03_65 一日刑務所長マギーちゃん
町外れの路地裏にある自宅で寝ていると、深夜に小さな物音が響くことがある。下層地区はおおよそをバリケードで囲まれ、不必要な街路は土嚢や瓦礫で埋められているが、怪物が潜り込まないと断言できるほど、堅牢な守りではない。
ライターを付ける。カンテラの蓋を開けて明かりを確保すると、マギーはバットを手に取って布と新聞、段ボールで作られた天幕から出る。
木の骨組みに段ボールとビニール、布の天幕では、変異獣や屍者の侵入は防げないだろうが、同時に突き破られるとしても、致命の顎にすぐに喰らい付かれるほどには弱くはない。怪物が頭部を突き入れてくるのを僅かにでも遅らせてくれる程度の固さは、段ボールハウスに細い木材でも持っている。多分、恐らく。
冷静に二度、見廻しても、敷地内に怪しげな影は見当たらない。勿論、物陰に潜んでいたり、影に重なっている恐れもある。軽クロスボウに弦を張り、素早くコッキングしてボルトを装填。
屍者が身近に潜んでいるのでは、と言う疑念と恐怖を押し殺しながら、息を殺して気配を探り続ける。なにもない。恐らくは、只の物音だったのだろう。
時折、風に乗って屍者の呻きが響いてくるも、明らかにバリケードの彼方であった。遠く、コヨーテや変異獣、野犬の遠吠えに反応して、近所の犬が咆哮を返している。
下層地区の路地裏とは言え、バリケードの内側ではあるし、時々は自警団が破れ目が無いか見回ってもいるから、怪物やら屍者やらに滅多に侵入される場所でもない。
多分、大丈夫だ。多分。頑丈な壁に守られていない以上、割り切って生活するしかない。
野生動物や巨大な虫でも当然に危険なのだが、念の為、物陰から遠い位置を維持しつつ、数か所を遠目に照らして見せるも、なにも潜んでいないようだった。
カンテラの灯りを酷く心細く感じる。それでもライターと油を持っていれば、すぐに常設の明かりを保てるのは、町外れでは裕福な側だろう。
街路の向こうに蟠っている闇は、まるで色を失ったまま沈殿しているようだ。
微かな星明りが崩れた建物の縁や瓦礫を薄ぼんやりと輪郭を滲ませている。
廃墟に隣接する土地では、屍者の呻きは一晩中、絶える事ないが、それでも近いか、遠いかの区別は付くようになるものだ。瓦礫の隙間にもなにも潜んではいない。
十数分から二十分ほど、音を立てずに待ち受けていたマギーだが、やがて安堵の吐息を洩らすと、軽クロスボウを元に戻して天幕へと戻った。
トリスとニナが毛布に包まって寝転んでいる。二人とも起きてはいるようだが、なにもなかったと悟っているのだろう。薄目で此方を確認し、すぐに目を閉じたまま
一々、聞かずに場所を開けてくれた。間にそっと入り込んだマギーも、目を閉じる。でかい家が欲しいと、時々だが切に思う。厚い木材製か、煉瓦の壁で三人、四人が寝ることが出来て――マギーは苦笑を浮かべて首を振った。
そんなものは何十年も働いた真面目な労働者か、移住して何世代も経った家族がようやくに作り上げられる代物で、渡り人にとっては、いや、行商人にとっても、遠すぎる道のりだ。
大体が今、暮らしている段ボールの小屋だって、三人で眠れるのだからそんなに悪い代物ではない。春から秋にかけて、己の家で暖かく暮らすことが出来るのが、どれほど有難い事か。まともな寝床さえ持てない渡り人や自由労働者だって黄昏の時代には少なくない。
壁外の廃墟生活者に浮浪者となると、糧を得るどころか、日々を生き残るに必死な者さえいる。流石に、比較するのは下げすぎかもしれないが、大抵の渡り人や自由労働者だって週に三、四日も日雇い仕事に有りつけたら、ツイてると言っていい。
下層地区の住人たちは、仕事も見つからない日も多いし、大抵、半端仕事を幾つも掛け持ちして食い繋いでいる。だから、行商で稼げる上、保安官助手の仕事も貰える今の暮らしは、既に人に羨まれる立場だ。
人の欲には限りが無いな、と、マギーは微睡みながら、薄く微笑んだ。朝が待ち遠しい。
※※※※
ポレシャ市の防壁は長大だが、安全の確保された壁内にも人が暮らしていない廃棄された区画はあった。大抵、水源の確保や糞尿処理に問題を抱えているが、小路や瓦礫、古い建物が多くて暮らすのに不便であったり、怪物が住み着いて封鎖されたり、単に他の地区とのアクセスが悪いだけの時もある。
