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第9章 君はディアナでフォーマルハウト(3)

大変お待たせいたしました。

今月に入りようやく仕事が落ち着き、体調も復活したので、手直し済みの分だけですが投稿します。

 晩餐の会場は同じピアノ・ノービレ階にあるため、回廊(キオストロ)沿いに進んでいけば辿り着ける。やがて彼等は一つの応接室(サロン)に繋がる扉の手前で立ち止まった。ブルーノが先行し、周囲に他の宿泊客がいないかを確かめる。

 社交界のルールにおいて、女性の王侯貴族が〝身元の判らない不特定多数の人間と同じ空間〟で食事をすることは相応(ふさわ)しくないとされている。デビュー前の令嬢に対しては更に厳格で、たとえ親族や付添人(シャペロン)を同伴していても、ホテル(アルベルゴ)内の晩餐室や高級レストラン(リストランテ)といった公共の場へ足を踏み入れることは「わざわざ男に自分を見せびらかしにやってきた」「品格がなく、ふしだらな娘だ」「この娘の家は教育や躾(しつけ)がまともにできない」とみなされた。噂は燎原(りょうげん)の火のように広がり、社交界での評判(レピュテーション)は地に落ちる。それは女性にとっての死を意味していた。同伴者によって身の潔白や安全性が証明されていても、貴族社会は決して許さない。

 ゆえに貴種の女性は、通常であれば客室へ食事を運ばせる。だがアンドリアには応接室(サロン)での晩餐が予約の段階で決定していた。父フェデリーコが借り切ったためである。娘の〝前哨戦〟を出院当日に開始したことからも判るが、ただ優しいだけの親ではないのだ。

(こ(・)こ(・)だけ史実通りとかやめろよな)

 愍笑(びんしょう)を含んだ峻也の声がアンドリアの〝耳〟に入る。彼女は高速思考と並列思考の魔法、身体強化の魔術(メイジクラフト)を三重詠唱(トリプルキャスト)で発動させてから尋ねた。

 ――『ここ』とはどこを指していて?

(今からの晩メシもそうだけど、お貴族様のルールだよ。俺がいた世界だと、あと百年経ったらデビュー前の子でも身内以外の場所でメシが食えるようになるんだよね。同伴者ありだけど。そっから三十年経てば、同伴者なしでいけるようになってるし)

 この世界の者が見れば、気絶せんばかりに驚愕し「女性が堕落した」「未来の母親になる少女達が、悪魔に魂を売ってしまった」等と激しい嫌悪を叫びながら憲兵隊の詰所へ駆け込むに違いない。一方で峻也は「食えるようになる」と言った。即(すなわ)ち彼の生きた時代では、一人で外食をする女性の存在が一般的であるということだ。また、そ(・)う(・)ではないこの世界を、異なる価値観という物差しで測っていると判る。彼は言葉を続けた。

(ま、こっちじゃ地球(むこう)以上に血統の重さがでかいから、女の人の純潔に厳しいのも解ってんだけどさ。俺からしたらビミョーなルールだとは思ってる)

 ――当事者達もフディサキと同じだと思わない方が良くてよ。『厳重に守られ隔離されているわたくし達は、大切に育てられている。特別な存在である証拠だ』『誰も守ってくれる人がいないなんて恐ろしい』『何故そのような危険で品のないことをしなければならないのかしら』と考えている方(かた)は多いのだから

 峻也も理屈では理解しているが、それでも価値観の違いから納得できていない。そこで完結すればまだしも、彼の「食えるようになる」という発言は自文化中心主義(エスノセントリズム)の発露である。それが無自覚なものであってもだ。

 冷ややかさを感じるアンドリアの思念に、俊也は言葉を失う。現代地球人の傲慢さから出た失言の事実を突き付けられ、激しい羞恥に襲われた彼は寸秒の間(ま)を置いて内なる声を発した。

(……ごめん、偏見だった)

 ――貴方(あなた)に悪意がないこと、貴方(あなた)の価値観と異なるこの世界を理解しようとしていることは解っているわ。納得しかねる思いを押し付けよう、正してやろうと考えているわけではないことも

 峻也は何事かを返そうとするも、言葉が出てこない。そんな彼に気付いているアンドリアはそのまま話を続けた。

 ――フディサキだけではなく、わたくしも含めた大多数の者が無自覚な傲慢さを持っているものよ。ゆえに、少なくともわたくしは貴方(あなた)のことを軽蔑できないと思っている

(……そのトシで解ってるのが充分すげーわ。君はできないって言うけど、俺の人間性に引いたと思う。軽蔑してくれていーよ)

 ややあって峻也から発せられたのは、アンドリアへの賛辞。そしてどこか歪んだ、嗤(わら)い混じりの線引きとも取れる思念だった。この男は果たして人の話を聞いていたのだろうかと呆れそうになるが、そうではないと気付く。彼が嗤(わら)ったのは彼自身に対してだ。おどけた口調の裏にある自虐が、峻也の歪(いびつ)さを際立たせている。

 ――幻滅されることが怖いのかしら、貴方(あなた)は

(誰でも怖くね?)

