03_53 ダンボールハウスの夜
ニナはライフルを構えながら、コンクリートの建物を直進していた。影の中で人影が動いた気がする。銃口を向けるが空振りだったようだ。背後で微かな足音。わざと目に入って神経を引き付けながら、素早く通路を移動して、反時計回りに左へと回り込んでいたようだ。しかし、相手の誤算が一つあった。
ニナは、いい耳を持っている。相手の位置を把握できるほどの聴力を持っている。
壁に張り付きながら、ほくそ笑んで銃口を構える。相手が飛び出した。無防備に廊下に転がりながら此方を狙う。ニナの方が早く構え、狙い、弾を放った。
一瞬、遅れて相手の弾がニナの腹部を捉えた。ニナは腹部を見てため息を吐くと、ゆっくりと仰向けに倒れた。
「ぐえー、やられたンゴー」ぷっぷーと、ニナの服の感圧センサーが遅まきに間抜けな音を立てている。BB弾の弾を撃ちながら、ニナは死後痙攣の真似をした。見ている他の生徒たちが何人か笑った。子供も多いが、中年や青年もいる。
コンクリート迷路の彼方此方で「やられたー」やら「死んだー」などの声が上がり、程なく、生徒役たちが教官一人の手によって全滅した。ニナも立ち上がりながらぼやいた。「ああー、勝てない。おかしい。おかしくない?」とは言え、相手役の教官の服にインチキが無いのは確かめている。
自由都市ズールにある、傭兵訓練学校の教室だった。とは言っても、今、授業を受けているのは初級クラスの面々であった。傭兵志望者は殆んどおらず、冒険商人の徒弟や市民の子弟、それに裕福な店舗持ちなどが銃器の基礎的な講義に護身術、基本的な位置取りや戦闘技術を学ぶために、プロの教官に金を払って通っている。新人の警官や警備兵の姿も、何人かは見かけることができた。
マギーも腕を組んで、壁に寄りかかっていた。ニナと同じ生徒の一人である。同じように費用を支払って、訓練を受けている。鈍っているのと体系的な知識の欠落を補うために、鍛えなおすそうだ。なお、格闘術は免除されている。同じ体格の男性の腕を一瞬で脱臼させてから、絡む相手がいなくなっている。肩を軽く殴って脱臼させる技術は凄いものだが、自業自得だった。
「何故、私に弾が当たらないのか。諸君は疑問に思っているだろう」教官が生徒一同を見回しながら告げた。何故、教官の弾だけが一方的に当たるのか。此方の弾だけが当たらないのか。ニナには訳が分からない。動きが最適化されているとか、単に射撃が上手い以上の差があるような気がしてならない。他の素人と思しき面々も、顔を見合わせたり、ざわめいたりしている。マギーと幾人かの警官や警備兵は理解しているようで、静かに教官を見据えている。
「では、先刻の模擬訓練のビデオを見せながら説明しよう」通路の真ん中で伏せている教官と、棒立ちで教官を狙う生徒役の写真が対比されるように映し出された。教官が姿勢を丸で囲みながら、断言した。
「低い位置を保ちながら、低い位置を狙いたまえ。腹を狙うのだ。棒立ちの人間に比べて伏せた場合、標的の大きさはおよそ六分の一となる」腑に落ちない様子の生徒たちに教官が告げた。
「腹ばいに伏せてみたまえ。頭と肩、そして僅かな背中しか見えない状態に比べると、全身の大きさは1対6となる」
「ガンカタだ」馬鹿な少年少女の誰かが呟いた。ニナも同じことを思った。
ホワイトボードに絵図を描きながら、教官が説明している。人間の視野の動きと腕の筋肉の動きなどについても含めて、論理的に解説を続けていた。
「素人の銃は、10メートルも離れたら滅多に当たらない。特に移動している標的に対しては、滅多に当てられるものではない。右利きの人間に対しては、相手の視界に対して右側に逃げると、腕の構造から可動域の外側に開く為に外れやすいと言う説もあるが、これは余り当てにしないことだ。一応、頭に入れておくだけでいい」
「敵に向かったり、逃げるのではなく、常に水平方向に移動しながら、当たり易い位置を狙う。腹部だ。上下に外れても大きな的である足か、胸に当たり易くなる。胸を狙えば、外れて小さな頭を掠めるだけかもしれない。足を狙えば、床に当たる可能性も高い」人体図を描いた教官が、上下にペンを動かしながら、×印を書き込んでいく。
