結婚破り
教会都市バリィは、その名を冠する通りに教会の町である。
アリシルという一国の政治に深く影響をもたらす唯一神の教えを広める地であり、また格式の高い冠婚葬祭を行う儀礼の地でもあった。
「本当に、私一人で良かったのでしょうか」
心配そうに馬車の外を覗う給仕にアリスは落ち着いた声で返した。
「付き人はひとり。それがしきたりなのだから、あなたは何も心配する必要はなくてよ」
「それは心得ています。ですが……なぜ私を?」
自分より古株で優秀な給仕は屋敷に何人も居る。なのに、主人の婚礼の付き人という重大な役目において自分に白羽の矢が立ったのは腑に落ちなかった。もちろん、嫌なわけではない。付き合いがまだ浅いとはいえこの主人のことは尊敬しているし、光栄なことだとも思っている。
「あなたが一番好きだったから。打ち解けやすくて、気疲れしないんだもの。自分で気が付いていないかもしれないけど、良い性格してるのよ、あなたって」
「そ……そうでしょうか」
反応に困る。
この人は言動に遠慮をしないせいで初めのうちは敬遠されるが、実際は素直なだけで時間は掛かってもそれが伝わると周囲は好意的になる。そういう魅力の持ち主なのだとこの三年ほどで学んでいた。
「それにお化粧からナニまで一通り出来る人ってなると、あなたかメイド長しかいないでしょう? 私、あの人は苦手よ」
それには笑って返す。彼女と年配のメイド長とは傍から見てもわかるほどに反りが合わなさそうな性格なのだ。彼女が飲めない酒に酔った時に堅物ババア、と漏らした時は生きた心地がしなかった。
「お嬢様、そろそろ着くようです」
馬車の御者台から軽いノックの音が聞こえ、それが合図である。
馬車が止まると先にロナが降り、反対側に回り込んで主人側の扉を開ける。
――はずだったのだが。
「あら、そっか。ごめんなさい」
すでに自分で馬車の扉を閉めていた主人に引き攣って微笑んだ。ここではもう式に携わる教会の人々の目もあるので出来る限りこういったことは勘弁してほしい。
この主人は貴族らしい振る舞いを理解していながら、あえて無視することが多くあるのだ。本人曰く、度が過ぎると煩わしいから、という。
「お嬢様――くれぐれも、ここが貴族にとって厳格な場であることをお忘れなきよう、お願いいたします」
「ええ、大丈夫よ。今のはちょっと緊張していただけ」
この人の言う大丈夫よりも怖いことってあるのだろうか。大聖堂の荘厳な壁画を子供のような好奇心に満ちた眼差しで見上げる主人の後ろを歩きながら、付き人はそんなことを考えていたのだった。
「まだ式まで時間はあるわよね?」
式場の下見を軽く終えてからアリスが問いかけた。ロナは小さな時計を取り出し、「少しくらいなら」と答える。
基本的に、ここでの婚礼は習わしによって最低限の人間で進められる。親しい間柄の来賓を招いて祝福してもらうということも無く、質素に、且つ厳正に執り行われるのだ。
新郎、新婦とその付き人が端で見守り、教会の神父が誓いの文句を述べる。
時間にしても三十分と掛からない。誓いの接吻を済ませた後は教会の用意した馬車に乗り、次の披露宴会場へと移動する。
そこで初めてうんざりするほど豪華な祝福が待っているのだ。
今は亡きコシュークの繋がりで下位の貴族達が後継者のアリスにそれはもう顔を憶えてもらおうと必死になるだろうし、新郎のレアード氏といえばかなり名の知れた名家の跡継ぎである。披露宴という名の大宴会は三日三晩続くだろう。
貴族の中でもそれほどの地位を持つレアード氏がアリスと婚約したと世間に広まると、それを不思議に思う声はやはりあった。
アリスが世間に顔を出したのは一か月前とごく最近のことであるが、そんな彼女がこの短期間で結婚するまでに至ったのはコシュークの計らいである。
まだ年端もいかないアリスにシリルの領主権を譲るのは不安があると判断したのと、失脚を狙う輩の存在も考慮してレアード家に嫁がせるように仕向けていたのだ。
なので、アリスの存在がまだ世に知らされていないころからレアード氏はコシュークに度々食事などに招かれており、ロナも多少の面識くらいはあった。
「おや。これはこれは――ロナ嬢。アリス殿はご一緒ではないのですか?」
手洗い場から出てきたロナを心地よい低さの落ち着いた声が呼び止めた。
「……レアード様」
「貴女がドレスを着ていたら私はきっと今日のことは忘れて貴女を口説いてしまうでしょう。そうならないために、早めに今日の姫君をこの目に焼き付けておきたいのですが」
