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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_58A 地図に刻む

 ポレシャから徒歩で西に二時間ばかり。道すがらに死体が転がっていた。丘陵地帯に入ったばかりの灌木の幹に寄りかかっていて、遠目からでは、一見すると、まるで休息しているようにも見える。半ば白骨化しているので、屍者ゾンビではあるまいと、あまり警戒せずに近づいてみる。鞄も衣服も分厚い頑丈な繕いで、立てかけたライフルも錆びていたが、元は良質な武装と見て取れた。転がっている紙薬莢の残骸の他、朽ちた鞄の裂け目から、泥にまみれた銀貨の縁がわずかに覗いている。丁寧に使い込まれた装備や持ち物からも、熟練の旅人であったろう生前が窺えた。


 ポレシャ市までは、ほんの七、八キロ。食べ物が尽きたのか、或いは道を見失ったのか。誰かに殺されたり、野生動物に喰われたとは考えにくい。曠野は乾燥した気候で、一帯には腐肉を漁る(スカベンジャー)大型鳥類も棲息している。死んでから啄まれた痕跡は残っているが、巨大蟻やコヨーテに襲われたにしては、骨には目立った破損も見られない。


 しゃがみ込んだマギーちゃんは、背後に立っているニナとトリスに説明した。ジーナ・(エルクストン)は、大型クロスボウ片手に周辺を警戒している。

「……知ってるかも知れないが一応、説明しておくと、腐肉食の大型鳥類に漁られた場合、基本的に骨は無傷で残る」行き倒れになった旅人さんに実地教材となって貰い、マギーちゃんは淡々と少女たちに説明する。

「大型鳥類などは眼球、腹部、肛門周辺など柔らかい部分から啄むが、損壊の激しい死体でも、骨の状態から識別が可能となる。喉や腹部の皮膚が破かれ、内臓が引き出されていることが多い、くちばしで裂くため、このように切り傷は鋭いが小さい。羽毛や衣服は引きちぎられていても、咬み跡はない」マギーちゃん先生の説明に頷きながら、ニナとトリスは周囲を警戒しつつ熱心にメモを取っている。


「これに対し、哺乳類の捕食者……例えばコヨーテなどの場合。筋肉や四肢を狙って噛み千切る。死体には、骨折や犬歯による穿孔などの齧られた跡が見られ、バラバラになることも多い。肉を引き裂いた跡が大きく残り、毛や肉片が周囲に散乱する。衣服もずたずたになり、血痕や唾液が残る可能性が高い」女教師マギーちゃん先生が、眼鏡をくいと上げながら結論を述べた。

「つまり、形の残っているこの死体は、恐らく獣や巨大蟻などに襲われたのではなく、此処で力尽きたのち、大型鳥類や小型の虫によって時間を掛けて分解されたのだろう」マギーちゃん先生は、距離を取ってから、伊達眼鏡とマスクを外して振り返った。古びた骸を検死する際、微細な粒子や塵が呼吸器に入り込むのを防ぐため、マギーは必ず身に着けている。



「多分、町までの道を見失って力尽きたんだね」見解を述べながら、ニナは丘が連なっている狭隘な峠道に視線を向けて、眉をひそめた。

「あと、三、四百メートルで丘陵地帯をぬけられたんだけど」友人の言葉に異論はないのか、トリスも黙って首を軽く振った。ルート選定を誤ったか、事前の情報収集を怠ったのか。或いは、急病に倒れたなどの可能性もあるが、装備からして熟練したと思しき旅人でさえ、町の近くであっさりと行き倒れてしまう。宗教も分からないので、とりあえず手を合わせて冥福を祈ってから、四人はその場を離れた。持ち物を漁ろうかとも考えるが、マギーやニナは最近、普通に稼げてるので死体漁りをする気にはなれなかった。かと言って懇ろに葬れるほどの道具や時間、体力の余裕もない。あとは誰か、目端の利く者が見つけた時に漁るでも、弔うでも好きにするのだろう。



 ニナやマギーたちが居住しているポレシャ市は、東西を丘陵地帯に挟まれている。正確に言うならば、曠野東部の高地地帯の盆地にポレシャが位置しているのだが、かように見通しの効かない丘陵や山岳地帯の道のりは恐ろしい。地元の案内人がいないで丘陵に踏み込むのは、目隠しをして森に踏み込むのと同じくらいに愚かな行為だった。


