忠誠心の意味──『蜘蛛にさえもあるもの』
──人は言葉で自らの品性を晒す。
私は今ほど、そのことを痛感したことはなかった。
応接室の扉が開き、その空間を圧するかのような存在感と、いささか過剰な香水の匂いが漂ってくる。
堂々とした、いや、威張り散らすような態度で現れたのは、この屋敷の主──アルフォンス伯爵その人だった。
「おお、よくぞ田舎から来てくれたな、ルードヴィッヒ男爵!」
第一声からこれだ。
豪奢すぎるダブルのジャケットに、派手なレースのタイ。腹の出た体格に似合わぬ軽薄な笑み。
アルフォンス伯爵は、声と存在のすべてが耳障りである。
「久しぶりだね、アルフォンス伯爵。立派な屋敷で驚いたよ……ああ、紹介しよう。こちらが私の娘婿で執事のクロードだよ」
男爵様が私を示すと、伯爵の視線が冷ややかに私に突き刺さった。
値踏みするような、あるいは面白い動物を見るような眼差しだった。
「なるほど……これが噂に聞く『蜘蛛の婿殿』か」
伯爵は露骨に口元を歪めた。
蜘蛛という言葉を口にする彼の目には、隠しようもない侮蔑が宿っている。
「見てくれは立派だが、何しろ元は蜘蛛。夜中に寝首をかかれないように注意したほうがいいぞ、ルードヴィッヒ。蜘蛛なんてものは、どれだけ恩義を受けても油断すれば毒を返す」
侮辱的な言葉が、静かな応接室に響く。
私は表情を微動だにしない。
怒りをあらわにするのは、蜘蛛としての私ではなく、執事としての私の流儀に反する。
だが心の中はすでに氷のような怒りが満ちていた。男爵様が静かに眉をひそめるのが見えるが、私はあえて男爵様に目配せして制した。
──伯爵の攻撃は、これで終わりではないらしい。
「まあ、そちらの蜘蛛男の忠誠心など、我が家の執事サンゼールの足元にも及ばないだろうがな!」
その言葉と同時に、伯爵の傍らに控える若い青年が優雅に一礼をした。
歳の頃は25、6だろうか。整えられた金髪、無駄のない端正な姿勢、完璧な所作に整った装い。模範的な執事像そのものである。
「初めまして、ルードヴィッヒ男爵様、クロード様。サンゼールと申します。本日は遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
その礼儀正しさには一点の曇りもない。
なるほど、伯爵の言う通り、この青年の執事としての完成度は見事だ。だが、伯爵がその彼を引き合いに私を侮辱することは見逃せない。
私は静かな微笑みを浮かべながら、伯爵へ丁寧に礼をした。
「なるほど。それはそれは、ご立派な忠誠心とお見受けします。……蜘蛛にも一応、巣を守る程度の忠誠心はございますので、見劣りしないよう精進いたします」
その言葉を口にした瞬間、伯爵の表情が一瞬強張った。
サンゼールが微かに目を見開いたのを見逃さなかったが、私はそれ以上は何も言わない。
しかし、男爵様が後ろから追い打ちをかけるようにのんびり言った。
「はは、クロード、謙遜しすぎだよ。君が忠誠心の塊みたいな男なのは、私が一番知ってるじゃないか」
男爵様の的外れなフォローが、妙な形で伯爵をさらに苛立たせる。
伯爵はわずかに唇を歪め、しかし平静を取り戻したかのように私に告げる。
「随分と口の達者な執事だ。なるほど、蜘蛛というのは巣を張り巡らせるのが得意だからな。言葉もまた、その一つか」
「お褒めに預かり光栄です、伯爵様。蜘蛛は確かに糸を張りますが、その糸は生きる為のものです。どなたかの様に、無闇に噛みつくような無礼は決していたしません」
柔らかな物言いだが、私の眼差しは確実に伯爵を捕らえていた。
ほんの一瞬、彼の眉がぴくりと震える。
自らが無礼に喩えられたことに気付いたのだろう。
私はそっと視線を外し、男爵様の方へ目を戻した。
「男爵様、伯爵様がお忙しいところ我々のためにお時間を割いてくださっているのですから、早めに本題へ入りましょうか」
「そ、そうだね……」
男爵様が少し気まずそうに苦笑した。伯爵は僅かに苛立ちを隠せぬまま、腕を組んでこちらを見ている。
──言葉は時に、刃物より人を深く傷をつける。
私がこうして伯爵に意趣返しをしたのは、妻と男爵様の名誉を傷つけられたからだ。
蜘蛛であった私にさえ忠誠心は存在する。大切なものを傷つける者に対しては、静かに、しかし確実に毒を返す。
──伯爵よ、覚悟しておくがいい。
私の巣に一度でも足を踏み入れた以上、その言葉の代償は必ず支払ってもらう。
私は冷静な笑みを浮かべ、伯爵を再びじっと見つめた。
私が元蜘蛛だと笑いたければ笑えばよい。だがこの執事、クロードを侮辱したこと、その行為の愚かさを、今日この伯爵は身をもって学ぶことになるのだから。




