執事の選択──『忠誠と罰が交差する午後』
──運命とは選ぶものではなく、選んだ後に背負うものだ。
私は今、その重みを確かに感じている。
庭園は静まり返っていた。咲き誇る花々が陽光に映え、風が時折そよぎ、その穏やかな美しさがかえってこの場の張り詰めた空気を際立たせている。
沈黙を破ったのはアポロだった。彼は軽く顎を上げて、私を鋭く見つめた。
「なるほどな。だがクロード、その条件じゃ俺に何の得もないぜ?」
声色は飄々としているが、その瞳は抜け目なく私の出方を窺っている。続けてアポロは、わざと口元を歪めるように笑いながら言った。
「それにお前が負けた時のペナルティがねえ。フェアじゃないよな?」
私はそちらに首だけを向け、わずかに微笑んだ。
「ごもっともです、アポロ様。それでは――私が負けた暁には、あなたのもとで働かせていただきましょう」
その瞬間、彼の目の色が変わった。からかいの光が消え、代わりに鋭い眼差しがこちらを値踏みするように光る。
「ふうん、魅力的だな……けど、それだけじゃ少し物足りねぇ。もう一声欲しいなあ」
そう言ってアポロは髪を指先でかき上げ、わざとらしくため息を吐く。私は静かに頷いた後、にこりと笑みを浮かべて――口を開いた。
「では、ウィルもお付けします」
その言葉に、呑気に庭の隅で状況を見守っていたウィルが飛び上がり、慌てふためいて私の元へと駆け寄った。
「はっ!?ちょっと待って!私を勝手に巻き込まないでください、クロード!!」
私は彼の顔を見つめながら、わざとらしく困ったように眉を寄せる。それから、言葉を噛みしめるように、柔らかく告げた。
「ウィル。私たちは、友人でしょう?」
「いや、それは、確かに……でも!」
「一蓮托生です。私ひとりでは、心細いので。二人で一緒に働けば、どんな環境でもきっと楽しいですよ」
私はそう言いながら、そっと彼の手を取った。
ウィルは目を見開き、何か言いかけたが、最終的には肩を落として額に手を当てた。
「ああああ……もう……!どうしてあなたはいつもそうなんですかっ!」
その反応を見て、私は心の中で少しだけ笑う。
ウィルの怒りには、呆れと友情が混じっていた。その絶妙な匙加減は、私にとって心地よいものだった。
「よし!」
アポロが声を張り上げる。
彼は指を鳴らし、くくっと楽しげに笑った。
「乗った!いいぜ、クロード。お前とウィル、まとめて面倒見てやるよ」
その様子は、まるでお気に入りの馬が競りに出てきた商人のようだった。私は一礼し、再びサンゼールの方へと身を向ける。
私の望みは単純で、しかし極めて私的だ。
自ら定めた『かたち』を貫けるか否か――ただそれだけだった。
沈黙が庭を支配している。
風は止まり、鳥の囀りもどこか遠く、私たちの間にはただ、決断を待つ余白だけがあった。
私は真正面から彼を見ていた。
逃げ場のない視線というものがあるとすれば、今この瞬間の私の眼差しがそうだったに違いない。
私の言葉が残酷だと、誰かが言うかもしれない。けれど、今ここで必要なのは慈悲ではなく選択だ。彼に与えたのは、絶望ではない。未来の可能性である。――たとえそれが苦痛の形をしていたとしても。
サンゼールの睫毛がわずかに震えた。
その影の奥にある、苦悩と自制と、拭いきれぬ衝動が交錯する瞳を、私は見逃さなかった。
「……あなたは、冷たい方だ」
ようやく搾り出された声は、呟きにも似たものだった。
非難とも諦念ともつかない。けれど、彼がまだ戦っていることだけは、確かに伝わってきた。
「よく言われます」
私は微笑を浮かべた。
それは武器にも盾にもならない、ただの所作だったが、それで十分だった。
彼の喉が小さく鳴り、唇が何かを言いかけて止まる。
「……伯爵令嬢と、婚姻の誓約を賭けた決闘など……私の立場では、本来許されぬ望みです」
かすかに下を向いたまま、それでも彼の言葉は続いた。
「けれど、彼女を諦めてなお、私が胸を張って生きていけるとは、どうしても思えないのです。……もう、見ていられない」
彼の声が震えた。怒りでも、悲しみでもない。
ただ、ひとりの男の誇りが揺れていた。
私にとって、それは何よりも尊い徴だった。
「決闘を受けましょう。……勝てば、彼女の側に立つ権利をください」
「当然です。これは、そのための舞台ですから」
私は軽く襟元を整え、背筋を伸ばした。
彼の返答に驚きはなかった。ただ、すべての準備が整ったことを静かに受け止めた。
「……私は、あなたのように、すべてを投げ打てるほど強くはありません」
彼の言葉に、私は目を伏せた。
「それは違いますよ、サンゼール。あなたは、すべてを抱えたまま、前に進もうとしている。……それができる者こそ、本当の意味で強いのです」
彼が顔を上げた瞬間、風がふたたび庭を撫でる。その音が、始まりの合図に思えた。
そして、私たちは互いに一歩を踏み出した。
たった一歩で、引き返せない距離に至る世界もあるのだと――そのときの私たちは、きっと知っていた。