「致命傷を与えられずとも、大抵の敵は、負傷すれば、痛みや出血で動きが鈍り、移動に制限が掛かる、狙いは大雑把になる」
「確率的に考えているアプローチだね」警官や兵士の列から、誰かが囁いた。
「屋内のコンクリートでは、跳弾も警戒しなければならない。特に連射する銃での戦闘の場合、思わぬ方向へ跳ね返る事が多い」教官は私語を咎めずに続けている。金を貰い、講義を行う。授業内容を真面目に聞くか、聞き流すかは生徒個人の判断にゆだねているのだろう。完全にビジネスライクだが、素晴らしい授業内容だった。四日間、200クレジットの授業内容として、ニナにとっては充分な価値があると思えた。
「此処で披露してる技術は、あくまで屋内戦。そして1960年以降の高度な拳銃やサブマシンガンを用いての戦闘を前提として最適化されたものである。しかし、屋外での戦いや、19世紀、16世紀の銃器にも、応用は効かせることが出来る」教官がそう締めくくった。総じて教官のレクチュアは、適切で、金を払うだけの価値はあるとニナには思えた。
※※※※
曠野の地での行商生活に、盗賊との遭遇は避けられない。盗賊たちは街道筋の地の利に長けており、どんなに用心深く振舞おうと、いずれは遭遇せざるを得ない。
マギーは先日、盗賊に二千五百クレジットを奪われた挙句、負傷して暫く動けない羽目に陥った。居留地の診療所で入院費を支払って退院してからは、自由都市で鈍った心と身体を鍛えなおすために訓練を受けつつ、賞金稼ぎの酒場に日参しては、マスターを宥め賺したり、脅かしたりで、ようやく予備の治療薬を入手した。キャシディに注文された銃の部品も探し回っている。金を奪われたことに関しては、つらつらと思い煩うことはなかったし、効率的な対抗策も組み立てようとも考えなかった。考えても思いつかなかったのもある。残念だが、即効性のある戦術に関しては、機知や閃きに劣っているかも知れない。
兎も角、自由都市に赴いては、取引先に顔を出して商品を買い漁り、溜まったら日帰りで中継地点へと運んで、時には其処で夜を過ごした。
曠野のど真ん中にある廃屋の奥でマギーはバットを握りしめ、ニナは貧弱な木製クロスボウを構えて、静かに息を潜めながら、二人は身を寄せ合い、屍者の呻きや変異獣の遠吠えが聞こえてくる部屋で交代に眠りながら夜を明かした。廃墟のシェルターではよく眠れない身体になったのを思い知らされ、寝不足で自由都市に引き返しながら、二人でくすくすと笑ううちに奪われた金の事は忘れることが出来た。勿論、機会が巡ってくれば、盗賊たちは殺してやりたいと思っている。でも、働いて稼ぐのに、嫌な記憶は邪魔だった。
行商人は足で稼ぐ、とは昔からの格言だった。その足で稼いだ金を盗賊に巻き上げられると、マギーにしても空しさを覚える。交渉している最中や歩き回って疲れを覚えた時、やってられるか、という気持ちが沸くこともあった。無法の世に真面目な働き者の脅威となるのは盗賊だけではない。ゴルミーズやノランと言った街道筋の居留地には、少なからず腐敗した役人やら荷を買い叩こうとする大手商人がいるとの噂も流れていた。税を吹っ掛けられたやら、強引に荷を買い取られたやらと理不尽に食い物にされた旅商人や行商人、隊商の話も度々、耳に入ってくる。
幸いポレシャの役人はおおよそが公正だし、ズール間の経路に出るのは、盗賊だけだが、それでもとてもお辛い。
マギーたちにとって二千五百クレジットは、三か月も在れば稼げる金額だが、時々は嫌な気分に襲われる。半年、或いは数年も懸命に働いて蓄えた財産を一瞬で奪われてしまえば、或いは、それ以上に大事なものを奪われてしまえば、心が挫ける商人や労働者も出るものだ。
