鶴の一声
「美鈴さん!」
彼女の前で喋ることのできない私は心の中で歓声を上げた。美鈴さんがなぜここに来たのかは知らないが、このタイミングで現れた彼女は私にとって救いの女神である。
仁王立ちする足の間を潜り抜け脱兎すら超える速度で外に駆け出した。
「どうしたのかな?」
外に出て室内を警戒している私を美鈴さんが不思議そうに眺めるが、生憎それを居心地悪く感じている余裕はない。
そうこうしているうちにレイと一緒に危険人物がのそり、のそりと玄関の辺りまでやってきた。
「げ、美鈴じゃねえか」
「あれ、美鈴さんじゃないですか」
「レイ、猫ちゃん一体どうし……そういうことか」
美鈴さんは大道の姿を見ると、私の苦労を察してくれたのか首を振りながら大きくため息をついた。
一目で分かってくれるとは美鈴さんもやるものである。今度からは煮干を一つぐらいならば彼女の前で食べてあげてもいいかもしれない。
「大道、あんたその顔で猫に近づいていくのは動物虐待になるから止めろっていったろ?」
「虐待になんてなるか。これは……そう、ちょっと性急過ぎて猫がびっくりしただけだ」
紛れもない虐待であると声を大にして叫びたい。いや、ほんとに。
それにしても今の会話を聞く限りどうやら美鈴さんと大道は知り合い、しかもそれなりに親しい間柄らしい。大道の性格に少々問題はありそうだが、それを除けば二人とも気が強く立派な体格でありなんとなく納得できる組み合わせだった。
「お二人は知り合いなんですか?」
「残念ながら腐れ縁さ。こいつとは同い年で昔から何かと関わりがあってね」
「え、そうなんですか!? てっきり大道さんは三十歳ぐらいかと……」
心底驚いたというレイに私も心から同意する。私など三十歳、もしくはもう少し上なのかと思っていたぐらいだ。
「何言ってやがる。俺はまだ二十――」
「オホン!」
「――二十代後半だぞ」
特に理由はないが大道をナイス判断と褒めたくなった。
それにしても美鈴さんは喉の調子が悪いようだ。まだまだ若いとはいえ気を遣ってもらいたいものである。
「それにしてもどうして美鈴さんがここに?」
「それが図書館に誰も来なくなったから私もリストを調べてたんだけど、レイがこいつのところに行ってるのが分かってね。貸し出し期間も相当長くなってたし、レイ一人じゃ不安だったから私が直々に着てあげたってわけさ」
おそらくその判断は正解だろう。現に彼らは私を捕まえようと四苦八苦しているが捕まえたところで本が見つかるわけでもなく、そこからさらに本を探すために時間がかかるのだからレイが図書館に帰れるのはいつになるか分かったものではない。
レイもそのことに気が付いたのかばつが悪そうに頬をかいていた。
「そういうわけで大道、本を返しな」
「いやそれがどこにあるのかわからなくてな」
「じゃあ今すぐ探して返しな」
「いやでも結構散らばってて」
「今すぐ探して返しな」
「…………おう」
なんと見事な手腕だろうか。
美鈴さんはあれほど混沌としていた状態をあっという間に片付けてしまった。
いっそ清々しいほどに遠慮のないその姿にはもはや威厳すら感じられるほどである。
まったく歯が立たなかった大道は大きな身体でありながら器用にもとぼとぼといった雰囲気を出し、本を探すため家の奥に引っ込んでいった。
それは散々追い回された私でさえ同情してしまいそうな後姿であり、レイはとても我慢できなかったのだろう。大道に気遣うように声をかけた。
「大道さん、僕も手伝いますよ」
「おう、頼む……」
こうして二人は家の奥に向かい、美鈴さんと私はその後姿を見送った。
「さて、私はどうしようかねえ」
玄関にどかりと座り込んだ美鈴さんはこちらを見ながらそう呟いた。明らかに私に構おうとしているようである。
大道の魔の手にかかりそうだった窮地を救ってもらった立場上、本来ならば彼女の意を汲んで相手をするのが仁義というものなのだろう。しかしそうは言っても私はかなりハイレベルの人見知りである。
頭では分かっていてもなかなか美鈴さんのほうへ踏み出すことができないのだ。
その結果こちらを見る美鈴さんとにらみ合うような形になってしまいなんとも居心地が悪い。
ではレイが本を探しているところに行けばいいかというと、それも好ましくない。なぜなら大道も一緒にいるため何が起こるかわからないからだ。
しかしだからといってこの家から離れてぶらぶらするのも失礼な気がする。
結局レイと大道が本を探して戻ってくるまで、こちらをちらちら見る美鈴さんと一定の距離をとりながらうろうろしているというなんとも居心地の悪い時間を過ごしたのだった。
遅れて申し訳ありません。
三番手、白かぼちゃでした。
ではEARTH様、よろしくお願いします。