03_63 夢とは脆く儚いもの
街道を往来する旅人たちにとって、最大の脅威は屍者の群れでもなければ、変異獣の群れでもなく、街道筋の要所に巣食った盗賊団に違いないであろう。
多くの怪物は縄張りを持ち、戦争は前触れがある。しかし盗賊は道そのものに潜み、交渉も規則も持たない。旅人が避けられず、準備も許されないのが盗賊団だ。
一般にならず者と見做されるうちでも、略奪者軍団の方が戦闘力では遥かに優り、統率力でも上回っている。
法を公然と無視する無法者どもとて火力では引けを取らず、金を稼ぐに手段を択ばぬ浮浪傭兵や無宿人たちと遭遇する機会の方がずっと多いだろう。
にも拘らず、旅人や行商人を狩るのに特化した盗賊たちは、遥かに恐れられていた。
縄張りの街道や廃墟は盗賊の庭であり、数年を巣食って地形に詳しい賊らは抜け道や回り道、逃げ道を熟知している。
慎重に通行人を観察し、荷の重さや判断の遅れ、恐怖の匂いを嗅ぎつけて慎重に襲撃をしてくる。
いざ、攻撃が始まれば、獲物を的確に追跡し、防壁や居留地、旅籠に逃げる前に捕捉し、軍隊や警備隊が駆けつける前に逃げ去ってしまう。
素早く、規模が小さく、火力を持ち、地形を知り、事前の兆候を感じさせずに襲撃してくる、つまりは、普通の旅人たちが遭遇した時点で詰んでいるのだ。
街道筋には名うての盗賊団以外にも劣悪な装備で単独の旅人を襲う追い剥ぎや部族、少人数の略奪者や盗賊徒党に所持金を奪う無頼傭兵や無宿人も幾らもいるし、街道近くに砦を構えた無法者や或いは通行料を取り立てる貴族や豪族の私兵に居留地の警官に軍人、武装農民だって一種の賊とは言えるだろう。
そして、裕福な旅人に限ってだが、無名の盗賊団や少数の傭兵、部族、無宿人などに掴まるよりは、むしろ大手盗賊団に捕らえられた方がマシまである。何故なら、身代金を払えば、かなりの確率で生きて帰してくれるからだ。
大手盗賊団には、近隣の農民や羊飼いには手出しをしない事例も少なくない。
近隣の者らを無闇に敵に廻せば、警備隊や賞金稼ぎなどにアジトや抜け道を密告される場合もあるからだ。
逆に小まめに食料や家畜、小遣いなどを与えていれば、居留地の警備隊や官警、賞金稼ぎなどが来訪した際、警告を発したり、金の有りそうな旅人が通りかかった際に教えてくれることさえある。
勿論、数キロ四方に民家が無い地域を縄張りとして、農民でも羊飼いでも構わずに襲撃し、身代金を奪うか、人買いに売り払う盗賊団もいれば、一定の通行料を取り立てるか、割符だけで見逃す盗賊団もいる。
そして襲撃した対象を全て殺害しながら、息をひそめ続ける無名の盗賊団もいた。いずれにしても旅人――特に居留地間を移動して稼ぐ遠距離行商人にとっては、最悪の脅威のひとつが盗賊団であった。
※※※※
ポレシャ市のマギーとニナは行商人である。居留地と自由都市ズールの間を往来し、小麦や資材、物資の仕入れと雑貨店への売却、そして市民や農民相手の小口の商いを生業としている。
十キロから二十キロほどもある積み荷を背負い、日に二、三十キロを徒歩で移動する行商は、厳しい仕事だが、その分、見返りは大きい。
多い時は、都市通貨で二千近く稼げる月もあって、渡り人上がりの行商人としては、二人はそれなりに豊かな生活を送っていた。
勿論、小なりとは言え、隊商を抱える隊商主や店持ち商人には、二人よりも稼いでいる者も少なくない。
それでも都市通貨で月に一千からの純利益は、大半の行商人が望むべくもない金額で有り、今のままの稼ぎが続くのであれば、数年のうち、下町だとしてもちょっとした家か、店を持てるかもしれなかった。夢は何処までも広がる。
街道筋には、旅人の為の休憩所も兼ねた旅籠が十数キロごとに点在している。