 ニナとマギーは地図を作っている。ポレシャ市から西の丘陵地帯までは、徒歩で二時間。マギーはこの三日間、手勢を率いて往復しながら、手持ちの地図の更新に努めていた。サドラン牛調達の依頼人クライアントでもある牧者の娘ジーナ・C(クレイ)は、この停滞に猛烈に腹を立てているようで、マギーに誘われても一連の探検に加わろうとはしなかった。

 行商人や旅人にとって手持ちの地図の精度は命綱であり、牧者であるジーナ・C(クレイ)にとっても同様の筈だとニナは考えているが、どうやら依頼人クライアント。家畜市の開催期間中に稼げる銀貨にばかり目がむいているようだ、とニナは鼻を鳴らした。かと言って、どちらが優れた戦略だとか、考え深い人物と言う訳でもない。既に商売の為の伝手や仕入れ先を構築済みで、行商人として安定しているマギーと、ここが勝負時と見据えているジーナ・C(クレイ)では、取り得る行動が自然と異なってくるのも仕方あるまい。


 しかし、丘陵の地図作製が上手くいけば、家畜市の開催中に稼げる金額も大きく異なってくるはずだ。二番煎じとなってしまうが、ちょっとした冒険を達成したマカロヴァ爺さんの経路を解き明かせば、同様に牛連れでの丘陵越えが出来るかも知れない。ニナなどから見ると、慣れた案内人と同行して地図を作製できるのは千載一遇の好機とも思えるのだが、ジーナ・C(クレイ)は、地図作成ピクニックに誘われても、苦い表情で首を振るうだけだった。


 とは言っても、ジーナ・C(クレイ)とてポレシャ市でのんびり過ごしてる訳でもなく、書類を持って役所や廃墟やらを往来したり、他の牧者や牧草地持ちの農民へのあいさつ回りに忙しく駆け回っているので、牧者として復帰するのに必要とおぼしき手続きをしているのだろう。マギーも、ジーナ・C(クレイ)も、己がやるべきと考える事を真面目にやっているのだが、ニナにはどうにも二人がかみ合っていないように見えてならない。

 マギー自身もそれに気づいているだろうが、致命的な齟齬が怒らなければ、それでいいさ、と割り切っているのだろう。短期間のまだ浅い付き合いで、取りあえずは互いにやるべきことを熟せばいい、と考えているのか。付き合いが深まるうちに、お互いの理解も深まるだろうと、些か悠長に構えるのがマギーの流儀だった。



「むぁ、この細い道。灌木の陰に亀裂が走っている。僅かな牛の足跡が無かったら気づかなかった」短槍片手に細い間道に潜り込んでニナは報告した。間道に入り込む際、時々は命綱を胴体に付けているが、今は普段通りの身軽さを生かして軽快に進んでいた。

「抜け道になるけど、しかし、行けるかな?」地図上でみれば、間道の先がやはり似たような灌木の茂みに通じていると、背後からマギーが尋ねてきた。

「それは牛が抜けられたんだから……人間用に囮の道に罠を仕掛けたと?」ニナの疑問にマギーは首を振って「いや、通れるかなと。罠は、考えにくいかな。或いは、獣用くらい仕掛けたかも知れないけど」と応える。隠れ里やら旅人が、自分たちの使う道に罠を仕掛けるのはけして珍しくない。とは言え、マカロヴァ爺さんがポレシャ市近くの丘陵で、致命的な罠を仕掛けるのは考えにくいとも思えた。いずれにしても、充分に用心して進む必要があるものの、ここら辺には悪意を持った賊徒なども屯ってないので、特に細心の注意を払うことなく、ニナは尋常の警戒程度で進んだ。熟練の斥候にしても、神経や集中力など使えるリソースは限られているのだ。


 廃墟に限れば、おのれを最高に近い斥候だと自認するニナだが、原野《 ウィルダネス》においてはそれほどの自信はない。初夏の日差しの下、額の汗を拭いて相棒へと振り返った。地面にしゃがみ込み、折れた草や土に残された足跡を指先でなぞっているマギーはどうだろう。

