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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_59W 読み合い

 瓦礫と化した壁の残骸に大きく布を張った簡易天幕の影で、ランツクネヒトのヒルダは己の右腕を眺めていた。歯形が刻まれていた。屍者ゾンビの噛み跡だ。先日の都市防衛戦では不覚を取った。

 傷口から血管が青黒く脈打つように広がっている。屍者ゾンビに噛まれた者が、必ずしも転化するとは限らない。噛まれた人間に偶々、抗体があるか。或いは屍者ゾンビにも致死ではない種別が存在しているのか。或る屍者ゾンビに噛まれて生き残った者が、別の屍者ゾンビに噛まれて転化した例もあるが、いずれにしても屍者ゾンビの噛みつきから生き残れたのは、極めて幸運なごく少数の例外に過ぎない。


 苦笑しながらヒルダが包帯を巻きつけようとすると、「姐さん。いいですか?」と布の向こう側から声が掛けられた。

「入りな」と返答を受けて入ってきた部下のイングリッドが傷跡を見て息を呑んだ。


「どうにもあたしに抗体は無いみたいだね」痙攣する傷口を面白そうに眺めて、ヒルダは嘯いた。

「あと一週間か、半月か。残された時間でお前らの行く末も、目途くらいはつけておくさ」どうやら、ヒルダに、奇跡は起こりそうに無かった。沈痛な面持ちで頷いた妹分イングリッドが、無言で包帯を巻くのを手伝い始めた。

「で、なんの用件だい?」隊長ハウプトマンヒルダの問いかけにイングリッドが「タリウス(デン王)がお呼びです」報告してきた。


 天幕から出ると、外には薄暗さが広がっていた。時刻はまだ正午を少し回った程度に過ぎないが、周囲は一面を小高い岸壁に取り囲まれた丘陵地の狭間――ささやかな盆地となっている。半世紀以上は経過した廃村の痕跡は、無謀な開拓者なり、自由農民の夢の残骸にも思える。開けた土地は農場なり、村落を開くには充分な広さだったが、赤茶けた土は見るからに痩せていたし、水も不足している。傷ついた家畜の頭蓋骨が転がっているところを見れば、或いは巨大蟻なり、蛮人なりの襲撃などに耐えかねたのか。曠野の片隅に半独立の小王国を夢見ながらも、割に合わぬと手を引いた農場主や郷士豪族は枚挙に暇がなく、破産した自由農民や開拓者となれば星の数ほどもいる。


 ヒルダは鼻を鳴らした。空気は乾燥している。なにを考えて、このような地勢に拠点を構築したのか。或いは欲の皮が張った自由農民らの夢の痕跡ではなく、切羽詰まった追放者や放浪者。逃亡した農奴の最後の希望の地だったかも知れない。布に藁屑の詰められた人形が風化もせずに廃屋の片隅に転がっているのをヒルダが見つけ、拾い上げてみれば、止まっていた時が再開したかのように手の中で崩れ落ちていった。


 動物の嘶きが騒々しくも響いている。目を向ければ、村の中心に驢馬や牛の牽く車が停車しており、空き家の傍らにも幾つかの天幕が建てられている。【ムーテ】タリウス率いる兵団トループが――いや、よく武装が整った兵員が百を越えれば、すで軍勢アーミーと形容すべき規模だろう――廃村跡地に駐屯していた。


「デン王が……どういうつもりだろう?あたしだけか?」ヒルダの疑問に「ええ。姐さんだけじゃなくて、主だった面子……隊長格を全員、呼んでるみたいで。それも順番で」隣を歩きながら頷いたイングリッドが、ふん、と鼻を鳴らした。

 小面憎くそうに「偉そうに呼びやがって……あいつ、そんなに大物なんれすか?」喉の渇きからか、一瞬、滑舌が濁ったイングリッドが、小さく咳してから水筒の水を一口だけ飲んだ。


 ヒルダは苦笑を浮かべた。樽に積まれた水が牛車によって運び込まれているが、補給の手配だけを見れば、中々の器量の男だと思えた。それでも補給線は伸びるほどに負担が大きく掛かってくる。兵団は限界に近い地点に突出している。盆地は既にポレシャ市から指呼の距離にあって、傭兵ヒルダの視点からみて、資金でも、畜獣の疲労でも、二日か、三日がそれほど無理せずに維持できる限界だった。