大きな旅籠ともなれば、小さな砦とも言える様相を呈していて、追われた旅人が逃げ込めば盗賊団とて諦める程の備えだった。
銃眼を備えた石造りの壁に頑丈な外壁、見張り塔までを備えた強固な地域防衛の要となっており、略奪者や無宿人、荒くれ傭兵の徒党でも滅多には襲撃しようとは考えない。
屍者の群れや変異獣の大群が近隣の村々を襲撃した時でさえ、旅籠は人々の避難所として機能し、援軍が到来するまで持ちこたえる状況も少なくなかった。
自然、旅籠は地域の交通の拠点となり、様々な旅人たち――農民、行商人や羊飼い、流れの職工や鉱夫、巡礼、自由騎兵や傭兵、それに渡り人や自由労働者などが身体を休めつつ、他の旅人たちと噂話を交わしたりする交流の場ともなっている。
八月の或る日、マギーは漆喰の壁に寄りかかってうたた寝していた。寝床や寝室は高く、節約で木製のベンチや寝椅子に転がっている旅人も多い。それでも少なくない金――二人で十都市通貨!も取られた。壁の中の安全とは本来、それだけの価値があるのだ。
「……良い商売だねぇ」と隣のニナがぼやくので、マギーは首を傾げる。大きな旅籠ほどに人を雇い、食費や火薬、弾薬に維持修繕も金が掛かるものだ。
気苦労も多ければ、時には大きな傭兵団や盗賊団の標的とされた話も度々、耳に入ってくる。実入りも大きいが、引き換えに命を張る場面とて廻ってくるに違いない。
中庭で火を借り、自炊してる旅人も多かった。マギーたちも目の前の鍋で葉物野菜と芋、人参、豆が煮えるのを待っている。干し肉はそれなりに高いので、使わない。
ポレシャ市に戻れば、普通に新鮮な鶏肉や羊を喰えるのだから、塩と醤油、酒などの味付けだけで充分だ。
それにしても、もう日が暮れようと言うのに、多少の蒸し暑さが纏わりついてくる。曠野には蒸した日は珍しい。夏場は冷たい水が良く売れる。
井戸や湧き水を持っているのか、遠来の泉や湖から汲んできたのかは分からないが、水源は小さなものでも一財産となる。売って廻っている少年少女や若者らは、地味な服装からして使われる立場の徒弟か、富農の召使いだろうか。
汗ばむ肌に冷たい水を求める旅人は多い。隣では行商人の女が水を飲み干し、徒弟と思しき少女に残したコップを廻していた。
少女は、僅かな水を水筒に注いで、少しずつ飲んでいる。哀れっぽい惨めったらしさにニナが一瞬、嫌悪の表情を浮かべて、そっと顔を背けた。
貧しい人々への嫌悪ではない。同じ立場の徒弟が虐げられたり、使い潰される光景がどうにも好きになれないのだ。とは言え、偶々、同席しただけの他人に口出しできる義理も由縁もない。他の旅人たち同様に、黙々と簡素な食事を取り始める。
少女も、気づいているのか。気づいてないか。ニナのような反応には慣れているのかも知れない。水を少しずつ、大事そうに飲んでいた。
厩の方では、馬の嘶きが聞こえてくる。馬や驢馬に飼葉をやろうと走り回っている小僧は、見すぼらしい服装を着ていたが、仕事をしつつも、農民の子らとケラケラと笑い合っている。表情は明るい。辺土の街道筋で、貧しさは惨めさと等質ではない。或る意味で、殆んど誰もが貧しいからだ。それがいい事か否かは分からないが、少なくとも、一人だけ腹を空かせるような疎外感や惨めさとは無縁だろう。
「なにを見てるんだい?」唐突に、女行商人のしわがれた声が響いた。
どうやら、旅の老人が女行商の扱いを咎めたようだ。
世の中の何処にでも善良な人間はいるものだが、口を挟むことが必ずしもいい結果をもたらすとも限らない。
「言っとくけどね、あたしも親方にはそうやって仕込まれたのさ」怨念の滲んでくるような伝法な口調だった。
「身寄りもいないてて無し子が食い物と寝る場所を頂けるだけでも、有難いと思いな!あたしの時は、こんなもんじゃなかったよ!」女行商の金切り声に、マギーは関わるまいと明後日の方向を向いた。