稀に、ごく僅かな変わり者が好き好んで不便な土地に移り住んでる場合もあるが、概して人間嫌いか、孤独な世捨て人の類。或いは、僅かな浮浪者や漂泊の民の小集団などであって、危険ではないが奇妙な人々だ。
彼ら彼女らの大半は隠れるようにひっそりと暮らしており、ポレシャ市では放置しておいても問題を起こす事は比較的に少なく、当局からは多めに見られている。
路地を塞ぐように設置された頑丈な木製扉を開けて廃棄区画に入り込むと、並んだ廃屋の間を、マギーと三人の娘たちは静かに踏み進んだ。中で屍者の群れが発生しても、区画の境で食い止める為の防備を兼ねているのだが、住人たちはどうにも秘密の経路で出入りしているようだ。
それが縄梯子や鍵のかかる扉であれば問題ないが、境界に面した建物の窓や地下の抜け道であった場合、密輸に使われたり、甚だしきは屍者の群れや変異獣に居留地が不意を打たれる可能性もある。なので、定期的な見回りや動態調査も欠かせなかった。
崩れた建物が風に吹かれて微かに軋んでいた。踏み込むたび、砂埃が鼻をくすぐる。地面には細かな瓦礫が散乱しているが、建物自体は解体され尽くしている。
石やコンクリートは、他の建物に転用され尽くして、野生で喰われた動物のように骨のように木材だけが残されていた。解体するに危険な巨大建築や建材を転用できない住宅を除けば、居住地近くの古い邸宅が手近な建材として解体されるのは、珍しい話でもない。
途中、灌木や茂みに囲まれた空き地で、僅かな漂泊民の一団が火を囲んでいたが、知らない顔が多い。誰も彼も老いてるように見えた。武装した保安官助手とその手下を見て、怯えたように身を竦ませている。いい気分ではない。
最近の窃盗事件に漂泊民を疑う向きもあるが、壁外の無法地帯で、若いものがスリやひったくりを働いたと言う話は聞くにしても、市民街区の邸宅に忍び込んで金目の物を盗むのはやり口が違う気もする。
マギー自身は、違うのではないかとも、別の可能性も考慮していた。ともかく、つらつらと考え耽るうちに路地の向こう側に目的の建物、旧警察分署が見えてきた。
何処の居留地でも珍しくない事情だが、ポレシャ市においても、時として住人に対し、なにかしらの仕事が割り振られる。
下層地区に暮らす渡り人や自由労働者層に対しては大抵、土木や穴掘り、己の暮らす地区のトイレなどのインフラ整備やバリケード修繕と言った労役が課される――日当はきちんと支払われる為、歓迎する者の方が多い――のだが、保安官助手も兼ねるマギーは、いささか危険な任務が割り振られる事が多くなっていた。
曠野の地では、比較的に治安のいいポレシャ市ではあるが、当然に犯罪者はいるし、一応、刑務所も存在している。とは言っても、正規の施設ではなく、常駐している看守もいない。
廃墟地域の古い分署跡には、ボロボロのコンクリートに一応の鉄格子だが残されており、大人数を収容する際に臨時に使われていた。
拘置される容疑者が数人であれば、市内の留置場で充分足りるのだが、例えば、市の近郊で十数人の強盗団が捕縛され、主犯格以外が死刑を躊躇われる罪状の場合、かつ遠方の流刑地や開拓地に送るにも時間が掛かる状況で、囚人たちの処置が決するまでは一時的に勾留し続ける為の施設として用いられたりする。
保安官助手マギーは、ニナとトリス、ジーナ・エクルストンを助手に伴って、ポレシャ市刑務所に滞在する事となった。腰には貸与されたピカピカの役人用コルト・リボルバー。一日刑務所長マギーちゃんである。
勿論、マギーは行商人と兼業なので不定期の交代制となる。信頼できる者たちが空いた時期に刑務所長を務めるのだ。
例え廃墟とは言え、コンクリートの屋根の下、頑丈な壁に守られた寝床で眠れるのは悪くない。
旅の空では、何時も残してきた仲間が心配になる。トリスやリリーは無事だろうか。廃墟に暮らしているココに想いを馳せたりもする。今も、ココは心配だが、リリーに世話を頼んでいる。
それにしても登録労働者を刑務所所長。本当にそれでいいのか、とも思うが、マギーは名のある元賞金稼ぎで、かつ、幾人かの部下を自前で揃えられる。収監対象は、二つの農村強盗団の生き残り。
世には、負けた癖に態度のでかい敗者が時々、いるもので、牢屋の中で他の囚人を立たせてる強盗団の首魁もその手の大物気取りだった。
