50 観覧車と黄昏
「観覧車に乗るときと降りるときって、緊張しない?」
観覧車に乗ろうと列になって並んでいると、那子が言った。
「だって、動いてるときに乗り降りするんだよ?」
「アトラクションのスタッフが観覧車のドア開けたりしてくれんじゃん?
そのとき、少し動くのが遅くなるから大丈夫だろ」
「んー、そうかなぁ……」
那子が不安そうに言った。
「乗るの止めるか?」
「やだ、乗る」
「…じゃあ、乗るとき手繋いでてやるよ」
那子は驚いた、とでも言う代わりに、俺を見て、ふわっと笑った。
「今から繋いでようよ」
「ん…、んっ!?」
そう言うと、那子は手を絡め、更に指も絡めてきた。
那子の手は、触れた瞬間ひやっとして、すべすべとしてて肌触りがよかった。
―へ、平常心、平常心…!
と、自分に言い聞かせなければ、俺の心臓の鼓動が手から手へと伝わっていきそうだ。
―あ、手汗、大丈夫かな…。
身体中の熱が、手に集中して、そこだけがどうしようもなく、熱い。
熱く感じる。
そこだけが、熱を帯びている感じで、通り過ぎる風が、妙に冷たく感じた。
冬は、もうとっくに終わってる。
でも、夕方近くなると、風は冷たい。
―繋がっている手だけが、熱い…
ガコンッ
「どうぞー」
音と、呼ばれる声で我に返った。
あぁ、もう乗るのか。
「ほら、那子先乗って」
「…うん」
緊張してるのか、返事が硬かった。
よっ、という掛け声で、那子が先に乗る。
それに続いて、俺も乗った。
扉が閉まり、鍵をかけられる。
完全密室だ。
そして、静寂。
手を解き、向かい合って座る。
那子は緊張から解き放たれたように、ふー…、とゆっくり息を吐いて、ようやく肩の力を抜いた。
「一番上で、止まったらどうする?」
那子が悪戯っぽく聞いてきた。
「…動くまで時間かかるだろうから、とりあえず那子を落ち着かせて、峰と斎条に連絡する」
「えー、私パニックになんてならないよー」
那子はくすくす笑う。
観覧車はゆっくりと回る。
「私、観覧車って、あまり乗ったことがないの。遊園地も、2、3回くらいしか来たことなかったしね」
「俺も、あんまり来たことない」
「同じね」
「あぁ、同じだな」
ふっと、逆光になって、那子の顔に影が落とされた。
表情がよく分からない。
でも、多分寂しそうな……。
「だから、聖君と観覧車に乗れて、嬉しいな」
それでいて、微笑んでいるような、そんな顔をしていると、思う。
「なぁ、那子」
「何?」
どうせ、俺の顔も多少蔭って見えないだろう、と思った。
だから、そう思ったからなのか、なんか、言いたくなった。
唐突に、理由なんか、そんなもの最初からなかったし。
思ったし、言いたかったから。
まぁ、こんなの言い訳にしかならないけど。
「好きだ」
那子はどんな顔をしているのだろうか。
答えは、返ってこない。
別に、答えを求めて言ったわけじゃない。
「本読んでるときの俯いて、伏せた目とか、睫毛とか。
読んだ本の内容を楽しそうに話してるとき。
笑った顔も、怒った顔、泣いた顔も。
優しく抱き寄せてくれたとき、すごく、嬉しかった…」
理由なんて、ただの言い訳に過ぎないんだから。
でも言い訳も、立派な理由だろう。
「好きだ、今も、これからも」
好きだ、好きだ、大好き、大好き。
愛してる、なんて言うには、まだ早いかもしれないけど。
好き、大好き、すごく好き。
女々しいとか、どうでもいい。
言いたかったから、言っただけだ。
那子の口から出たのは、意外な言葉だった。
「…嫌いになることもあるかもよ?嫌いなところも、見つかるかもよ?」
那子にしては、珍しくネガティブな発言だった。