(……それはそうだろうな)とはマギーも思う。人生でたっぷりのひどい目に遭わなければ、中々、他人に当たり散らそうとは思わない。
偶には、愛情を受けながら、他者への残酷な振る舞いを楽しむ肥溜めみたいな人格の持主もいるけれど。
「水、もう一杯」ニナが敢えて空気を読まず、財布を取り出した。
「あい!」と元気よく返事した水売り娘が駆け寄ってくる。
冷えた水が木椀に注がれ、音を立てて小銭が小さな手のひらに落ちる。
「マギー」と強請られるように甘えてきたので、お茶の缶を渡すと、ニナがナイフで軽く削った。砂糖も入れる。水出し茶の弱い香りが土埃と獣の匂いに微かに薫った。
また新しい客が旅籠の中庭に入ってきた。駆け寄った旅籠の若衆が、驢馬の背から荷を下ろすのを手伝っている。飼葉桶に顔を突っ込む驢馬の首輪が鳴る。
「驢馬欲しいねぇ、驢馬」ニナが囁くので「そのうち、そのうちね」マギーも応え、囁き合って、くすくすと笑った。
「そろそろ日が落ちるぞ。閉門!」宿の主人か、支配人かは分からないが、指示で表門が閉められる。分厚い閂が二つも差し込まれた。
覗き窓の付いた小さな勝手口は深夜でもまだ開くが、それも分厚く、開けるには時間が掛かる。火縄銃やクロスボウを背負った旅籠の傭兵たちが、夜食の入った鍋と水筒を抱えて、防壁の銃眼の後ろへと入っていく。
番犬が数頭、門の近くの杭に繋がれた。影の中で舌を出していた。屍者や変異獣が闇の中を近づいてきても、風向き次第で察知できるかも知れない。
もっとも、犬の吠え声が屍者の集団を引き付けてしまう例もあるので、犬の存在も善し悪しか。「番犬も欲しいねぇ」「いずれね」などと囁き合う。
外壁の外で陽が沈もうとしている。見張り塔の影が中庭を横切り、陽と陰がゆっくり入れ替わる。足元を、石の割れ目から小さな蜥蜴が走り抜ける。傍らの梁にカンテラが吊るされて、周囲の地面だけは煌々と明かりで照らされている。
マギーとニナは、少し金を出して灯りの傍の寝椅子に場所を取っていた。物を盗まれる恐れが随分と減るのだ。
マギーに限った事ではないだろうが、寝る時は何時も恐れている。
誰かが屍者に噛まれたことを隠してなければいい、と。一応は、宿の人間も塔や屋内から見張るだろうが、いざ、感染者が暴れ始めれば、閉め切って、盲撃ちするに決まっている。
街道沿いにある無人の旅籠跡の幾つかは、そうして屍者によって滅び、或いは変異獣に蹂躙され、そして盗賊団や傭兵団、略奪者によって陥落して放棄されたのだ。
猫が一匹、荷車の下で丸くなって眠っている。
誰かがベンチに腰を下ろし、木の軋む音が響いた。辺土の夜が訪れていた。
※※※※
早朝、マギーとニナは、荷物を持って物陰に入ると、湯と石鹸、布で身体を拭いた。勿論、クロスボウと手斧、ナイフは手元に置いている。
互いに届かないところを拭いて微笑み合っていると、近くで湯を使っていた女行商人が反吐を吐きそうな顔を見せた。
「随分と甘やかすと思ってたら、色子かい」随分と言えば随分な物言いであった。
女色に嫌悪を示す人間がいるのも当然ではあるし、他者を不快にさせたい訳でもないので、マギーたちも人目の多い処では余り戯れたりしない。節度は守っている。
言いがかりに近い難癖にムッとしつつ、唐突な悪意に晒されて、どう反応すべきかを考える。人間は社会性の動物だからだ。
もしかして大物なり、背景に組織がいて因縁をつける為のフックかもしれない。でも、多分、単純な馬鹿だろう。
マギーたちが属しているのはポレシャ市。筋が通らない真似はしない代わりに、かなり強力。かつ時代としては、小さな共同体の割拠が続くと思われる時代と分析している。背景としては、けして悪くない。喧嘩を売ってるなら、買うよ?
