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フィリアの柩  作者: 禄星命
第三章 スティア国編
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58話 帆は白南風に馳せる (後編)

 国を揺るがす一大事件が起これど、旅立ちは存外静かなもので。芦毛の馬は荷車の傍らで眠り、汽笛は未だ役目を果たしていない。更に当然のことながら、人々のざわめきもなければ、視界を遮る建物もない。


 それは、都会の喧騒に苛まれる者にとって、大枚をはたいてでも得たいシチュエーション。その贅沢な解放感に目一杯浸るように、ロアはひとり甲板の縁に腕を載せ、海を眺めていた。


「磯の香りなんてどのくらいぶりかしら……」


 時間にして、スティア国を()ってから、まだ半刻も経過していない頃。だが既に辺りに陸は無く、晴天と青藍の海が延々と広がっていた。


「ふあ、あ……」


 あまりの穏やかさにあくびをしていると、何者かが階段を上る音が聞こえてくる。振り向く前に届いたのは、活気に満ちた少女の声。


「あっ、ロアみっけ!」


 亜麻色の髪が見えたかと思えば、丸く愛らしい瞳が瞬く間にロアを映した。リベラはいたずらっぽく笑うと、驚く彼に軽快な足取りで駆け寄る。


「――えいっ!」

「ふふっ、捕まっちゃったわ」


 伸びる小さな両腕を、ロアは微笑みながら受け止める。それはまるで、本当の親子な微笑ましい光景のようで。ポシェットから頭を出すネーヴェも、心なしか嬉しそうに見つめていた。だがリベラは、浮かない顔で抱擁を解く。


「……どうしたの? もしかして、船に酔っちゃった?」

「んーん、平気よ。ただ、少し考え事をしてて」

「考えごと?」

「ええ。……ねえ、リベラちゃん」

「?」


 口火を切っておきながら、ロアは首をかしげる彼女から目を逸らす。そして躊躇うこと数秒。やがて海を見つめたまま、振り絞るように話し始めた。


「もし……もしもの話よ。小さい頃に喧嘩したまま別れたお友だちと、大人になってから偶然再会したら。リベラちゃんだったらどうする?」

「う〜ん、お友だち――そういえば、マリーにお別れ言わずに来ちゃったな。うう……怒ってたらどうしよう」

「! あ――ごめんなさいね、やっぱり何でもないわ。今の質問は忘れて頂戴?」


 気まずそうに笑うロア。だがリベラは彼を見上げ、いつになく真剣な面持ちで応える。


「ううん、ちゃんと答えたい」

「リベラちゃん……」

「……えっとね、私だったら絶対仲直りしたい。ひどいこと言ってても言ってなくても、「ごめんね」ってふたりして謝るの。それから手をつないで笑いあって、それで――また一緒に遊ぶんだ」

「……相手が許してくれなかったら?」

「その子との楽しかった思い出を言うの! 「あの時のことは、今でも覚えてるよ」って」

「――」


 目を見張るロアに対して、リベラはきょとんと小首をかしげる。少女の答えは、幼さに覆われた理想論。歳を倍ほど重ねた彼にとって、参考にならないのは明白だった。しかし、凝り固まっていたロアの表情は一笑のうちにやわらぐ。


「……ふふっ。リベラちゃんなら、きっとそう言ってくれるだろうと思った。ありがと、おかげで勇気が湧いてきたわ」

「えへへ、どういたしまして! それにしても、ロアも誰かとけんかすることあるんだ」

「あるある、そりゃもうたくさんあるわよ。小さい頃なんか、お菓子の大きさひとつで言い合いになったものよ」

「えっ!? 全然想像できない!」


 そんな調子で雑談に花を咲かせていると、メネレテが音もなく階段を上り現れる。


「お話し中のところ失礼します。サフィラスさんが、「今後の方針を決めたい」とおっしゃっているのですが……」


 彼女が着ていたのは、スティアで調達した衣類。オリーブ色のセットアップは軍服を連想させるが、下がスカートであるためか、程良い具合に威圧感が緩和されていた。


 ロアはメネレテにも笑顔を向けると、頷いて返事をする。


「さ、行きましょリベラちゃん。新しい冒険の作戦会議だなんて、とっても胸が踊るわね!」

「うん!」


 ロアとメネレテに続き、リベラは無人の操舵室を横切る。最中脳内で反芻するは、先の相談。


『もしかして、次に行く国にロアのお友だちがいるのかな。それなら、仲直りできるようにお手伝いしなきや』


 亜麻色の髪が、健気な意気込みとともに風になびく。別れを糧に、まだ見ぬ出逢いに希望を抱く少女。その瞳にはもう、かつての迷いは無かった。

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