 これは肯定だ。彼から、どうにもちぐはぐな印象を受けるとアンドリアは感じた。

 峻也は平民言葉を話しているが、様々な知識を持っていること、それなりに感情の制御ができていることから、一定の教育を受け経験を積んだ人間だと判る。そして彼と初めて会話した際、すべてを諦めている様子の彼に苛立ちを覚えた。二度目の会話では、彼の善良な人間性が見えた。

 自らを諦めている反面、彼は誰かの役に立ちたいと考えており、他者から否定的な評価を受けることに怯えてもいる。これは現代日本で言うところの〝自己肯定感が低い人間〟、それも典型例だ。類似したものに自尊感情(セルフエスティーム)が存在するが、この世界ではまだ確立されていない概念である。それらのルーツとなる考え方は史実の一八二〇年以前においても提唱されていたが、アンドリアが抱(いだ)く彼への印象を言語として正確に表現できる者は、皮肉にも峻也のみであった。

 ――前世(あなた)に幻滅するということは、現世(わたくし)が自分自身に幻滅するということでもあるわね。幻滅したならばわたくしとフディサキがどうなるのか気になるけれど、その話は措(お)いておくわ。それよりも『貴方(あなた)のことを軽蔑できないと思っている』という、わたくしの言葉は信用に値(あたい)しないと?

 そんなことはないと反射的に言い掛けるも、声にできず俊也は黙り込む。彼女の言葉が嘘ではないと、共有される感情から解っていた。それでも〝減点〟される前に予防線を張ったのだ。死してもなお抜けない悪癖を恨めしく思う彼の発言を待たずに、アンドリアは告げた。

 ――時間切れよ。わたくしにとって一つの戦いが始まるわ。もしも失敗したら、貴方(あなた)こそわたくしを無様(ぶざま)だと嗤(わら)いなさい

 言い放つと同時、発動していた魔法を切る。引き延ばしていた自身の時間を戻し、アンドリアは前方へ意識を向けた。ブルーノが確認を終えたことで、一行の歩みが再開したのだ。


 扉の前には一番隊の三人が揃っている。縮小勲章(ミニチュアメダル)や袖章(しゅうしょう)の数こそ異なれど、彼等も副団長と揃いの姿だ。四人が身に着けているのはトゥスクルム騎士団の制式礼服である晩餐服(メスドレス)。晩餐服(メスドレス)とは正式な晩餐会の際に着用する制服で、民間人の夜間最高礼装(ホワイトタイ)と同格の正装である。

 なお騎士や軍人の正装制服には他に大礼装(グランドフルドレス)があるが、正式であっても身内だけの晩餐に着ていくことは逆に不適格となる。これは国王の謁見や宮廷晩餐会、国家的な式典などで着用する、夜間最高礼装(ホワイトタイ)と同格且つ最高格の礼装であるためだ。

 室内であるため、ルール上一切の武装ができない。また男性は髪を曝(さら)しても問題ないことから、彼等は正装に合わせて前髪を撫で付け、額を露(あらわ)にしていた。三人の傍(かたわ)らにはフランチェスコが、扉の両脇には第一給仕係を担当する上級給仕人(シェフ・ド・ラン)が控えている。フランチェスコはヴァレンティーノに向けて一礼した。

「待たせただろうか」

「いえ、間(ま)もなくお支度が整います。サー(ドン)・ヴァレンティーノ」

 開始時刻より早く着いても遅れてもならないため、一同は間に合うように集まっている。二人のやり取りは形式的なものだ。

 エノトリア王国において、騎士爵は一代貴族(ライフピア)でありながら子爵と同等の身分にある。そのため騎士爵位を持つヴァレンティーノとサンドロは、世襲貴族である男爵未亡人のテルツァよりも身分が高い。筆頭公爵家の親族および騎士団の副団長ということもあり、一同の中で最上位の賓客(ゲスト)はヴァレンティーノだ。

