが、逃げるぞ! 結子、来い!!」
「逃げるなんてぜってぇ、いやだぁぁぁっっっ!」
「ウリ坊、おいて行くぞ」
天壱は結子を横抱きにして、駆け出した。
万里、白蓮に続いて左近も夜叉丸を肩にのせて走り出す。
五人と一匹は住宅街を屋根から屋根へと跳躍し、逃亡しはじめた。
「だぁーっ、しつけえっ! ここはやっばり夜叉丸で……」
「うっきぃ!」
「ダメ───っ、ずえったいに駄目ぇっっっ」
「姫様、ご安心ください。私の独鈷で雷撃を…」
「それもダメ───っ!」
「ならば、わしが水底に──」
「やめて──っ!」
天壱が苦笑しながら訊ねた。
「なら、どこまで逃げればいい?」
「ずっと、ずっーと遠くまでよ!」
「「「「承知」」」」
警察に追いかけられても、なぜか結子は嬉しくて仕方がなかった。
パトカーのサイレンは、青い空の下、いつまでもいつまでも鳴り響いていた。
はうぅ〜! ついに最終回となりました。江戸っぽいものを書いてみようと大風呂敷を広げてしまい、途中、筆が止まった時は、やめてけばよかったかな……と悩みましたが、無事、風呂敷をしまえて安心しております。
最後まで読んでくださった優しい皆様、ありがとうございました。よろしかったら、感想聞かせてくださいね。それでは失礼いたします。