沈黙を保ったまま、黙々と服を着る。最悪の場合だが、裸で殺し合ったり、逃げる趣味はない。
それに荒事になった場合、女行商に仲間がいたり、旅籠の主人と知り合いなり、親戚なら困ったことになるので、馬鹿は相手にしないのも手ではある。
逃げたと言わば、言え。逃げるが勝ちである。
仲間もいないで女二人と甘く見て嫌味を飛ばしてくるなら、そんな馬鹿は相手しないでいい。要するに悪意を持って執着してくるのでないなら、馬鹿なんてどこでもいるから一々、相手をしないのも効率良いのだ。
腹は立つけど。時々は、面子が大事な場で調子に乗られて、痛めつける羽目になるけど。
マギーは、旅籠の主に挨拶していない。木っ端役人とて、ポレシャの公人として挨拶すれば、保護される代わりに手紙のやり取りが市に増える。余り繋がりを増やしても、負担が大きくなる。保護して貰えば、母市の手間暇と負担も掛かる。
街道社会に旅籠文化、人々の拠って立つ共同体を前提にするなら、辺境ほどに血縁や地縁、顔見知りの網は濃く、広く繋がっている。一度の小競り合いが、数年単位の不利益に化ける。
計算が瞬時に頭をよぎるのは、世知辛さや臆病かも知れないが、良くも悪くも大半の土地では、法の裁量が個人に左右される幅がポレシャ市よりも随分と大きい。喧嘩を買うなら、やはり地元でだ。一々、そんなことをニナと囁き合いながら、マギーはさっさと逃げ出した。
ニナが似顔絵を描いている。上手い上手い。いやな目に遭わされた内容と場所、日時。マギーが愚痴を洩らしつつ、周囲の人にそれとなく聞いて、名前と職業を聞きだしておく。
ゾラ、三十路の女行商人。長く苦労して性格がひん曲がった。旦那に先立たれた。小物と塩を扱っている。客の前だと別人のように愛想が良い。
何処まで本当かは分からないが、そんな噂が耳に入って、マギーの聞きだしたこれも、ニナは感心無さそうにノートに記した。
仕返しするかどうかは別として、相手の情報を集める奴なんて、きっと珍しくもない。だから、敵は増やさないに越したことはないのだ。もし手強い敵が増えそうなら、念の為の殺害だって選択肢になる場合すら、ある。
だから、妥協できそうな敵とは取引を提示して、互いに手打ちし合った経緯を喧伝したりもする。金やその他で妥協できる人間だと言う宣伝は、一つの価値を持った保険でもある。
ゾラは、特に大きな組織には入ってなさそうだ。するとやはり、女二人で舐められただけか。庶人のようだし、大した繋がりもない。なればこそ、元賞金稼ぎで保安官助手のマギーは、即座に暴力的な報復を行おうとは考えなかった。
口の悪い孤独な年増女なんて幾らでもいるからだ。
その後、マギーが辺境の井戸の権利書を純朴そうな驢馬飼いに売りつけようとして失敗したり、それをきっかけに北西の辺境開拓地の噂話を耳にしたりもしたが、朝の早いうちに旅籠を出た。
周囲には他の旅人たちの姿も少なくない。人数で纏まっていた方が街道を往来するには安全ではあるのだ。屍者や変異獣の群れにも、誰かしらの弾は当たる。とは言え、纏まっているからこそ、畏れるべき相手も黄昏の世には少なくないのだが。
※※※※
危険な街道を旅する行商人として、マギーたちもそれなりの武装をしている。軽クロスボウを背負い、手斧を身に着け、大振りのナイフも手放さない。
屍者などにはバットの方が有効だが、どうしても持ち運べる荷には限界があった。
30ポンドから60ポンドの軽クロスボウであれば、ある程度だが、対人と同時に対屍者装備としての有効性を兼ねている。