 一方アンドリアは王姪且つ筆頭公爵家の令嬢だが、デビュー前であることから公式には一人前の人間とみなされず、存在しないものとして扱われる。大人が集まる公式な晩餐会や夜会といった夜の社交場には、身内の集まりであっても同席が許されない。ヴァレンティーノとの関係性が逆転しているのも、彼が昼間は実家の家臣であり護衛だが、現在は保護者兼エスコート役および主賓に切り替わっているためである。

 そして「あくまでも晩餐会(・)ではない私的なものであり、実家での晩餐室デビューに向けた訓練である」というフェデリーコの理由付けによって、アンドリアは騎士四名と共に応接室(サロン)で晩餐を取ることとなっていた。

(君のトシだと、ほんとはインルームダイニング一択なんでしょ? 君の親父(おやじ)さん、屁理屈こねるの上手いよね。なんか裏の理由でもあんのかな)

 ――奇遇ね、お父様のやり方にしては違和感があるとわたくしも思っていたの。もしかすると、陛下が何か指示をなさったのかもしれないわ

(君の伯父さん? 君の記憶から受ける印象だけだけど、姪っ子かわいい半分、腹の底が見えない半分って感じだよな。俺も一応考えてみる)

 ほぼ毎回、俊也は唐突に話し掛けてくる。もはや定番となりつつあるが、これが自分以外の人間であれば同じように何食わぬ顔のままやり取りをできているだろうかとアンドリアは思う。そんな彼女の眼前ではフランチェスコがサンドロやテルツァ、タッデオと、順に声を掛けている。やがてアンドリアの番となり、フランチェスコは温かい笑顔で尋ねた。

「こんばんは、レディ(ドンナ)・アンドリア。メルフィに現れた白百合は、お召し物も大変素敵でいらっしゃいます。繊細な花弁のようなドレスが、レディ(ドンナ)の清廉さと気品を引き立てておりますね」

「こんばんは、お褒めの言葉をありがとう」

 淑女の微笑みを僅(わず)かに深めて返すアンドリアの視界の端には、目を逸らすヴァレンティーノの姿がある。彼の様子に、一同は(お嬢様への褒め言葉がフランチェスコに到底及ばなかったのだな)と察した。社交性が皆無というわけではないが、如何(いかん)せん彼の硬派な性格は社交に不向きである。そんな彼の為人(ひととなり)はランペドゥーザ領のみならず、貴族社会にも広く知れ渡っていた。

「お部屋はいかがでしょうか。我が家のようにお寛(くつろ)ぎいただけていれば幸いです」

「眺めが良く、とても風情(ふぜい)のある部屋のお陰で快適に過ごせているわ」

「それは良(よ)うございました」

 笑って返すフランチェスコの声には、家族と従業員で作り上げたホテル・ルナ・クレシェンテ・コンヴェント流のもてなしに対する自信だけでなく、幾ばくかの安堵も滲(にじ)んでいる。彼は上級給仕人(シェフ・ド・ラン)からの目配せを受けると、アンドリア達を見渡し告げた。

「それでは皆様、お支度が整いました。ご案内させていただきます」

 支配人でありオーナーでもあるフランチェスコ自ら応接室(サロン)の扉を開き、先頭に立って室内へと案内していく。これはトゥスクルム家および王姪という、貴族の中でも最上位に位置する家門とその令嬢への敬意によるものである。

 身分が高い者から入場するため、フランチェスコの後ろにはヴァレンティーノとアンドリアのペアが続く。彼は下座である、扉に近い席まで再従妹(はとこ)を連れていき、ブルーノに引き継いだ。入室にあたり最後尾を歩いていた従僕(ラッケー)であるが、するりとアンドリアの席まで歩を進めて椅子の後ろに控える。そうしてヴァレンティーノは自らの席である上座、ロングテーブルの短辺のうち扉から遠い方へと歩いていった。

 後ろに続くのはテルツァと、彼女をエスコートするサンドロのペアだ。騎士爵位を持つサンドロが高い席次であることは言うに及ばずだが、テルツァが彼をその場限りの(ディナー・)エスコート役(パートナー)として入室してくる光景には理由がある。

 亡くなった夫の爵位を維持していると言えど、テルツァはそもそも子爵や騎士爵より下の存在だ。だが彼女は筆頭公爵家に雇われたレディズ・(ダーマ・ディ)コンパニオン(・コンパニーア)であるため、ここでも序列の逆転が発生する。