要約すると、僕の花嫁はどこですか? という意味だ。決して悪い人物ではないのだが、面倒な性格をしているのも事実である。
「お嬢様なら礼拝堂に。一人にして欲しいとのことでしたので」
「そうですか……。いえ、挨拶くらいは交わしておくべきかとね。ただ、その様子だと私は行かないほうがいいようだ。大人しく待ちましょう。不安な気持ちがあるのは私も同じなので。――爺や、我々も外を散策でもしようじゃないか」
爺やと呼ばれた老年の執事はこちらに会釈をするとレアードの後について去って行った。やはり本当に自分がこの役を負ってよかったのかと悩みながら、ロナは天井に施された見事な彫刻を眺めていた。
この結婚を破談にするなら今しかない――。
自分に出来る布石はすべて投じた。
あとはあの人がどうするか。
約束を破ってしまったのなら、どうか謝って許してもらってほしい。
式までの時間はあと僅か。この教会都市とシリルの距離を考慮するともうむこうを発ってなければ間に合わないだろう。
どうか、彼が悔いの無い選択を取りますように。
ただ一人だけ真実を知るロナは女神の彫像にそんな祈りを捧げたのだった。
そしてついに時計の針が婚礼の時刻を指し示した。
色付きガラスをはめ込んで作られた美しい天井が陽光を鮮やかに彩って床に落としている。
「――汝、その健やかなる時も、病める時も……」
壁画の天使達が見守る大聖堂の中、神父が誓いの言葉を読み上げる。正装のレアードとドレス姿のアリスが向き合い、その文句を頭で反芻させて心を決めていく。
「富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い……」
その様子を部屋の隅で見ているロナは心臓の嫌な高鳴りを感じていた。
まさか本当に来ないのでは……。
不安と緊張に呼吸もおかしくなっていたのかもしれない。隣のレアードの付き人が小声で言った。
「具合が悪いので?」
「いえ……平気です」
口ではそう言うも、胸の痛みが抑えられなかった。
以前からコシュークに呼ばれて屋敷に来ていたレアードは、女性なら見境なく甘い言葉を掛ける点を除けば人柄の良い人物と言える。町を歩けば看板娘を口説き、軽くあしらわれてもその紳士的な明るさで笑い話にしてしまう。
確かに、このまま二人が結ばれればある程度の幸せは保障されるだろう。シリルの領主権を狙っていた貴族も、レアード家が相手ともなれば手出しはできない。
なら、これでいいのだろうか……。
神父が最後の言葉を強調して発した。
「その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか? 沈黙をもって答えよ……」
――静寂。
ここで異議を申し立てなければこの婚礼は成約してしまう。
沈黙の中で口づけを交わす。それがこの儀式の最終目標である。
レアードの手がゆっくりとアリスのケープを捲り、頭一つ分も低い口元へと顔を近づけていく。
終始無表情だったアリスもやや上を向き、真一文字に結んでいた薄い唇が次第に緩んでいく。
それが成される数瞬前。
はっとレアードの瞼が開いた。
「……どうやら異議のある者が居るらしい」
静寂に満ちた大聖堂でそんなことを呟いたのだ。神父が驚いたように顔を上げ、レアードの付き人の老人はだれよりも早く大聖堂の入り口をふり返った。
場はまだ静寂が支配している。が、見えない緊迫感が漂い始めた。
そしてアリスも無表情のままレアード達がするように扉を見ていた。
「…………」
それから間もなく、遠くから何かが近づいてくる音が聞こえ始めた。まだ遠くて微かだが、大きな音だ。それがかなりの速さでこちらに近づいてくる。
「この音は……」
ただ一人、ロナだけがその音を聞いたことがあった。
老人がロナに問いただそうとするが、それよりも先に音の正体が教会の前で止まった。
続いて、足音。かなり慌ただしい。途中で転んだようだ。束の間の静寂のあとに再びドタドタと走り出し、大聖堂の扉の前でぴたりとやんだ。
――深呼吸でもしているのだろうか。
そして、勢いよく扉が開け放たれた。
「アリスッ! 俺だ、迎えに来たっ!!」
時が止まったかのようだった。
皆が皆、彼を見ていたが反応は様々だった。
レアードは壇上から彼を見下ろして無言で佇み、アリスは氷が解けるように表情を取り戻し、ロナは泣いていた。
老人が吼える。
「貴様、何のつもりか! 婚礼を邪魔立てするなら容赦はせんぞ!」
執事の正装に丸腰かと思いきや、老人は背中から仕込み杖を抜いてその刃を哲へと向けた。
――パン!