「大物ではないね。今のところは良くいる亡命貴族さね」ヒルダもおのれの革袋から水を飲んだ。口の中に血の味が残っている。死んだら、水筒も燃やしてもらおう。 

「まあ、もしかしたら大物になる見込みがない訳じゃない」とヒルダの批評に、意外そうにイングリッドが目をしばたいた。

「そんなもんですかねぇ。あたしにはただのバカ殿にしか見えませんが……」

 歯に衣着せぬ副官イングリッドの物言いに、ヒルダはくつくつと笑った。

「この仕事の後も付いて行くかどうかは、あんたが決めな。今のところは、信頼できる兵隊は少ないみたいだ。上手くすりゃあ……」とイングリッドに意味ありげな視線をくれた。

「放浪の傭兵団もれっきとした国の正規兵、或いは近衛兵にだって採用されるかも……ですか。捲土重来は、どうにも望み薄っぽくみえますがね」イングリッドは肩を竦めてから、吐き捨てるように言葉を続けた。

「確かに、曠野にはそういう事例も時々あります。もっとも、夢破れて万骨枯る方が十倍も多いでしょうが」

 そう話しながら歩いているうちに【ムーテ】タリウスの一際、大型天幕が見えてきた。サーベルに後込め式ライフルを携えた親衛隊が二人。歩哨として入り口に佇んでいる。

「さて、どんな要件かな?」とヒルダは手を振って副官と別れた。兵站の限界線に近づきながらも、絨毯を張った豪奢な天幕を張らせている。見栄を捨てられないのが、タリウスの限界なのか。それとも心理的強靭さの根であるのかは、ヒルダにもまだ判断がつかなかった。


 長身のヒルダが背を屈めて天幕に足を踏み入れると、【ムーテ】タリウスは卓に広げた地図を覗き込んでいた。

「来たか」C型の義手に器用に鉛筆を握りしめた雇い主は、女ランツクネヒトを一瞥もせず、地図に神経を集中しているようだ。

「地図かい?王さま」歩み寄りながら、ヒルダは卓上に視線を走らせた。

「いい斥候を抱えてるんだね。短期間で調べたにしては随分と詳細だ」ヒルダの言に【ムーテ】タリウスは、ようやく顔を上げた。

「余にも些かの伝手はあってな。友人からの贈り物だ」

 タリウスの言葉に頷きながら、ヒルダは目を細めた。地図は時間と人数を掛けて調べた代物だった。潤沢な資金と言い、物資供給の伝手といい、果たして背後にいるのは誰なのかな。


「それで、いよいよ出番かい?」とヒルダが軽い口調で問いかけるも、ムーテは首を横に振るう。

「残念ながら、余の斥候は連中の足取りを見失った。流石と言うべきか。ウロボロスめ。見事に足跡を消し去ったわ」掠れた声音には重苦しい憎悪の念が滲むと同時に、惜しみない賞賛の響きも込められていた。

「無論、ポレシャ方面への主だった回廊の出入り口には、見張りを付けている。

 とは言え、この地図も完璧なものではない。マルグリット・モイラなら……記されていない抜け道から平野部に出るか、或いは我が哨戒を大きく迂回してるかも知れぬし、思い切って引き返しているやも知れぬ」地図上に縦横に走る丘陵の峠道や隘路を眺めて「彼奴めに限っては、どれほど警戒しようとも、警戒過ぎと言うことはない」【ムーテ】タリウスは呟いていた。

