第20扉 教会
今日は人間関係が納豆の様にかき混ぜられた日だった。
朝は普通に朝食を摂り、猫と鳥にエサを与え、満員電車で揺られて出勤した。
ところが、会社の席に着いた途端に他部署の上司や同僚、そして後輩まであらゆる男共が詰め寄ってくる。
何のことだ?と訝しげにあしらおうとしたところ、原因があれか!と思いつく。
それで改めて話を聞くと、慰労会での出来事だったらしい。
男が考えていたことと若干のすれ違いはあったものの、原因の人物は同じだ。
慰労会で話をしたかった…とか、二次会に誘うつもりだったのに…とか、謂われないクレームに返答する声が荒くなりかける。
そういう下心が見え見えだから、引かれるんでしょうよ…と。
抗議の声が徐々に大きくなっていき、仕事をしている周りにも迷惑になるところで、例の人物たちの耳にも声が届く。
そこで、上司が割って入り、制止する。
愛嬌のある声は大きくはなかったが、強い拒否の意志が乗っている。
隣にいた同僚の冷ややかな視線に男共はタジタジになり、散っていく。
他部署の上司も散ろうとしたが、二人に連行されていった。
あの方向は役員のデスクへだろう。
男が片手で謝りの姿勢を見せると、同僚はふっと一瞬だけ笑みを浮かべ、去っていった。
そして、昼休み。
今度はそっちかよ…と、ウンザリする。
それは女の後輩たちが、朝の件について、あれこれ聞いてきた。
この後輩たちは同僚に憧れている面々だ。
男は昼はのんびり過ごしたい思考の持ち主なので、このやり取りで見えない精神的な疲労が溜まる。
更に昼に後輩たちに囲まれていたことについても、仕事の合間に都度都度、男共が話をつついてくる。
幸いにして仕事でのトラブルがなく、順調に進んだことだけが助かっていた。
仕事が終わり、這う這うの体で帰宅する男。
着替えもそこそこにして冷蔵庫の前に向かい、缶ビールを取り出して一気に呷る。
ゴクッゴクッ…と、小気味いい喉の音と共にビールを胃に流し込んだ。
飲み切ったところで、ドカッとダイニングの椅子に座る。
はぁ……と大きなため息をつき、一呼吸入れたところで立ち上がり、猫と鳥にエサを用意する。
それを嗅ぎ付けた猫と鳥は、エサの皿に直行した。
そして、翌日。
今日は土曜日だ。
目覚めた男は、ダイニングに向かう。
棚から栄養補助食品のブロックを取り出し、それを咥えながら猫と鳥の皿にエサを盛った。
咥えていたそれを飲み込むと、冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、そのまま呷る。
飲みかけの牛乳パックを冷蔵庫にしまうと、ペットボトルを取り出す。
そのペットボトルを自室に持っていき、リュックサックへ詰め込んだ。
リュックサックに詰め込む際、ひと通りの道具と着替えやタオルを確認する。
一度、リュックサックを置いて着替えを済ますと、担いで扉へと向かった。
今日の扉は濃い茶色の木板複数を黒い鉄のバンドで固定して一枚の扉板にしている。
ところどころ同じ色の鉄鋲が埋め込まれており、取っ手の部分も同じ金属の様だ。
それは何かの建物の裏口みたいな様相だった。
威厳があるが、気味の悪さや怪しさの無い扉にほっと息をつく男。
男は取っ手に手をかけて、扉を開いた。
開いた扉から凛とした空気が流れてくるように感じる。
追って少し冷たい風が頬をよぎる。
一瞬、眩いばかりの光が男を照らした。
男は手をかざして光で目をつぶさない様にしたが、もしかしたら光ってなかったのか?と思う程の一瞬だった。
男は扉をくぐり、足を一歩踏み入れる。
高い天井、真っ白な意匠を凝らした柱、それに左に向かって綺麗に並んでいる長椅子の数々。
下は大理石の床の上に、赤い絨毯が敷いてある。
上へと視線を移すと、彩り鮮やかなステンドグラスの窓から外の光が漏れ出て、中を照らしていた。
部屋の中央へと進んでいくと、柱だけではなく壁や天井、そして室内灯まで意匠が凝らされていることに気づいた。
その荘厳な部屋に、意識が引き締まる男。
中央にたどり着くと、男は左右を見渡す。
右手には大きな門構えの扉が威風堂々と構えており、左手には一段高い祭壇がある。
祭壇の奥には、大きな十字架が飾り付けてあった。
男は誘い込まれるかの様に祭壇へと足を向けた。
逡巡することなく足を進め、祭壇の前にたどり着き、そこで足を止める。
そして、そのまま呆然と立ち尽くした。
拝むでもない、祈るでもない、膝をつくでもない。
ただただ、立って正面を見据える。
その後ろ姿は神に相対するというよりも、自分の過去や現在、そして未来を思慮している様だった。
小一時間…いや、30分だったかも知れないし、もしかしたら10分程度だったかも知れない。
そんな時間、ただ立ち尽くしていた男はくるりと踵を返すと、部屋の中央へと戻り始める。
そして、元の場所へと戻ると、近くの長椅子に腰を掛け、ふぅ…とため息をついた。
背もたれに身体を預け、天井を見上げる。
天井には幾何学模様に太陽、それから、竜の絵が描かれていた。
ここにも人間が関連する様な…神様や天使、使徒の絵は描かれていなかった。
男は起きて立ち上がると、家の扉へと向かう。
何事もなく扉にたどり着き、くぐろうとしたときにキキッと鳴き声が聞こえ、足元を見やると小さなネズミが通り過ぎて行った。
一瞬のことで居なくなったネズミを気にかけることもなく扉をくぐり、意識を失った。
男は気づくと辺りを見回す。
玄関で靴を履き、座っている格好だった。
靴箱の上に置いている時計を見ると、16時を過ぎていた。
一度靴を脱いで、ダイニングへと向かう。
それは猫と鳥にエサを与えるためだった。




