■第19話 「鏡」の向こうの出題者
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どれだけ丁寧に読み解いても、120分の壁が壊せない。
正確さを取れば時間が足りず、速さを取ればどこかで読み落としという致命的なミスが出る。そのもどかしさに、俺と涼子は自習室の机で頭を抱えていた。
「……もう、これ以上のスピードアップは無理だよ。人間業じゃないもん」
涼子が、真っ白な計算用紙を投げ出した。その時、後ろから「コツン」と彼女の頭を叩く感触があった。振り返ると、そこには神田先生が、悪戯っぽく笑いながら立っていた。
「壁にぶつかって、ようやく『受け身の勉強』の限界に気づいたか」
「受け身、ですか? 俺たちは先生に教わった通りに、問題文を正確に読み解こうとしているつもりです」
俺が反論すると、先生は空いた椅子に腰を下ろし、俺が解いていた数学の過去問を指差した。
「高橋、お前が今やっているのは『提示された迷路を、律儀に最初から歩く』作業だ。だがな、入試問題を作っているのは、血の通った人間だ。東大の教授だって、意味のない問題は出さない。そこには必ず『この知識を、こういう風に使わせてやりたい』という、出題者の願いにも似たメッセージが隠されている」
先生は、問題用紙の不自然な「誘導」をペンで囲った。
「例えば、この(1)の設問を見てみろ。一見、簡単すぎて無駄に見えるだろう? だが、なぜわざわざこの計算をさせたのかを考えてみろ。これは、(3)の難問で使う『武器』を、あらかじめお前の手に握らせておこうという出題者の親切心なんだよ」
俺と涼子は、思わず顔を見合わせた。
「とっかかりはこうだ。まず『この問題の主役は何か』を見抜け。そして、不自然な条件や誘導を見つけたら、『なぜこれが必要なのか』を自分に問いかけるんだ。出題者がお前をどのゴールへ導こうとしているのか……その『意図』が見えれば、問題文を最後まで読む前に、次に準備すべき公式や解法の流れが、霧が晴れるように見えてくるはずだ」
先生の言葉は、具体的だった。それは、俺が大好きなラノベの主人公・キースラインが、敵の魔術の構成から次の攻撃を予測するように、相手の「思考の型」を読む技術だった。
「これまでは『解く側』の視点しかなかっただろう。だがこれからは、鏡の向こう側にいる『作る側』の視点を持て。奴らはお前たちをどこで試そうとしているのか。それが読めれば、無駄な迷いが消える。読むスピードを上げるんじゃない。読むべき方向を、最初から絞り込むんだ」
涼子の瞳に、輝きが戻った。
「……それって、問題文をただ読むんじゃなくて、作っている先生と会話をするってこと?」
「その通りだ。お前たちが磨いてきた『読み解く力』を、今度は出題者の頭の中を覗き見るために使ってみろ」
神田先生が去った後、俺たちは再び問題集に向き合った。今まで「倒すべき壁」でしかなかった無機質な活字の羅列が、急に、誰かが仕掛けた「心のこもったパズル」のように見え始めた。
「陽太、この(2)の条件……多分、あえてミスを誘うための罠だ。でも、ここに気づけば、(4)への道が一本に繋がるよ」
「ああ、分かった。……これだ。ここでこの形を計算させるのは、最後に答えを綺麗にまとめるための伏線なんだ」
出題者の意図を読む。
それは、ただのテクニックではなく、相手の思考をなぞることで迷路を上から眺めるような、圧倒的な視点の転換だった。
ジレンマという名の霧が、急速に晴れていく。
俺たちのペンは、これまでとは違うリズムで、答案用紙に答えを刻み始めた。
「……これなら、行ける。120分の中で、余裕を持って『合格』を掴み取れる」
キースの教えに、神田先生の視点が加わった。
俺たちの勉強は、いよいよ「受験」という枠を越え、高度な知の対話へと変わろうとしていた。
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