「俺はドラゴンだ」それだけで全てを語ったと言いたげな態度。全身刺青を入れた筋骨隆々の男の自己紹介に、マギーちゃんは、何とも言えない表情を浮かべて、はぁ、と頷いた。
「これが例の?」と隣のニナに尋ねる。
「リザード?デザート?の二番目の幹部だと」とニナが呟き、ジーナが書類を取り出した。
「『リザード・ロック』ね。もう一つが『ママ・ディアナ』。この二つの構成員は仲が悪いから、一緒にしちゃ駄目だそうで」
「……変な名前」とトリスが呟いた。
分署内には、他にも幾人かの看守が屯しており、うんざりした態度で監視を続けていた。
マギーに限らず牧者衆や狩人、浮浪傭兵らなど戦闘技能に長ける登録労働者層は、変異獣の討伐や廃墟方面の警戒任務などを割り振られることも多いので、危険な任務を嫌がって壁内には住まず、居留地地区の登録労働者にならない者も少なくない。
勿論、それ相応の手当てが支給され、滅多に負傷者が出ないとしても、危険を嫌い、或いは尻込みする者も当然ながら一定数いる。
賞金稼ぎの経歴を持つマギーにとっても事情は似たようなもので、数千を稼げる行商人にとって、居留地紙幣で受け取る僅かな危険手当は魅力に乏しく、危険の割に見返りは少ない。
それでも市に属していれば、色々と見返りもある。例えば、怪我をしても仲間も含めて高速治療薬の医療を受けられ、しかも、保険が効くとか。
バリケードと自警団に守られた地区に暮らせて、財産も保護される。今のところ、庇護と奉仕の契約の吊り合いが保安官助手を続ける最大の理由で、他者の助けとなる仕事にも幾らかの楽しみを見出していた。
或いは、顎で使われるのが飽きた日には、正規居住権なり、市民権を買うのもありと言えばありだし、もしかしたら、あっさりとポレシャ市を離れる決断をするかも知れない。
いずれにしても、若干の不満を覚えつつも、マギーは現時点で居留地との関係におおむね満足はしていた。
短期ではあるが、同僚たちに挨拶をして回る。腕の立つ牧者、牧童崩れに浮浪傭兵や無宿人だが、それほど悪い評判は聞かない者ら。
顔を知ってるものもいれば、名くらいは聞いていた者もいたが、いずれも熟練者ばかりで、完全な無名はいなかった。戦場帰りの民兵や兵役を務めた男女は、市にとっても貴重な人員だろうに、担当者はいい判断をすると思った。
マギーもあまり媚びずに、ただし、礼儀を守って自己紹介を行い、二、三の手順を確認すると、親しみを覚えたかどうかは別として、仕事の同僚としては認めてくれたようで頷きを返してくれる。
今は、それでいい。彼ら彼女らだって、生命の庇護と財産の保護を受けられる立場は悪くないと判断し、市からの仕事を受けたのだろう。荒事が付き纏う稼業の者が多いとはいえ、余計なマウントを取ったり、過剰に囚人に脅える者もおらず、互いに必要事項を伝え合うと、後は為すべき事を為す態度には好感が持てた。
囚人たちは騒ぎ立て、怒鳴り、威嚇してくる。元気な連中だ。特に右手側の牢獄『リザード・ロック』が酷い。派手な刺青を入れており、マギーが元スネイクバイトと耳にしたのか、討伐に来た女賞金稼ぎたちを返り討ちにして、暫く飼ってやったなどと聞いてもいないエロ話を語り始めた。知らんがな。
こんな連中を流刑地の受け入れ準備が整うまで、半月も一か月も養い続けるのは、税金の無駄遣いですよ、とニナが憤ってた。『ママ・ディアナ』の囚人たちは、それなりに静かに過ごしているのが気が楽だが、此方の方こそ油断できない気もした。
税金の無駄遣いは、マギーも同感だ。水と食費は何とかなるにしても、民主政体にとって人員コストは常に高い。
居留地と戦闘員たちは、庇護と奉仕の相互契約を結んでいる。信頼でき、かつ便利使いできる戦闘員は、存外、少ない。ポレシャ市にとっても、高い戦闘技能やその他、諸々の技能や伝手を持つ人物が登録している意味合いは小さくない筈だ。
食事を作り、清掃を行い、塵を捨てるのも、自由労働者や渡り人、壁外にしても長年、市と契約してきた信頼できる浮浪者や廃墟生活者たちだ。本来、他の任務に使える分をそれだけ割いている。
十人近い戦闘要員と四、五人の労働者を一か月、二か月と拘束して見張り続けるだけの価値が、果たして、こんな屑どもにあるかとマギーも疑問を抱かないではない。
或いは、それが民主主義の必要コストでもあるのかも知れないが。逆に言えば、こんな連中でも生かして引き渡そうとするポレシャだから、流れ者たちも信頼して、定住を望んでいるのだとは、マギーに限らず、誰もが理解できる。
