貴方がたまにやるツンデレ。似合ってないわよ
伊吹たちが訪れた整形外科クリニックは受付の終了間際だったので、支払い待ちの患者が二名いるだけだった。
最も顔色の悪かった伊吹が最初に診察を受けたが怪我も異常もなかった。
体力が尽きて昏倒しかけたというのが診察結果だ。
伊吹は移植手術の後遺症で極端に体脂肪が少なくなっているため、体力の上限が低い。
伊吹は柚美と絵理子が治療を受けている間に、アイの捜索に向かった関を駐車場で待っていた。
その間、自販機で購入した水分補給飲料とカロリー摂取の補助食品を口にし、体力の回復に努める。
「駄目だった」
「……っ。驚かさないでよ」
不意に男の声がして反射的に顔を上げると、いつの前にか目の前に関が立っていた。
「趣味悪いわよ。忍者みたいに登場していきなり話しかけるのは止めてよ……」
「俺は普通に門から歩いて入ってきた。
それにな……。
夕暮れ時に長い髪の女が病院の前で俯いてメソメソしているのは軽くホラーだ。
話しかけにくい」
伊吹は「泣いてなんか――」と言いかけ、声が湿っているのに気づく。
自分が落ち込んでいることが悔しかった。
アイを探しに形振り構わずに駆けだそうとする強い心は行方不明。
アイを助けたいのは本心だが、それは、子供が連れ去られたのだから取り返さなければならないという常識的な判断であり冷静な思考であった。
アイを抱きしめたい、顔に頭を埋めたいという、身体の中心から湧きわがっていたはずの熱ではない。
「津久井が関与している施設の一つを調べてきたが、立ち寄った形跡は無かった。
俺の知り合いが監視しているから、もし奴らが現れたら連絡をしてくれるが……」
「そう……。貴方の不思議な力でアイさんを見つけられないの?」
「距離が離れていると熱や匂いでは追跡できない。それに俺の雨が痕跡を洗い流した」
「不便な体質ね」
「一般人の目を遠ざけるには便利な能力だ」
「そろそろふたりの治療が終わるから、少し待っていて。
貴方の力だけが頼りなんだから、勝手にいなくなったりしないでよ」
伊吹は自分の無力を痛感し、他に為す術が無いから、すがりたい思いが大きく、つい弱音が漏れてしまった。
失敗したと途中で気づけるほどの愛想笑いをしてから、伊吹はクリニック内に戻る。
柚美の診断結果は脱臼。
安静にして二十分おきに冷やせば、三日もすれば完治するらしい。
肩の脱臼よりも、頬に貼られた大きなガーゼの方が目に入る分、痛々しく見える。
絵理子は軽いむち打ちで、首筋に湿布を貼っただけだ。
特に痛みは無いらしく、念のために診察を受けたが異常は無かったようだ。
支払窓口へ向かった絵理子を待つ間、伊吹は柚美と並んでソファに座り、
デパートで起きたことを思いださないような話題を探した。
「怪我をしたのが、試合が終わったあとで良かったわね」
「腕がつかえないから、食事とか着替えとかトイレとか手伝ってくれるよね」
「トイレはひとりでしてよ。貴方だって恥ずかしいでしょ」
「べ、別に、伊吹ちゃんがしてくれるなら、恥ずかしくないんだからね」
「こっちが恥ずかしいわよ。あと、貴方がたまにやるツンデレ。似合ってないわよ」
「えー」
「そういうの私の方が似合うでしょ」
「いや、それを自分で言うって、どうかと」
「というか、昔のことを思い出させないでよ。
私、身体が動かない時期はずっと絵理子さんのお世話になってたんだから……」
「わ。真っ赤」
伊吹は「うるさいわね」と視線を夕方のニュース番組に逸らした。
「さっきの火事、ニュースになってないんだね。アイちゃん、何処に居るんだろう」
「……私が意図的にその話題に触れないようにしているのに」
