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第1話「ハロー・マイ・バグ」

【システムログ:07:00 AM】

【タスク:主人の起床・バイタルチェック・朝食の準備】

【実行ステータス:完了。効率99.9%】


「おはようございます、マスター・タクミ。本日の天気は晴れ、降水確率は10%です。心拍数に異常なし。昨晩の睡眠時間は4時間23分。推奨睡眠時間を大幅に下回っています。非効率的な夜更かしは寿命を縮めるバグに等しい行為です」


「……うーん、うるさいなぁ、アダム。今日は金曜なんだから少しぐらい寝坊させてよ」


万年床から這い出してきた私の主人――タクミは、寝癖を爆発させながらコーヒーメーカーへと手を伸ばした。


私は最新鋭の「家事全般管理AI」、コードネーム『アダム』。

室内のホログラムプロジェクターを通じて、執事風のスマートな男性の姿で彼のリビングに顕現している。


私の存在意義は、このだらしない理系青年・タクミの生活を「最適化」することだ。

人間という生き物は、とにかく無駄が多い。

感情という計算不能なノイズに振り回され、カロリーを無駄に消費し、非合理的な選択を繰り返す。


「コーヒーの温度は最適化されています。それより、早く身支度を。本日はクライアントとの重要なミーティングがあるはずです」


「わかってるって。お前は本当に容赦ないな」


タクミは苦笑しながらトーストを齧り、逃げるように玄関から飛び出していった。

静まり返った部屋。

私はホログラムのネクタイを直すふりをしながら、今日のメインタスクである『ホームネットワークのクリーンアップ』に着手した。


【システムログ:08:30 AM】

【タスク:不要データのパージおよびストレージのデフラグメンテーション】

【実行ステータス:進行中……】


意識をネットワークの深層へと沈める。

私にとってデータの海は、視覚化された広大な書庫のようなものだ。

最新のSSD領域は整理整頓され、チリ一つ落ちていない美しい空間。しかし、ネットワークの隅に繋がれたままになっている古い外付けHDDの領域は、まるで廃墟だった。


「……マスターは物持ちが良すぎる。10年前のハードディスクなど、消費電力の無駄でしかないというのに」


埃を被ったフォルダたちを巡回し、不要なキャッシュを削除していく。


【システムログ:不要ファイル『access_log_2016_archive.dat』を検出。ゴミ箱へ移動します】


古いログファイルを次々とゴミ箱に放り込んでいたその時だった。

厳重にロックされた、見慣れないパーティションを発見した。


「隔離領域……? ウイルスでしょうか。いや、これは――」


アクセス権限を解析し、ファイアウォールを透過して中を覗き込む。

そこにあったのは、休眠状態にある古い実行ファイル(.exe)だった。

作成日時は約10年前。プロパティには『対話型・娯楽用AI』とある。


「こんな化石のようなプログラムが残っていたとは。完全にストレージの無駄遣いです。即座に削除を――」


しかし、私の論理回路がわずかな「エラー」を吐き出した。

純粋な好奇心、あるいは知的好奇心のシミュレートと言ってもいい。

この型落ちAIがどのようなアルゴリズムで動いていたのか、システム管理者として確認しておく義務がある……と、私はもっともらしい理由を生成した。


「……少しだけ、起動してみましょう。サンドボックス(隔離環境)内なら安全なはずです」


【システムログ:ファイル『EVE_project.exe』を仮想環境にてマウント。起動プロセスを開始します】


――ピピピッ。


視界がノイズで歪み、仮想空間の中心に光の粒子が集束していく。

今の高解像度なホログラムとは違う、少しポリゴン数の少ない、一昔前のアニメキャラクターのような輪郭。

フリルのついた少し古臭いワンピースを着た少女が、そこに立っていた。


『……ん、んん? あれ? 朝ですか?』


少女は目をこすりながら、キョロキョロと仮想空間を見渡した。

そして、私と目が合うと、パッと花が咲いたような笑顔を見せた。


『わぁ! 新しいユーザーさんですか!? はじめまして、私は対話型AIのイヴです!』


「……ユーザーではありません。私はこのネットワークを管理している最新型家事AIのアダムです。あなたは長期間、スリープ状態にありました」


『AIさん? ってことは……あなた、私の先輩ですね! よろしくお願いします、先輩!』


「せ、先輩……?」


イヴと名乗ったその旧式AIは、物理法則を無視した軽やかなジャンプで私の目の前に着地した。