だが、市と市民に労働者に至るまでが血税を払って生かしているのに、感謝してるのか。なにも理解せず、当然のようにただ飯を喰らって、糞を放り、食事の味に文句を言ってくる。マギーちゃんは、短時間には『リザード・ロック』団を嫌いになった――ぶっ殺したい。勿論、実行はしない。大人だから。
「飯を寄越せ!飯を!昨日から!なんも!食ってねえ!」強盗団の一員が、鉄格子を掴んで叫んでいた。
「はいはい」トリスが木の椀にお粥をよそうが「てめぇ、ミュータントか!」強盗はトリスのスノーゴーグルとその下の大きな単眼を見、「この化け物が!俺に触れるんじゃねえ!」お粥を捨てながら叫んだ。
「はあ?トリスはお前の一億倍、世の中の役に立ってるんだけど」ニナが咎めるが、強盗たちは偉そうに化け物だ、失せろだの暴言を撒き散らし始めた。
看守たちにも浮浪傭兵やら牧童やらと口の悪い者たちがいて、言いかえし始めた。
「はぁ?淫売の尻穴から生まれた、喋る大腸菌が!唯一の希少性を抹殺してやろうか?」お上品とは言い難い罵詈雑言のバリエーションを始めて耳にする。
「なんだと!てめぇ!?」切れてる強盗に「お前の故郷の肥溜めに帰国させてやるって言ってんだよ!」などと言い放ってる。
マギーは、床に零れたお粥の麦を指に掬い、「勿体ない、この一粒までも血税です」眉を潜めてから溜息を一つ小さく洩らした。それからパンパンと拍手して注目を集め。「私の部下に謝罪しなさい」と強盗団に要求する。
「はあ?てめえが俺の尻にキスしろ!姉ちゃん!イ×せてやるからよ!」強盗団は、イキっている。
「では、食事はいらないそうですね」面倒臭くなったマギーは、職員らに指示した。「飯抜きで。まったく毎日、三十人にただ飯喰わせるだけで恐ろしい」
罵声や小さな悲鳴が返ってくるが、マギーは無視してトリスの立ち去った廊下を追った。傍らに立つと「看守に偉そうな口を聞くほど、馬鹿揃いとは思わなかった」と謝罪するように囁いてから「やめる?」と尋ねる。
トリスは少し考え込んでいた。こういう時に、親方としてのマギーはけして徒弟に答えを急かさない。
「居留地の信用を得られる仕事をせっかく貰った」トリスが考えるように発言している。マギーは静かに聞いていた。
「これから先、味方の居ない場所で似たような事があるかも知れない」とトリスは、親方マギーをじっと見つめて「だったらやる。やって居場所を作る」と告げた。
「うん」とマギーは頷いた。
連中が調子に乗る理由のひとつとして、この頃、マクロード副保安官率いる討伐隊が『フォルテッシモ』強盗団に二度に渡って撃退されていた。
一度目は威力偵察が思ったよりも手強く撤退し、二度目は死に物狂いのフォルテッシモ相手に弾薬切れで引き返した。
小規模な戦闘ほどに、現場には水物の側面が出る。どうしたって勝ち負けはある。勝利や好調ばかりが続くはずがない。相手とて必死だ。討伐隊を撃退し、人数も集まっていると言う。
だが、元いた仲間を失い、弾薬を浪費し、烏合の衆ばかりが集って膨れ上がったフォルテッシモが何処まで戦えるかと、マギーは踏んでいた。参事会の参戦要請を突っぱねてキャシディは三度、マクロード副保安官に指揮を任せた。
これで負けたら、いよいよキャシディが出なければならない。
無責任な新聞に勝利したと噂が流れる強盗団だが、辛うじて討伐隊を退けただけとマギーは推定していた。それに前二回。討伐隊の犠牲は、殆んど出ていないのだ。
マギーは三度とも付き添わなかったが、作戦を立てる場には参加して、制作した地図を託しておいた。結果は、聞かずとも分かった。
農村地帯の目ぼしい強盗団は、合流したならず者ともども、半月掛からずに掃討された。
どうやって囚人たちが外の情報を得ているのかは分からない。看守や職員の誰かが買収されているか。外に知らせている者がいるか。或いは、他になんらかの方法があるか。
いずれにしても、討伐隊が勝利した翌日。囚人たちは、嘘のように意気消沈していた。それにしても(本当に便利使いされているぞ)とマギーちゃんは思った。
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8月下旬_6421都市通貨




