決闘
なんで今さら。
どうしてこんなことに?
壇上に立ち尽くしたまま花嫁のアリスはそう問いかけた。無論、胸の内に籠った声に応える者は居ない。
段差を下りていくレアードの背中は辛いほどに頼もしく、大きい。
それに対峙する彼の顔。
「どうして……」
口を覆いついに声を漏らした。嬉しいのか悲しいのかわからない涙が溢れ出る。
あの時と何も変わらない。三年前と同じ、まるで肖像画の姿のよう。
どんなに寂しくても思い出せば勇気をくれた彼の顔が。
どうして今、そこにあるのか。
レアードを止めなければ。決闘となればレアードはきっと彼を殺してしまう。彼は絶対に勝てない。
「レアード……!」
闖入者に歩み寄る足が止まり、軽くふり向いて涼しい笑顔が返ってきた。
「心配は無用さ。私は負けない」
そうじゃない。
「…………っ」
気持ちが声にならない。
なんと言えばこれを止められるのかわからない。
「この青年に私と戦う事情があるように、こちらにも等しく理由があるのだ。たとえ君がどんなに心を痛める結果になろうとも、引くわけにはいかない。――そうだろう?」
レアードが哲に同意を求める。
「俺は帰る場所を捨ててきた。引くことがあるとすれば、それはあんただけだ」
「それは勝てる見込みがあるという意味で捉えて良いのかね? 面白そうだ」
それまでよりも早足で距離を詰めると、レアードは試すようにすっとレイピアを鼻先に突き出した。
「…………っ!」
鼻の頭に切っ先が触れるか否かという距離。その一閃の突きに哲が微動だにしなかったのは見切ったからではなく、その加減された攻撃にさえ反応できなかったからだという事実はだれの目にも明らかだった。
「どうした? 次は掠るかもしれない」
冷め切った双眸が哲を見透かして言う。
勝てる気がしない。あまりにも実力に差があり過ぎる。
そんな声がどこかから聞こえた。どうせ自分の素直すぎる心の声だろうが。
――わかってるよ。それでも、だ。
怖気る心の背を叩き、哲は剣道の足さばきで後退して間合いを取り直す。中学校の選択科目で学んだ程度の技術である。素人に毛が生えた、とはこのことだ。
「決闘とは初めてだが、その剣で刺さされようが突かれようが、降参しなければ負けにはならないんだろう?」
哲の世界での中世の決闘とは、たしか平民が貴族を殺しても罪に問われないと聞いた。というより、その程度の知識しかなかったのである。
それにはレアードが答えてくれた。
「もちろん。だが、それは負けるより辛いかもしれない」
無事に負けさせてやるのは今のうちだ、とでも言わんばかりである。
「負けるより辛いことがあってたまるかい」
「面白い」
再びレアードが歩を詰めてくる。今度は哲も攻め、見よう見まねの太刀筋で先にレイピアを突き出した。
「おっと」
チィン、と軽く澄んだ金属音が鳴り、哲の手からレイピアが弾き飛ばされる。
剣道では巻き上げと呼ばれる技術だ。これが成功するのは技量によほどの差がある場合だと言われる。
身を守る武器を失い、無防備な哲にレアードが迫る。
「くっ!」
一瞬の細い一筋の反射光が頬を掠めた。続いて熱い火箸を押し付けられたような感触。
――わざと外された……!
覚悟を決めた男にとってこれ以上の屈辱も無かった。
哲の目にそれまでなかった憎悪の念が宿る。
「……君はまだ若い。その心意気やよし。ここで一度死んだと思ってやり直してはどうか」
「やり直す……だと……?」
――ガツン!