元賞金稼ぎの前歴があるマギーは、今も鍛錬は怠りなく、ニナにも訓練を付けている。とは言え、行商人となってからは割ける時間は減り、加えて実戦からも遠ざかっている。
戦闘力が衰えているのは否めないが、それでも追い剥ぎや逸れ部族などの襲撃であれば、撃退するのはさほど難しくなかった。
軽クロスボウは、弦を指や簡易フックで引ける代物で、有効射程も精々が20~30メートル。それ以上は威力が落ちるが精度はかなり高い。
野犬や追い剥ぎを追い払うのは充分だが、同じく弓矢やクロスボウを所持して襲ってくる部族相手には、慎重に立ち回る必要があるし、逸れ略奪者や無宿人、傭兵などに立ち向かうにはやや力不足でもあった。
それでも徒党の斥候でもなければ大抵、少人数は武装でも劣っており、距離を保ち続けて諦めさせるなり、逃げ切る程度であれば、案外なんとかなるものだ。
時に部族や略奪者相手に白兵へと持ち込まれたこともあるが、大概の結末では、マギーの両手の斧が相手をずたずたに切り裂いている。マギーに限らず、平凡な旅人に元賞金稼ぎや引退した傭兵が潜んでいる事だって珍しくない。
古来より|好事魔多し《Fortune is fickle》とは言ったものでこの日、マギーとニナは街道筋で盗賊の襲撃を受けた。マギーは些かの不調は自覚していたものの、それでも日常のルーチンとして行える警戒は一通りを行っていたのだ。
侮っていた訳ではない。八月の真夏は、一部作物の収穫期であると共に物流が盛んになるから、盗賊の活発化する季節として本格的な秋ほどではないにしろ、旅人は誰もが警戒を怠りない季節だった。
人のうちに新しいなにかしらのやり方――慣れない仕事や環境に適応したり、未知だった価値観や視点が生じる際、脳内の神経系に僅かに不整合を起こす状態に陥ることは、マギーも経験則から承知していた。
従来の安定していた思考パターンが乱れて、一時的に勘や観察力が衰え、妥当な結論を導き出す演算や思考力、認知全般に陰りが生じている状況だと自己判断する。
都市からの行商でついでに顧客となる近隣の農場に寄った帰り、普段は余り選ばない街道を選んだ。周囲には武装した旅人たちが少なからずいて盗賊も一応、出没する一帯ではあるが、事前の斥候を行って影が無い事を確認していた。
それでも油断と言えば、油断だろう。慣れてない、見通しの悪い場所にも拘らず、空隙を突かれた訳だが、本来、そもそも慣れぬ道を使うべきではなかった。
鋭い銃声が響いた瞬間に盗賊と悟り、ニナと顔を見合わせた。二人で言葉を交わす暇も惜しんで並走し始めるが、マギーは内心、焦りを覚えてもいた。
普段であれば、もう少し用心深く、振舞った。よりによって弛緩した瞬間、盗賊が襲ってきた。運にも見放されている。おまけに場所も悪い。
折悪しく、周囲には武装した旅籠も無ければ、警備隊の巡回ルートも見当たらない。いや、これは盗賊がそうした制約点を狙って襲撃を仕掛けてきたのだろうが。
周囲の旅人たちは、ばらばらに反応している。遮蔽を取りながら踏み止まって反撃を試みる者もいれば、一目散に元来た道を逃げ戻って行く者もいる。
一塊になって反撃しつつ、道から外れていく集団もいれば、或いは、単独で四方へと散っていく人影もあった。
マギーとニナの本業は行商人で荷物は多く、重たい。大した武装は携えていなかった。武装と言えば、斧にナイフ、軽クロスボウ。
