魔術師の愛馬
離れだという建物から出ると視界いっぱいの芝が朝日で目に眩しかった。彼方にはどうやら釣りができそうな池があり、主の趣味なのか桟橋に小舟が泊められている。
「でかい屋敷だなぁ……」
何とか見通せる彼方に庭の境界らしき塀がある。その反対側をふり返れば森だ。どこまで広さがあるのかこれでは見当も付かない。
「えらいところに来たもんだ」
まあいいかと哲は魔石を取り出し、そこで止まった。
「……なにもないのか。――ねぇ、ロナ?」
「はい」
これから魔術を使うと宣言した哲の動向をわくわくしながら見守っていたロナが答えた。
「なんでもいいんだけどさ。ガラクタとか無いかな。無くなってもいいようなゴミ」
「はあ……ガラクタ、ですか?」
「さすがにまたぶっ倒れるわけにはいかないからね。元物質が欲しいところだけど――」
ちょうどその時、こちらに歩み寄って来る人物に気が付いた。
「おお、魔術師さま! 具合は如何ですか?」
「…………。――ああ、どうも」
だれだっけ、と頭に浮かんでからようやく思い出した。酒場で愚痴を聞いてやった男である。
そしてロナの態度からしてもやはり彼がここの主人のようらしい。
「お元気なようで本当に安心しました。昨夜は急に倒れられたものですから……」
「ええ、どうも酒に酔って調子に乗り過ぎたみたいで。なにか失礼なことをしていなければ良いんですがね」
そんな、と主人が首を振る。
「あなたにはとても大きな恩が出来てしまった。是非ともこのコシューク家に代々語り継がせて頂きたい。そのためにも遅ればせながら、魔術師さまのお名前を拝聴してもよろしいでしょうか」
ここまで謙遜した言い方をしなくてもいいだろうに、とやり辛さを覚えながらも哲は名乗ることにした。
「苗字は空羽、名は哲。ちょっとしたワケあってこの町にやってきたんだが……――まあ、ややこしいからそれについてはあまり聞かないでもらえるとありがたい」
ロナに目配せをすると困ったような笑みを返してきた。
馬鹿げた事情である。それにこの男に話す必要もないのだから、あんな面倒な説明をするくらいなら黙っておこう。ロナとのこんな秘密の共有もまた面白いではないか。
「とにかく、金貨のことについては本当に酒の勢いでやってしまったことで、正直な話こちらも戸惑っている」
哲の居た世界でこれと同じことをしたならば大事件だが、この世界ではとくにペナルティも何もない。ただ、自分の行いが何人かの人生を悪戯に変えてしまったのは事実である。
「余計なことをしたのならすぐにでも元に戻そう。その判断をあなたにしてもらえないか」
許されない干渉をしてしまったのではないか、と。これは良心の呵責なのか。罪悪感に似た重苦しさが胸の中で淀んでいた。
朝食の前にロナに呟いたのはこういうことだ。
「余計なことなどと……」
思いもよらぬ問いかけに主人も困惑の表情を見せる。
大きすぎる力はその本人をも飲み込んでしまう。慎重に使わなければならない。
「いや……わかってるんだ。おかしなことを聞いてすまない。あの金貨は好きに使ってくれたらいい」
首から提げられた真っ赤な魔石をぎゅうと握り締める。
――お前は魔王にでもなれる、と言った師匠の笑顔を思い出した。それくらい気楽に、好きなようにやっていけという意味だったのだろうか。
「考えても仕方ないな……。――なあ、ご主人よ」
「なんでしょうか?」
片足を開き、何もない芝生を向いて哲は言った。
「土を貰ってもいいかな。結構な量になるが」
「土……ですか?」
「そうだな、人がもぐって隠れられるくらい地面が抉れて無くなることになる。これからやる魔術の代償に使いたい」
やや考えてから、主人は嬉しそうな顔で快諾してくれた。
「どうぞどうぞ。是非ともお目にかかりたいものです」
許可を得て、哲はしゃがみこむと左手に魔石を、右手を地面の芝に触れる程度に付けた。
今から錬成するのは『乗り物』だ。
魔術の存在が認知されている哲の世界では、悪用目的に魔術師の力を狙う不届き者が少なからず居た。そのために護身として用意されている魔術というものがある。それは魔術師によって前提の魔術が異なるために多種多様だが、中でもとりわけ錬金術は好きな物を現出させられる特性上かなり優れている。
襲われたら武器を、逃げる時には乗り物を。羽交い絞めにされたらそいつの体を異物に錬成してやればいい。
最後の例は禁忌だが、それくらいの覚悟で臨まなければ魔術師は務まらない。
「これは……いったい何をするものなのでしょうか」
錬成が終わり、主人もロナも見たことのないそれを好奇の目で観察していた。
哲の手が触れていた地面には深い浴槽ほどの穴が穿たれ、その中には彼らにとっては得体の知れないものが鎮座している。
「鉄の馬、とでも。排気量は二五〇ccだ。とはいえ……参ったな。これじゃあ出せないじゃないか」