 使用人でも女官でもない、〝夫人や令嬢の対等な話し相手・友人〟という名目で雇われる、レディズ・(ダーマ・ディ)コンパニオン(・コンパニーア)という存在。

 職務の性質上、夫人や令嬢のごく私的な領域(プライベート)に立ち入ることを許された唯一の存在であるだけでなく、ときには公爵夫人や令嬢の代理として振る舞う権限を与えられる。加えてテルツァの雇い主は王家に次ぐ家門であるため、男爵位にありながら子爵以上の扱いを受けているのだった。

 そんな彼女はロングテーブルの短辺のうち扉に近い方、つまりヴァレンティーノの対面の席へと導かれる。サンドロは彼女をアントニオに引き継ぎ、ヴァレンティーノの右手側に位置する席へと向かった。

 次に入ってきたのはタッデオとマルコ。今回のように男女比が偏る場合、同性同士または一人で入室する。彼等は横並びを選んでいた。

 マルコは騎士爵家の長男であるものの、彼自身は爵位を持たぬ平民だ。しかしエノトリア王国では叙任(じょにん)され騎士となった時点で、男爵位と同等の身分となる。騎士爵位を叙爵(じょしゃく)されていなくとも男爵相当の扱いとなるのは、ごく稀(まれ)な例外を除けば魔力持ちが王侯貴族にしか生まれないからである。そしてこの国の騎士というものは最難関国家資格の中の一つであり、魔力さえあれば叙任(じょにん)されるわけではない。マルコが平民ながら同席できている理由はこれである。

 また、タッデオはトゥスクルム騎士団一番隊の隊長であり、彼の役職は現代地球の軍隊における佐官――少佐から大佐までの階級を指す――に相当する。つまり幹部であるため、サンドロより席次は上でもおかしくない。だがタッデオは騎士爵位を有しておらず、身分の上では騎士であり男爵令息だ。一方でサンドロは騎士爵である。よって部下である筈のサンドロの方が序列は高い。騎士団内の階級と社交界の序列は、必ずしも一致しないのであった。


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【登場人物】

アンドリア

 └主人公。

  ランペドゥーザ公爵令嬢でトゥスクルム家長女。15歳。

  教育修道院(修道院の寄宿学校)を2年早く修了した。

  フルネームは「アンドリア・カロリーナ・トゥスクルム・ディ・ランペドゥーザ」。


藤崎峻也(ふじさきしゅんや)

 └アンドリアの前世の記憶であり人格。

  日本人の会社員だった。30代で死亡。

  アンドリアからはフディサキ・シュニアと呼ばれる。


テルツァ

 └トゥスクルム家のダーマ・ディ・コンパニーア(レディズ・コンパニオン)。

  ストルニウム前男爵未亡人。

  フルネームは「テルツァ・ガッロ・バロネッサ・ヴェドヴァ・ディ・ストルニウム」。


エンマ

 └トゥスクルム家のカメリエーラ・ディ・ペルソナーレ(レディズ・メイド)。

  フルネームは「エンマ・モンティ」。


フランチェスコ

 └ホテル・ルナ・クレシェンテ・コンヴェントのオーナーであり支配人。

  フルネームは「フランチェスコ・フォレスティ」。


アントニオ

 └トゥスクルム家の従僕(フットマン)。

  フルネームは「アントニオ・セルヴォ」。


ブルーノ

 └トゥスクルム家の従僕(フットマン)。

  フルネームは「ブルーノ・ラッケ」。


ヴァレンティーノ

 └トゥスクルム騎士団副団長。30歳。

  マデルラ伯爵サンドーロ家の次男。サンドーロ騎士爵でもある。

  トゥスクルム家傍系でアンドリアの再従兄(はとこ)。

  フルネームは「カヴァリエーレ・ヴァレンティーノ・サンドーロ・デイ・コンティ・ディ・マデルラ」。


タッデオ

 └トゥスクルム騎士団一番隊隊長。

  チッタノーヴァ男爵リッチ家の四男。

  フルネームは「タッデオ・リッチ・ディ・チッタノーヴァ」。


サンドロ

 └トゥスクルム騎士団一番隊隊員。

  ベルナルディ騎士爵。

  フルネームは「カヴァリエーレ・サンドロ・ベルナルディ」。


マルコ

 └トゥスクルム騎士団一番隊隊員。

  カルーソ騎士爵家の長男(本人は平民)。

  フルネームは「マルコ・カルーソ」。

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