対する盗賊団は、定石として最低、五人から八人。十人以上かもしれない。交戦は諦め、瞬時に逃走を始める。
街道筋に巣食う盗賊団の武装は、概して優良な水準をも保っている。
工房製の散弾銃やオートマチック拳銃。他にレプリカのマグナムリボルバー、距離を詰めればソードオフショットガン。待ち伏せには、マシンガンやサブマシンガンを用い、数で優位な旅人たちにも一瞬で致命傷を与えてくる。
特に一部の大手盗賊団となると、その武装が大型居留地の警備隊や都市軍の装備を上回っている事例とて珍しくない。
居留地や都市が予算の一部しか軍に廻せないのと裏腹に、盗賊団は収入の大半を装備に廻せるからだ。勿論、強力な盗賊団であっても警備隊と揉めるのは好まない。仮に勝てるとしても馬鹿にならない損害を受けるし、なにより警備隊の人的資源と回復力は通常、盗賊団とは比較にならないからだ。
盗賊たちが潜んでいるのを知っていて、恐らくは遭遇しない、と安易な気持ちで街道を選んだ。普段であれば、どうだったろうか?注意力が散漫になり、思考に積み重ねが欠け、判断力が衰えていた。要は精彩を欠いた。
後悔はしつつ、それでもマギーは逃走を諦めなかった。ニナを連れて走り続ける。荷物が重たい。捨てようか。岩や廃墟の狭間を縫うように相手に対して横向きの移動や不規則な進路変更を欠かさず、偏差射撃を要求する事で命中率を落とし続ける。
気分が悪い。悪夢の中で溺れているように動きが鈍く感じられる。耳元で死神の息吹を感じたように思えた。勝手についてくる。いや、同じ方向へと走ってる旅人の姿も視界の端に映っていた。古い廃墟の町跡へと逃げ込むと、建物の影に飛び込んだ。
旅人と思しき人影も一緒の建物に飛び込んできていた。
マギーは息を呑んだ。よりによってゾラだ。荷を背負った少女も荒い息をついている。顔を顰めつつ、或いは、ゾラが盗賊の密偵や間者ではあるまいか?ニナと目配せして、疑念を共有しつつも、周囲の気配を探った。
差し当たり、屍者の気配はなく、変異獣の痕跡もない。反撃の音はまだ聞こえてくる。盗賊を足止めしてくれてるだろうか?その希望もむなしく、向こう側から一団の人影が現れる。まるで廃墟に逃げ込むのを予想していたかのような動き。
それはそうか。盗賊たちにとって勝手知ったる庭だ。マギーは喘いだ。脳髄が痺れたように麻痺している。
ゾラは、街路を覗き見ながら、銃に火薬を装填している。
手にしている雷管式パーカッションのリボルバーは悪い武器ではないが、相手は複数人、かつ、散弾銃やマシンガンなどを取り揃えている。立ち向かえるのは、一部の武装キャラバンくらいや警備隊くらいで、普通の旅人が戦って敵う相手ではない。
呼吸を整えている。マギーとニナの軽クロスボウは、しかし、街道の盗賊団相手に立ち向かえるような代物ではない。
それでもマギーが手を振った。ニナが無言でうなずき、窓辺に伏せながら、タイミングを窺う。「……右手。一時半の方向」ニナが囁いた。物陰から飛び出してきた瞬間を見計らってクロスボウを射出。突き刺さった。悲鳴が響いた。
二本のクロスボウが突き刺さった盗賊が路地でのたうち回っていた。
「くたばれ」とゾラが発砲して止めを刺した。
それから「やるじゃないか」とニナに笑顔を向けてくる。どうやら、盗賊の仲間ではなさそうだ。
ニナは見事に、盗賊の動きを読み切っていた。想定通りの動きをしてくる。軽クロスボウに次のボルトを装填する。残念ながら弾は各自六本。もし、盗賊団が少なく、マギーとニナが各々二十発の弾薬とライフルを所持していたら、縦深を設定し、戦いながら後退する事で、盗賊共ともう少しまともに戦えただろうか。
