レティク
金持ちの生活とはこれほど庶民とかけ離れているものなのか。
本館に招かれた哲は昼食を摂りながら緊張を通り越して呆れていた。
きっと職人が設計図の寸法の単位を読み間違えたのではないかと真剣に考えてしまうほど縦に長いテーブルの両端に哲と主人が向かい合って座っている。両者の斜め後ろに待機している給仕の存在がさっきから気になって仕方がない。
――勘弁してくれ。帰りたくなってきた。
飯を食う時は一人で静かなのが落ち着くのだ。が、それはこの館の主、コシュークが許してくれなかった。
「どうですか、魔術師さまのお口に合えば良いのですが」
こんな状況で味なんかわかるわけがない。
「あ、ああ……こんなに美味い料理を食べたのは初めてだ。これは牛の肉かな」
どうでもいいことを聞いてしまう。
「まさか、御冗談を。それは子羊の肉ですよ。……魔術師さまの地方では牛を食べるのですか?」
神妙な声のトーンから察した哲はあわてて取り繕う。
「いや、失礼した。美味い肉を食べた時にそういう冗談を言うんだ、俺の故郷では」
「ああ、そういうことですか。驚きました、よもや本当に神聖な牛を食べたことがあるのかと」
「は、ははは……」
宗教の決まりで特定の動物を食べてはいけないというのはよくあることだ。とっさの嘘に救われた。
どこに文化の地雷があるかわかったものではない。
「それにしても興味深い。魔術師さまの故郷というのはどんな場所なのでしょうか。よろしければ、お話を聞かせては貰えませんか」
「それは……」
別に話しても構わないのだが、正直面倒臭かった。
「……あまり外に広めてはいけないしきたりなんだ。すまないが……遥か遠方としか」
「そうなのですか……ならば、仕方ありません」
聞き分けの良い男で助かった。それに金貨の件でこちらの不満を買わないようにコシュークも気を遣うのだろう。
「――で、コシューク殿。こちらにも聞きたいことが」
「ええ、なんでも仰って下さい」
「隣の町……だったか。なんでも騒動が起きそうな気配だとか聞いている」
少し間をおいてから「ああ」と返事が返ってきた。
「レティクのことですね。あの町は以前からそんな噂が立っておりまして」
「それについて詳しく聞かせて欲しい。ちょっと興味がある」
「ええ、構いませんよ」
口元のソースをナプキンで拭い、コシュークは話を始めた。
――この地方を治めるアリシルという王国があり、その領土内の町や村を細かく管理する領主という存在がある。
コシュークはこのシリルという町を任された領主なのだそうだ。領主は貴族の中から選ばれ、コシュークを詐欺に嵌めて失脚を図ったのもこの領主の座を狙った別の貴族だという。
領主は町の責任者たる立場である。故に、市民から税を取り、何らかの形で還元することが役目となる。
「通行料などの税金の取り決めは我々の自由です。なので町によって税を取る機会や値段が大きく異なることもあり、しばしば問題になるのですが……」
特に件のレティクという町ではその税金と還元のバランスがかなり領主の懐に消えてしまう設定になっているせいで市民が苦汁を飲まされており、いつ暴動を起こしてもおかしくない状態なのだそうだ。
「今はなるべく市民にもレティクには近付かないように、と促しております。あそこの領主は近隣の領主たちの助言を散々無視してきましたから、もうそれくらいしか出来ることはないのです」
ここの領主に守られる市民は幸運だな、と感じながら哲は口を開いた。
「地図を用意してもらえないか」
その発言にコシュークが目を丸くして聞き返す。
「まさか、行く気ですか?」
水を一口、と哲がコップに口を着けると酒だった。
「――がっは、えふっ……。……もとよりそのつもりだ。そのためにあの乗り物を出したんだから」
「…………。そうですか。――ならば止めはしません。用意させましょう」
「ありがたい。感謝する」
昼食を終え、居候先の別館に戻るとロナが泣きそうな顔で呼んできた。
「どうした?」
「申し訳ありません……アキラさまの乗り物が……」
どうやら好奇心のあまり倒してしまったらしい。スタンドを立ててあったのでそう簡単にこけることも無いはずだが、おそらく跨ったりしたのだろう。
そして百三十キロの鉄の塊が彼女に起こせるわけもなく、罪悪感に苛まれながら自分が戻ってくるのをずっと待っていたらしい。
「ケガはしなかった? こんなのはこかしてナンボのものだから、気にしなくていい」
ハンドルとフレームを掴み、腰で機体を立て直していく。コツを掴みさえすればロナにも起こすことは容易い。
「本当に申し訳ありませんでした……」
あまりにしおらしくなられると逆に苛めたくなってくる。
「……あ、カウルにヒビが入ってるや」
「え……あの、どこか壊れてしまいましたか?」
再び焦り始めるロナに嗜虐心が芽生えるが、あまりやりすぎると嫌われかねない。ほどほどにしておく。
「まあ、大したことないけどね。それよりロナ、これ貰ってきたんだ」
丸められた紙の筒を示して哲は別館の中へと入る。
「それはなんですか?」
コツコツと皮靴の音を立てて後ろを着いてくるロナにそれを渡し、広げると彼女は少しだけ声を落とした。
「……やはり行ってしまうのですね」
ここシリルからレティクまでの経路を辿った地図。旅に必要な物資を書き出したリストが隅にまとめられているそれを、まるで忌々しいもののようにロナは慎重に丸めて返してきた。
「せっかく来たんだ。ここでじっとしてるよりも色んなものを見たい」
「…………」
「さて、やることも決まったから準備だ。ロナ、手伝って」
「……はい」
まず哲が用意したのはこの世界での金、そして武器、食料だった。
「えーと……一ガリルが大体百円くらいで、五十ガリルで一ラリオン。で、五千円だから……――ああ、ややこしいな。もうメモを財布に入れとくか。ねぇ、ロナ? ラリオン銀貨が十枚とガリル銅貨が十枚あったら十分足りるよね?」
「え? ――ああ、そのくらいあれば……いえ、細かいガリルはもう少しあったほうがいいかと思います。よく使うのはそっちですから」
「ん。わかった」
銀貨を握った哲の手からしばらくすると銅貨がその倍出てくる。寝室兼書斎の小さな机の上でそれの数を数えていきながら、ぽつりと呟いた。
「……どうかした? ボーっとしてたけど」
「…………」
「――ロナ?」
「は、はい!?」
「…………。ちょっとお使い。行ってきてくれる?」
「わ、わかりました。行ってきます」
あわてて部屋を飛び出したロナの足音が遠ざかっていく。
「用件まだ言ってないんだけど……」
銀と銅の貨幣を財布に仕舞い、やれやれと哲は立ち上がった。
「土くらい自分で取ってくるか」