駄目になっていく人々を、幾度となく酒場で見かけた。財産や長年の成果を失い、降り懸かった苦難を嘆きながら、ゆっくりと崩れて壊れていく。弱いとは思わない。己の命より大事なものを奪われた人間だっているからだ。崩れた人たちも、相応の苦痛と喪失に心砕かれた訳で、必ずしも弱かった訳でも、劣っていた訳でもないのだ。だから、彼らや彼女らを軽蔑はしなかった。その日、ほんの少しなにかの巡り合わせが違っていたら、マギーだってあちら側にいたかもしれない。たまたま、幸運に恵まれたから、まだ立っていられるだけだ。失った人々は、確かに哀れだ。だが、マギーは自己憐憫には浸らない。まだ、耐えられる。一番、大切な人たちは幸運にも傷つかなかった。だから、たかが数か月の、数千の現金を失った程度で崩れる訳にはいかない。守りたいものが残っている。ニナやトリスがいるし、リリーも面倒を見る。部下のジーナも失望させたくない。
二つには、確実に得たものもあった。他人との絆とか、伝手とかもそうだし、居留地に建てた家も、旅先で盗賊に襲われても失われない。十回も手を入れた家は、大分に大きくなってきている。もはや単なる寝床ではない。なんとか座って過ごせる程度に天井も高くなっていた。まだまだ資材も、手間暇も足りないが、あれを育てる楽しみもあった。
三つには、いずれ対抗できるかもしれないと希望を抱いていたからだ。とは言え、まだ自信はない。今のように知識や武装を積み重ね続けたとして、盗賊を撃退できる日が来るのだろうか。マギーも本当は確信を持ってない。曠野で最大の脅威の一つ。もしかしたら生涯、脅かされ、悩まされ続けるかも知れない。或いは、対抗できる日など来ないかも知れない。それでも、平気な顔をしてニナやトリスに笑いかけ、安心させて導かなければならない。まだ、早いとも内心思っているが、誰もが思うように人生を進める訳でもないだろう。
武力や権力を用いる人間の屑どもや吸血鬼に出来るだけ近づかぬよう、用心深く立ち回りながら、黄昏の世を生き抜くのだ。信じるしかない。いずれは盗賊共にも対抗できる武装や人員、戦術や練度を揃えられる日がやってくる。マギーの脳髄にはその為の手段や計画が輪郭を持ちつつあった。一敗地に塗れようとも、踏み躙られようと、何度でも麦のように立ち上がるのが強い人間の筈だった。かつてより、戦士として劣っているとしても、土に塗れて生きる覚悟を今のマギーは固めていた。
退院した翌日から、マギーは、家の周囲で作業を開始した。随分と大きくなった家の傍らで、空き地の出入り口に数本の杭を打ち込んでいる。これに縄を張って缶をぶら下げると、触れた際には音を立てる簡単な警報装置となった。怪物や野生動物も入り込みにくくなっているが、主眼としては、警報の役割が大きかった。マギーやニナ、トリスは勿論、隣人のリリーにとっても夜の闇での命綱となるから、馬鹿者らに縄や缶を盗まれないように用心しなければならない。四人いれば、大抵の時は誰かしら見張ってられそうなものだが、マギーとニナは仕事で留守にしがちであった。
今もリリーが仕事に出ているし、ニナとトリスは一緒になって遊びに出ていた。廃墟で遊ぶよりは、町外れの方がずっと楽しいようだ。廃墟にも僅かな安全地帯があるものの、やはり気が抜けないのは否めない。町外れでも、中心地は無防備に昼寝できるほどに安全だった。勿論、日没後は、家に閉じ篭った方がいいけれど。いずれにしても、ニナが友人たちに紹介すると、トリスもすぐに馴染んでいった。のんびりとした暮らしが性にあってるのは幸いだと、マギーも一安心している。当初、町外れに馴染めるかを心配したものだが、まるで地区生まれのようにトリスはよく適応して、問題も起こしていない。
廃墟生活者には折角、惨めで危険な生活から抜け出したのに、警戒心がずっと抜けずに人を刺したり、暴力を振るったりと、トラブルを起こしてしまう者も少なくない。廃墟に近い小地区は兎も角、町外れまでくると穏やかな暮らしに馴染めない者は、出禁になってしまう。渡り人や自由労働者は、廃墟生活者を警戒するし、廃墟生活者は流れの傭兵や放浪者などを恐れている。畢竟、廃墟の住人たちは弱者が多い。そして性質の悪い傭兵や放浪者の中には、奪えるものが無くても、面白半分に廃墟生活者や物乞いを殺す者さえ混ざっていた。