「爺さん。よくこんな細い道に気づく。いや、道にしようと思ったものだ。橋でも亀裂に掛けたと思っていたが……」通り抜けた先、拾った土を握りしめて、パラパラと落としながら考え込んでいる。

「……さすがに二十年以上もここいらを彷徨っていただけのことはある。庭のようなものだろうか」風が灌木を揺らす音の中、呟いたマギーが頷いて、そして、しかし、一度でも牛を連れて丘陵を越えてしまった以上、マカロヴァ爺さんは、用いた道のりが、ほどなく他の手練の斥候たちに明らかとなるのも織り込み済みの筈だ。ニナであればそうするし、マギーだってそう判断するに違いない。


 そのマギーは沈黙してメモを取っている。トリスとジーナ・(エルクストン)は、クロスボウ片手に警戒を続けていた。ニナやマギーにとって、地図を描くことは依頼の一部であると同時に、己の為の記録でもあった。旅人にとって正確な地図は、安全を保証し、後続を救ってくれる。地図の余白に今日見つけた亀裂の位置と、斜面の傾き、足跡の方向などを書き込みながら、マギーはそっと顎を上げて、背後の仲間に目を向けていた。マギー本人を含む誰かが死んでも、手持ちの地図と共に商売を継続できるように手配しているのだ。


 冷静で計画的な思考を持つマギーを、ニナは高く評価している。と同時に、短期的なアプローチや閃きには欠けているのではないか、と懸念を覚える瞬間もあった。

 勿論、マギーはかなり高い能力の持ち主であるから、無意識にせよ、それは自信の裏返しでもあるのだろう。欠けてると言っても、あくまで長期的な視野や計画と比較して、というだけの話で、柔軟な判断や機転も相当なものではある。

 ただ、稀にだが、いささか詰めが甘くなる時があった。他人を侮っていると言うよりは、状況がどう動いてもどうとでもなると、高をくくっている節があるように思えてならない。

 事前に熟慮された思考がリスクを予見し、未然に対処してしまう。だからこそ、想定外の突発的な事象に対応する経験がやや不足しがちなのではないかと――――いや、ニナこそが経験不足な小娘であり、曠野に充分な経験値を積んできた百戦錬磨のマギーに対して、危惧するなんてのは思い上がりかも知れない。マギーは用心深いし、人間の持つ悪意や愚かさについてもよく知っている。偶像視し過ぎるのも良くないが、迂闊に忠告したら、侮られたとマギーを怒らせるかも知れない。嫌われたくないと言う想いもあるが(……兎も角、仮にマギーに欠点があるとしても、補うのはわたしの役目だね)とニナは結論していた。







 ※※※※




 曠野でも有数の都邑ズールにおいては、十年から二十年に一度の頻度で大規模な家畜市が開かれる。遠来の地からも遊牧民や牧者の旅団、大牧場の牧童たちが来訪して、地元の豪農や大牧場、居留地の雇われ牧者たちなどと取引を行うのだが、中には数百頭に及ぶ羊や馬、牛の群れなどを引き連れた大規模な旅隊も含まれており、長期間にわたる滞在に備えて、近隣の湖や大規模な河川のほとりに仮設建築や色取り取りの大型天幕を設けている。


 家畜の群れを自由都市へと持ち込まないのは、自由都市ズールの水源と流通網ですら、数千頭にも及ぶ家畜たちの急激な流入と集中に給水と飼料の供給が耐えられないからだが、一方で取引対象である家畜の見本として各遊牧氏族や牧童たちは現物である羊や牛馬、或いは変異種さえ含んだ畜獣や役畜を少数ながら、都市や近隣の小規模な宿場町へと持ち込んでいた。


 書面上の大規模な取引や契約は、自由都市の商業ギルドの会館や公的な設備、または公証人の立ち合いの元で行われるのが慣例だが、実際の引き渡しなどは湖畔や河辺の放牧地で行われる。同時に、当然に宿場町で小規模な取引が行われるのも例年の慣行であり、零細だが抜け目ない家畜商人や牧童、或いは取引を委任された代理人などが、先んじてささやかな現物取引を成立させ、少なからぬ利益を確保したりもする。


