ジャンル外
前回の鉱山事件の解決により、私の名は王都では知られるようになり、私のオフィスには、連日、利権争いに敗れた貴族や商人が殺到していた。
だが、そんな平穏(あるいは喧騒)を切り裂くように、血相を変えたアンナが私のオフィスに駆け込んできたのは、その数日後のことだった。
「ルーカス、助けて……! 私、殺されちゃう……!」
ボロボロの服を纏い、怯えきった表情で震えるアンナ。
彼女が持ち込んだのは、依頼などという生易しいものではなかった。王都の治安維持を司る魔導騎士団による、身柄の拘束と――「死刑」の宣告だった。
事件の発端は、スラムの市場だった。
アンナは日々の生計を立てるため、小さな屋台で焼き立てのガレット(クレープのような焼き菓子)を売って暮らしていた。そこへ、退屈しのぎにお忍びでスラムへ遊びに来ていた四大公爵家の一角、あのカトリーナ公爵令嬢がやってきたのだ。
平民の味に興味を持ったカトリーナは、焼きたてのガレットを購入し、その場で熱いことも確認せずに勢いよくかじりついた。
結果、繊細な口腔内を盛大に火傷してしまったのである。
本来なら「おてんばな令嬢の自業自得」で済む話だった。
しかし、相手は絶対的な権力を持つ大公爵家の令嬢。しかも、カトリーナは以前から私の「言論術」に心酔し、私に異常な執着を見せている危険人物だ。
「平民の分際で、我が麗しき口腔に毒を盛ったな! 不敬罪および暗殺未遂として、あの娘を処刑せよ!」
カトリーナの周囲に群がるお追従の取り巻き貴族たちが勝手に気負い立ち、アンナを「皇族・貴族に対する危害を加えた重罪人」として仕立て上げ、魔導騎士団を動かしたのだ。
「待て、落ち着いてアンナ。詳しい経緯を話しなさい」
私は彼女を椅子に座らせ、事実関係を確認した。
驚くべきことに、被害者であるはずのカトリーナ本人は、事故の直後から一貫して「私が熱いものを確認せずに食べたのが悪いのです! あの少女に悪気はありませんでした。むしろ、私のために美味しいガレットを焼いてくれた彼女に謝罪したいのです!」と、騎士団の前で必死に叫んでいたらしい。
――だが、それすらもねじ曲げられていた。
突然、私のオフィスに憲兵隊がドカドカと踏み込んできて、泣き叫ぶアンナを拘束し、連れていった。
「公爵令嬢がそんな言葉を発するはずがない。それはあの平民の娘に脅されたか、あるいは精神を洗脳されている証拠だ!」
取り巻きの貴族たちは令嬢の言葉を完全に無視し、「見せしめとして、明日にも極刑(ギロチンまたは魔力刑)に処す」という強行採決を下していたのだ。
理不尽な権力の暴力。個人の尊厳を踏みにじる、最悪の司法の私物化。
――許されない。
私の胸の奥で、前世から培ってきた弁護士としての正義感と、アンナへの個人的な恩義が激しい怒りとなって燃え上がった。
「死刑だと? ふざけた真似を……。いいだろう、アンナ。君に指一本触れさせはしない。私が法廷をひっくり返してやる」
翌日、王都の最高裁判所は大勢の傍聴人で埋め尽くされていた。
裁判長を務めるのは、古くからの貴族派に魂を売った腐敗判事。検察側は「平民による貴族への殺人未遂」という完全に捏造された起訴内容を声高に主張する。
「被告人アンナは、故意に呪いを込めた熱々の菓子を令嬢殿下に献上し、暗殺を企てた疑いがある! よって、即刻の死刑が妥当である!」
検察の言い草に、傍聴席から怒号が飛ぶ。
アンナは青白い顔で震え、涙を流していた。
私はゆっくりと立ち上がり、冷徹な足取りで弁護人席から中央へ歩み出た。
「異議あり」
私の低い声が、静まり返った法廷に響く。
「検察の主張は、事実の歪曲および証拠ロンダリングの極みです。まず大前提として、本件の被害者であるカトリーナ公爵令嬢ご本人が、すでに『私の不注意による事故であり、被告に罪はない』と明確に証言しています。被害者本人が無罪を主張している裁判において、被害者の意思を無視して加害者を仕立て上げるなど、司法の横暴以外の何物でもない」
「ふん! 令嬢殿下のお言葉は、悪辣な平民に脅された虚偽の証言に決まっているわ!」
検察官が喚き散らす。
私は冷ややかな笑みを浮かべ、懐から一枚の分厚い「調書」と、証拠の品を取り出した。
――スキル『説得力』、発動。
「では、物的証拠と、真実の論理を提示しましょう」
私は、ガレットが包まれていた耐油性の紙を突きつけた。