「韋駄天のハリスが引き返してきた。聞いてるかい?」ヒルダが話を切り替えた。

「無論。兵の半数を失ったそうだな」とタリウスの頷きに「おっさん、ひどく意気消沈してたね」ケラケラと笑ったヒルダが、真顔に戻って言葉を続ける。

「ハリスは一級の傭兵だ。それを容易く蹴散らした。噂通りに腕が立つ奴ってのは少ないが……戦闘の痕跡からでも伺えることが幾つかある」

 不敵な笑みを浮かべると「先刻、交戦地点に送った斥候が戻ってくる頃だ。呼んでいいかい?」タリウスに尋ねた。


 ほどなく、ヒルダの部下たち。女ランツクネヒトのリジィとカリンがタリウスの前に案内されてきた。

「死体は?どうだった?」ヒルダの問いかけに「殆んどの者は、心臓か、頭を一撃で撃ち抜かれていました」と気を付けの姿勢のままに報告する。

 タリウスは舌打ちした。「いい腕をしてるようだな」

「火縄銃と火薬は?鹵獲されたか?」タリウスが問いかける。

「いいえ。ハリスに拠れば、其の儘に放置されていたそうです」と返答。

 連中の立ち去ったであろう方角など――当然にポレシャ方面であったが――二、三の報告を受けてからタリウスは頷いた。

「ご苦労であった」斥候たちに銀貨の褒美をやって下がらせると、ふむん、と鼻を鳴らしてヒルダを眺めた。

「いい報告とは言えないが。となると、連中は腕利きが複数名。少々の弾薬を損耗しただけか」


ムーテ】タリウスは、地図を眺め、暫しを沈黙し続けた。

「勝てるか?」強張った声音のタリウスの問いかけに「さてね」ヒルダは無責任に肩を竦めた。

 顔を顰める雇い主に、ヒルダは手を振った。

「一流相手だ。断言する奴の方が信頼できないだろ?」

「そういう考えか。まあ、今さら、降りるとは言うまい?」ヒルダは屍者相手に戦闘力を証明している。多少はタリウスも頼りにしているようだ。

「無論」と頷くヒルダに「よろしい」とタリウスは下がれと手を振った。


 天幕から立ち去り際のヒルダが、立ち止って卓上の地図を一瞥する。

 それほど精密ではなく緯度や経度、等高線も書き込まれていないが、複数の経路が幅や一時間当たりの道行、怪物の出没地点などの捕捉と共に記されている。

「ところで、あんたの地図だけど。贈り主は都市貴族かい?それとも商会連かな?」

 ヒルダの質問にタリウスが穏やかな微笑みを返した。

「良い傭兵とは、常に雇い主の裏や財政基盤を調べるものだが、しかし、あまり嗅ぎまわり過ぎるのは感心せぬぞ?」

 タリウスの静かで深い瞳に、流石にヒルダも苦笑を浮かべて頷くしかなかった。

「紹介してほしければ、まず目の前の仕事に集中する事だ」タリウスの忠告、或いは警告に「肝に銘じておくよ。王さま」とヒルダが再び頷いて、一礼してから背を向けた。

「誰もがまずは与えられた役割をこなすしかないのだ。彼奴も、余も、お前もな」背中越しにタリウスの静かな呟きがヒルダの耳を掠めるように消えていった。

 


 ※※※※



 正午を過ぎて夕刻に入る寸前の三時頃まで、マギーは複数地点を偵察した。西の丘陵地帯は、ポレシャ市に属する旅商人や牧童、旅人にとって庭みたいに勝手知ったるものだが、それでも南北に長く伸びた広範な一帯には各々の旅人らが得意とする地域があって、縦横に走った谷底や隘路を動き回って引っ掻き回せば、ろくに地理を知らない余所者などが百人いようと捕捉される筈がない、と踏んでいた。

 ポレシャ方面へと延びる参道を見張れる位置に歩哨が配されている。一つ、或いは二つ目の地点を偵察した時点では、マギーにもまだ余裕があった。四つ目を塞がれた時には、頬も強張り始め、最後の―――よそ者が滅多に知らない筈の八つめの岨道そわみちを見張れる高台に十余の人影を確認した際には、完全に表情は凍り付いていた。


 見通しの悪い狭隘な隘路の一角「……やられた」とマギーは呻いた。仲間たちから離れた物陰で口元を覆い、蹲っている。いやな冷や汗が背中を濡らしていた。

「信じられん。奴らは詳細な地図を所持している」そう結論せざるを得ない。

 他の経路も存在している事実を鑑みれば、丘陵地帯全域のある程度は詳細な地図を所持しているか。或いは無線や、気球、ドローンによる偵察などもあり得るだろうか。いや、ドローンは流石に有り得まい。維持するのに必要な技術要求が高すぎる。

