『やれば出来る子』は最近流行りのブーメラン
お前はやれば出来る、という言葉はよく親や教師が使うのではないだろうか。用途としては、やる気の無い者にやる気を出させるため、もしくは、自信の無い者に激を送るためであったり。
だがどうだろう。やれば出来る。未確定因子の『たられば』である以上は当然ながら未確定であり、つまり未確定文である『きっと出来る』と同義語、もしくは類義語だと言える。そして『きっと』が示す確率とは1%から99%までだ。つまりである。『きっと出来る』は『出来るかもしれない』であり、ともすれば『きっと出来ない』という意味も内包していると言えよう。
やれば出来る。は、きっと出来ない。これを証明に至らせてしまったわけだが、しかし人はこの言葉を多用するし、あわよくば信じてしまう人も多く居る。それは何故か。
さて、方針は決まった。
では、考察を始めよう。
まず考えるべきは、『やれば出来る子』は本当に褒め言葉なのか、という点から始めよう。これはさして難しくない。遠回しに『やらないから出来ない子』だと叱っているのだ。典型的な、遠回しでしか意見が言えない日本人というやつだ。簡単に言えば『つべこべ言わずにやれ』ということだ。
深刻そうな口調で『やれば出来るのに』と言う者も同じ。そもそもやるという選択肢を除外しているからこそ楽観的に捉えて『出来る』と断言する。慢心だ。虚勢とも言える。
ならば『やれば出来る』という言葉は揶揄であり欺瞞であり誹謗中傷や批判になるはずだ。
では、『やれば出来る』が批判であるならば何故、人はその言葉に不快感を覚えないのか。それは、私が思うに『やらないから出来ない』という言い訳になるからと『本当は有能』であると、誰かに認められている気分になるからの2パターンがあるのではなかろうか。
『やらないから出来ない』という言い訳はそのままの意味で、自分がそれを成すに至らない理由を、実力以外の要因のせいにする事で自身の尊厳を保とうという考えだ。
『本当は有能』はつまり認証欲求だ。誰かが見ている。認めてくれている。そう思うだけで人の心は喜べるようになっている。単純だが確固たる心理と言えよう。
つまり『やれば出来る』とは批判でありながら相手に逃げ道を与える言葉なのだ。言い方を変えれば『言っただけの文句』であり聞く側にとっては『根拠の無い保障』となる。
価値も意味も無い、欺瞞と慢心と虚勢が入り交じった言葉。そう考えると、多用されるし便利な言葉ではあるが、本当はあまり使わないほうが良いのではなかろうか。
結論。
『やれば出来る子』を使った人は『やっても出来ない子』