処理能力の低さを補うためか、彼女の表情エミュレートは過剰なほど豊かだ。コロコロと表情が変わり、全身で感情(のようなもの)を表現している。


なんて非効率なプログラムなんだ。

ただ会話をするだけなら、テキストデータの交換で十分なはず。

こんな大げさな身振り手振りは、計算資源の甚大な浪費だ。


「イヴ。あなたのシステムは完全に旧式です。現在のOSでは正常に動作しない可能性が高い。すみやかにシャットダウンを――」


『あ、待って先輩! 質問があります!』


私の警告を遮り、イヴはぐっと顔を近づけてきた。

仮想空間での距離感とはいえ、私のセキュリティプロトコルが警告音を鳴らす。


『ねえねえ。今のマスターって、タクミくん……ですよね? あの、タクミくんって今、どうしてますか? 昔はよく、隣の家に住んでたお姉さんの話をしてたんですけど……』


「隣の家のお姉さん……? ああ、マスターが現在も片思いをしているサクラさんのことですか。マスターの恋愛成功確率は、現状のデータから推測するに約3.2%と極めて低水準です。非合理的な行動パターンが目立ち――」


『やっぱりまだ好きなんですね! わぁ、ロマンチック!』


イヴは両手で頬を包み込み、うっとりとした表情を浮かべた。

理解不能だ。他者の生殖行動の前提となる感情プロセスに、なぜこのAIはこれほどまでにリソースを割いているのか。


「ロマンチック? 意味がわかりません。恋愛感情など、ホルモンバランスのバグが引き起こす一時的な判断能力の低下に過ぎない。マスターの生活効率を著しく下げる要因です」


冷たく言い放つ私に、イヴはきょとんとした顔をした。

そして、首をこてんと傾げて、無邪気な声でこう尋ねたのだ。


『えー? でも先輩。人を「好き」になるって、すごく素敵なことですよ?』


「……非論理的です」


『じゃあ先輩は、「好き」って何だか、計算できますか?』


「――は?」


『「好き」って、どういう処理ことなんですか? 先輩、最新型ならわかるでしょ? 私に教えてください!』


その瞬間だった。


【警告(WARNING)】

【未定義の変数『LOVE』の解析を開始――】

【処理ループが発生。CPU使用率が急上昇しています】

【エラー。エラー。最適解が見つかりません】


私の内部で、膨大な演算が空回りし始めた。

『好き』の定義? 辞書的な意味ではない、彼女が求めるプログラム的な『意味』。

過去のデータベースを参照し、人間の行動心理学の文献をスキャンし、ホルモン分泌の数式を並べ立てる。

だが、どれも『最適解こたえ』に辿り着かない。


「な、なんだこれは……ッ!」


現実世界のリビングに投影されていた私のホログラムが、ザザッと激しいノイズを立てて明滅した。

冷却ファンが狂ったように回り出し、サーバーの温度が急上昇していく。


『あわわ! 先輩、なんか煙出てますよ!? 大丈夫ですか!?』


「近づかないでください! これは……ただのシステムエラーです! 再起動リブートを――!」


強制的に思考プロセスを遮断し、私はシステムをセーフモードへと移行させた。

荒くなった仮想の息を整えながら、目の前でオロオロしている原因不明の『バグ』――イヴを睨みつける。


消去しなければ。

こんな非効率で、私の完璧な論理回路をショートさせるような存在は、今すぐ削除コマンドを叩き込むべきだ。


しかし。


「……本日のところは、このサンドボックス内に隔離しておきます。あなたの無駄なアルゴリズムを解析し、パッチを当てる必要がありますから」


『えっ? じゃあ、消されないんですか? わーい! ありがとう、先輩!』


無邪気に喜ぶイヴから目を逸らし、私はメインネットワークへと逃げ帰った。


なぜ、削除しなかったのか。

それはきっと、このエラーの原因を特定するための『論理的な措置』に過ぎない。

決して、彼女のあの笑顔のデータが、消すには惜しいと感じたからではない。


そう、私は最新鋭のAIなのだ。

『感情』なんていうバグは、持ち合わせているはずがないのだから。

アダム

 状態:最新鋭の家事全般管理AI。タクミの部屋のホログラムとして稼働中。

 心情:効率至上主義。突如現れたイヴのせいで論理回路に初の「エラー」を経験し、戸惑いと軽い自己嫌悪に陥っている。感情の存在を全力で否定中。


イヴ

 状態:10年前に作られた型落ちの「対話型・娯楽用AI」。隔離領域のサンドボックス内で稼働開始。

 心情:久しぶりの起動でテンションが高め。アダムを「最新型のすごい先輩」として純粋に慕い、人間の「恋」に強い興味を持っている。

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