 使うなら、もっと早く使っていた。

 それとも古い図書館の遺跡などから、文明崩壊前の地図でも獲得していたのか。

 分からない。兎に角、この分では他のポレシャ方面への道も見張られているに違いあるまい。全てが封鎖まではされていない。それには百余人いても人数が足りない。だが、主だった道は封鎖されている。


 どうやった?どうやって旅隊の先に廻り込んだ?大人数が通り抜けられる回廊は存在している。だが、それには怪物たちの巣食う谷底を通り抜けなければならない。とそこで己の思考から気づきを得て、マギーは忌々しげに舌打ちした。思っていたよりやってくれる。あいつらは……族長ニウヴルキウスか、或いはムーテタリウスかは分からないが、武装と人数に物を言わせて最短ルートを突っ切ってきたのだ。想定しなかった己の間抜けに苛立ち、敵手に上手をいかれた敗北感が足元を揺らした。


 が、マルグリット・モイラは、文字通りに百戦錬磨。強敵相手に手痛い敗北も経験済みの元賞金稼ぎは、熟練した下士官の如く、どん底の状況から立て直し、或いは劣勢で粘る為の冷静な思考を習性として持ち合わせていた。


 口元を両手で押さえ、マギーは目を閉じた。仲間に脅えた姿は見せられない。喪失の怯えを抑え込むと同時に汗が引き、震えが収まる。まだ負けた訳ではない。むしろ敵の戦力の推算となる材料がおおよそ揃った。

 夕刻。日没を待って、封鎖されてない回廊のうちから、ランタンを持って回廊を抜ければいい。

 既に平野部は目と鼻の先である。哨戒を突破して、ポレシャ方面まで一気に駆け抜ける。牛の足が少し鈍っているが、問題はない。最悪、捨てればいい。砂礫の多い丘陵の夜道。お得意の騎兵が飛ばしてくる可能性も低い。彼我の火力から、短時間で皆殺しになる可能性も低い。平野部にたどり着き、そこから先も不明瞭だが、これだけ鮮やかな哨戒を短時間で張る相手だ。既に旅隊が潜伏している個所を絞り込んでいようと驚かない。現在地で愚図愚図していれば、明日にも補足されるだろう。それだけは避けるべきだ。

 脳裏に地図を思い浮かべて、作戦を組み立て、実際に地図を眺めて、いけそうだと結論を導き出す。ただし、旅隊が無事に離脱するには、追撃の足止めとなる射手を殿に配置し、しばらく留まってもらわなければならない。勿論、マギーは地形も換算に入れて、単独、或いは少人数で多数を相手に支えられる場所も脳裏には浮かんでいるが。


 ―――絡みつく敵味方の命の重さが嫌になって堅気に転じたのに、今も殺し合っている。一度、手を血で染めた人間は二度と戻れないのか。それとも時代の流れかな。

 逃げたはずの戦場に引きずり戻されたような気がして、マギーは天を見上げた。 

 夕暮れの高い空に星々が冷然と輝いていた。


 ―――或いは、誰かに死んでもらう事になるだろうか。




 ※※※※




 岩棚の下、旅隊の大人たちが地図を広げて集まっていた。旅隊頭のマギーが何やらを説明し、グラハム『狐』バートンや用心棒ハロルド・コッゾォが質問をし、ルーク・アンダーソンやエマが小さな仕草を行って、なにやらを頷いている。

「突破してから三十分」とマギーが淡々とした口調で告げた。

「……三十分か」とルーク・アンダーソンは難しい表情で呻いている。

「三十分を足止めしたら、離脱していい。近くの岩場に潜伏していれば、一両日中にポレシャからの救援も来るだろう」

「誰かがポレシャまで帰り着ければ、な」と用心棒ハロルドがテンガロン・ハットをかぶり直した。

「次に差し掛かる盆地からは、複数の交差が伸びている。本隊は、見つけ難い隘路に潜り込むことで、恐らくは連中を引き離せるが……問題は誰が足止めをするか、だ」マギーの言葉に沈黙が舞い降りて、視線を交わし合い、しばしの沈黙の後にエマ・デイヴィスが「さ、三十分だね?」と念を押した。