トリスは、普通に馴染んでいた。半年か、一年もすれば、居留地に名簿登録しても問題はないだろう。そうすれば一応、正規の住人として、なに憚ることもなく町外れで暮らしていける。あとは、何度か日雇い仕事や野良仕事に連れ出して慣れさせておけば最悪、マギーとニナに万が一があっても、一人で生きていくことも出来る。
それ以上、先の未来については、マギーは思い描くのを敢えて止めた。あまり夢を見ても仕方ない。まず、目先の事を片付けるべきだった。おおよそ警戒装置が完成したところで手を休めて、瓦礫に座り込んだ。怪物たちのやってきそうな方向だけは縄を張ったが、まだ三方向が街路に面している。
「……場所がよくないんだよね、場所が」マギーはぼやくように独り言ちた。途中の街路は封鎖されているし、自警団の見回りだってされている。怪物は滅多に浸透してこない場所ではあるが、夜の間に到達されたら、無防備な処を襲われる事になる。屍者やら大型変異獣に真夜中に襲撃を受けるのは、どうしてもぞっとしない。
位置的には、かなり安全に類する場所だが、数年に一度は怪物が居住区近くまで忍び込んでくる事件だって起きる。絶対に安心とは言い切れず、そして万が一があった際には、襲われやすい地形となっているのが難点だった。とは言え、百点満点の場所など何処にもないのだが。
十回近くも細かな改修をして、段ボールの小屋は座ってくつろげる程度には大きくなっていた。とは言え、段ボールという素材の強度からして、これ以上、高くなるのは些か難しかった。後は、盛り土をして、横に広げていく事になる。それでも、一応、小屋と呼べる程度の見た目にはなっていた。地面にシートと断熱材のポリスチレンを敷き、木の板で床を作ることで、随分と眠りやすくもなっている。それでもマギーには、不安と不満が残っていた。
「……もっといい土地を探すべきかな」引っ越しも考えるが、地域内での具合のいい土地なんて早い者勝ちに決まってる。新参者に残されている土地は、おおよそ三種類。中心地に近くて襲われにくいが、身を守るには不向きな地形。防衛力は高いが、曠野や廃墟に近くて怪物が身近な場所。そして論外の土地であった。怪物の侵入しにくい中心部近くで、家を建てやすい場所、守りに適した場所は、既に誰かしらが住み着いている。マギーは肩を竦めた。いい案なんて簡単には思いつかない。
ポレシャに越してきた際、最初の住処である路地裏にマギーは扉を取り付けた。追い出されたと言うか、奪われたと言うか。その住処は、今、子供たちが安心して眠れる場所になっているので、まあ、仕方ないとは考えている。
今の空き地に引っ越してからは、段ボールの家に住み着いていたが、しかし、内心はいつ怪物に襲われるかとも危惧していた。近くで焚かれる炎を頼りに、同居している四人のうちの誰かが夜の見張りをして過ごしている。町外れで、陽の光の下でウトウトしている者や昼寝をするものが多い理由だった。
今も時折、マギーとニナは、簡易宿泊所や旅籠に泊まっている。すると、トリスやリリーは、二人きりで過ごすことになる。年に一度は、屍者やら変異獣、或いは野犬や巨大蟻の群れが忍び込んでくる場所で、段ボールの頼りない壁の内部で眠りに就くのだ。とは言え、町外れはそこまで危険な場所ではない。五年、十年、或いは二十年、三十年暮らしても無事に過ごせるかもしれない。
だが、まともな家が欲しいとも思うのだ。
ため息を吐くと、マギーは立ち上がった。そろそろ三人が帰ってくる。赤黒い空に沈む太陽が、血のように西の地平を染める。光が薄れゆく中、影だけが濃くなる。
春の日にしてはやけに禍々しい太陽が不吉な蜃気楼のようにも見えて、マギーは少し胸騒ぎを覚えた。しかし、誰にとっての兆しだろうか。兎も角も、マギーは慢心をいさめた。五体満足に生きている。こうして毎日、普通に暮らしている。取りあえずは、それで満足するべきであった。
Z_275年 4月中旬
6906クレジット
ニナの銃器及び白兵戦闘力が上がった。