それとも、盗賊共も挟撃を目論んできたかも知れない。
暫く睨み合い、撃ち合うが、盗賊の影が増えてくる。遮蔽を取りながら、きっちりと圧力を掛けてくるのは、流石に本業の盗賊だけはある。
盗賊たちの動きは想定通りで「クロスボウでもある程度は戦えたかな」呟いたニナが一瞥してきたので、マギーも溜息を洩らした。戦えるうちに降伏するべきだろう。
「3000!都市通貨で!二人で3000!」ニナが叫んで、「ポレシャのマギーとニナか?!」と尋ねる声が返ってきた。
何故、特定されてる?とは言え、稼げる行商人は、風体と身代金の相場から、割り出されていても不思議はない。
「そうだ!そっちは?!」とニナが叫び返している。
「ガトー!青狼のガトーと人は呼ぶ!3000だな!?」と盗賊の親玉らしい声が名乗った。
「……聞いた事ないよ?どうする?」とニナが迷いを見せた。捕虜の身分と名前、支払い能力に対して、勝利者の名乗りと安全保障が重要なのは、中世欧州の騎士の戦争と幾らかは似通っている。マギーは肩を竦めた。全てをニナに一任している。
考えてからニナが頷いた。
「身代金をズールの代行人が払う!身代相応に扱うなら、降伏する!」とニナが告げる。
「分かった!これ以上の戦闘はなしで、両手を上げて出てこい!」とガトー。
一連のやり取りに呆気に取られていたのは、ゾラだ。
まだ弾薬はあるし、粘る心算だったに違いないが、マギーとニナが意地に付き合う必要もない。そしてまだクロスボウが撃てるうちに降伏したのは、どう出るか分からないゾラに対しての備えでもあった。
「ああ、畜生!」天を仰いだのは、ゾラだ。毒づいてから溜息を洩らした。
「ズールのゾラ!五百!プロスぺロ商業組合の親方が保証してくれる!」
「いいだろう!それで全員だな」とガトーが叫び、全員が降伏したので、盗賊たちの方から慎重に乗り込んできた。
真っ先にゾラが武装解除される。パーカッション・リボルバーは、かなり危険な武器なので、解放されるまで一時預かりとなってる。マギーとニナは武装解除してないが、もう暴れるつもりはなかった。
捕虜宣誓を行っている。隅に立って盗賊たちを観察しつつ、誘拐された際の代理人に対する手紙を手渡した。
武装した腕利きが身代金を持って引き取りに来るまでは、盗賊団に見張られるが、降伏が通じる手合いであったのは幸いで、連中も多分、マギーたちを殺さないし、不必要に傷めつけもしない。健康な行商人は、再び稼ぎ始めるからだ。そして再び捕まえることが出来れば、また身代金を手に出来る日が来るかも知れない。
三千は大金だが、マギーにとってはもはや致命傷ではない。生きていれば、また稼げる金額だ。そしてニナも、プロの盗賊団とある程度、戦える練度に至っていると確認できた。損失は痛いが、得たものもあった。
と、隅にいたゾラの徒弟の少女が顔を上げた。
「こいつは?」と盗賊が尋ねるも、「そいつに払う金はないね」とゾラが冷たく言った。
「そうかい。まあ、いいさ。おまけだ。お嬢さん、飴でも食うか。馬鹿な真似しなけりゃ生きて帰れるからよ」
優しげな言葉を吐いてる盗賊だが、割に合わない貧乏人なら、幾人となく殺したり、売り飛ばしたりしている悪漢に過ぎない。
隅の方で座りながらニナが軽蔑の視線を向けたのを、マギーは腕に優しく触れて窘めた。