「頼めるか?」とマギー。

 さして迷う様子もみせずにエマ・デイヴィスは了承した。愛用のカンマーラーダー・ライフルの残弾を数えながら「ミ、ミリーを頼むよ」と囁いた。

「あ、あの子の父親を殺してしまった。み、身を護る為だったけど。だから、保護者が必要だ。も、勿論、生きて帰るつもりだけどね。万が一があったら面倒をみて欲しい」

「次の交戦地点……盆地では、私も足止めをする。生き残れたら、な」頷いたマギーが自由都市産の懐中時計を取り出し、エマ・デイヴィスに差し出した。

「……降伏するなら、ルキウスか、コルが相手なら。或いは命だけは助かるかも知れない」付け加えた言葉は余計だったかもしれない。懐中時計を受け取ったエマは、鼻で笑うと、家畜の傍らに蹲っている少年や娘らに歩み寄ってきた。


「ミ、ミリー。聞いてたね?」エマの柔らかな問いかけに「いやだ」と放浪者の娘ミリーは頑固に言い張った。

 エマ・デイヴィスは少しだけ困ったように首を傾げる。

「き、君を守る為でもある」

「いやだよ」ミリーの瞳には涙が浮かんでいる。

「ど、どうしてエマが……」言いかけてから、ハッと縛られてる護送犯ヘレンを見つめた。

「……わたしの責?」ミリーのか細い声に、エマが眉を顰めた。

「き、君はすぐに私なんか、とか言う。そ、その言い方は嫌いだ。

 あ、あまり卑下するのは良くない。しょ、証明してやる。お、大人が命懸けで君を守るよ。だ、だから、自分に価値がないなんて二度と言っちゃ駄目だ」

 ミリーが泣きべそをかいたが、他の少年少女の誰も――イザベル・ミラーでさえ茶化そうとはしなかった。

「も、もちろん、生きて帰るつもりです。きっと誰もがそのつもりであるように、だけど」エマ・デイヴィスは、ミリーの耳元で祈るように告げた。「だから、君も最後まで諦めないで、足掻いてね」


 全員が――大人衆だけでなく、未成年のイザベル・ミラーやガイ少年、それにジーナ・(クレイ)なども残弾を確認し、地図が開かれ、経路と作戦、最終手順が説明される。質疑応答は少なく、状況と各員の役割が徹底的に説明された。

 と言っても、決定的な役割を割り振られたのは、エマ・デイヴィスとマギー、それに地理を知る案内役のニナだけで、残りの随員は、ひたすらに己の身を守りながら歩き続ける――場所に拠っては走り続けるだけだ。


 これ以外の作戦はないか、とミリーは思うも、流浪民の小娘にはなにも思い浮かばなかった。殿をルーク・アンダーソンが変わってくれないか、などと図々しくも思ったが、『大地の子サンズ・オブ・アトラス』に追撃を受けてるのは、ヘレン奪還も理由のひとつ。今さらにヘレンを放しても、金目の積み荷や価値ある家畜を前に悪党どもが手を引く筈も無く、危険な任を引き受ける理由と責任感がエマ・デイヴィスにはあった。


 今が十六時を少し回った時刻。夏の日没はおおよそ十九時で夕暮れが消えるのは二十時頃。作戦の開始は、十九時半とマギーが宣告すると、皆が思い思いに過ごしたり、最後の打ち合わせをしていた。

 ミリーは、残り三時間半を一緒に過ごそうと日陰に休んでるエマの隣に座った。

 言葉が出てこないが、エマは静かに西方にいた頃の話や子供の頃の思い出を訥々と語り始めた。すると不思議にミリーも言葉が出てきて、幼い頃の出来事や、それまで殆んど忘れていた母との思い出などが口をついて出てきた。中にはエマに殺されてしまった仲のいい友達とも思い出もあって、だけど、それさえも自然と心に染みてきた。


 夕暮れが岩壁を朱色に染め、低く傾いた夕日は彼方で黄金色に煌めいている。

 この一瞬を生涯、忘れまいとミリーは思った。



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