 大規模な家畜市の開催時期、海千山千の代理人エージェントや家畜商、抜け目の無い遊牧民や牧者たち、貪欲な牧場主や牧童頭などが自由都市に集まっては、少しでも条件を有利にしようと相手を接待したり、脅迫するのは、まだ易しい類。取引相手を出し抜こうと手を変え品を変えて、数字を誤魔化したり、契約書の文言を書き換える者もいれば、端から相手を嵌めるつもりのペテン師や詐欺師の類、破産寸前の商人までもが炎に惹かれる羽虫の如く、曠野の各地から集まってくる。

 些か強引な手を使っても家畜を買い叩こうとする武装牧童の集団から、水場の使用料を取り立てようとする略奪者レイダー徒党との小競り合い。群れの近場をうろうろする家畜泥棒の密偵もいれば、盗賊団の斥候も街道筋に出没する。木っ端商人や使い走りの丁稚までがお零れにあずかろうと用もないのに交易市の取引会場をうろうろしている百鬼夜行の様相は、大陸中の大規模な交易市で日常的に見られる光景でもあった。





 鈍色の空が広がり、風に吹かれた砂塵が舞う中、街道筋にまばらに散在した朽ちた廃墟の一角に、名もない宿場町がひっそりと佇んでいた。ほとんどが土と泥に段ボールと布、錆びた金属や破れた木材、廃棄されたプラスチック片で作られた小さな住居が寄り集まって、やはりちっぽけな居留地を形作っている。

 住人たちは痩せた畑からの乏しい収穫とわずかな小動物を狩っての蛋白質を食い扶持にしながら、しかし、修繕する物資に事欠き、建物はあちらこちらに荒れた姿を見せていた。屋根の一部は穴が開いており、雨が降れば、漏水が避けられない。所々に立てられた壊れかけた看板や、意味不明な文字が書かれた壁が、不安定な風景をさらに不気味に引き立てている。


 それでも貧しい宿場町は、相対的に正直な土地として知れ渡っていた。少なくとも十年来、宿に泊まって消息を絶った者もいなければ、町の人間がよそ者に強盗や殺人を仕掛けたことも滅多にない。足元を見ての宿賃の値上げや食料を売りつける際も、精々が相場の三割増し程度と高の知れた悪質さで、素寒貧になった旅人が迷い込んでも、安い賃金ではあるがきっちり支払うので再び旅立つ助けとなっている。


 悪徳な居留地や僻地の集落には、困窮した旅人の弱みに付け込んで、借財で縛り付けて奴隷にするなど珍しくもない常套手段であるから、例え自由都市の警備隊が街道を巡回しているからにせよ、持ち物が盗難にあったり、財布を掏られる事もかなり少ないと、旅人の間ではそれと知られた『マシな土地』のひとつであった。


 集落は木柵や有り合わせの廃物で築かれたバリケードに守られており、中央の広場では、小さな井戸の隣にドラム缶の焚火がちろちろと燃え盛っていた。季節は初夏、暖かな気候に熱を求めるでもなかろうに、広場の周囲には多くの人々が集まっていた。


 遠来から来た客が長期の宿を求めてくれたのは、旅籠にとっても書き入れ時にも思えるが、僅かに二、三十人。それだけの人数を受け入れただけで集落の僅かな食料と寝床の余剰は吹き飛んでしまった。提示された現金やチーズの魅力の前に、自分のみすぼらしい寝台を譲った村人も多く、滞在者に家を貸し与えて、納屋で寝る一家の姿も散見される。


 家畜の鳴き声や足音が響き渡る中、滞在している遊牧民の多くは、風や砂から身体を守るための裾の長いローブやチュニックに頑丈な羊毛のズボン、東部にはターバンや布、ゴーグルなどを巻き付けていた。これに対して、住人たちの多くはボロボロの衣服を着て、手作りの防具を身につけていた。顔には時折ガスマスクやフェイスガードがつけられ、目の周りだけが見えるようにしている。手にしてるのは粗末な弓やクロスボウなどが多めで、ライフルを背負った遊牧民たちに比べると装備は明らかに見劣りしている。