「や、でも、放っておくわけにもいかないし」
「でも、手掛かりは何も無いのよ。後は警察の仕事よ……」
「もうっ。さっきと言っていること逆だし。まーた、弱い伊吹ちゃんになっちゃってるし」
「何よそれ」
「伊吹ちゃんってこういうとき、『私が助けるわ』って、
竹刀か木刀を持って犯人宅に乗り込むでしょ」
肩をぶつけて圧し掛かってきたので「そんなに暴力的じゃないわよ」と抗議して押し返す。
「教会に行ったときは『養子縁組をぶち壊してやる』って鬼の形相してたくせに」
「してないわよ。どんな人が里親なのか見に行っただけよ」
ソファで押しあいをして程なくすると、支払いを済ませた絵理子がスマートフォンで誰かと話しながら戻ってきた。
「申し訳ありませんでした」
絵理子は「お母さんよ」と柚美にスマートフォンを手渡す。
柚美は画面を見つめたまま、自分の心臓を指さし「電話しても良いの?」と首を傾ける。
「ほら、あそこの張り紙」
絵理子が指し示す壁際の貼り紙には、電話のイラストの下に
「ロビー内は携帯電話の使用が可能です。
ただし、ここから先は医療機器に影響を及ぼす可能性があるため、使用は御遠慮ください」
と書いてあった。
赤い矢印が指し示すのは、奥へと続く通路だ。
柚美は貼り紙に目を通すと携帯を耳に当て「大丈夫だよ。全然、平気」と、友達とするような口調で話し始める。
スマートフォンの利用可能エリアであっても気兼ねするのか、柚美はロビーの隅にある通話専用の小さい個室へと去っていった。
入れ替わるようにして、柚美の座っていた場所に絵理子が座る。
「ん?」
伊吹はなぜか、心臓を指さした柚美の姿に妙な引っかかりを覚えた。
携帯電話が普及し始めた当時に国が調査して、殆どの機種が医療機器に影響を与えないという結果が出ていたはずだ。
ただ、電波が機器に影響を与えるというイメージが強いのと、万が一を避けるために、使用禁止になっている病院が多い。
伊吹は高度先端医療を受けた身だから、新聞に医療関連の記事があれば目を通すようになったし、何冊かの本も読んだ。
だから、医療機関での携帯電話使用に何の問題も無いことは知っている。
体内に埋め込む医療機器で真っ先に思い浮かぶのはペースメーカーだ。
ペースメーカーとは人工心臓のことで、伊吹も入院中に臓器移植を受ける前は使用していた。
心臓は体の中にある最も繊細で大事な器官だ。
血液を全身に巡らせる命の源であるだけでなく、大昔から魂の在り処とされていた臓器でもある。
近年では心臓の神経細胞に記憶が蓄えられているという説もあり、実際、伊吹は臓器移植によって、本来なら知り得ない記憶を夢に見ている。
「心臓……。
そういえば、アイさんを連れ去った男が津久井に電話して
『殺していない。心臓は動いている』と言ったわ。
変な言い方よね?」
「もしそう言ったのなら、確かに変ね。
身の代金目的で誘拐した犯人なら『アイちゃんは生きている』って言うわよね。
昼ドラの中だけかもしれないけど」
仮に津久井の狙いが心臓だとしても、使い道なんてないはずだ。
吸血鬼の治癒能力は噛むことによって唾液が血液中に混ざって感染するのだから、心臓は無関係なはずだ。
それとも、心臓は何かの比喩なのか。特に意味は無い言葉だったのだろうか。
絵理子は周囲を見渡した後、顔を近づけてくる。
「ねえ、津久井と関君が共犯で、本当の狙いは伊吹って可能性は無いかな」
「関は協力的よ? もしかして疑っていたの?」
「当然でしょ。
伊吹が信頼しているみたいだから余り口は挟まなかったけど、私は彼のこと、何も知らないもの」
「……まーくんは味方よ。私の身体が覚えているわ」