「っ!」
老人の足元の床が小さく爆ぜる。闖入者の手に握られる道具が何なのか老人も理解したらしい。
「事を荒立てるつもりはない。俺はそこの花嫁といくつか話がしたいんだ」
老人が仕方なしに構えを解くと、哲は壇上の花嫁に向かって言った。
「アリス。……俺がわかるか?」
彼女の口がもごもごと動くのは見えたが、言葉は聞こえてこなかった。
「三年も遅れて悪かった。言い訳をするつもりは無い。あとでいくらでも謝る」
――だから、これだけは言わせてくれ。
「だから、あの約束を憶えていて、その上で俺を許してくれるなら……、――俺と一緒になってくれ、アリス!」
「…………!」
謝罪と告白は確かに届けた。
あとは彼女の反応に従うと決めている。
「あ……、あ……」
わなわなと震えるアリスがどんな台詞を口にするのか。それは怒りに満ちた表情で察した。
「あんたなんか……っ知らないわよ、ばかぁっ!」
「――――」
答えは拒絶だった。
「……そうか。わかった」
それでも自分がやることは変わらない。
「レアードさん……だったか。ご覧の通り、俺はこの結婚をブチ壊しにきた。花嫁を賭けて決闘を要求する」
「なっ……ふざけるなよ貴様っ! レアード様は貴族であるぞ!」
「爺さん、俺はあの色男さんに聞いてるんだ。なに、ちゃんと相手してもらえるんならこんな卑怯な物は使わないよ」
拳銃を捨てるふりを見せてレアードを見た。
「……よろしい。どうやら受けねばならぬ事情があるようだ。――爺や、私の剣を持ってこい」
「しかし……!」
「二本だぞ。頼む、最後の我儘だ」
「…………。承知しました」
老人が哲の脇を抜けて大聖堂から出ていくと、レアードがそれまで呆気にとられていたロナに問いかけた。
「貴女はこうなることを知っていたのではありませんか?」
「え……?」
「いえ、なんとなく貴女の様子を見ているとそんな気がしたのです」
婚礼の邪魔をする者の存在を知りながら見過ごしていたとなると、ただでは済まされない。
観念した顔でロナは白状することにしたらしい。
「はい。私は――」
「脅されてやっただけだよな。俺が手伝わせたんだよ」
え? と驚くロナを無視し、取り次いだ。彼女に責は無い。
「……ふむ。して、貴方は?」
「あんたからすりゃ、ただの平民だよ。俺はそこの花嫁と約束しててね。もっとも、あれが婚約かどうかは微妙だったが。必ず迎えに行くと言った以上、男として責任を果たしに来ただけだ」
「なるほど。それならやはりこの決闘は受けよう。爺や、早くその剣をくれ」
「――――っ!」
哲は背後に立っていた老人に全く気が付かなかった。抜身の剣を二本携え、その気になれば容易く切り伏せられていただろう。
こんな達人が貴族の執事をやっているとは。もしかしたらこのレベルの人間はこっちの世界ではそこまで珍しいものではないのかもしれない。
「怖い世界だな、ここは」
となれば、少なからずこの老人の教えなり手ほどきなりを受けて育ったこの男は一筋縄ではいかないだろう。
「公平を遵守する。この二本の剣、どちらかを選びたまえ」
見た目はどちらも同じ剣だ。細身でしなやかな、レイピアと呼ばれる部類だろう。
「じゃあそっちの、あんたの右手のほうを」
するとあろうことかレアードはその右手のレイピアを投げてきた。それは哲の足元に刺さり、あまりの予想外に身動き一つできなかった。
「……上等!」
床から剣を抜き、それを構えた。もといこんな剣を使った経験などあるはずもなく、それはレアードや老人からすれば滑稽なものだったに違いない。
しかし、同じく剣を構えたレアードの目にはひとかけらの嘲笑もなく、真摯に敵として対峙しているのが伝わってきた。
――きっとお前は良いヤツなんだろうな。
幾百もの厳正な儀式を行ってきた教会都市バリィの大聖堂。その歴史の中でも異例となる、貴族と平民の一騎打ちが始まった。