でも、だから、どうしたよ。
「これから嫌いなとこがあったとしても、それをひっくるめて、那子が好きだ」
嫌いになる自信なんて、ない。
でも保証しないのは、この先のことなんてわからないから。
「それに、那子と行きたい所だって、一緒にやりたいことだって、まだ沢山ある」
少し、那子の表情が見えるようになった。
照れてるような、そんな表情だ。
「私も聖君のこと、好きだよ。行きたいところも、やりたいことも、沢山あるよ」
俺は今、どんな顔をしているだろうか。
「好きだ、那子」
「私も、好き」
夕陽が少し沈み、乗っている観覧車が天辺より手前に来たころ。
俺は立ち上がって、那子の背後の窓に手をついた。
暫く、俺が那子を見下ろす風になって、那子がふい、と顔を逸らした。
那子の少し上気した頬に手を添え、こちらを向かせ、顔を近づけた。
「んぅっ……」
触れる髪がくすぐったい。
「ん…、ふぅ……、ふぁ…」
少し離れて、目を合わせ、見つめあって、お互いの額を合わせた。
何か、気恥ずかしい。
ふふ、と那子の笑みが零れる。
こんな距離が、いつまでも続けばいい、と思った。
「観覧車に乗ってる間って、こんなに時間経つのが遅いのかな……」
今は丁度、天辺を通り過ぎたところだった。
「そうか?俺はこれでも短いと思うけどな」
「うん、今日はなんだか、いつもより時間が過ぎるのが早いの。きっと、楽しかったからだね」
那子が嬉しそうに微笑んだ。
あぁ、その笑顔が見られて、何だか嬉しいな。
「那子が楽しそうで、何よりだ」
「聖君は?」
「ん?」
「聖君は楽しかった?」
俺が呆けた顔をしていると、那子が言った。
「聖君が楽しくなかったんじゃ、私嬉しくない」
…なんて、そんな可愛いこと言われるなんて、思ってなかった。
不意打ちだ。
「楽しかったよ、すごく。来て良かった」
「そっか。私も、良かった」
そろそろ、地上に降りる時間だ。
降りるときも、手を繋いでいよう。
帰るまで、その手を離したくないな。
こんな時間が、いつまでも続くといい。
その白く細い手を、どんな時も俺がずっと、繋いでいよう。
「聖君」
「ん、何?」
那子がキラキラ輝くような笑顔で言う。
「 」
自分でも、顔が熱くなるのが分かった。
そして、言う。
「俺も」
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観覧車から降りるまでの会話。
「ねーねー、今度水族館行こう?」
「水族館?なんで」
「動物園は臭いが嫌」
「水族館もじゃねーの?」
「動物園よりは、まだいいの。水族館行きたい」
「じゃあ、今度は2人で行こうぜ」
「うん、いつ行く?」
「んー、再来週?」
「2人共、予定が空いてる日にしよっか」
「あれ、うん、あ、あれ、俺の意見…、うん」
「聖君、今金髪じゃない?茶髪にしてよ、そっちのが似合いそう」
「地味に“金髪似合ってない”って言ってるの?それ」
「え?…うん」
「…じゃあさ、那子も髪伸ばしてよ。いっつも肩で切り揃えるから、勿体無い」
「えー、じゃ、聖君染めてね」
「印象が重くなるんだよな……」
「金髪は軽すぎだよー」
ガコンッ
「何か、降りるときって不思議な感じするよな」
「降りて、歩いたときもね。浮遊感がまだ残ってる感じ?」
「…ほら」
「あ、…ありがと。ふふっ」
ガコンッ ガタッ ガチャッ……―
11月24日に「純粋少女と不良少年」の連載を終えることが出来ました。
ここまでお付き合いくださいました皆様、ありがとうございます。
評価やアクセス数など、自分の励みになりました。
朔
2012.12.01