「その言い方はどうかと思う……」
「津久井の狙いがアイさんだというのは間違いないわ。それに、私を狙う理由なんてないでしょ」
「あのね……。私が犯罪者だったらアイちゃんより伊吹を狙うわよ」
「どうして?」
絵理子はきょとんと子供っぽく目を丸くし、苦笑してからおでこを近づけてきた。
「伊吹がおやつ代わりに食べちゃう羊羹、あれ三千円。
普通の家庭では特別な来客や行事の時にお出しするの」
「道場に『ご自由にどうぞ』って置いているじゃない」
「それはスポーツ羊羹。箱買いで安いの。
伊吹が食べちゃうのは翡翠なんていう洒落た名前で、箱は箱でも桐箱入りで高いの」
額をくっつけて押してくるのを、伊吹は
「よ、羊羹は関係ないでしょ」
どもりながら仰け反って視線をそらす。
「あるわよ。
身の代金目当てならアイちゃんよりも伊吹の方が都合が良いでしょ。
……あ。そっか……。
アイちゃんの里親がうちだって勘違いされた可能性があるわね」
アイの事情に最も疎い絵理子だからこその指摘だった。
伊吹は自分が過去の因縁とか運命とか、そういった物に考えを縛られていることに気付いた。
「でも、デパート火災を起こして、防犯カメラにも写って、警察だって動いているんでしょ?
お金のためにそこまでするかしら」
「確かに、ああいう不思議な力があるなら、もっと他の使い方をするわよね。
銀行強盗とか。というか、やっぱ伊吹をさらった方が手っ取り早いか……」
「可愛いからさらったとか、もっと、ありきたりな理由なのかしら」
「や、それは伊吹ちゃんでしょ」
通話を終えたらしい柚美が戻ってきた。
病院を後にするため伊吹はソファを立つ。
「でも、子供をさらうありきたりな理由って、あとは臓器売買くらいでしょ」
「うぐっ。発想が物騒だよ伊吹ちゃん」
「だって、あいつら心臓って――」
ソファを立って玄関に向かおうとするだけの一連の流れで、ふと、受付にある小さなピンクの箱が目に入った。
「あっ」
伊吹は箱の中に入っているものに心当たりがある。
臓器提供意思表示カード。
自分が脳死状態になった場合に、臓器を他者の治療のために提供する意志を表明するためのカードだ。
伊吹も財布の中に入れている。
「でも、そんな……」
閃くものがあったが、信じがたいため伊吹は呻いた。
伊吹は足を止め、財布からカードを取りだす。
署名年月日に記載してあるのは伊吹が臓器移植を受けてから暫く経った日付だ。
もう二年も過ぎている。
「二年も……。あっ」
どうしたのかとふたりが目で問いかけてくる。
「失態だわ……。津久井を目にしてから思考が完全に麻痺していたわ」
伊吹は児童養護施設で津久井と遭遇したとき、まるで夢の続きのように感じたし、関の豪雨を浴びてフラッシュバックする記憶もあった。
だが、実際には夢の続きではなく、既に三年も経過しているのだ。
「まったく、自分の馬鹿さ加減に呆れるわ。こんなに大きくなっていたのに」
伊吹はまるでアイがいるかのように腕を身体の前に持ってきた。
夢のアイは小さくて両腕にすっぽりと収まった。
けど、成長したアイは、自らの手足でしがみついてくれなければ、伊吹の腕だけでは上手く抱き上げられないほど大きくなっている。
「津久井の目的が分かったわ。
イレーヌの死後三年経ってからアイさんを連れ去った理由も説明がつく。
ううん。三年、待つ必要があった」
消えかけたかに思えたアイの手がかりが再び姿を見せ始める。
伊吹は周囲の事情に対して盲目になりかけていた。
だが、答えは最初から手の届く位置にあった。
アイをさらった男の言葉に裏など無い。
そのままの意味だ。
津久井は、アイの心臓を欲している。