 一見、住人たちがよそ者によって惨めに追い出されたようにも見える光景は、軍隊や傭兵団、略奪者レイダー徒党の制圧と駐屯にも似て、しかし、一帯にはズール都市の強力な警備隊ガーズも巡回しており、遊牧民たちも比較的に金払いの良い有力氏族の先遣であって、あくまでも商取引の範疇であった。


 近隣にも街道筋から外れた農村や集落が点在しており、住人たちが手に入った物資や現金を元手に、隣人たちとの常の小さな取引――――それぞれが廃墟で拾ったり、持ち寄った物資を交換したり、ただひたすらに食料や水を求めて足を運ぶ者もいる―――で、少しでも生き抜くための手段を探しての小さないちを開いている合間にも、遊牧民たちは訪れてきた人々たちと歓談したり、或いは都市まで赴いては、取引を行っているようで時折、牛や馬、羊や豚の群れなどが数頭、或いは数十頭と、見慣れぬ牧童や異なる土地の遊牧民、或いは裕福そうな農民に引き取られて消えていき、そしてまた何処からか沸いたように宿場町へとなだれ込んでくるのだった。


(……この宿場町。取引の拠点となっているな、と)牧者の孫イザベル・ミラーは、一目で見て取った。宿場町の数日の滞在で、遊牧民らの所有している家畜の群れの流れをおおよそ把握したイザベルちゃんだが、ずっと宿場町に閉じ篭っていた訳でもない。目星を付けた遊牧民らが水場とした河辺や、氏族の本隊が滞在していそうな平野部へも足を運び、構築した陣地と天幕を発見し、現金の運ばれた箇所にも見当をつけていた。一番、外に配置された一連の頑丈な馬車は、殆んどウォーワゴンとも呼べる代物で、分厚い木材に鉄板まで張り付けた構造は、拳銃弾や弓矢くらいは物ともするまい。そして、都市そのものやレンジャーなり、略奪者レイダーの大規模徒党でも相手にしない限り、ライフルを多数、所有する勢力は早々、曠野には存在していない。


 取引現場に使われている宿場町であれば、もう少し場所代を要求してもよさそうなものだが、大金は素通りしているためか、村人には目の前で起きていることを理解している様子がない。これは不思議なことだが家畜が連れ去られ、また別の羊や豚、牛などが流入してくるのに、素朴な村人たちには個体の見分けがつかないようだ。とある爺さまなど、水をやってきた、運動させてきたなどと遊牧民の適当な口先だけの言い訳をあっさりと信じて、「景気はどうだい?」などと尋ねては、「いやあ、売れないなあ」などと首を振ってる遊牧民に酒など奢っているのだ。目の前の遊牧民の男は、爺さまの十倍、二十倍も稼いでいるであろうに、どうしようもないお人好しである。


 イザベルちゃんが盗賊なり、略奪者レイダーなりに雇われた斥候であったら、遊牧民たちはきっと襲撃を受けて大金庫を奪われていたに違いない。しかし、幸いなことにイザベル・ミラーは、単に遊牧民と取引をして特定の牛を買いたいだけの牧者の娘であって、しかも、引っ込み思案で厭世的なところもあった。


 誰もがそれぞれの手腕と機知で利益を得ようと血眼になっている。単純な暴力から、ずる賢い取引。まったくの詐欺師に、小遣いが欲しい、或いは出世のとっかかりにしたい零細商人や丁稚の少年少女。

 ふぃひっとか、ふはっ、とかイザベルは息を洩らした。「なんか自信無くなってきたわ」祭りに渦巻く混沌としたエネルギーに圧倒されたような気持になりつつも、イザベル・ミラーちゃんは知り合ったばかりの自称サドラン氏族の牧童と取引を始めようとしていた。ふひっ、てなんだよ。つい出ちゃうんだよ。


