⑯買い物学習の成果と父の思惑
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買い物が終わった後、サミュエルが余ったお金でみんなにジュースを買ってくれた。公園まで移動し、女性陣がベンチに腰掛ける。
今日の同行者全員で飲んでいると、サミュエルがこっくりこっくりし始めた。
「サムくんは市場についてから、ずっと大活躍だったものね」
サミュエルの寝顔を見つめて、アメリーがほほえんだ。
グレイスは弟を抱き上げて膝の上にのせ、自分を背もたれにさせる。
「サミュエルは、今日すっごく楽しそうでした。お店の人とあんなやりとりができるなんて思ってもみませんでした」
「お嬢、あれは午前中の成果ですよ。アメリーさんがおじさん役をしながら練習していました」
「え⁉ おじさん役?」
ベンチの後ろにいたドレイクがクスクス笑いながら教えてくれたが、意外に思って聞き返してしまう。
「『へい、らっしゃい! そこの男の子、買っていかないかい?』ってやってました。見事なおじさんぶりで。俺、笑いをこらえるのが大変でしたよ」
「あら、大切なことよ? 小さな子はシミュレーションが大事なんだから。だけど、サムくん自身がもう才能があるからね。この子は社交に向いていると思うわ。セドリックはどう思った?」
「物怖じせずにやりとりを楽しんでいましたね。まだ小さいのに周りの人の様子もよく見えている。愛想もいいし、間違いなく社交界で光る人材になりそうですね」
セドリックのサミュエルに対する評は思いの外高いようだった。アメリーは楽し気に片眉を上げる。
「ふふっ。あなたにしては随分高い評価ね?」
「お前が素直に人を褒めるの、珍しいんじゃねぇ?」
「俺だって普通にほめるさ。褒めるところがあれば」
アメリーに追従してドレイクも茶化すと、セドリックはしれっと返す。
グレイスはそんなやりとりを目にして、友人二人の仲の良さに笑みを浮かべた。そして、すぅすぅと寝息をたてる弟の頭を、愛おし気に撫でる。
「私、こんなに伸び伸びとしているサミュエルを見るのは久しぶりなんです。この子は、人見知りはしないんですけれど、警戒心が意外と強いんです。それなのに今日は全力ではしゃいで、無防備に眠れているわ。今日ここにいるメンバーはこの子にとって、本当に安心できる人たちみたい。アメリーさん、こういう機会を作ってくれて、ありがとうございます。私もすごく楽しかった」
グレイスはどことなく満足そうな弟の寝顔を見つめながら、心底ほっとしていた。感謝の意をこめてアメリーに向き直れば、彼女は嬉しげであった。
「貴族は基本的に家で買い物できちゃうし、なんでも使用人に頼めば済むから、市場に来たことがない人も多いわ。でも私は、何事も経験だと思うのよね。学院時代にお友達とカフェに寄り道するのも、とても楽しかったし」
「わたしも友人と行きます。この前、お父様も学院時代に同じカフェに寄っていたことが分かって、今度一緒に行こうって言ってくれたんです」
「まあ! 父娘デートじゃないの! 素敵ね」
その後、しばしの間女子トークが盛りあがりを見せたが、夕方の鐘の音がなったことで急いで帰宅することになった。
♢ ♢ ♢
すっかり熟睡してしまったサミュエルをセバスチャンに頼み、グレイスは執務室へ向かう。今日は知人に会うと言って、朝から出かけていた父が帰ってきていることを従僕から聞いたためだ。市場でのサミュエルの活躍を、父にも伝えたかった。
それに、お土産も早く渡したかったのだ。
「失礼します。お父様、今いいですか?」
「グレイスか? 入りなさい」
扉を開けると、ソファに身を預けていた父が体を起こした。目の下にはうっすら隈ができていた。疲労を滲ませる父のことが心配になり、グレイスは対面に座って身を乗り出した。
「お疲れのようですけれど、ちゃんとお休みになっていますか?」
「今日は朝早くから人に会う予定があったんだ。その分の仕事を前倒しで片付けたから、昨夜はあまり寝られなくてね。なに、体力はある方だから大丈夫さ」
「無理はしないでくださいね。お父様は、がんばりすぎなんですから」
心配顔の娘から控えめな諫言を受けて、ロベルトは少しくすぐったそうに頬をかいた。照れくささに視線を下げたところで、グレイスが手に何やら持っていることに気づく。
「心配してくれてありがとう。ところでそれは、燻製かな?」
「あ、そうです。今日市場で見つけたからお父様にどうかなって」
「嬉しいな。昔よく酒のお供としてお世話になったんだ」
忙しい時期は執務室に籠りきりで作業をしているので、たいてい晩餐を取り損ねていて気付いた時には深夜になっていた、なんてことがよくあったらしい。「空腹時に直接酒だけを胃に入れるのはよくない」とセバスチャンたちに注意され、ナッツや燻製を一緒にとるようになったのだとか。
「夜中に人を呼びつけて夜食を用意させるのはしのびないので、苦肉の策だ」とロベルトは笑った。
今日の市場での様子を話すと、「サミュエルはまだ三歳なのに、そんな交渉ができるのか」と、とても驚いていた。
同行してくれたドレイクとセドリックの息の合った掛け合いや、アメリーの声真似のうまさなども話題にして一頻り笑いあった後のこと。
ロベルトは姿勢を正してグレイスと向き合った。
「グレイス、婚約破棄については申請書に調査の結果を添えて貴族院に提出してある。相手にもその事実が通達されたころだろう。審議に少し時間がかかるとは思うが、相手側の有責は明白。賠償金にケチをつけてくるかもしれないが、うちは金に困ってはいない。賠償額は下げたっていいのだ。相手の出方を見るために、形式上請求をしたまでのこと。縁切りが確実にできるように話を進めていくつもりだ。こんなことでお前の心は晴れないだろうが、ひとまず安心してほしい」
ドレイクからの進言により、ロベルトはマイケルの浮気相手についても調査させた。
結果は予想通り。彼女は、庶子だった。
再び結婚相手として我が娘に執着されてはたまらない、と両家だけの話し合いで終わらせず、正式な手続きをとることにしたのである。
「ありがとう、お父様。私、この数日間とっても楽しいんです。時間に追われずに自分のペースでゆっくり過ごせて、サミュエルともたくさん遊べて。アメリーさんとの女子トークも好きですし、侍女たちとも交流が広がっているんですよ? ウエンディに会えていないことと学院の課題が多いのが少し残念なだけ。マイケルの裸事件なんて、もうずっと昔のことみたい」
笑って話すグレイスを見て、ロベルトは目を細める。
「そうか。私も今の案件を手早く片付けて、お前たちとお茶でもしたいよ」
「お父様は今、事業が忙しいのですか?」
ロベルトは何と言ったらいいか、迷いながら口にする。
「いや、そっちはひと段落ついたのだが……別件でね。少し気になることがあって、その調査を友人に頼んでいたんだ。そちらが佳境を迎えていてね。最終確認は自分がしなければと思っているんだ。以前人任せにして後悔したことがあるからね」
グレイスは、そう言ったロベルトの視線が、かすかに悲哀を帯びていることが気になった。
けれど、明日も朝早くから出かけるという話を聞いて、グレイスは邪魔をしてはいけないと、慌てて眠る前の挨拶をし、退室をしたのだった。