「この包み紙には、カトリーナ様がガレットを受け取った際の指紋と、彼女自身の魔力残滓がしっかりと付着しています。さらに、カトリーナ様が騎士団の聴取に対して直筆で記した『全責任は私にあり、少女を罰するな』という署名入りの供述調書(原本)を、今ここに提出します」
私は、検察官と裁判長を真正面から見据え、一語一句区切るように言い放った。
「現行の王都法典第12条において、『被害者本人が責任の所在を明確にし、加害者の無罪および処罰不希望を直筆で誓約した場合、刑事訴追は直ちに却下される』と定められています。万が一、この法を曲げて死刑を執行すれば、それは司法による殺人――すなわち、裁判官の職権乱用および国家に対する謀反と同等の罪となります」
一切の嘘や誇張のない、完璧な法文と事実の提示。
それがスキルの力に乗って、買収された裁判官と検察官の脳髄にハンマーのように叩きつけられる。
「……っ!」
裁判官の顔から血の気が引いた。
彼らはここでアンナを処刑すれば、逆に自分たちが法を犯した罪で首を刎ねられるという「客観的な事実」を強制的に納得させられたのだ。
「……さ、審議する……!」
冷や汗をダラダラと流しながら、裁判官はガタガタと震える手で木槌を握り締めた。
「そこまでよ!!」
その時、法廷の巨大な扉が勢いよくバタンと開け放たれた。
そこに立っていたのは、絢爛豪華なドレスを纏い、両目を爛々と輝かせた――カトリーナ公爵令嬢その人だった。
「私の愛しいルーカス様が、私のために法廷で戦ってくださっている! なんて知的で、なんてカッコいいのかしら……っ!」
カトリーナは周囲の目もはばからず、頬を赤らめながら黄色い声を上げる。
「被害者ご本人の登場だ。裁判長、証人尋問を求めます」
私は冷静に告げた。
裁判官はもはや頷くしかなかった。
証言台に立ったカトリーナは、取り巻きの貴族たちをキッと冷酷な目で睨みつけ、こう言い放った。
「私が食べたかったの! 私が熱さを確認せずに食べたの! あの子は悪くないわ! むしろ、あんな美味しいガレットを作ってくれた彼女を処刑しようとしたそこの愚者どもこそ、今すぐ牢屋に放り込みなさい!!」
完璧すぎるダメ押しだった。
「……べ、弁護側の主張を全面的に認める! 被告人アンナの無罪を言い渡す!!」
パンッ、と乾いた木槌の音が鳴り響き、私の完全勝訴が確定した。
* * *
数日後。
私のオフィスには、なぜか騒がしい二人の少女が居座っていた。
「ルーカス、本当にありがとう……! 私、死ぬかと思った……。だからね、決めたんだ!」
アンナは私の机にバンと両手を突き出し、意気軒高に言い放った。
「これからは私もこのオフィスで働く! 助けてもらったお礼に、あなたの助手にしてよ。こう見えて私、市場の帳簿管理で鍛え上げられたから、計算も数字の管理も得意なんだからね!」
スラムで苦楽を共にしてきたアンナの、頼もしいくも押しの強い宣言。
だが、それだけでは終わらなかった。
ガチャリ、とオフィスノドアが優雅に開き、大量の高級魔石やブランドものの調度品を抱えた従者を引き連れ、カトリーナがズカズカと入ってきた。
「ふん、定食屋の娘風情が生意気な。ルーカス様の助手は、この私、カトリーナ公爵令嬢にこそふさわしいわ!」
カトリーナはアンナの隣にピタリと張り付き、バチバチと火花を散らす。
「なっ、なんであんたがここにいるのよ! ここは仕事場よ!」
「うるさいわね。私はルーカス様の活動を財政面と権力面から支える『専属秘書』として、公爵家の名にかけてここに就任したのよ。ほら、ルーカス様、今日のスケジュールはこちらですわっ!」
アンナが「ちょっと、私を無視しないでよ!」と詰め寄り、カトリーナが「おだまりなさい」と優雅に扇子でいなす。
私のオフィスは、一瞬にして修羅場と化した。
「……」
私は大量の書類の山から顔を上げ、やかましく言い争う二人を冷ややかに眺めた。
――こういう「女性関係のトラブル」や「痴話喧嘩」だけは、いくら弁護士としての知識があっても、どんなに強力なスキル『説得力』を使っても、正直ジャンル外である。
「……勝手にしてくれ。私は仕事に戻る」
私は深い溜息をつき、再び手元の法典へと視線を戻すのだった。
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