 ポレシャ市からやってきた牧者の孫イザベル・ミラーは、ボッチの気質があるかも知れない。いや、ちゃんと働いているし友人もいる。公共料金や税金もささやかながら支払っている。だけど、気質が内向的で孤独を好む傾向を持っていた。何時間でも、何日でも、野外で孤独に生活して耐えられる自分を強いと今日まで思っていたが、実は他人と話すのが苦手なだけと気づいて、軽い混乱状態に陥っていた。初めて会う人と話すの苦手。二度目だともっと苦手。(おぉ、マジか。もしかして、わたしってはあまり知らない人と喋るのが苦手なタイプだったのか?交流範囲が狭いし、友人も少なかったから、気づかなかったぞ)十代後半まで生きてから、今さらの気づきであった。


 イザベルは、宿場町とズール市を往来しつつ、サドラン牛を扱っていそうな取引相手を探していた。割合的には信頼できる相手の方が多いだろうが、大規模な家畜市を開催しての盛期ともなると、少なからぬ詐欺師や山師が紛れ込むのも避けられない。宿場町に屯している遊牧民やら牧童やらの誰が、何処まで信用できるかもイザベルにも分からなかった。


 手持ちの資金は、ポレシャ市の両替商に預けてあった。懐に収めた手形は、両替商との取引を持っているズール都の両替商でしか換金できない。インドロ・モンタッネリの名著『ローマの歴史』では、皮ひものリボンに記された古代の手形が記述されていた。要するに、黎明期の金融が発達し始めたカルタゴやローマの銀行と殆んど似たような仕組みだが、それでも古代ローマの商工業者アーゲンシアが重宝したように、多くの現金を持ち運ぶよりは遥かに安全だった。


 遊牧民たちと取引しようと、拠点を構えそうな場所を探して、あっさりと隠された本拠を見つけたイザベルちゃんは近づきすぎた。見知らぬ土地での駐屯には、遊牧民たちも神経を尖らせ、野伏せりたちを斥候に雇いもする。

 「おめぇ、なんか、怪しいなぁ」と斥候の警戒網に引っ掛かった時には、万事休すかと天を仰ぐも、幸い、古参の牧者である祖父、老ミラーの名前は遠来の遊牧民にも知られていた。ポレシャ市の身分証もあったし、牧者に隠されたハンドサインと身体に掘られた小さな刺青、暗号言葉で共通の知人やら思い出やらと世間話してみれば、あっけないほど簡単に「取引しに来ただけです。地元民ですぅ」との言い分も信用されて、身内認定までされた。祖父の写真を見ながら、懐かしそうに旧知と語った老遊牧民からコインの欠片を貰ったのだが、しかし、「信用できる取引相手は、自分で見つけなければな」と紹介まではしてもらえなかった。大規模な交易市の開催は、きっと若い牧者や遊牧民に対して、試練の場も兼ねているのだろう。イザベルが若い遊牧民と取引するのであれば、相手も奮い立っているかも知れない。ともかく、遊牧民のうちにも信頼できないものはいようが、ある程度は、ふるい落とせるだけで良しとするか。と前向きに捉えている。


 イザベルは都市や大規模居留地の有力者でもなければ、採掘団やら隊商の大幹部でもない。牧場主でもないし、牧者頭でもない。だから、遊牧民の幹部たちには時間を割いてもらえない。金を騙し取られても、取り戻したり、報復も出来ないだろう。同じように小身、かつ己の牛なりを育て、それを売ろうとしている若いサドラン氏族の青年を探し出さなければならなかった。


 これは案外難しい。イザベルが入手しなければならないのはサドラン牛である。扱っているのは基本、サドラン氏族だけであり、しかも、必ずしも折よく牛を飼っており、それを売ろうとしているとは限らないのだ。いや、家畜市にやってきている以上、遊牧民に売り物はある筈だが、しかし、毛織物やらチーズ、皮革に子羊、子豚などを売りに来る零細の牧者なども少なくない。


 いずれにしても、イザベルは慎重に行動を開始した。小娘一人での行動である。相手がひと気の少ない場所なり、密室に誘い込むような素振りを見せた時は、躊躇せずに逃げ出した。多対一の状況になったら、普通の人間は詰みなのである。変な取引を強要されたり、イザベル自身だって値段を付けられてしまう羽目に陥るかも知れない。黄昏の世(トワイライトエイジ)はそういう時代であり、曠野ウェイストランドはそういう場所であった。





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 マギー団 8065都市ズールクレジット


 _06月中旬






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