穴にすっぽりと収まったオフロードバイクを見下ろして哲は眉をしかめた。足元の土を変成させたのだから、こうなるのは仕方がない。
「これを出したいのですか? ならば人を連れてきましょう」
「いや、たしか一三〇キロはあったからな……この状態から人の手で引っ張り出すのは無理だよ」
クレーンでも錬成すればどうにかなるが、さすがに面倒くさい。
「なにか簡単な方法は……――ああ、そうか」
車体の前側の土の壁を斜面にしてやればあとは自力で脱出できるのではないか。
発想さえ得られればあとは造作もない。土の壁面が緩い斜面になるよう土を変化させていく。
「何にしよう……水でいいか」
途端にそれまで芝を生やしていた地面が液体化し、穴の底へと流れて行った。うっかりバイクが水浸しになったのを見て舌を鳴らし、顕わになった斜面の具合を確かめた。
「ま、これなら行けるだろ」
穴の中に入ってバイクに跨る。この機体は軍の偵察バイクとしての歴史があり、哲を含む一部の層から根強い人気を誇る車種である。錬成すると毎回新品の状態なので慣らす手間があることを除けばこれほど頼もしい相棒も無い。
唇を舐め、スタータースイッチを押してエンジンを始動する。久しぶりの音と尻から伝わってくる感触はいつも気分を高揚させてくれる。
軽くエンジンを吹かしてアクセルの感覚を掴み、左手のクラッチレバーをそっと離していく。するとくっ、と一瞬だけ体が置いていかれる感覚があり、右手のアクセルを開くと共に車体が動き出す。
と、その時。
「魔術師さま……?」
いつの間にか正面から穴を覗く位置に立っていた主人に哲は叫んだ。
「どけっ! 邪魔だ!」
エンジンが唸りを上げ、後輪がふやけた地面を掻き散らながら車体は四〇度の急斜面を駆け上がった。
土飛沫を上げながら車体は跳び上がり、地響きと共に荒々しく異世界の大地に降り立った。
「……すまなかった。言っとくべきだったよ」
全身を泥まみれにして尻餅をつく主人に冷や汗を掻きながら謝った。この町の権力者の怒りを買ってしまうようなことがあっては今後の活動に支障を来たしかねない。
「旦那さま、だ、大丈夫ですか!?」
ロナが駆け寄り、呆けていた主人の顔に血の気が戻っていく。
「は……、はははは! これは素晴らしい!」
どうやら不要な心配をしていたらしいと安堵して哲は主人が起きるのに手を貸した。
顔から足の先まで泥水を被ってもどこ吹く風と、主人は興味津々で哲の錬成したバイクを調べ始めていた。
「これが魔術師さまの馬ですか……いやはや、興奮が収まりませぬ! 実に、……実に! 素晴らしいとしか形容できません!」
「まあ、馬という言い方は少し違うかもしれない。とりあえず生き物ではないからね。こっちにはこういう乗り物はあるんだろうか」
「いえ……? そうですなぁ……強いて言うならば、私が石炭の鉱山の視察に行った時に見かけた蒸気で動くという装置に似ているような気がします。まあ、あれはとても大きくてこれよりも簡素な造りだったように思えますが。興味がおありで?」
「蒸気機関か……ふむ」
鉱山で蒸気機関を見たというのはおそらく坑内の排水装置だろう。
雨などの水が岩盤の隙間から浸み込むと採掘の邪魔になる。それをくみ出すための道具として蒸気機関が用いられたのは、哲の世界で言うと『産業革命』の初期の初期の話である。
それまで動力と呼べるものは人力しか無く、動物や水力を利用した労働力は以前からあったものの汎用性に乏しかった。ましてや水源も希少な内陸の鉱山でそれらが役に立つわけもなく、溜まった水の排水作業はすべて人の手で行われていたという。
「こっちではこれからなんだよな……できれば全部、見届けたいけど」
蒸気機関は金属加工技術の発展と共に進化を続け、いずれは内燃機関に動力の主役を渡して姿を消す運命だ。この世界の蒸気機関車はどんな形をしているのか見てみたいと思った。
「……これと同じのが出来るまであと何年かかるんだろうな。不思議な気分だ」
顔を近づけすぎて排気筒のガスをもろに吸い込み、むせ返っている主人が生きている間にどこまでこの世界の技術が出来上がるのか、さすがにそこまでは哲にはわからない。
ただ、ロナといいこの主人といい、彼らにもっと色々な物を見せてあげたい。驚かせてやりたい。そう思うのはいけない干渉になってしまうのだろうか。
咳き込みながら子供のように笑いかけてくる主人と、その背中を心配そうに擦る給仕の姿を見つつそんなことを考えていた。
今日は気分がノリノリだったおかげで(現実逃避ともいう)たくさん描けたのでもう一部をあげました。
ストックを減らし、自らを追い込むことでさらに加速……できればいいんですが。
そのうちまた挿絵を載せたいと思います。……少しは上手くなったんですよ? ってね。