弾き飛ばされたレイピアが哲の真横の床に突き刺さった。
その柄をがっしと掴み、再びレアードに向けて構える。
「勝手なこと言いやがって……」
強く床を蹴り、一気にその懐へと飛び込んだ。小手先の技で勝負しても勝ち目はない。これしかないのだ。拳で殴りかかるように大振りの突きで胸を狙う。
「諦めが悪いと命を落とすぞ」
最小限の動きで躱され、突っ込んだ体の鳩尾に相手のレイピアの柄が抉り込む。
「うっ――」
見事に入った急所の打突に哲は膝を折り、その苦痛に歪む顔の前に鋭利な剣先が添えられる。
「アキラっ!」
「お嬢様、いけません!」
視線をレアードから外すとアリスがロナに羽交い絞めにされている光景が目に映った。
「お忘れですか! 決闘の邪魔は……!」
「でも……、でも……っ!」
その二人の間にはレアードの付き人の老人が立ち塞がり、他者が決闘に介入しないように見張っているようだった。
そのやりとりを見ていたレアードが驚いた様子で口を開く。
「どうしたことか。君は随分と姫君の心を掴んでいるらしい。私には一度もあんな顔はしてくれなかったのに」
語尾に甘い嫉妬の匂いがした。やはりこの男もそれなりに彼女のことを愛しているのだろう。いや、結婚するつもりだったのだからそれは当たり前か――。
立てる程度には収まった痛みを堪えつつ、哲は立ち上がった。
「……あんたはどういう経緯でアイツと?」
レイピアは構えず、話をする意思を表すとレアードも乗ってくれた。
「彼女のお父上に頼まれてね。守ってやってくれと……複雑な事情があるようだったが」
「…………。頼まれたから、で結婚をするのか」
「無論、彼女のことは愛している。ただ、それは後付の理由には違いないだろう。そして、ひとつだけ気に食わないことがあった」
「気に食わないこと?」
「まるで誰かの代わりのような縁談だったのだ。その『誰か』の代わりに守ってやってくれないか――と。始めから私が選ばれたのなら光栄だ。だが、本来の予定とは違う、仕方がなく選ばれたのが私だというのなら……良い気持ちはしないだろう?」
「それでも縁談を受けたのは、どうしてだ」
「それはいま言った通り。彼女に一目惚れだったのさ」
「そうか……。あんたの話を聞いていると、もう一つ聞きたいことが出来たよ」
「ほう? 気になるな」
「その、本来アリスと結ばれるはずだった『誰か』が現れて、そいつを返せと言って来たら――あんた、どうするかい」
哲がレイピアを構えると、自然と距離を取っていたレアードも再三剣を構えた。
「その『誰か』さんの名前を聞いておこうか」
「――空羽哲。いまは普通の人間だ」
「レアード・F・フェルテット。フェルテット家の当主也。……ならばもう手加減は必要あるまい」
「上等だ」
これが最後だ。
哲はそれまで右手を前にレイピアを構え、左手を後ろに向けて戦ってきた。
それを今度は左手を前に、そしてレイピアを握る右手を後ろに構えた。左手に拳銃や魔石といったズルはない。何もない手のひらをレアードに向けたのだ。
「…………それは盾のつもりか?」
「さあ、どうかな」
先に間合いを詰め始めたのは哲だった。
じりじりと左手を剣の如く相手に向け、その双眸だけを見据えて距離を縮めていく。
レアードからしてみれば哲のこの突飛な行動は不気味に他ならなかった。
正面から喉元が死角になるように突き出された左手。これは一閃で急所を突かれないための防御策と見受けられる。しかし、それでは腑に落ちない。それはもともと右手のレイピアがする役目だからだ。なぜわざわざ生身を犠牲にしようとするのか、不可解から生まれる恐怖が芽生える。
レアードのレイピアの切っ先と哲の左手が接する瞬間――。
動いたのはレアードだった。
「ならばその盾を剥ぐまで!」
レイピアの細く尖った刃がその左手のひらを穿つ。これに怯んで手を引けば相手の体は無防備になる。
私の勝ちだ。相手は血迷っていただけで、策など無かったのだ。
レアードは勝利を確信し、とどめの一撃のために相手の左手を刺したレイピアを一旦引き戻そうとした。
「…………!?」
だが、それを躊躇う事態が起きた。おかしなことに相手が手を引かない。相手には手の甲から切っ先が見えているはずの深さまでは刺さっているのに。
何故だ、と哲の顔を見てレアードは理解した。歯を喰いしばって薄い笑みを浮かべているのがただのやせ我慢なわけはない。
――まさかこれを狙っていたのか……!?
「ありがとよ。これしか思いつかなかったんだ」
左手をレイピアで突かれれば引っ込める、その前提を疑うべきだったのだ。
「……うらああぁぁぁっ!!」
体重を掛けるように左手を押し込み、ずぶぶ、とレイピアがさらに深く相手の手に刺さっていく。
「な――っ貴様!」
左手を貫通したレイピアはそのまま相手の手に動きを奪われ、方向を体の外へと無理やり変えられた。
次に視界に映っていたのは、固く握った右手の拳を振り被る相手の姿だった。レイピアは握られておらず、もう避けられる瞬間は過ぎていた。
それが自分の顔面に叩き込まれるのを悟っても、ただ眺めていることしかできない。
盾を失っていたのは自分だった。
まるで喜劇の一場面ではないか。となればここで負け、退場する役を引いたのは……。
「うおおおおおぉぉぉぁぁっっっ!!!!」
――ガン!
咄嗟に顔を守ろうと自分も左手を出したが、それごと顔の左側に強烈な衝撃が走り、景色が揺れた。何重にも重なった光が水面のように揺らいで受け身を取れない。背中を強く床に打ちつけ、すっかり気が抜けてしまった力が入らない体にしばらく起き上がれないことを認めざるを得なかった。
素人ながらも決死の覚悟が功を成したのか、それは見事な一撃だった。
こんな無様な悪役の負けを見届け、拍手を送る観客がいないことだけが唯一の救いか――。
ああ、何にせよ私は負けたのか。
硬質な床の冷たさを感じながら、レアードは勝負に負けるとはこういうことなのだな、と初めて知った挫折を素直な悔しさと、知的好奇心からくる満足感によるささやかな笑みをもって噛み締めていたのだった。
久しぶりに挿絵を付けてみました。少しでもイメージの参考になれば幸いです。