その日の昼と夜は、盗賊たちの野営地で食事を振舞われた。山羊や豚は、奪ったものに違いない。いや、地元農民から買ったものかも知れないが、たっぷりの肉に新鮮な野菜。
陽気な盗賊たちの奏でる音楽に踊りと、下働きらしい召使いか、奴隷の女子供もはしゃぎまわっていた。マギーとニナは主賓扱いされたが、三千支払う事を考えると到底、楽しめるものではない。
ロビンフッドの捕虜になった役人たちは、こんな気分だったに違いない。
かと言って、若きカエサルのようにお礼に俺も君たちに贈り物をしようと約束できるような大人物でもない為、鬱々としながらも元手を取り返そうとそれなりに食べた。
「元手を取らんと」とぼやいたマギーの言葉に盗賊たちは大いに喜び、行商人の娘たちはただただ憮然とするしかなかった。
翌日の昼には、旅籠の近くの街道に連れていかれた。身代金を運んできた代理人と武装した護衛の六人が現れて、マギーとニナはあっさり釈放される。ゾラの方の代理人は、この場で値切り始めたが、どうなってるのか。
もう少し、まともな代理人を雇えばいいものを。どうやら此方の護衛団に便乗して付いてきたものが、そいつらは関係ないと言われて、自分の身に危険が及びそうになった途端、値切りもせずに支払った。
不機嫌そうなゾラが立ち上がり、徒弟の少女を睨みつける。「さっさと行くよ」
少女が蹲ったまま、沈黙していた。なにか、異様な緊張感を感じ取って、ニナはマギーに縋りついてきた。
「なにしてるんだ!愚図だね!さっさと立ちな!」ゾラが怒鳴りつけて、「……行きません」少女が震える声で告げると、立ち上がってゾラを睨んだ。
「わたし、貴方と一緒にはいきません」少女が宣告して、「なに言ってるんだい。それで、どうしようって言うんだい」当惑したようにゾラは呟いている。
面白そうに、おお、とか呟いている盗賊団の代表に向き直り、「わたしも連れて行ってください。貴方たちの仲間に入れてください」少女が言い放った。
マギーとニナは顔を見合わせた。
既に仲間の賞金稼ぎたちに囲まれて、距離を取っているが、会話くらいは聞こえた。
盗賊団の数人は口笛を上げ、数人は真顔になった。
頭目は何かを言いかけ、しかし、ゾラを見て、表情を歪め、黙考した。
「……ついて来たいなら、好きにしろ」盗賊の返答に
「はい!」と少女が返答し、絶叫が場を切り裂いた。
「ばっ、馬鹿な真似はおやめ!あんた!真っ当に暮らせなくなるんだよ!」
叫んでいたのは行商人ゾラだった。
「何処の居留地でも、都でも、びくびくしながら生きていくことになる!お天道様の下を歩けなくなる!」血走った目で訴えている。
「もし、わたしが気に入らないなら、他の商人を紹介するよ!だから、盗賊に何かなっちゃ駄目だ!」ゾラは、半狂乱になって搔き口説いていた。意外な、あっさりと切り捨てると思っていたが、その姿にマギーやニナも息を呑んでいた。
結局、少女は振り返りもしなかった。交渉人や護衛らと同行して都市へと戻るゾラはひどく憔悴していたが、誰も言葉は掛けなかった。
或いは、ゾラもゾラなりに、徒弟の為に骨を折っていたのかも知れない。
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8月上旬_6956都市通貨
マギーとニナ 1D100_51 助かった。3000通貨で命を拾った。
普通の旅人なら殺されてた。
ゾラ 1D100_15 助かった。




